第14話 溢れ出す心の内

 僕はクラスの中で完全なぼっちに戻ってしまった。元々無関心だっただけなのが、美月との一件をきっかけにクラスメートたちに完全に嫌われたようだった。一方で、奏佑は相変わらず皆に慕われていた。奏佑は誰とも付き合う気などない、と言っていた。だから、もう皆に囲まれていても、過度な嫉妬心を抱くこともなくなった。それに、もう奏佑との友達関係すら解消してしまった僕にとって、彼への恋心を伝えるなど夢のまた夢であった。


 ピアノを弾くのも音楽を聴くのも僕はやめてしまった。どちらをしていても奏佑を思い出し、涙が止まらなくなるからだ。僕は完全に無気力になり、日々を死んだようにして過ごしていた。ピアノ教室にも「しばらく休みます」とだけ連絡し、もうしばらく行っていない。


 そんな僕を心配して、彩佳が何度も僕の家を訪れたが、僕は誰とも会う気になれず、居留守を使い続けていた。


 昼休みにピアノを弾くことも、奏佑と過ごすこともやめてしまった僕は、昼休みになると、一人、空き教室に籠り、ぼうっと外を眺めて過ごした。もう、今の僕には何もなくなってしまった。奏佑もピアノも。やりたいことも何もない。空虚な自分だけが残った。


 僕はいつものように昼休みを一人で過ごし、授業が始まる前に一人でとぼとぼと教室に向かって歩いていると、階段を駆け上がって来た隼人と正面衝突して二人とも床に投げ出された。


「いってぇなぁ。どこ見てんだよ、このクソ野郎!」


隼人はそう怒鳴ったが、ぶつかった相手が僕だとわかるやいなや、


「お前かよ」


と言うと、僕から目をそらせて立ち上がった。


「・・・ぶつかってごめん」


僕はそんな隼人に謝った。すると、隼人は驚いた表情で僕の方を振り返った。


「え? お前、普通に謝ることできるのな」


「はぁ? それ、どういうことだよ。謝るよ。だって、前をちゃんと見てなかったのは僕だから」


そう言う僕に、隼人は手を差し出した。僕は隼人を驚いて見上げた。


「ほら、早く立てよ」


それでもまだ、隼人の手を握れない僕を、隼人が引っ張って立たせた。


「・・・ありがとう」


僕がそう礼を述べると、隼人は少し頬を赤らめた。


「うっせぇよ。お前がさっさと立たないからだ」


僕は隼人と並んで歩き始めた。二人ともずっと黙ったままだったが、しばらくして隼人が僕にぼそっと、


「この前は殴ったりして悪かった」


と謝った。


「もう、いいよ。僕は平気だから」


僕はそれだけ返事をする。すると、隼人は続けて、


「でも、お前、椎名には謝れ。お前の椎名にしたことを俺、許してはいない」


と言った。


「嫌だ。僕は椎名に謝るのだけは嫌だ」


僕がそう言うと、隼人はいきなり僕を壁に押し付けた。


「何で、お前はそこまで椎名に謝るのを拒否するんだよ! お前があいつの気持ち踏みにじったんだぞ。わかってんのか? お前、あいつのこと好きだったんだろうが。だったら、何であんな傷つけるようなことしたんだよ!」


「あいつが僕の気持ちも知らないで勝手なこと頼んだからだ。僕は悪くない」


そう僕が答えると、隼人が拳を振り上げた。


「なんだと、こいつ!」


「殴るなら殴れよ。僕なんて、どうせクズみたいな人間だ。殴るでも蹴るでも好きにしろよ」


僕はもう自暴自棄になっていた。僕なんて、もっと殴られればいい。傷つけられればいい。奏佑と恋人どころか友達関係も解消し、今まで打ち込んで来たピアノさえ身が入らない僕なんて、なんの存在価値もない。僕なんて・・・僕なんて・・・。


 だが、拳が振り下ろされることはなかった。隼人はゆっくりと手を下ろすと、


「お前、何でそんなに自分を卑下するんだ」


と尋ねた。そうだ。ここで奏佑が好きだったことを打ち明けてしまえばいい。もう、奏佑との友達関係も終わった。僕が彼に好意を持っていることが、この隼人を通して学校中の生徒の知るところとなったっていい。そのせいで、これ以上奏佑との関係が悪化したって、もうどうでもいい。そもそも悪化するだけの関係性すら、僕と奏佑の間では切れてしまっているのだから。もう、とことんこんな価値のない僕など、自分をいじめ抜いてやればいい。


「だってさぁ、好きな人に告白すらできなくて、しかも、その好きな相手にラブレター渡せとかパシリにされて、こんな人間のクズ他にいないだろ」


そう言って僕は笑った。


「は? なに言ってんの、お前?」


隼人が怪訝な顔をして僕に聞いた。


「笑えよ。僕は津々見奏佑が好きでした。どうだ? 気持ち悪いだろ? ありえないだろ? ほら、笑えよ」


隼人はポカンとして僕の方を見ていた。


「何で笑わないんだよ。僕、ホモだったんだぜ。自分でも気付かなかったよ。高一になって初恋して、初めて好きになった相手が奏佑だった。でも、もう僕たちの関係は終わった。もう、友達でもいられなくなっちゃった。バカみたいだろ? 笑えよ。笑ってくれよ・・・」


僕はボロボロ涙をこぼしていた。涙がポタポタ床に滴り落ちた。そのまま、僕はその場にしゃがみ込んで泣き出した。隼人はしばらく黙っていたが、


「ちょっと来いよ」

 

と言うなり、僕を引き連れて歩き出した。授業の開始を告げるチャイムが鳴っている。だが、彼はお構いなしに歩き続けた。彼は僕を学校裏の河川敷に連れて行くと、僕と並んで座った。


「今の話、本当かよ?」


隼人が僕に聞いた。


「嘘なんか言う訳ないだろ。僕は、あいつが好きだった。コンクールの時、あいつの演奏に僕は圧倒された。あんな綺麗な音、聴いたことがなかった。繊細で、光が輝いているようで、あいつのピアノには勝てないと思った。だけど、同時に、あいつのことから目が離せなくなった。そしたら、今度は僕らの高校に転入して来てさ。ずっと一人だった僕のそばにあいつがいてくれた。僕は奏佑と一緒にいるとそれだけで幸せだった。最初はその気持ちが何なのかわからなかった。だけど、気付いちゃったんだ。僕は奏佑のことが好きなんだって。それなのに、椎名はそんな僕らの関係を壊そうとした。僕から奏佑を奪おうとした。そんなやつ、許せるわけないだろ・・・」


僕は初めて誰かに奏佑のことを話した。話し出すと止まらなくなっていた。


「それなのに奏佑のやつ、椎名に謝れ、なんて言うんだよ。僕が椎名のこと好きなのに、椎名に気がないのを知って嫌がらせしたんだろうって奏佑は思ってる。あいつからそんなこと言われるとかさ、一番ショックじゃん・・・。結局、あいつは僕の気持ちなんかわかってくれない。僕がどんなにあいつのことが好きでも、あいつにとって僕はただの友達でしかない。こんなのってないよ・・・」


そんな僕の話を隼人は黙って聞いていた。僕は話し続けた。


「それに、あいつのせいで、僕はピアノだけじゃないいろんな世界があることを知った。ずっと一人でいることなんか平気だと思っていたのに、あいつに出会ってから、本当は友達が欲しかったんだって自分の本心を知った。でも、もう、僕には何も残ってない。僕はまた独りぼっちだ。でも、もう、一人でいるのを前みたいに平気でいられなくなっちゃった・・・」


僕はさめざめと泣き出した。

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