気まぐれアップルパイ
旦開野
第1話
時刻は11時55分。最近お気に入りの公園で僕は、キッチンカーの設営を終える。少し早く昼休憩に入ったであろうOLさん達が遠目にこちらの様子を伺っている。僕は表に出したメニュー黒板にopenと書かれた看板をかけて、車の中に戻った。看板をかけたのがわかると、遠くから様子を見ていた彼女らが店の前に列を作り出した。
コーヒーとそれに合う焼き菓子を提供する僕のお店。一人でひっそりと始めた移動販売だったが、最近は何度も足を運んでくれるお客さんも増え、売り上げも上々だ。この辺りはオフィス街らしく、12時前くらいから、スーツを着た男性やら、オフィスカジュアルに身を包んだ女性やらが思い思いに羽を伸ばしている。僕の店のお客さんはブラックコーヒー1杯を頼むサラリーマンもいるが、ほとんどが女性だ。今目の前で財布を片手に何を頼もうか悩んでいるのも、どこかの会社の制服を着た女性だ。
彼女が注文したカプチーノとマフィンを受け取り、列を外れると
「あ、あの……」
と後ろに並んでいた女性が僕に声をかけてきた。
「この間、この店でアップルパイを買ったんです。ここのお店のアップルパイ……『恋が叶う』って有名だから」
あーと僕は心の中で思いつつ、彼女に笑顔を向ける。そう。どこから言われ出したのかは定かでないが、僕のお店のアップルパイは「食べると恋が叶う」なんて言われ、人気がある。この間、どこからか噂を聞きつけて、女性向け雑誌の記者が来たほどだ。
「オフィスに帰って食べていたら、気になっていた彼が声をかけてくれて……どうもコーヒーとアップルパイに興味を持ったらしくって。それから私たち、付き合うことになったんです!」
「それはおめでとうございます」
「ここのアップルパイを食べると恋が叶うって本当でした!本当にありがとうございます!」
僕にありがとうと言われてもな……と思いつつ、よかったですね、と返事をした。彼女はブレンドコーヒーとアップルパイを買うと、オフィスの方へと戻って行った。
「いいなー、あの子。彼氏ができたのか」
今にもスキップし出しそうに職場に戻る彼女の背中を見て、後ろに並んでいた女性がそう呟く。小柄で、落ち着いたベージュ色の髪を肩につかないくらいに伸ばした、まるで小動物のように可愛らしい人だ。
「え、待って未希。もしかしてまたダメだったの?」
彼女の隣には、同じ名札をつけた女性がいた。こちらは背が高く、黒髪を後ろで束ねた、凛とした印象の人だ。2人は週に2日、ここへ来てくれる常連客である。
「うん。どうやら奥さんと息子さんがいるらしいの」
「通ってるジムのトレーナーさんでしょ?……アプローチする前に知ることができてよかったね」
「本当そう。彼氏は欲しいけど、面倒な目にはあいたくないもの。葵生さん、カフェオレとアップルパイ1つください」
「かしこまりました」
僕は未希さんに名前を呼ばれ少しどきっとするが、それを悟られないように、普段通り接客する。
「ここのアップルパイ、週2で食べてるのにな。どうして彼氏ができないんだろう」
「なんかすみません」
なんとなく悪い気がして、僕はついつい未希さんに謝ってしまった。
「そんなそんな、葵生さんのせいじゃないです」
「そうですよ、男の見る目がない未希が悪いんです」
「うぅ……紗奈、核心をつかないでよ」
だって本当のことだもーんと言いながら紗奈さんはスコーンとキリマンジャロを注文する。
「あ、あの……」
僕のか細い声に反応し、未希さんと紗奈さんはこちらを向く。「未希さん、いっそのこと僕にしませんか? 」なんてくさいことを言葉にするわけもできず、僕は
「ご注文のカフェオレとアップルパイ、こちらがキリマンジャロとスコーンです」
と続けた。
「ありがとうございます」
明るくよく通る声で未希さんが返してくれた。2人は注文したものを受け取ると、キッチンカーから少し離れたところにあるベンチに腰掛けた。
13時を過ぎる頃にはどこの会社も昼休みが終わり、スーツを着た人たちの姿は見えなくなっていた。まだまだ散歩中のおじいさんや、幼稚園帰りの親子などが店を訪れるが、僕はここで少しばかり休憩を取る。一杯のブレンドコーヒーを入れた後、備え付けの冷蔵庫から片手で持てるほどの箱を取り出した。蓋を開けると、今朝作った、店頭には並べられない不恰好なお菓子達が顔を覗かせた。僕はその中からアップルパイを一つ取り出して口に運ぶ。
「全く……」
と僕はため息をつく。
「恋を叶えるアップルパイだかなんだか知らないけども、それならば僕の恋も叶えてもらいたいよ」
サクサクとしたパイ生地の中から甘酸っぱいりんごの風味が口いっぱいに広がる。僕は、再びため息が出そうになるのをコーヒーを流し込んで、一緒に飲み込んだ。
気まぐれアップルパイ 旦開野 @asaakeno73
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