再婚

あべせい

再婚



「5年たつと仕事に飽きた、って言ってやめるの。うちのひとは……」

「それは、飽きたのじゃない。人間関係がいやになったンだよ」

「そうなの? でも、わたしは困るわ。ようやく落ち着いたと思ったら、よ。これで3度目」

「彼は、組織が合わないンだな。よォくわかる」

「穂輝さんもそうでしょ」

 穂輝は頷いて、

「で、いまは無職なのか?」

「本人は、就活中と言っているわ」

 春の暖かな日差しが注ぐ喫茶店のテラスで、中年のカップルがコーヒーを飲みながら、おしゃべりに興じている。

 カップルといっても、2人は兄と妹。しかし、血は繋がっていない。女性は、男性の亡き妻の妹だ。

 男性は、平塚穂輝(ひらつかよしあき)、39才、女性は鎌久計子(かまひさけいこ)、35才。

 穂輝の妻は、昨年、急な病で亡くなっている。このため、計子は何かにつけ、義兄の世話をやくようになった。

 勿論、そこには愛情がある。嫌いな義兄なら、会わないだろう。それに計子の夫、鎌久洋司(かまひさようじ)38才とは、最近、うまくいっていない。

 結婚して7年だが、2人のこども、小学1年の息子と小学2年の娘のしつけをめぐり、よく衝突する。

 洋司はどちらかというと、放任主義。妻の計子は専業主婦ということもあるのだろうが、こどもに対して事細かに注意する。

「洋司さんって、腕のいい整備士だろ?」

「腕がいいのか、どうかは知らないけれど、自分ではそう言っているわ。そう思っているだけかも……」

「だったら、勤務しないで自分で整備工場をやればいい。腕がよければ、仕事は来るさ」

「でも、工場というほどでなくても、整備場となると、ある程度資金がいるじゃない」

「そうだな。少なくても、一千万円はないと。お金がないのか?」

 計子は、無言で首を縦に振る。

「そうだ。いい考えがある。高齢で満足に仕事をしていない整備屋が近所にあるンだ。そこを借りて……」

「そんなにうまくいく?」

「交渉次第だな」

 計子は、改めて義兄の穂輝を頼もしそうに見つめた。しかし、心の奥底では、恋愛感情がそこはかとなく湧いてくるのを、抑えきれなくなっている自分に、気がついていない。


 穂輝の仕事は、コインパーキングの経営だ。5、6台分のスペースしかないが、同規模の時間貸し駐車場を近隣に6ヶ所所有している。勿論、全てが自分の土地ではない。4ヶ所借りているから、その分の土地代、毎月12万は、売り上げがなくても、工面しなければならない。

 幸い、いまはなんとか、ペイできているが、この先はわからない。近頃では、近くにやたら、時間貸し駐車場がふえてきている。

 値段を下げれば、利用客はすぐに増える。しかし、これを繰り返せば、際限がない。いまのところ、1時間200円、1日最大800円にしているが、この料金より安い駐車場が数週間前、出現している。

 穂輝は、1ヶ月前、小春日和の日差しのなかで、義妹の計子とおしゃべりをしてから、考えた。

 計子は、俗に言ういい女だ。体、スタイル、マスク、穂輝には申し分ない女性だと思っている。あの計子が、どうして、洋司のような男と一緒になっているのか。穂輝には理解できない。

 妻を亡くして1年になるが、計子となら、再婚してもいい、と思うようになってきている。計子の気持ちはわからない。しかし、わかって、どうなる。相手には、家庭がある。却って、複雑になるだけだ。

 穂輝には幸か不幸か、こどもがいない。計子は、2人の子持ちだ。 

 だから、2人で会うのは、極力抑制している。洋司やこどもたちがいるときは、堂々と会えるが……。

 計子からの誘いがあったときも、3度うち2度は、都合がつかないと言って、断っている。

 1ヶ月前は、半年ぶりに2人で会った。顔を見るのは、一週間ぶりだったが、2人きりで会うときは、穂輝の気持ちがまるで違う。計子を見る目に、力が入る。

 誘いのことばは、

「どう、元気? お義兄さんが元気でないと、わたし、淋しくなるから……。そうだッ。駅前通りに新しく出来た喫茶店、行った? まだなの? よかった、ってことはないか。だったら、一緒に行こうよ。明日、あさの10時半なら、わたしひとりになれるから……。ゆっくり、話ができる……」

 穂輝は、昼過ぎ、電話でそう告げられ、即座に快諾した。会いたい気持ちは、いつもある。

 それを抑えて、いつも我慢している。彼女は洋司の妻だが、半日だけ、借りよう。半年ぶりなのだから、世間も黙認するだろう。

 穂輝はそんな思いで、計子とおしゃべりを楽しんだ。それ以上の関係にならないよう、2人きりのときは、アルコールは入れない。明るい日中にしか会わない。それが、2人の間で、いつの間にか、暗黙のルールになっている。

 穂輝は、1ヶ月熟考した結果、昨晩決断した。

 先月、喫茶店のテラスで計子に提案した、廃業しているのかと思わせる近所の自宅兼整備工場を訪ねたところ、すでに工場は売却され、まもなく解体工事が始まるという返事だった。

 完全な見込み違い。整備工場のレンタルなら、了承してもらえると思ったが、遅かった。

「もう、3ヶ月早く、来ていただいていたら、真剣に話を聞けたでしょうが。私も残念です」

 すでに工場隣のアパートに移っていた持ち主の老人は、そう穂輝に言った。

 穂輝は帰宅後、すぐに計子に電話で、その結果を報告した。そして、

「期待させて、申し訳ない。でも、別に考えがあるから……。また、電話するよ」

 と、期待を持たせたことを詫びるとともに、うまい腹案があることを匂わせた。

 穂輝の決断は、6ヶ所のパーキングの1つを解体して、レンタル用の整備工場を新しくつくることだった。

 車体を持ち上げる整備用リフト3基と、工具一式をそれぞれ、顧客3名分、それぞれのスペースの壁に取り付ける。

 リフトは移動式を購入したため、設置費用をかけずにすんだ。

 費用は、解体と建設費、工具等の備品を加えて、2千万円以内に抑えることが出来た。

 工場は、鉄骨で枠組をつくり、壁はパネルを張る簡単な構造にした。

 一応、六畳ほどの事務所と休憩室を、出入り口の左右に設け、それぞれにテーブルと椅子を置いた。

 3ヶ月後、カーレンタル整備場「カレン」の看板を掲げ、完成した。

 その夜、穂輝は、計子と洋司を事務所に招き、祝いの宴を開いた。ビールと寿司を取り寄せて食事するだけの簡単なものだった。

 しかし……、事態は思いがけない方向に飛んだ。

「あなた、明日から、ここで思う存分車がいじれるわよ」

 計子が満足そうに、夫の洋司に言った。

「1時間、いくらだっけ?」

「本来は、1時間2千円だが、親戚値段で、1500円でいいよ」

「おれからも、金をとるのか?」

 洋司の顔付きが変わった。

 いやらしく、ずるがしこく。こんな洋司は見たことがない。穂輝はそう感じた。

「あなたッ、なに言っているの。穂輝さんも商売なのよ。赤字覚悟で、格安にしてくれる、って話なのよ」

 計子は、飲んでいたビールのグラスをテーブルに置いて、知らない他人を見るような顔で、夫を見た。

「穂輝ッ、おまえ、おれの女房をいつも借り出しているよな。その代金はどうなるンだ?」

 洋司は、焼酎をストレートでグイと飲み干して言った。

 穂輝は、グッと詰まった。そういうことか。

 この男は、計子とおれの関係をズーッと気に掛けていた。というより、嫉妬していたのだ。穂輝はようやく、洋司の心の闇を覗いた気分になった。もっとも、そう思われても仕方ないが……。

 穂輝は、計子と2人きりで会うときは、洋司には内緒にしていた。しかし、蜜室ではない。街中で、ひとのいるところでしか会っていない。洋司本人でなくても、顔を見知った人間が、その光景を目撃して、悪意がなく、それとなく穂輝に教えることだって、あったに違いない。

 計子と居酒屋などで酒を飲んでいたのなら、洋司の気持ちもわからないではない。しかし、計子と2人きりで会うのは、多くて3ヶ月に一度くらいだ。

 穂輝の妻が亡くなってからだから、通算にして、まだ3度しか、2人きりでは会っていない。

 しかし、当の洋司は、許せないのだろう。

 このとき、穂輝は、計子とは2人きりでは会わないでおこう、と考えた。しかし、そう決意すると、計子がこれまで以上に魅力的に見えてくる。手放したくない。そんな、切ない気持ちが起きてくる。

「あなた、わたしは、穂輝さんと、喫茶店でコーヒーを飲んだだけよ。それも、用事を頼みたいときだけ。昼の間。たくさんのひとがいるところでよ」

 計子が釈明したが、こういうときは却って、火に油を注ぐことになりかねない。

 洋司は、これまで我慢してきたことを一気に吐き出したのだ。聞く耳は持たないだろう。

「わかった。洋司、この話はなかったことにしよう。そして、この先、おまえがそばにいても、街中でも、計子さんとは決して口をきかない。それでいいだろう」

 穂輝は、出来もしないとわかっていても、勢いで言ってしまった。

「穂輝。そういうことにしても、おれたちのつきあいはこれまでのようにはいかないだろう。この先、もしも、ここのレンタルリフトを借りるときは、正規の料金を払う。親戚づきあいはしないということだ」

 洋司はそう告げると、計子を置きざりにしたまま、さっさとひとりで去っていった。

 残された計子は、気まずい顔をして、

「穂輝さん、ごめんなさい。わたしたち、うまくいっていないから。こんなことは、よくあるの。わたし……、もう……、」

 計子は、穂輝のもとに近寄ろうとして、立ち止まった。

「計子さん。しばらく、ぼくはあなたとは会わないことにする。メールもしないほうがいい。でも……」

 穂輝はそこでことばを切ると、再び、計子を見つめて、

「本当を言うと、ぼくは、あなたのことが忘れられない。いや、忘れたくない。けれど、不倫はしたくない。だから、しばらく、じっとしている」

 穂輝は、自分に言い聞かせるようにそう言った。


 半年が経過した。

 穂輝の「カレン」は、収支トントンで経営が続いている。

 全く利用客のない日もあれば、土日は時間待ちの客が休憩室にあふれることも珍しくない。

 車をいじるのが好きな人間はけっこういるのだ。

 その中に、ひとり若い美形の女性が混じっていた。ほぼ10日おきに姿をみせる。平日にも来るから、ふつうの会社員ではない。年のころは、33才といったところ。

 穂輝より、少し若い。 

 彼女が持ち込む車は、フランスのプジョーだ。その年齢で外車に乗るのは、よほどの車好きか、だれかに譲られたのだろう。

 彼女が初めて、穂輝の店に来たのは、10日前だった。真っ赤なつなぎの服がよく似合い、スリムなボディながら、女性らしい、魅力的なセクシーラインを備えている。

「3時間ほど、お願いしたいのですが……」

「どうぞ。きょうは、3基すべて空いていますから、お好きなところを使ってください」

「ありがとうございます」

 彼女はそう言って、穂輝が差し出した借り請け書にサインした。手馴れたペンさばきだ。穂輝は、彼女が、プロだと考えた。となると、持ち込んだプジョーは、修理を依頼された客の所有物。

 「湯川令子」。住所は、穂輝の店から、徒歩で十数分の距離だ。こんな美女が近くにいたとは……。穂輝は人ごみが苦手で、ふだんあまり外に出歩かないためか、彼女のような美人にはこれまで出会わなかった。

 計子だけで満足していたせいだろう。

 来店3度目のこの日は、令子ひとりしか、リフトを使っていない。平日はこんなものだ。

 穂輝も、ふだんは退屈で、隙をもてあます。

「ひと休みして、コーヒーでもどうですか?」

 穂輝は、レンチを手にして、車体の下回りをいじっていた令子に声を掛けた。

 時刻は正午前だ。

「そうしようかな。手も汚れたし、ちょっとお手洗いを借ります」

 令子はそう言うと、事務所奥に消えた。

 穂輝は用意していたドリップでコーヒーを淹れる。事務所のテーブルを中央に寄せ、椅子を向かい合わせに置いた。

 穂輝は、戻ってきた令子にコーヒーを勧めながら、

「湯川さんは、整備士の仕事をなさっているのでしょう?」

「まだ始めたばかりで。こういうレンタルの整備場があって、助かります」

「それはよかった。以前は、お勤めですか?」

 立ち入った話だが、令子はいやな顔もせずに、

「わたし、専業主婦でした。でも、昨年、夫を亡くして……」

 そうだったのか。穂輝は、不思議な巡り合せを感じて、親しみが湧いた。

「平塚さんも、このお店を開かれて、まだ半年でしょう。わたしと同じ……。車の整備はなさらないのですか?」

 穂輝は、車いじりは嫌いではない。しかし、妻を亡くしてから、気力が萎えている。

 出来た妻だった。手のかかる家事を一切やり、穂輝には台所に立つことさえ、許さなかった。

 穂輝は、コインパーキングの見回りと、パーキング利用客から、車の調子がおかしいと言われると、その都度修理して喜ばれていた。

「私は、整備士の資格を持っていない。それに、私はあなたのように、人づき合いはうまくないから……」

「わたしが、付き合い上手に見えますか?」

 令子は、コーヒーをうまそうに口に運びながら言った。

 コーヒーが本当に好きなのだろう。だったら、こんどはもっとおいしいコーヒー豆を用意しておこう。穂輝はそんなことを考えながら、

「私は口ベタですが、あなたとは話がしたくなった。あなたは、そういう雰囲気をお持ちです」

「そうかな? フ、フフフフ……」

 令子はそう言って、明るく笑った。

「令子さんは、再婚はなさらないのですか?」

 穂輝は、最も気になっていることを、つい口に出してしまった。

「お話はいただいています」

 令子はそう言って、リフトに乗っているプジョーを目で示した。

 その車の持ち主が彼女に求婚しているのだ。

「でも、その方もバツイチで、ロストシングルになられて、まだ2ヵ月なンです。それでもう、再婚というのですから……」

 穂輝の妻は亡くなって、もうすぐ1年になる。令子の夫は、2年前だ。まだまだ、亡夫への思いは強いだろう。穂輝にしても、妻のことは一日たりとも、思わない日はない。

 2ヶ月足らずで、再婚を望む。人それぞれだろうが、穂輝はプジョーの所有者に違和感を覚えた。

 それは、嫉妬だろうか。令子のような美女を手に入れるために、車の修理を依頼する。

 修理が終われば、食事に誘い、そして……。いや、よそう。どんないきさつがあるのか知れない。穂輝は、そこで妄想を中断させた。

「それほど親しくないあなたに、こんなことを話すのは失礼ですが……」

「なんでしょうか?」

 令子は不審そうに、穂輝を見つめる。

「私は妻を亡くしてから、妻の存在の大切さを痛感しています。夫として、情けなく、伴侶として、失格だったといまになって……」

「平塚さん。それは当然です。わたしだって……。わたしの夫の場合は、事故でしたが、それまで夫がそばにいるのは当たり前のことだと思っていましたから。亡くなったとき、パニックに陥りました。生きていても仕方ない、と……」

 穂輝も同じ思いを経験している。

「でも、人間、命ある限り生きていくしかない。何か、自分にできることはないか、と……。幸い、夫は車の整備士で、わたしは夫と同じカーディーラーに勤務していたことがあり、車のことは、興味もあって、多少のことなら、修理ができました。それで、改めて車の整備を習い、資格をとったのです。まだ、整備士としては、2ヶ月足らずの新米ですが……」

 令子は、そう言ったが、淋しそうな表情は消えない。

 夫婦って、何だろう。穂輝は改めて考えた。

 見知らぬ男女が、ふとしたきっかけで出会い、生活をともにする。いくら好きあっていても、性格は異なる。すべてが一致することなど、ありえない。

 価値観の違いや、考え方の違いから、意見の衝突は避けられない。しかし、そうした問題をいくつも乗り越えて、夫婦は生活していく。互いに、心底、好き合っていれば、離婚や別居などせずに、ともに暮らせるはずだ。

 しかし、突然の死は、そうした夫婦生活を、残酷に破壊する。無残、酷い……修復する方法が見つからない。

 夫や妻の代わりはない。再婚は、全く別の暮らしだ。それまで築いた夫婦関係とは、何の関係も、つながりもない。

 再婚はゼロからのスタート。この年で、リセットする? できるのか?

 穂輝は、美貌の女性を目の前にして、自らに問いかけた。

 そんなことが、できるわけがない。

「湯川さん、そろそろ作業にとりかからないと、プジョーの所有者から催促が来ますよ」

 穂輝はそう言って立ち上った。

 令子は、一瞬、「エッ!?」という表情を見せたが、すぐに、腰を上げ、

「そうですよね。時間ばかりかけて、修理ができないようじゃ、整備士失格。プロ意識をもたなくちゃ」

 令子はそう言うと、穂輝にニッと微笑んで、事務所を出た。そして、リフトで引き上げられたプジョーの下に入り、楽しそうにレンチを使った。

 穂輝はそのようすを見て、

 こんないい女がどうして、夫を亡くすという不幸に陥るのだろう。この世に神も仏もない、ということばがあるが、世の中は思う通りにいかない、と痛感した。


 ところが、半年後。

 穂輝は令子との再婚を決意した。

 令子も、それ以外に、生きる道を見つけることができなかった。

 しかし、計子だけは、穂輝の再婚を喜ばない。穂輝と計子の関係だけが、いまだに、くすぶり続けている。

                    (了)

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再婚 あべせい @abesei

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