第四章 ぶつかりあう恋心

第18話 キスと告白

 奏佑そうすけの過去はわかった。だが、これをどう彼に伝えればいいのだろうか。そもそも、あれから奏佑との関係は微妙なものになってしまっているというのに。しかも、クラス一の人気者でいつもクラスメートたちに囲まれている彼に近づくのは容易ではなかった。だが、二人きりになれる可能性がないわけじゃない。昼休みに音楽室に行けば、また以前のように一緒の時間を過ごせるかもしれない。


 そう思った僕は、昼休みに音楽室に行ってみたが、奏佑はそこにはいなかった。僕はがっかりしつつも、久しぶりにピアノを弾いていくことにした。僕は、以前奏佑に紹介されて感動したショパンのバラード第四番を練習していた。コーダの技巧的な難しさに手こずりながら、何度も反復練習を繰り返していると、すっかり夢中になり、時間が経つのも忘れて、ピアノを弾き続けた。


 と、その時、


「へったくそだなぁ」


という声がし、思わず顔を上げると、そこに奏佑がいた。


「奏佑!」


 僕はびっくりして叫んだ。


「なに? お前、バラ四練習してんの?」


 奏佑がそうニヤニヤ笑いながら僕に尋ねた。いつもの奏佑だ。僕は少し安心した。


「うん。奏佑に貸してもらったリヒテルのCDに入っていたバラ四にハマったんだ。だから、弾きたくなっちゃって」


 すると、奏佑は、


「ちょっと代わってみ?」


と言うと、僕の代わりにピアノの前に座り、バラ四のコーダを弾き始めた。この時の奏佑の演奏も、すっかり元の奏佑らしさを取り戻していた。流れるような華麗なゆびさばきで、繊細かつ大胆に、この難曲をさらっていく。まるで激情が溢れ出さんばかりの両手によるダイナミックなアルペジオがどんどんと加速していく。この秘めたないじょう発露はつろするかのような演奏に、奏佑の元担任の先生に聞いた壮絶な奏佑の過去が重なる。思わず僕は涙した。


「おい、何、泣いてるんだよ」


 奏佑は弾き終わると、泣いている僕を呆れた表情で見た。


「な、何でもないよ。ただ、奏佑の演奏が本当に素晴らしくて……。やっぱり奏佑の演奏は凄いや。僕の憧れだよ、奏佑は」


 僕は涙を拭いながらそう言って微笑んだ。すると、奏佑は少し顔を赤くした。


「なんだよ、急にそんなこと言って。照れるだろ」


 そう言って、奏佑は僕の額を軽くはじいた。その後、少し奏佑は気まずそうな顔をして、


「この前は、悪かったな。律は俺のこと心配してくれていたのに、俺イライラしてお前に八つ当たりしてた。ごめんな」


と謝った。


「そんなこと気にしなくていいよ。奏佑のこと、僕はずっと応援しているし、奏佑のおかげで僕は変われたんだ。僕の方こそ、しいのことがあってから奏佑のこと避けたりしてごめん。僕、本当は奏佑と一緒にいたかったんだ。僕は奏佑のこと誰よりも、その、誰よりも……」


 僕は「好き」と言ってしまっていいものか、迷って口ごもっていると、いきなり奏佑が僕を抱き寄せ、あろうことか僕の唇にキスをしたのだった。僕は驚いて一瞬、何が起こっているのか把握できなかった。だが、奏佑に抱きしめられ、キスをされていることを次第に自覚すると、身体中が一気に熱くなって来た。やばい。僕はどうすればいいんだろう……。


 その時、無情にも授業の始まるチャイムが鳴り響いた。奏佑は我に返ったように、僕の唇を離した。


「ごめん、りつ。今のは忘れて」


 そう言うと、奏佑は急いで音楽室を出て行った。僕は放心状態でその場に座り込んだ。今、僕は奏佑にキスされたんだよね? 奏佑が僕にキスしたってことは、奏佑が僕のことが好きってこと?


 だが、それから午後の授業の間、奏佑は何事もなかったかのように過ごしていた。放課後にさっきのキスについて問いただそうとするも、僕が声をかけるより早く、彼は教室を出て行ってしまった。それからというもの、僕らは元の友達関係に戻り、昼休みの度に一緒にピアノを弾く仲になったものの、あのキスの真相についてはわからず仕舞いだった。僕がその話題を出そうものなら、すぐに奏佑は話題を転換してしまうのだった。


 そうこうするうちに、一学期の期末試験が始まり、勉強に追われるあまり、きちんと話す機会を失ってしまった。だが、期末試験の最終日、最後の試験が終わった僕は、夏休みで学校で毎日会うことができなくなる前に、きちんと奏佑に話をしようと決意した。そこで、放課後に二人きりで話がしたいと彼を呼び出した。


「奏佑。僕、奏佑に言いたいことがあるんだ」


 僕がそう切り出すと、奏佑は頭をかきながら、


「何だよ。急に改まったりして。告白とかじゃないだろうな?」


と冗談めかして言った。


「うん。告白だよ」


 僕がそう答えると、奏佑の頭をかく手がピタッと止まった。


「僕、奏佑のことが好きだ。僕と付き合ってほしい」


 こうして、僕はとうとう自分の恋心を奏佑の前で告白したのだった。奏佑はしばらく沈黙していた。だが、奏佑の顔に陰りがよぎり、そのまま彼はうつむいてしまった。


「ごめん。前にも言ったと思うけど、俺は誰とも付き合う気はないから」


「何で? だって、この前僕にキスしてくれたじゃん。僕のこと抱きしめてくれたじゃん。僕、ずっと奏佑のことが好きだったんだ。奏佑、初めて会った日に、人を本気で好きになれって言ったよね? 僕、本気で好きな人見つけたよ。それが奏佑だったんだ。奏佑のことが好き。だから、僕のものになってよ。奏佑は僕のものでいてほしい。それに、僕を奏佑のものでいさせてほしいんだ」


 僕は必死に訴え、奏佑に抱き着いた。だが、奏佑はそんな僕を引き剥がした。


「ごめん。やっぱり、お前と付き合うのは無理だ」


と言い残し、彼は一人、向こうへ歩いて行こうとした。

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