7.学園祭前日

学園祭が前日に迫った月曜日の放課後に事件が起こった。学園祭準備で男女が急接近し、カップルが増えていたから、恋人がほしい人はラストまで無駄に粘る焦りをみせる時期であり、出し物の完成度にこだわる者は作業に焦る時期でもある。


 太一は、迷路を作る作業の最終調整に駆り出されていた。最終合わせをしていたらしいダンスの練習組が帰ってくると、その中から中学からの唯一の友人である白井が駆け寄ってきた。作業を割り振ってほしいのかと思い、振り返ると、思いもよらない知らせをもたらした。


「ねえ、太一。出雲君が女の子に連れられてどっか行っちゃったんだけどさ、放っていていいの?」

 白井はそう言うと喉が乾いていたのか、水筒を口に運んだ。

 合意かどうかは別として、亮介と誰かとの蜜月を想像して自分のやけに瞬発力の高い脳を呪いたくなる。

「なんで俺に言うの?心配なら自分で見に行ったらいいじゃねぇの?」

 そもそも、そいつが彼女である可能性もあるし、一同級生が心配することでもないだろう。

 白井は、腕を組み、ん~とうなる。すると、人差し指を俺の目の前につきだす。中学から変わらない、彼女が他人を諭すときの癖だ。

「君に言ったのは、恋人とかじゃなかったかもしれないけれど、少なからず彼に気があっただろうから。心配はそれこそ私がすると、差し出口でしょう?」

 と、言いながら人差し指を自身の形の整った唇に持っていく。


「はぁ。なんでお前にばれてんのかな…差し出口?」

「ばれてないのは本人にだけだと思うよ。差し出口ってのは、亮介君の交友関係を私がとやかく言う義理もなければ資格もないって言いたかった。彼って元々引く手数多だし、αだろうって推測がなんとなく確信めいたからね。既成事実さえ作り上げられたら、運命の番じゃなくても彼を得ることはできるかもしれないと思う子はいるでしょうね。君にぞっこんだったから最近は誰も彼にアプローチしなかったのかもね。今回の子もその類でしょうよ」


 あ~やだやだ。と手段を選ばない女に対する嫌悪感を白井が顔面も仕草も全てで表現した。白井の言葉に冷や汗が、背中を伝っていく。既成事実を作り上げられる?そんな馬鹿な。だってあいつには、

「恋人いるんじゃねえの・・・?」

「亮介君に?いないよ?それに、君のことを好き好き~~ってアピールしていたし。どうやって手出しするのさ」

 友人が快活に笑う一方、太一の心は期待に焼かれ、焦燥感にかられた。太一の足に自然と力が入り、その力のまま立ち上がる。

「出雲、どこいった?」

「えっと、保健室の方面だった」

「は~?今日、養護教諭いないのわかっててやってんじゃねえか!最悪だな~。行ってくるわ」

「うまくいったら後で話聞かせなさいよ!」

「はーいはい!」

 白井の尋問は後が怖いが、今はそれよりも出雲を失うのが恐ろしい。

 階段を何段も飛ばし大荷物を持つ人達を縫いながらほとんど走っているような早歩きで保健室についた。


「出雲!」

 急いだために乱れた呼吸のまま、扉を開け、彼の名を呼ぶ。そこには女に迫られる亮介がいた。女は発情期というようには見えない。おそらく使用を禁止されている、フェロモンの香水を使ったか、疑似発情期になるような薬を飲んだかと思われる。まあ原因はともかく、αを欲情させる匂いが充満していた。彼は口と鼻を覆い、フェロモンを吸うまい、正気を手放すまいと努めている。

「誰!?」

 女はヒステリックな声を出す。振り向いた瞳にはわずかに恐れを持つように見えた。

「たいち、くん。助けて、」

 座りこむ出雲に太一は近づき、自身の腰あたりに抱きつかせるようにする。出雲はそこでふぅふぅと、ようやっと今息ができたように呼吸をする。


「あぁ、今まで出雲君に付きまとってた…」

「ああ?付きまとってた?」

「何の関係もない貴方がなんで彼と私との交友を邪魔するの?」


 胡乱な瞳がこちらに向く。おいおい俺の言葉は無視かよ、と思いながらも太一はため息を一つ落とす。息を吸うと、意識して相手を嘲るような顔を作る。


「おやまあ、聞き間違い?交友?お前の交友ってのは、意に染まらない行為を他者に押し付けることを言うのかよ。辞書を引いてみた方がよろしいのでは?それともお持ちではない、と。」

「は?んなこと言ってないわよ。亮介君に飽きられたお前に言われるのがヤなのよ」

「ち……がう。違う。飽きてない、そうじゃない。」


 まあ馬鹿にするように言ってやったら女は眉間に皺をよせ、額に血管を浮かべる。腰あたりで反論をしようとしていた好い人が何を言おうとしているのか、なんて知ったこっちゃない俺は、俺の思う現状の最善手を選んだ。


「お前こそなに言ってんだ?前から俺とこいつは恋人だぞ?周りには言わなかっただけで、喧嘩して口きかなかっただけで何調子のってんの?」

 恋人でも喧嘩するくらいするだろうよ。なあ?なんて言って出雲に視線を落とす。彼はそれまで、もごもごと口を動かしていたが息をのむ音を鳴らして、静かにだまりこくった。女は疑いの目で俺を射抜く。まだ足りないか。あと一押し。


「ごめんな、亮介。心細かったろ」

 殊更に甘い声を意識して、俺の腰にしがみついたままの好い人にささやく。それと同時に左手でそっと頭を優しく撫でるのを見せつける。これでどうだ、と思い女の反応を見ると、恋人であるという俺の主張を信じた様子だ。亮介はというと、黙りこくっていたのが体まで黙ってしまったのか、太一に縋る腕の力が強くなった。


「そ、んなの隙を出すのがいけないのよ」

 という、よくわからない捨て台詞を吐き、はだけた衣類を直しながら逃げるように部屋から飛び出していく。現状は恋人ではないが、恋人だとしても、既成事実がつくられていたら危なかったな~と脳の冷静な部分が感想を持つ。

 遠山は息をつくと腰にまだしがみついていた出雲を剥がす。腰を落として視線を合わせると子犬のように体を震わせ大きな瞳をうるうるとさせていた。


「さて、亮介くんや、お話をしようか。よく我慢できたな。褒めて遣わそう。」

「結婚してください。」

 フェロモンにとろけた顔のまま、真剣になろうとする声でそう言う亮介のちぐはぐさに太一は吹き出す。

「ムードもなにもないポロポーズを受け入れると思った?やり直しでヨロ」

「えへへへ。やっぱ好き」

「馬鹿じゃないか?」


「ねえ、太一君。太一君はさ、たぶん運命の番、なんてふたりの心を操られているみたいでいやなんでしょ?」

 明文化されて、やっと太一は理解できた。彼との運命を感じたときに、自分の中でくすぶっていた感情の正体を。「こいつへの恋心はただの遺伝子の指示であり情愛でしかなかったのか」という落胆をその言葉が掬った。ああ、だから俺は自分の心に素直になれなかったのか。

「......そうかもしれない、な。」


「よね?でもさ、β同士だってそういうのあると思うんだ。αとΩだけじゃなくて。本当かは分からないけれど、体臭とかが好ましいと思うのは、遺伝子的に遠いから本能でそう感じているらしくて、それはαだろうと、βだろうとΩだろうと同じって聞いたことがあるんだ。だから、運命の番っていうのはそんなに特別じゃないんだ。」

 それに、と区切ると、体をくねらせもじもじしだした。

「もじもじするなよ。何?」

「実を言うと、あの時より前から君のこと、好きだったんだ」

 というと亮介は顔を真っ赤にして、太一に背を向ける。今まで何度も好きだ好きだとアプローチをしてきたのにも関わらず、突然羞恥に悶えるのか、と太一は呆れ半分、愛おしさ半分であった。

「ん~言っとくけど、俺だってそうだしな?」

 今までの反応はどこへやら、信じられない勢いでぐるっと振り返る。

「結婚しないと......?!」

「落ち着け。それは追い追いだ。」

 どうどう、とおよそ人間にするためのものではない動物の落ち着かせ方を亮介に試してみる。無駄でした。


「考えてくれるんだ!うれしいなぁ。そうだ。今日帰りにアイス食べよう。それと、最近出た牛乳味のポテチとか食べてさ、長期休暇には旅行に行こう。」

「したいことがいっぱいだな。」

「うん。俺、君とたっくさん楽しいことして、君と幸せになりたい。格好悪いところ、見せちゃったけれどこんな俺でよければ一緒になってください。」

「はは~ん。仕切り直し告白?」

「もう!ちゃんと返事してよ。あとさっきみたいに名前で呼んでよ?」

「勿論。天国にでも、地獄にでもご一緒しましょうね。さて、教室戻ろう。俺まだ作業あるし。お前のとこもだろ。今日中にやらないと明日が楽しめないだろ、亮介?」

「そだね。でもちょっと待って?顔赤いのとか引いてからでもいい?」


 亮介は、恥ずかしそうに右手でパタパタと顔を仰いで、左手で鼓動のうるさい胸を落ち着かせていた。

「あ~そうだな。亮介が興奮してる可愛い顔ちょっと人には見せられないな」

 太一が笑って亮介のことをからかうと、そんな表情だけで亮介のやっと赤さが引いてきた顔に火がともったように赤がさした。


「~~もう!太一君は馬鹿なの!?油注がないで!」

「あ~ごめんなさい」

 太一が殊勝な顔で謝るものだからつい亮介は笑う。亮介が笑うから、太一もつられて笑う。そうして笑いあって、落ち着いたら、それぞれの教室まで一緒に向かった。



「まって?!太一君から好きって言ってもらってない!」

「廊下で騒ぐな!!!恥ずかしい!」

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運命の意図 よしの(旧ヒナミトオリ) @hinami_street

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