夏休みの作文

井守千尋

夏休みの思い出、一年三組 夏原優

 この夏休みは例年どおりの夏休みでした。












 僕はこの一文の作文を先生に提出し、さっそく部活に行こうとした。しかし、下駄箱のところで校内放送がかかってしまう。

「夏原優、今すぐ教務室に来なさい」

 どうして、と嫌々引き返すと担任の笹塚が作文用紙を持って腕を組んでいた。

「あのな夏原、これでいいと思っているのか?」

「いいと思うのですが」

「一人原稿用紙五枚だ。今日中に出しなさい」

 新しい原稿用紙を押し付けられた。こんなに書くことがないよ、と意義を唱えようとしたものの笹塚先生は一九〇センチの角刈りマッチョなのでやめて、しぶしぶ教室に引き返すことにした。


「あれ、夏原君」

「夏未さん」

 誰もいないと思われた一年三組の教室だけど、なぜか幼馴染の粟原夏未さんが残っていた。僕はもうジャージ姿で、夏未さんは制服姿のまま。そういえば帰宅部なんだっけ。机の上に原稿用紙を広げて、頬杖をついている。

「もしかして、夏未さんも作文?」

「も、ってことは夏原君もなの? そう。全然書けなくて」

 夏未さんはクラスの優等生。まさか僕と同じ次元で悩んでいるなんてと驚いたけど嬉しかった。ものしずかな美人で、好きだという男子は多い。

「一緒に書こうよ。少しは捗るかもしれないしさ」

 夏未さんは隣の席をばんばんと叩いて僕を座らせようとする。そこは富田君の席だけれど、放課後一日くらい別にいいだろう。お邪魔します。

「夏休みの思い出を書け、って言われても困るよね」

「僕なんてこれで出して怒られたもの」

 そう言って突き返された原稿用紙を見せると、夏未さんはけらけらと笑い出した。ひどいなあ。

「すごいね夏原君。度胸があって」

「そ、そうかな?」

「きっと大物になるよ。私のも読んでみていいよ」

 じゃあ、と原稿用紙を受け取った。きれいな楷書体で書かれた文字はすべての原稿用紙を埋めていた。どうしてこれがボツになったのだろう。


 夏休みの思い出、一年三組 粟原夏未

 朝六時、起床。

 朝六時半からはラジオ体操。体操に参加しつつ、最後には小学生のはんこカードにはんこを押す。ラジオ体操第一は真面目にやる子が多いが、第二になると適当になる女子が多い。高学年に多い。ガッツポーズみたいなポーズが恥ずかしいのだろう。その気持はわかる。去年までの私がそうだった。でも上級生として手本にならんと真面目にやると一週間もたたないうちにみんなが真似してくれるようになった。

 朝七時、帰宅、朝食。だいたい両親が仕事に出かけるまで三十分くらいで、日々の出来事を喋って終わる。食器の片付けは私の仕事。

 朝八時。自室に入ると夏休みの宿題をする。一日二時間やれば七月中に全部終わるのでこのペースで十分。学校の宿題は部活をやっていなければ大した量ではない。でも一学期の復習にしては的はずれな学習内容とズレた業者のドリルだし、ただ勉強習慣を根付かせる理由であればもっとやりごたえのある問題集にしたほうがいいと思う。

 朝十一時。今日の分の宿題終了。途中で休憩を入れたりとダラダラしながらも、予定どおりに終わった。そして昼食づくり。両親からは毎日五百円、昼食代をもらっているが私は日曜日に母親と一緒に買い物にいって今週分の食材を買ってもらう。料理を覚えるためだ。小学六年生のときに包丁を買ってもらったし、料理ができる子になって欲しいという思いを無下にはしたくない。

 昼一時。昼食の片付けをするとさあ自由な時間。私の行動パターンは3つに別れる。

 ①プールに行く

 中学校でもプール開放をしているのはなかなかないありがたい時間つぶし、かつ体力づくりなので行っている。水着姿が恥ずかしい、という女子も多いが、ただの競泳水着で私は二時間ただただ50メートル×20本のノルマをこなすだけだ。早く終わったら帰るだけ。しっかりと柔軟をやってから家でシャワーを浴びて、だいたい昼寝。

 ②図書館に行く

 勉強のためというよりも時間つぶし。図書館にはたくさんの本があるので、いつ行ってもあたらしい本と出会える。借りて行ってもいいのだが、一冊だけ手にとって読み終わるまで過ごすのがいい。なにせ閉館が六時半で、読み終えられるか読み終えられないか絶妙な時間だからだ。読書感想文を書くための本探しも兼ねている。

 ③映画を見る

 これは図書館に行く、と兼ねている。図書館には昔の映画のDVDがたくさんあって無料で見ることができるからだ。ジャンルを絞ることもなく、片っ端から見る。図書館の視聴覚ブースで見ることもあれば、家のリビングで見ることもある。中学生まででみられる映画に限られるけれど、色々と考えさせられることが多い。

 夕方六時。夏休みらしいだらだらとした午後をすごした私。この頃になると両親が帰ってきて、夕食になる。夕食は母が作ってくれるので、食べたいものをねだる。半分くらい作ってくれることもあるし、作ってくれないこともある。私の苦手なナスが旬だから入ることが多い。

 夜九時。テレビを見ながらだらだらと過ごすことの多い時間。特に両親の仲が悪いことも無いので、一家団欒だと思う。

 夜十時。私は毎晩、ラジオを聞いている。これは他のクラスメートはやっていない習慣だろう。何度もメールを出しているので、これが採用されたらいいなとドキドキしながら聞いている時間。学校で習ったメールの文章の書き方を参考にしたのだけれど全然読まれる気配なし。常連リスナーのメールを参考に最近はしています。

 夜十一時。ラジオが終わってお風呂に入って、寝るまでの短い時間。必ず本を読むことにしている。図書館に行った日も関係なくこれは日課だからだ。そして、だいたい十二時になる前に眠りにつく。

 基本的にはこの生活スタイルを平日に繰り返す。ただし、お盆を挟む一週間は父の実家である東北に行くこと。またそれとは別に家族旅行の予定がある。今年の旅行先は名古屋の予定だ。名古屋に何があるのかは私はよくは知らないが、いいところだと担任の笹塚先生も言っていたし、私もレゴビルダーの卵としては行かなくていけない因縁の地であることは薄々わかっていたからである。

 夏休みは四十日程度と短いようで長いが、だらだらしているとあっという間に終わってしまうので充実した日々を過ごす。来年、再来年は受験があるだろうから、勉強漬けの日々になるだろう。それはそれで充実した日々になるよう努力したい。


「あのさあ」

「ね、きちんと書いているでしょ?」

「これ書いたのいつ?」

 夏休みの諸々が起こる前に書かれたのが見え見えだ。

「7月10日」

 一学期じゃん。

「夏休みの思い出を書かなきゃだめでしょ」

「だって、この作文のとおりの夏休みだったよ?」

 せめて未来系でなく過去形で書くとか。具体的な日付がわかる書き方とかさ! だいたい私の行動パターンは3つに別れる。ってなんだよ!

「名古屋はどうだったの」

「あんまりご飯がおいしくなかった」

「それを書こうよ」

「え、でもそんなことを書いたら先生怒らないかな」

 怒るとかじゃないでしょ。感想なんだから。

「それに夏未さんレゴビルダーの卵って」

「どうでもいいでしょ!」

 なぜか怒られた。レゴランドでなにかあったのかな。弱気な僕はそこにはもう触れないようにする。

「ルーティンと化した日々を今さら掘り返して書くのは大変なの。適当でもいいからなにかの出来事を書きなさいって先生は言ったし、なにかアイデアがあったら教えてくれない? 私文章を作るのは苦手ではないからすぐに書けると思う。なんなら夏原君の分もまとめて書いてあげるから」

「本当?」

「ええ。さっさと終わらせて帰りましょう」

 いや、僕が本当か気になったのは文章を作るのが苦手じゃないってところなんだけど。夏未さんの作文これ説明書みたいになっているじゃない。


 僕はひとつアイデアが思い浮かんだ。

「なにかひとつの出来事を集中的に書くっていうのはどう? 例えば旅行に行ったのならそれだけで思ったことや楽しかったことを書くとか」

「そうね、そっちのほうが中学生の作文っぽいか」

 いや、夏未さんも中1だよね?

「うん。名古屋に旅行に行ったんでしょ? それで書いたら?」

「名古屋は嫌。思い出したくもない」

 どういうことだよ。

「ねえ夏原くん。仮にだけど嘘を書いてもバレるかな? すごくディティールに凝った嘘」

「非現実的な奴でなければバレないと思うよ。そんなことを書く理由も無いと思うんだけれど」

「名古屋に行ったこと以外で書くことが思いつかないからそれで行こうと思うんだけれど」

 いったい夏未さんは名古屋で何があったのか、それが一番気になるよ!

「たとえばどんなこと? 海水浴とか山登りとか?」

「私が代表として沖縄環境サミットに参加したなんてことはどうかしら。新聞もよく読んでいるから日程とか晩餐会の内容とかバッチリ覚えているし」

「絶対ウソだってわかるやつじゃん!」

「えー?」

 鼻と口の間にシャーペンを挟んでつまらさそうな表情の夏未さん。きっとその表情を他のクラスメイトに見せることは無いだろうから、ちょっぴりドキッとした。だいたいサミットに行きたいの?

「もし……だけれど、夏未さんがよければだけど。僕たち共通の話題で作文を書くのってどう?」

 出来心というやつだ。嘘の経験を捏造することによって、夏未さんと僕の男女仲が近づいたらいいな、なんてちっちゃないたずら心。

 夏未さんはガタッ、と大きな音を立てて立ち上がる。ごめんなさい! と僕はすぐに謝ろうとした。

「それよ! 夏原くん、頭いいわ!」

 よかったー! 怒られるとばかり思ったから。

「じゃ、じゃあ二人で何したことにしようか」

「中学1年生らしいことじゃないと駄目よね」

「どこかに出かけたとかは?」

「ラジオ体操、図書館、プール、他には……思いつかない」

「遠くでもいいんじゃないかな。お祭りとかどう? 夏祭りに友達で行ったとか作文になりそうじゃない?」

「お祭り? それってどこのお祭り? 夏原君、本当はこんなことを聞くのはマナー違反だと思うんだけれど、宗教はどこ? それによってお祭りの行き先が変わると思うから」

「祭りにそんな宗教的ディティール求めないからね!? どこでもいいんだよ、屋台とかあって、花火大会があるのがいいと思う」

「それじゃあどこの町でもあるような地元の神社の縁日じゃない。お祭りをなんだと思っているの!」

 特にどうとも思ってねえよ! 夏未さんはお祭りをどう思っているのさ。

「東北七夕まつりとか諏訪御柱とか五山送り火とかじゃないの?」

「中学生二人でそんな県外に行くなんていいのかな」

「嘘なんだから別にいいんじゃない。じゃあ、スペインのトマト祭りにいったことにしましょう」

「待って待って、海外?」

 話の飛躍が過ぎる。結局一時間かけて僕たちは県内の遊園地に行ったことを捏造することにした。

「まるでカップルのデートね」

 無意識だったのだろうか。夏未さんがそういうと二人の間に気まずい雰囲気が漂った。隣に座る夏未さん、夏の終わりの教室は暑くて、ワイシャツが素肌に張り付いているのか汗で透けている様子がなまめかしく見える。意識したわけでもないのに。

「でもそっちのほうがリアルかも。夏原君。私たちは夏休み初日に付き合いだして、8月31日に別れた。その間に得難いたくさんの経験をした。っていう設定で行きましょう」

「え、いいの? 僕は全然構わないけどさ」

「誰も気にしないでしょ。作文の内容なんて」

「でもご両親も」

「両親は私がそんなマセた子とは思っていないから」

 現実的すぎるなあと思った。

「でも、き、清いお付き合いだからね。夏祭りでも手を繋げなかったことをぐちぐち書くような感じなんだからね!」

 顔を真赤にして僕の鼻先に人差し指を突きつけてくる。

 しかし夏未さんは、早速作文を書き始めると化けの皮が剥がれてしまう。


 嘘だからって何か遊びに行くのを勘違いしていたり。

「遊園地に行くのにどうして白いワンピースと麦わら帽子なのさ!」

「だって夏に女子が遊びに行く格好ってこうじゃないの?」

「じゃあその格好で名古屋に行ったのかよ!」

「名古屋の話はしないでって!」


 カップルを勘違いしていたり。

「え、ジェットコースター一回分まるまる優先で貸し切りにできない……の……?」

「カップルだからって並んでよね」

「絶叫マシーンの写真も無料にならないんだ……、っていうか入館料も定価? 独身と同じ金額なの?」

「世の中そこまで独り身に厳しくてたまるか!」


 僕のことを買いかぶりすぎていたり。

「私が不良に絡まれた時どうして手を引いて逃げるの!」

「不良っていうかこれじゃ極道じゃん! 顔に刀傷のついている二メートルマッチョに勝てるわけないじゃん!」

「男子ってだいたい空手とかで敵を倒してくれるんじゃないの?」

「空手とか知らないし!」

「……仕方ないわ。ここは私がFPSで鍛え上げた成果を見せる時のようね」

「銃刀法! 銃刀法!」

 何もかもを夏未さんは大真面目に言うものだから、大まかなストーリー決めで一時間以上かかってしまう。今日中に出せって言われてもあと一時間ほどで下校時間だ。

 なぐり書きのようになってしまうけど書かなくちゃ。


 八月八日日曜日。私は友人のN君と二人で遊園地に行った。

「ちょっと待てー!」

「どうしたのよいきなり。あ、題名を飛ばしていたわ」

「違くて、なにこのN君ってのは! 僕のことでしょ!」

「個人を特定できるようなことを書くのはよくない、ってお父さんも言っていたんだから!」

「もう、……貸して。僕が書くよ」

 罪悪感はあったけれど、夏未さんから原稿用紙をひったくった。僕の字はきれいじゃないけど、間に合わないよりもマシだ。


 夏休みの思い出、一年三組 夏原優


 夏休みを迎えると同時に、僕には人生初の彼女が出来た。それは同じクラスの粟原夏未さん。夏未さんはとても頭が良くて、クラスの中心人物だから僕のような地味な男子とつりあわないかなとドキドキしたけど、彼女は僕のお願いを受けてくれた!

 初めてのデートはプールに行った。今まで授業では意識しなかった夏未さんの水着姿に少しドキドキして、全然泳げなかった。他にも図書館に行ったり映画を見に行ったりもした。いつもおしゃれな服を着てくる夏未さんは、楽しそうな笑顔を浮かべているので僕も元気を分けてもらえるような気がする。

 一番の思い出は二人で遊園地に行ったこと。子供だけで電車に乗るのは僕は初めてで、切符の買い方を教えてくれた夏未さんは大人だなと思ったけど、ジェットコースターに乗ってきゃあきゃあ怖がっている姿は同級生だよなと思う。ちょっと危ないことだけれど、怖いお兄さんに怒鳴られた時思い切って夏未さんの手を取って逃げた時はドラマの中みたいだと興奮した。夏未さんの細い手にも汗がいっぱいで、思わず手を離しちゃ行けないと強く握った感触が恥ずかしくて、でも僕が守りたい。そういう男になりたいと思う。

 遊園地では最後に観覧車にも乗った。デートって最後は観覧車だからと夏未さんが言うのだ。町が小さく見えて、自分たち二人だけが世界にいるように思ってドキドキする。でも僕たちはまだ中学生だから、キスをするなんて恥ずかしくてできなかった。夕焼けのように夏未さんの顔が真っ赤だね、と言うと僕も真っ赤だとからかわれてしまった。

 夏休みの宿題を教えてもらったり、お盆におばあちゃんの家に行った時のお土産を交換したり。楽しい夏休みだった。間違いなく、中1の夏は夏未さんがいてくれたからこそ楽しかったんだ。

 でも、8月31日。僕は夏未さんに……


「夏原君」

 一気に作文を書き上げようとしていたのに、夏未さんが僕のほっぺたを両手で押さえて、自分の方を迎えさせた。作文に書いたように、夏未さんの顔は夕日に照らされて真っ赤。

「は、はい」

「今日ってさ、31日じゃない?」

 そう。今どきの中学校は9月1日から学校が始まるなんて稀で、だいたい8月から授業が始まる。この作文の設定において、本当は夏未さんにフラれるタイミングを間違えている。だって夏未さんに不甲斐ないから、とフラれるのは今日なんだから。

「うん、そうだよ。僕が夏未さんにフラれるんだ」

「それ、無しにしない?」

「え?」

「作文の最後くらいさ、本当のことを書きたいよ。ねえ?」

 頬に当たる手が、炎天下に焼けた自転車のサドルくらい暑く感じる。どういうこと? それ無しって。

「フってフラれる前にさ、夏休みの思い出作らない?」

「思い出って?」

「観覧車から見た景色は無理でも」


 僕と夏未さんはなぜか屋上で並んで座っていた。入道雲がまだ天高くそびえる一方で、風はもう生ぬるい。秋がすぐそこまで来ているみたいだ。作文で書いたように僕たちは手をつないで。夏休みにできたことなんてこれだけだけれども。

「夏み……」

「シッ、言わないで。この景色だけはしっかりと書きたいから」

 屋上から見下ろす町の景色。夏の終りの物悲しい色と、焼けた校舎のモルタルのにおいと。そして、つないだ手にはやっぱり汗をかいている感触が。

「うん、ありがとう夏原君。この一瞬だけでも思い出に書けそうだよ」

 夏未さんは自分の分は自分で書くから、と言って去っていった。

 僕も短いこの時間を作文にできそうだなと思ったけれど、きっとどこにも書くことは無いだろうし、誰にも教えはしないのだ。ただ、自分の思い出にこの日記に残しておくだけ。


 まるで彼女ができたような短い時間だったから。十分に満喫できた夏だったと思う。

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夏休みの作文 井守千尋 @igamichihiro

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