第4話 激動の春

 3月1日

 和正は前田の家にやって来たが風呂の中で死んでいた。湯船の中で電気ウナギがパチパチ!パチパチ!と、閃光を放っていた。

 感電死? 誰かに殺された!?

 

 和正の通報を受け、松戸警察署の香川刑事が駆けつけた。

 香川は倉庫の中を調べた。獣の嫌な体臭がした。何匹か檻や水槽からいなくなっていた。

 前田を襲った奴が逃したのか?

 獣医かペットショップ店員の仕業かもしれない。

 クリオネが水槽でフワフワ漂っている。

 香川が餌を入れるとクリオネの頭をバカッと裂けて、六本の触手を出して食べた。確か、触手のことをバッカルコーンって言ったな?


 3月6日

 巨大化したグラスフロッグに和正は追われていた。

 中央アメリカ〜南アメリカにかけての森林に生息する。肌の色はスケルトンで内臓がスケスケだ。

 怪物に食われる寸前、和正はブルーデルタを使って江戸時代に向かった。

 闇の中に金ヶ作陣屋って江戸幕府の陣屋(主に小金牧などを管轄するために設けられた)が見えてきた。

 

 陣屋の建設は幕府によって行われたが、修繕費用は周辺の御林から伐採した材木の代金を充て、人夫は規模に応じて周辺の天領住民を充てた。また、代官不在時には手代が駐在して職務の代行を行った。


 その背景には、将軍徳川吉宗の下で馬の育成が重視されたこと、同じく吉宗が推進した新田開発に小金牧の一部が充てられたことがあったとみられている。代官はここで野馬奉行らを指揮して小金牧の管理にあたった他、当該代官支配下の村々(小金牧の外側の地域含む)における訴訟業務も取り扱っており、陣屋内には白洲も設けられていた。また、江戸の公事宿2軒が金ヶ作に招かれて訴訟業務に参画した。

 ところが、享保17年(1732年)に小宮山が部下の不正を理由に支配地の削減を命じられて小金牧一帯が管轄を外されたことから、代わって伊奈忠逵の支配下に入り、その代官が必要に応じて派遣される出張陣屋となった。江戸幕府は陣屋を廃止する命令を出したものの、翌享保18年(1733年)に正式な野方代官として派遣された疋田泰永(庄九郎)は、地元民の意見を聴いた上で存続を幕府に求めて認められた。


 寛政5年(1793年)、小金牧・佐倉牧・峯岡牧の支配は突如小納戸頭取の支配下に移されることになり、金ヶ作陣屋も小納戸頭取が派遣した手代らが常駐することになった。当時の小納戸頭取岩本正倫(石見守)は将軍生母お富の方の異母弟であり、甥である将軍徳川家斉の信任が厚かったことが関係していると言われている。小納戸頭取による金ヶ作陣屋支配は幕末の元治元年(1864年)まで続き、その後騎馬奉行など管轄者を転々としながら、明治維新による廃止を迎えた。

  

 3月10日

 松戸は矢切の渡しで有名だ。江戸川を挟んで矢切と東京都葛飾区柴又を結んでおり、現在も渡し舟が運航されている。片道の料金は大人200円、子供・自転車各100円。「房総の魅力500選」に選定されているほか、柴又帝釈天界隈とともに環境省の「日本の音風景100選」に選定されている。

 この渡しは江戸時代初期に江戸幕府が地元民のために設けた利根川水系河川15ヶ所の渡し場のうちの一つであり、観光用途に設けられたものではない。かつては官営だったが、その後は民営となり、明治初期から杉浦家が船頭を務めて運営している。


 この渡しが日本全国に有名になったのは、明治時代の伊藤左千夫の小説『野菊の墓』(1906年)によるところが大きい。現在、矢切にはこの小説の文学碑が建立されている。また、歌謡曲「矢切の渡し」の大ヒットや、矢切の対岸の柴又を舞台とする映画『男はつらいよ』でも脚光を浴びた。『男はつらいよ』シリーズでは、1969年公開の第一作で渥美清演じる主人公車寅次郎が帰郷のため乗船する場面以降しばしば登場する。

 月子は渡し舟の上から景色を眺めていた。

 コロナか、厄介なことになったな?


 3月13日

 月子は野菊の墓の記念碑にやって来た。

 現地の人に取材した結果、1965年(昭和40年)5月に完成したことが分かった。

 15歳の少年・斎藤政夫と2歳年上の従姉・民子との淡い恋を描く。夏目漱石が絶賛。伊藤左千夫の最初の小説である。

 左千夫の出身地である千葉県山武市の1991年(平成3年)5月に完成した伊藤左千夫記念公園には、政夫と民子の銅像が建立された。

 民子の役は松田聖子や山口百恵などが演じている。

 

 和正は松戸宿にやって来た。

 現在の千葉県松戸市松戸・本町にあたる。松戸宿は江戸川に面しており、江戸側の対岸には金町松戸関所が置かれていて、その石碑が残る(厳密には同じ場所とはいえない)。江戸時代には江戸川に橋は架けられておらず、渡船となっていた。松戸側にも渡船場跡付近に天領を示す御料傍示杭が建ち(現在はその付近に石碑が立つ)、そこが松戸宿の江戸側の端となっていた。


 なお、歌謡曲で知られた矢切の渡しは松戸宿の南、旧矢切村に位置する。松戸駅北側の松戸市根本(旧根本村)は駿河田中藩本多家の領地で松戸宿ではなかった)。

 松戸の宿場町は南北に約1キロほどの範囲に広がっていた。松戸はまた、物資集積地としても栄えた場所であり、数百軒の家並みが並ぶ大規模な集落を形成していた。運河としても使われた坂川が市街地を横切って流れている。

 

 寛政7年(1795年)3月5日、江戸幕府第11代将軍徳川家斉が松戸宿周辺で鹿狩りを行った。鹿狩り要員数は、家斉の家臣団である諸大名や旗本が約9千8百人、勢子は松戸宿が在所する下総国はもとより近隣の武蔵国、上総国、安房国、常陸国から総数約10万人、鹿狩り日の2日前から川越に待機している家臣団の一部の約1万5千人の給仕を担当する人足が約340人であった。


 江戸時代においては仏教の殺生戒や神道の触穢の影響により獣肉食が忌避される傾向があったが、山村では貴重な食料源であった。また、徳川将軍家の正月三が日のお節料理の献立には「兎のかん」(ウサギのすまし汁)があり、兎肉が食されていた。これは江戸幕府の打ち出していた四足動物の肉食禁止令に反するものだが、ウサギの長い耳を鳥の翼に見立て、ウサギの跳躍力を飛翔と見たて、ウサギを鳥と四足動物の中間の動物とする解釈もあったようである。


 3月15日

 戸定邸とじょうていという豪邸が松戸市松戸にある。ここは水戸藩最後(11代)の藩主であった徳川昭武が造った別邸だ。 

 国の重要文化財の一つであり、指定名称は旧徳川家住宅松戸戸定邸。庭園は旧徳川昭武庭園(戸定邸庭園)として国の名勝に指定されている。また関東の富士見百景に選定されている。


 松戸宿は江戸時代には江戸と水戸を結ぶ水戸街道の宿場町であった。戸定邸付近に位置する松戸神社には水戸藩2代藩主徳川光圀ゆかりの銀杏の樹があるなど、古くから水戸藩とつながりの深い土地であった。戸定邸は1884年(明治17年)江戸川をのぞむ下総台地上に完成し、徳川昭武の生活の場として使われた別邸となっている。戸定邸の「戸定」とは「外城」に由来し、戸定邸のある高台・戸定台は、一帯に築かれた松戸城(松浪城)の外郭に位置したという。


 明治30年代に実兄である元将軍徳川慶喜が何度か訪れ、徳川昭武とともに趣味の写真撮影や陶芸などを楽しんだとされている。また、多くの皇族が長期に滞在するなど、由緒のある屋敷として知られた。1892年(明治25年)、徳川昭武の子の徳川武定が特旨によって子爵を授けられると、以後は松戸徳川家の本邸となった。


 木造平屋一部2階建、延床面積725平方メートル、9棟の建物に23の部屋があり、うち8棟が重要文化財である。台所棟の一部と内蔵が二階建てであるほかは、全て一階建てで、屋根は桟瓦葺きである。また、下屋・渡廊下、附属の便所などは銅板葺きである。南にある表座敷棟を起点として、各棟が連続もしくは渡り廊下で結ばれている。表座敷棟は、床・棚付で十畳半の客間や八畳の書斎などからなり、室境には透かし彫りの板欄間や竹細工の欄間がある。湯殿は浴室と脱衣場をわけ、浴室天井は杉板網代組(網代天井)の意匠としている。


 旧徳川昭武庭園きゅうとくがわあきたけていえんは、戸定邸に造園された庭園。別称は戸定邸庭園。芝生が植えられた現存する洋風庭園としては日本最古とされる。


 徳川昭武がフランス留学など約5年間の欧米滞在やパリで開催されたパリ万国博覧会に出席した際などで見聞きした知識を取り入れて1884年(明治17年)から本格的な造園が行われ、6年後の1890年(明治23年)に完成した。戸定邸に接する書院造庭園と、その南に広がる東屋庭園の2つの区画に分かれている。


 香川は戸定邸の湯殿でライアンの遺体と対面した。ライアンのことは遥から聞いていた。

 ライアンの背中には短刀が突き刺さっていた。  

 

 香川は数日前のことを思い出した。大富豪からの依頼を受けて、後輩の早見刑事と共に、伝説の水の近くの別荘地を訪れた。

 金ケ作(現千葉県松戸市常盤平)にある湧水池で子和清水伝説の地とされる。現在は周辺開発により枯れてしまったが、松戸市により子和清水1号緑地の一部として井戸水を汲み上げて保全されている。

 むかし、金ケ作に酒好きな老人が住んでいた。貧しい暮らしにもかかわらず外から帰るといつも酔っているのを不審に思った息子が後をつけてみると泉の水を旨い酒だといって呑んでいた。息子が飲んでみるとただの清水であった。これを聞いて人々が「親は旨酒、子は清水」というようになった。


 香川らを出迎えたのは、依頼人の若王子剴が殺害されたという報せだった。

 剴の奥さんは美しい外国人だった。奥さんは二人組の暴漢が夫を拉致したと証言するが、犯人たちは、わざわざ拉致した剴を屋敷のすぐ隣にあるゴルフ場予定地で殺し、墓穴まで掘りながら死体を埋めずに放置するという、不可解な行動をしていた。

夫人の証言が真っ赤なウソだと見抜いた香川は、同時に「彼女は、夫殺しの下手人ではない」とも結論付ける。

 

 3月18日

 香川刑事は柳原水閘やなぎはらすいこうにやって来た。江戸川流域坂川の治水を目的として、1904年(明治37年)に坂川普通水利組合によって設けられた。四連アーチ構造の美しい煉瓦造りである。大きさは、河川横断方向に17メートル、河川縦断方向に13メートル。材質はアーチ部分が煉瓦および石造り、橋脚部分が石造りである。

 現在は水閘としては使用されていないが、文化財として保存されている。

 直線距離で約500m離れた場所に、栗山配水塔がある。

 新聞紙にくるまれた胴体だけの男性遺体が浮かんでいるのを、午前7時頃近くで遊んでいた少女が発見した。5時間後には同じ放水路で頭部が、8時間後には両腕が発見された。

 発見された頭部からモンタージュ写真が作成されると、俳優の財津大次郎ざいつだいじろうが捜査線上に浮上。

 

 3月19日

 アンジェリカは夫の剴が死んだことに喪失感を抱いていた。

 貴恵は不審死を遂げた。花粉症の薬と心臓病に使う薬を併用した為に死んだと医者は言っていたが怪しい。

 背後に妙な気配を感じた。


 3月20日

 和正は江戸時代から戻って来て、博物館にやってきた。

 この博物館の特徴は、昭和30年代の常盤平団地2DKの原寸大・再現展示である。展示は3人家族が暮らすという設定で、当時最新鋭の電気洗濯機、電気冷蔵庫、白黒テレビの『三種の神器』をはじめ、ステンレスの流し台や応接セット、果ては大型電蓄や百科事典などを配置している。さらに日用品や雑誌、テレビ画面に映るCMも当時のものを使用し、高度成長期の生活スタイルを忠実に再現している。博物館内の映像展示では日本住宅公団制作の広報カラー映画『団地へのいざない』が常時放映されていて、当時の暮らしや街並みなどを知ることもできる。


 博物館を出て歩いているとズシン! ズシン!と轟音が響いた。巨大グラスフロッグが現れた。

 死んだ前田が遺伝子操作でもしたのだろうか!?

 このままじゃ死ぬ!

 バラララララ!🚁

 ヘリがどこからともなく現れると、ホバリング態勢になり、香川冴がショットガンをぶっ放して怪物を倒した。


 3月21日

 宝光院ってところに和正はやって来た。『千葉周作修行之地』と記された標柱があり、後に北辰一刀流を編み出した千葉周作ちばしゅうさくが修行した浅利義信あさりよしのぶの浅利道場があった場所だ。

 ボーガンが背中に刺さった死体が転がっていた。

 香川冴の遺体だった。

「あなたがいなけりゃ、俺は死んでいた」

 和正はすがりついて泣いた。


 真夜中、睡眠薬入りの飲み物を飲んで寝静まったアンジェリカを車に乗せてラブホ廃墟に連れ出した後、タオルで絞殺。遺体は掘られた穴に埋めた。冴も手伝ってくれた。

 あの女はとんでもない悪女だ。死んで当然だ。

 遥は微笑んだ。

 遥はどんなものでも巨大化させる魔法を使えた。

 遥は地獄の存在を信じていた。

 遥は幼い頃に殺人鬼に両親を殺されている。

 その殺人鬼は両親の他に7人の人間を殺している。

 香川、アンジェリカ、剴、財津、ライアン、前田……あと1人殺せば地獄で殺人鬼に復讐出来る。

 貴恵を殺したのは遙ではない。貴恵は自殺をしたのだった。

 土手の上から江戸川を眺めていたとき、背後から和正が現れた。

「よくも前田を……」

 遥は元刑事だ。猟銃を持った犯人と対峙したこともある。それに比べれば大したことなさそうだ。

 和正は裏拳打ちを放った。

 裏拳打ちは、空手、拳法などの格闘技、武道、武術で用いられる裏拳(正拳を裏返した形)を用いた打ち技の一種である。突きの使えない至近距離や角度でも、肘のばねと手首の返しで素早く相手を打てる特長がある。

   

 和正の目の前に爬虫類が現れた。 

 遥は尻を振りながら「ドシラソファミレド〜」と歌った。爬虫類は巨大化した。

 爬虫類の正体はムカシトカゲだ。

 ニュージーランドの温帯に生息しており、頭の骨に第3の目がある。その目は視覚としての機能をほとんど果たしていないが、太陽の光から方角や時間を探ることが出来る。つまり、こいつは午後3時だと知ってるのだ。

 怪物は和正を喰おうとしてきた。

 和正は目からレーザービームを出して、ムカシトカゲを倒した。

「私のミクちゃん……ウゥッ……許さない!」

 涙目になりながら遥は突進してきた。

「7人目はおまえだっ!!」

 和正のレーザービームの前に遥は脆くも敗れ去った。

「カズ!」

 後ろから月子の声がした。

「月子!」  

「あのね。赤ちゃん出来た」

 月子は嬉しそうに微笑んだ。

 和正は思い切り月子を抱きしめた。ソフランの甘い香りがした。

 

 

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松戸殺人事件 鷹山トシキ @1982

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