第15話 生まれた友情

 僕が泣いていると、いきなりはやが僕の手を取った。


「だったら、俺がお前の友達になってやってもいいぜ」


 僕は驚いて顔を上げた。隼人は真っ直ぐに僕の顔を見つめている。その表情に嘘はなかった。僕は気まずくなって顔をらせた。


「ダメだよ。僕なんかと付き合ったら、皆から避けられるよ。しいのことで、僕はクラスの皆に嫌われちゃった。僕なんかと関わらない方がいいよ」


「だから? 俺はりつと友達になりたいってだけ。他のやつらなんか関係ない」


 そう言うと、隼人は立ち上がった。


「そろそろ教室戻るかな。今、数学だっけ? たけかよ。また怒られそうだな、俺ら」


 そう言って、隼人は僕に笑いかけた。僕はポカンとしていた。こんな展開になるとは思ってもいなかったのだ。僕は隼人に連れられるままに、教室に戻った。


「バカモノ! 一体何十分遅刻しとるんだ、お前たちは。廊下に立っとれ!」


 僕たちの学校でも特に沸点ふってんの低いと評判の数学教師の武田は、案の定叱られた僕と隼人をしこたま叱りつけた。僕らは武田に怒られるままに、教室の前に並んで立った。


「今日、放課後時間あるか?」


 立ちながら隼人が僕に話しかけた。ピアノの練習が、と言いかけて、僕はふと思い出した。そうだ、最近全然ピアノに触っていない。ここは時間があると答えるべきなのかな……。


「何も答えないってことは暇なんだろ? じゃあ、ちょっと俺に付き合え。」


 僕が何か答える前に、隼人は勝手に僕が暇なことにしてしまった。




 その日の夕方、隼人は空き地に僕を呼び出すと、僕にキャッチボールを教えると言って、僕にグローブを差し出した。隼人は野球部だったのだ。でも、野球の経験など皆無の僕は、グローブの付け方すらわからなかった。


「何だ。グローブもハメたことないのかよ」


 隼人がそんな僕に呆れた様子だ。


「うっせぇよ。野球なんかやったことないんだもん」


 そう怒る僕に、隼人はグローブの付け方からボールの投げ方まで意外にも丁寧にレクチャーしてくれた。僕は、最初は訳もわからなかったが、だんだんとキャッチボールが楽しくなっていった。隼人は僕に配慮して、僕が取りやすい球を投げてくれた。そんな配慮も何だか嬉しくて心がくすぐったい。僕は久しぶりに楽しく汗を流し、たくさん笑った。


 キャッチボールを終えた帰り、隼人は僕に、


「今度は律のこと、いろいろ教えてくれよ。ずっと音楽やって来たんだろ?」


と頼んで来た。


「いいよ、僕のことは。音楽っていってもクラシック音楽だし、きっと隼人にはつまらないよ」


 そう僕が答えると、


「それ、俺がクラシックがわからないって馬鹿にしてないか?」


と隼人は怒った。


「いや、そういうことじゃなくて……」


 そうやって慌てる僕を隼人は笑った。


「冗談冗談。でも、ちょっとは教えてくれよ。俺だけキャッチボール教えて、お前が俺に何も教えてくれないんじゃ不公平だろ?」


 言われてみればその通りだ。じゃあ、試しにピアノの曲の一曲や二曲くらい紹介してやるか。


 僕は早速、隼人を家に連れて行き、いくつか僕の好きなピアノ曲を聴かせてみた。だが、予想通り、隼人はすぐに飽きてしまい、


「ああ、もう、いいかな」


などと言い出した。


「なんだよ。教えてくれっていうから、いろいろ紹介してるのに」


 膨れる僕に、隼人は笑い出した。


「ごめんな、律。でも、やっぱり俺には音楽はわからんわ」

 

と笑う隼人を見て、僕も一緒に笑い出した。今までであれば、やっぱり好きな音楽をわかってもらえなかったと落ち込み、僕の方から疎遠になっていったにも関わらず、今回はそんな気が全く起こらなかった。こんなにノー天気に一緒に笑い転げているなんて、僕もちょっと変わったのかもしれない。


 この日から僕らは何でも話せる仲になった。隼人の家に遊びに行って一緒にゲームをしたり、キャッチボールをしたり、楽しく笑い合うようになった。クラスの皆は、いきなり僕と仲が良くなった隼人をいぶかしんだが、そんなことはお構いなく、隼人は僕と仲良くしてくれた。


 僕の方も、だんだん学校が楽しくなって来た。それと共に、ピアノの練習も再開したいという気持ちも高まり、久しぶりにピアノに向かってみることにした。だが、ピアノを触った僕は驚いた。あまりにも指が衰えていたのだ。考えてみれば、もう何週間もまともにピアノを弾いていなかった。こんなにピアノを弾かなかったことは今までの人生で一度もなかった。でも、僕の心は案外前向きだった。また、一からやり直さないとな。僕はそう思い、もう一度ピアノに向き合う決心をした。




 そんなある日、僕が久しぶりに音楽室の前を通りかかると、ピアノの音が聴こえて来た。そのピアノの音は、随分と荒れていた。リズムが乱れ、ミスタッチを繰り返している。誰が弾いているんだろう。僕はそう思って、そっと音楽室の扉を開けて中を覗いいてみた。


 なんと、ピアノを弾いていたのは奏佑そうすけだった。奏佑の表情は今まで見たこともないほど、落ち着きがなく、ピアノに向かう表情もどこかうつろで、気分的にも苛立っている様子だった。


 僕は思わず奏佑の方に駆け寄った。


「奏佑!」


 僕が奏佑に話しかけると、


「律……」


と、彼は僕の方を振り向き、少し動揺した表情を見せた。そんな奏佑を僕は問い詰めた。


「奏佑、どうしたの? なんか今日のピアノ、奏佑らしくないよ」


 すると、奏佑はピアノの鍵盤に拳を乱暴に叩きつけた。物凄い音が鳴り響く。僕はその音にビクッとすると、奏佑は立ち上がった。


「俺らしいピアノってなんだ? 律に何がわかる。俺のこと何も知らないくせして、俺らしくないとかほざいてんじゃねえ!」


 奏佑がこんなに怒った姿を僕は見たことがなかった。僕はその剣幕けんまくにただただぜんとし、何も答えることができなかった。


「なぁ、俺らしいピアノってなんだ? 教えてくれよ。何が俺らしいんだ? 律にはわかるんだよな、それが。教えてくれよ。教えろよ。教えろって言ってんだろ!」


 奏佑に怒鳴られた僕は、思わず床に尻餅をついた。何も答えられずにその場に腰を抜かして座っている僕を奏佑は鼻で笑った。


「ほら、何も言えないじゃないか。俺のことなんか、何も知らないくせにわかったような口きいてんじゃねぇよ」


 奏佑はそう言い捨てると、音楽室を出て行ってしまった。初めて見る奏佑のこんな荒れた様子に僕は何も言えず、その場に座り込んだまま動けなかった。

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