気ままにショートショート練習帳

@Itsukiji_Makiya

雨漏リノ修理、承リ〼

『雨漏ノ修理、承リ〼 連絡先……』

最初、ぼくは壁に貼られた紙にかかれた言葉の意味が分からなかった。

小さい子供じゃないから、文字ぐらい読める。

勿論、同じ年でも不勉強なやつもいて、まだ文字が読めない奴だっているけれど。

帰り道の途中で通る細い道の壁には、良く張り紙が貼られていた。

最初にどんな紙が貼られていたのかは、思い出せない。

すごく曖昧な記憶しか残っていないから、とても小さかった時だったと思う。

けれど最初は一枚だったそれは、すぐに皆が色々な物を貼る場になった。

『ショージョ、ナス、ゴワイ、アゲヲイ』

なんて素人が書いた間違えだらけでとても読めたものじゃないものもあった。

でも、これはすぐに引き取り手が見つかったけれど。

『安全、トテモ安全ナ食品ガイシャ……』

商品については何も書いていなくて、ただ同じ言葉を繰り返している宣伝。

これじゃあ、読める人がここを通っても、売ってるものが分からなくて首を傾げるだけじゃないか。

しかもこの会社はうちが食べ物を買っている会社だというのだから、情けなかった。


とにかく、ぼくはとてもこの場所が好きだった。

何度もここを通って、文字を書けるようになった。

それも、カタカナじゃなくて漢字を。

しかも大抵の奴が十文字も書けないのに、書けると言っている中で、ぼくは百以上の漢字を書くことが出来る。

この貼り紙ももしかしたらぼくでなくては読めなかったかもしれない。

〼なんて、使っている奴初めて見た。

なんで使っている奴を見たことがない物をぼくが読めるかというと、それは辞書を持っているからだ。

おじいさんのおじいさんのおじいさんのおじいさんぐらいが、買ったものらしく、うちの宝物だ。

文字が読めるようになって、ぼくはこれを何度も捲って、読める文字を増やしていったから、ぼくにとっても宝物だ。

だから、こんなにいっぱい漢字を使っている貼り紙なんて初めて見た。

それに、なんでそんな立派な文字を書ける人が、こんな馬鹿げたことを書いているのか不思議だった。


ぼくが首を捻っていると、右の方から大きな人が歩いてきた。

人と言っても、それは体中に分厚くて光を跳ね返す黒い服で隙間なく包まれていて、本当に人なのかは分からなかった。

でも、顔の所に丸い硝子が一つあったから、目は片方無いのかもしれない。

横の長さはぼくが二つ並んだくらいで、この狭い道はとても窮屈そうだ。

「もしや、その貼り紙を読めるのですか」

その男が男だと分かったのは彼の声が男だったからだ。

ぼくが肯定すると、こもった感じの声が高くなった。

「それは素晴らしい。あちこちに貼って回っているのですが、困ったことに誰にも読んで貰えないのです」

ぼくはぼくがちゃんと読めていることを示すために、その貼り紙を声に出して読み、別の言葉で言い直した。

男の声は、更に高くなった。

「実に素晴らしい。トシの様子の割に学がある。きっと一生懸命に努力なさったのでしょう」

独特な言い方のせいで分からないところもあったが、褒められているのは間違いなかった。

久しぶりに褒められたせいでぼくは嬉しくなりすぎて、どれだけ大変だったかを話した。

けれど、この貼り紙に書かれたことがあまりにも馬鹿馬鹿しいと、要らない事まで言ってしまった。

怒っていないだろうか、ぼくは男へ謝った方がいいのかを考える。

けれど男は黙ったままで、腕みたいな部分を顔に当てて考えているみたいだった。

「ご意見ありがとうございます。では、貴方を見込んでお訊きしたいのですが、水漏れがある場所というのはご存知でしょうか」

いきなり男は真面目な話を始めて、だからぼくは驚いた。

おとといにうちの隣りが、いきなり水漏れで水だらけになったからだ。

おかげで昨日からうちと、隣りの隣の家に隣りの家の人がいるのだ。

ぼくがその事を説明すると、男は大きく首を上下させて分かったことを表した。

「その水は塩の味がしたんですね? 間違いない、私が探していたのはまさにそれです。場所を教えてください」

どうやらただの文字が書けることを自慢したいやつではないらしい。

もしくは、雨と水を間違えて勉強したのかもしれない。

そんなことを考えながらその男をうちへ案内すると、男は何かを黒い服から取り出してボタンを押していた。

やっぱりいつもは文字じゃなくてボタンらしい、すこしがっかりしてしまった。

でも僕だってゆっくり考えなくちゃ文字は書けないから、仕事だったら仕方がないのかもしれない。

「これで明日までには水漏れが直りますよ」

しばらくして、男は何かを仕舞いなおしてそう言った。

「それから、もう一つだけお願いしても宜しいでしょうか」

水漏れが直るのはぼくも助かるからと、男のお願いを聞くことにした。


三日後、ぼくのうちに大きな箱が届いた。

家族は誰も気味悪がって開けないからぼくが開けてやると、そこにはたくさんの食べ物が入った缶が入っていた。

家族はそれを知ったらすぐに大喜びで、今日はご馳走ということになった。

初めて見る手を足のように使うものの絵が描かれた缶詰は、不思議な味の肉だが美味しかった。

それから、缶の上に二枚の紙が入ってもいた。

一枚目はあの男からの手紙なのだろう。

『オ手伝イ感謝シマス。コレハ少ナイデスガ、御礼デス』

わざわざこんなことをしてくれるなんて、ぼくは嬉しくなった。

水漏れは言った通りあの次の日には良くなっていたから、ぼくの方も感謝をしないといけない。

もう一枚の紙は、あの後ぼくが手伝って出来た物だった。

『水モレル、ボタン、押ス。ジュンバン、ハ……』

ぼくが協力した言葉が丁寧に真っすぐな線で書かれているのを見て、くすぐったい気持ちがした。

これが沢山書かれて、色んなところに貼られるのだ。

しかも、わざわざ漢字が読めない人のために、『水』と『押』の上には小さくカタカナがついている。

これなら沢山の人に分かると思う。

水漏れは、今年になってよく聞くようになった。

それを直す手伝いが出来たのだから、とても誇らしい。

すぐにぼくはこの貼り紙を持って行って、少し考えて、あの貼り紙の下に並べて貼ることにした。

雨なんて昔の物語の中だけの物を書いたのを残すなんてとも考えたけど、もしかしたらあの男が頑張って書いたものかもしれない。

そう考えて、残すことにしたのだ。

貼り終えたぼくはとても清々しい気持ちで空を見上げた。

丸くて黒い空の中で、魚の影が揺らめいたように見えた。

あの男は、今日もどこかで水漏れを直しているのだろうか。

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