第3話 夜空の下での出会い
コンクールの結果発表を迎えた僕は、ドキドキしながらその結果を待った。あの津々見奏佑ってやつには敵わないかもしれない。だけど、それ以外のやつらなんか目じゃないはずだ。奏佑が一位なら、僕は二位というところだろう。いや、絶対に二位のはずだ。入賞は間違いない。全国大会に僕は行くんだ。
だが、発表された結果に僕は目を疑った。二位はおろか、発表された入賞者の中に、僕の名前はなかった。一位には順当にあの津々見奏佑の名前があった。そして、入賞者の中には、あの萬代彩佳の名前まであったのだ。どういうことだ。これまで彩佳なんて僕の敵じゃないと思って来たのに。彼女の技術力は僕より下のはずだ。なぜ、彼女が入賞して僕は入賞も何もしていないのだ。なぜ、あんな僕への恋心などに現を抜かしていたやつなんかに負けたんだ。
僕は悔しさに震えながらホールを飛び出した。そのまま、河川敷まで走って行くと、その怒りに任せて石を思い切り川の中へ投げ込んだ。
「クソ。クソ! クソーーー!!」
僕は何度も叫んだ。この一年間、頑張って来た僕は何だったのだろう。一日何時間もピアノに向かい、楽譜と格闘し、やって来た僕の今までの努力は何だったんだろう。思わず涙がこぼれ落ちた。僕は河原に座り込んで声を上げて泣いた。僕のプライドはズタズタになっていた。
どれだけ泣いたのだろう。やっと涙が収まって来た僕は、泣き疲れて気怠さを覚える身体を河川敷の草むらに投げ出した。空はすっかり日が落ち、星空が広がっている。空に輝く星たちがまるで宝石のような輝きを放っていた。星ってこんなに綺麗だったっけ。この一年間、脇目も振らずピアノばかりを見て来た僕は、周囲の景色に心を配る余裕さえ失っていたのだ。僕はもう何も考えずに、星空をずっと眺めていたいと思った。
__________
ぼんやりと星空を眺めていると、僕が横になっている河川敷に向かって誰かの足音が近づいて来た。僕は舌打ちをした。せっかく、誰にも邪魔されずに心を無にできていたのに。さっさと向こうに行けよ。
だが、その足音はどんどんこちらの方へ近づいて来ると、僕の隣に誰かがドサっと腰を下ろした。は? なんでわざわざ僕の隣に来るんだよ。迷惑なやつだな。僕は一気に不快感がこみ上げて来て、その邪魔な相手がどんな顔をしているのか顔を見てやろうと、起き上がった。すると、いきなり草むらから起き上がって来た僕に驚いたのか、そいつは小さく「ひぃっ」と声を上げて後ずさった。
「誰だよ。人がせっかく一人で浸っている時に邪魔しに来んなよ」
僕は不機嫌なままそいつにそう言った。そいつは、
「ごめん。気が付かなくて」
と謝ると、立ち去ろうとした。その時、月明りに照らされた彼の顔を初めて僕はしっかりと目にした。その瞬間、僕の心臓は止まりそうになった。それは、コンクールの優勝者、津々見奏佑だったのだ。
「つつみ、そうすけ・・・」
僕は思わず彼の名前を口ずさんだ。すると、彼は驚いたように僕の方を振り返った。
「え? なんで、君、俺の名前を知っているの?」
僕はしまったと思ったが、もう後の祭りだ。最高に気まずい気分に陥りながら、僕は、
「コンクールで一位になったんだろ。優勝おめでとう。次は全国だね。頑張って」
と彼に一応の祝福をした。
「あ、ありがとう。君も、コンクール出ていたの?」
彼は、僕のことを知らないようだった。僕だけが奏佑のことを強烈に意識していただけで、彼の方は僕にまったく興味を持ってはいなかったのだ。そりゃ、入賞を逃がした僕と優勝した彼との間には、超えることのできないような大きな差があったのだから当たり前だ。だが、そのことが僕の悔しさを増幅させた。
「出ていたよ」
僕はぶっきらぼうにそれだけ答えた。
「そうだったんだ。名前は?」
奏佑は急に嬉しそうな声になって僕にそう尋ねた。今更なんでそんな嬉しそうな顔をするんだよ。僕の演奏に何の印象も抱いていなかった癖に。
「霧島律」
僕はまたもやぶっきらぼうに名前だけを名乗った。
「律か。いい名前だね」
奏佑のやつ、いきなり僕を下の名前で呼び捨てとか、何考えているんだ。しかも、僕がいい名前って。僕の鼓動はいつしか、演奏の直前に緊張している時よりも、コンクールの結果発表の前よりも激しく波打っていた。
「ああ、思い出した、律の演奏、俺、聞いていたよ」
なんだよ。僕の演奏覚えているのかよ。夜で顔がよく見えなかったからわからなかったのか。
「そんな大した演奏じゃないよ。優勝した津々見くんと違って」
僕は随分卑屈になっていた。そんな皮肉たっぷりに返事をする僕とは対照的に、屈託のない調子で奏佑は、
「奏佑でいいよ。俺たち、同じくらいの年齢だろ? 律は今何歳? 俺は十六歳。高校一年生」
と言った。え、俺も奏佑のこと下の名前で呼ばないといけないのか・・・。
「十五歳。高校一年生だけど?」
「同じ学年ってこと? やった。俺たち友達になれそうだね。」
「友達?」
「うん。友達」
奏佑は笑顔で頷いた。月の光に照らされたその笑顔はこの上なく美しかった。僕は誰かに対して、これほどまでに美しさを感じたことなどなかった。一体、僕はどうしてしまったのだろう。奏佑は確かに綺麗な顔立ちをしている。だが、なぜ彼はここまで僕の心の琴線を揺さぶるのだろう。
「ダメかな?」
返す言葉を失って黙っている僕に、奏佑は心配そうに尋ねた。友達・・・。「友達」なんてものを失ってから僕は何年になるだろう。ピアノを五歳で始めてから、友達と遊ぶ暇もなくピアノに打ち込んできた僕には友達などいなかった。
学校の同級生たちと話も合わなかった。あいつらは流行りのポップスターやアイドルの話に高じているが、僕にはクラシック音楽、しかもピアノが全てだったからだ。「友達」など作るだけ時間の無駄。ピアノに集中する時間を削ぐ無駄なものなはずだった。だが、奏佑の友達になりたいという申し出を僕は断ることができなかった。
「い、いや。そんなことないよ。奏佑と友達になるよ」
「ありがとう、律」
奏佑は僕に握手を求めた。奏佑の手に触れた僕は電撃が走る気がした。こんな繊細な手を握るのは初めてだった。でも、繊細なだけではない。その繊細さの中に秘めた力強さがあるのだ。僕はなぜかとても恥ずかしい気分になって、奏佑から目をそらせた。
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