傷ついた男



 ホテルに設えた特別室からは、光り輝く東京の夜景がのぞめる絶好の位置にあった。


 都会が好きだ。

 とくに高い場所から見るきらめく姿は、誰をも邪魔せず、無機質で、そこに人びとが生活しているとは思えない。


「玜介氏の父親が五十歳の時に母親が自殺して、徳岡議員は暴漢に襲われている。それから、五十一歳で父親が自殺、徳岡議員は交通事故。なんだか呪われている双子のよう。二年続けて不幸に見舞われている。犯人は分かっていない。選挙区で夜に知らない男に襲われたと、当時の記録に残っていました。顔を殴られ、歯を折られて病院に運ばれたということですが」

「覚えている? マザーの話、同士に裏切られたと義理の父が言っていたと」

「僕も同じことを考えていました。相手は倉方玜一郎氏だったかもしれない」

「義母の自殺の原因は?」

「それは記録に残っていませんね。当時を知る人に聞いたのですが、わかりません」

「……、本当に随分と動いているのね」

「なにせ、僕はお客様ですからね。仕事は適当に片付けておけば誰からも文句は言われない。暇はいくらでも」

「時々、パソコンでゲームをしていたでしょ」

「見てたんですか」

「ええ、ものすごく忙しくて、構ってられなかったけれど」


 彼は大らかな顔で笑い声を上げると、「参ったな」と呟いた。


「まあ、そういう訳で探偵に探らせました。当時のことを近所に聞いたのですが。妻である塔子の自殺原因は家庭内不和だったらしい。時々、大声で喧嘩する声が聞こえたそうで。主に、玜一郎氏が怒鳴っていたらしいですが」

「家庭内暴力ってこと?」

「いや、わかりません。玜一郎氏はマジメ人間で通っていました。とても生真面目な人だったらしいです。生真面目過ぎて過激になるような人物だったかもしれません」

「夫は生真面目というよりも、豪快なところもある複雑な人だったけれど」

「妻の塔子は大人しい女性だったらしいですよ。無口なタイプ。ただ、奇麗な女性だったそうです。主婦には似合わないような。これも近所の人の印象ですが。残っている写真を確認しましたが、和風美人でしたね」

「だとしたら、その子どもは突然変異ね」


 東雲はにやりと笑った。


「なぜ、DNA鑑定をしたのか」

「なぜ」


 顔を見合わせて了解を得た。まるで共犯者のような関係であり、そこには親密さが存在した。


「自分の親と思えなかったということだろうか」

「でも、なにを根拠に疑ったのかしら」

「だが、結局は本当の父親だったわけですから、問題はなかった」


 確かにそうだ。問題はない。しかし、玜介が問題もなく調査する事の方が不可解だった。

 なにを見逃しているのだろう。

 玜介が帰って来なくなった最初のきっかけが浮かんだ。


 あの午後、産婦人科での検査結果に彼は苦笑いを浮かべただけだった。陽菜子は何も言えなかった。内心の彼の葛藤を推し量ることができず、慰めの言葉が返って彼を傷つけると知っていた。


 その数日後、彼はなんでもない理由で陽菜子を傷つけた。

 何も言い返せずにいると、益々、ひどい言葉を投げつけた。『こんな不味い料理を食べさせるのか、よくそれで妻と言えるな』と、いったようなことで、それが本心ではなく、ただ内に抱える怒りのために吐き出しているようだった。 


 なにか言おうとすると、玜介は期待を込めた表情を浮かべた。責めて欲しかったのかもしれない。しかし、できなかった。


 お互いに傷つけあうことが怖くて、逃げるような関係がはじまったのはそれからだ。


 なぜ、父親との親子関係を調べる必要があったの? 


「それでは、夫が徳岡議員について調べていたことは関係ないのかしら?」

「さあ、どうでしょうか? これは、とても微妙な問題を含んでいます。あまり表面には出て来ない。玜介氏がジャーナリストとしてメスを入れようとしたとしても不思議ではないが、このデータで見る限り、ご主人の関心は過去にあるようだ」

「では、なぜ、わたしが危険だと思うの?」

「週刊誌を読みましたね」


 コンビニで見た、『東雲グループの怪 闇組織とのつながり!』という記事を言っているのだろう。


「ええ」

「あれの内容は、こういうことです。これ以上、この事に関わるな」

「なぜ、そう読めるの? 実際に週刊誌にリークした人物が接触してきたということ?」

「こつ然と、あの記事が出たからです。今、グループは企業買収や、あるいは新しい動きをはじめてない。これは父が、グループ全体を精査して出した結論です。うさん臭いのは、この事件しかない」

「良くわからないわ。というよりも、そういう事があれば、雑誌などで警告が来たりするというの?」

「マスコミが恣意的しいてきなことがある。それはご存知でしょう。それぞれの思惑で記事を取り上げる。今回の記事を書いた三流週刊誌は特になんです。それほど読者がいる雑誌でもない。彼らが記事に取り上げたのは、内容ではなく、取り上げた事自体に意味がある」

「そう」

「つまり、今回の事件は、単なる浮気相手とか、そういう個人が対象ではない」

「では、逆に相手を固定できるわけね」

「そう、逆に相手が固定できます」

「わたしがホテルを出ると危険だと思う訳ね」

「前にも話しましたが、ここは僕のホームグランドです。そう簡単には勝手にさせません」

「そして、あなたのお父様は、そこが気に入らない」

「そうでしょうが……。父が気に入らないのは、もう少し別の理由があるようです」

「別の?」


 頭のなかで警報が鳴り響いた。これ以上、この話題を続けると深みに嵌る危険区域だ。


「父は長い間、この世界で生き残ってきた。地味な形でね。例えばある鉄道会社のオーナー社長のようにマスコミに取り上げられ、フォーブスで世界の大富豪に祭り上げられるような派手なことはしない。だからこそ生き残っている、とても用心深い人間です」

「そう」と、少し上の空で答えた。


 彼の顔がすぐ側にあった。近過ぎると考える前に彼の息づかいを感じ、そして、唇が少し触れていた。


(つづく)

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