第二部

第1章

雑誌記事



 空気が乾燥して急に寒さが厳しくなった。

 時間は平等に流れていく。玜介が遠くなる。お互いに傷つけ合うこともなく表面的な平穏を求めた関係は、絆が細くはかないのかもしれない。


 自宅の後片付けとリフォームを業者に頼む以外には、特にすることもなく、また、なにをして良いのかもわからなかった。


 毎日が無為に過ぎた。

 陽がのぼり、陽が落ちる。それは、ただの繰り返しにしかすぎなくて、水中で動いているように感覚が麻痺して、幻聴のように彼の声が聞こえる。

『ムダ、ムダ、ムダ』とリズムをつけて呟いていた玜介。


 ──ムダ、ムダ、ムダ。




 ホテルのベッドで目を覚まし、自分がまだ生きていることに驚き、そして、所在なく時間を持て余す。


 それでも人は生きている。

 生きていくには必要なものもあって……、

 必需品を買いに銀座の地下街を歩いているとき、通りかかったコンビニでゴシップ系週刊誌のタイトルが眼に入った。


『東雲グループの怪。闇組織とのつながりが発覚!』という見出しに興味が惹かれ手に取った。


 気がついたときには、代金を愛想の良い中年女性に支払っていた。


『……怪物と呼ばれた東雲鴻一郎氏。その子息、実業家として名高い東雲慶一朗氏について、ある信頼できる人間から情報を得た。所謂、闇の組織との業界用語でいう[つながり]である。確たる証拠があれば、グループにとって大きな痛手になるであろう。事情通によると……』


 雑誌の後半ページに見開き記事である。大きな扱いではなかったが、表紙だけだと、闇組織との繋がりを肯定した扱いで衝撃的である。


 実際の記事内容は憶測の域を出ず、確たる証拠があればと書かれている所から、確たる証拠がないとも行間から読めた。曖昧な内容で、あえて記事にするほどでもない。穴埋め記事のようである。なぜこれを掲載したのだろうか。中身を読まなければ誤解するだろう。


 違和感を抱きながら、ホテルへ戻り、ぼんやりしているとノックの音がした。東雲だろうか?


 覗き窓から見ると、六十代前半くらいの白髪の紳士が立っていた。


 チェーンをしたままドアを開け、「お部屋をお間違いなのでは?」と伝えた。

 男は、黙ったまま陽菜子を観察すると、「倉方さんですな」と低い声で言った。


 杖を片手に持っている。人に命令することに慣れた男だけが持つ、ある種の威厳を備えていた。


「ええ」

「東雲慶一朗だが、話ができるかな」


 東雲慶一朗……、慶輝の父親? 先ほど買った週刊誌に顔写真があった。写真で見る彼とは何かが違っていた。圧倒的な威圧感というのだろうか。週刊誌の写真にはそれがなかったのだ。

 驚きを隠せずにチェーンを外してドアを開けた。


「お入りください」

「ありがとう」


 彼は必要のなさそうな黒い杖を使いながら、急ぎもせず、かといって緩慢かんまんともいえない歩調で入ってきた。そして、ソファに座ると、主導権は自分にあるというように杖で正面の椅子を示した。

 彼の正面から腰をずらしてすわった。


「少し相談があるのだが、よろしいか」


 うなずくと彼は唇を軽く曲げた。笑ったのだろうか? 皺が口許に深く入り、顔が歪んで見えた。

 慶一朗は杖に両手をついたまま黙っている。そして、デスクに置かれた週刊誌に視線を落として「読んだかね」と聞いた。


「はい」

「そうか。数日前、その記事がでると、ある方面からリークされた。雑誌を差し止めようとしたが無駄だったようだ」

「そうですか……」

「率直に申し上げても、よろしいかな」

「ええ」

「その週刊誌に書かれていることを問題にしているわけではない。問題は、そうしたことが取り上げられていること、その事態そのものについて話したい。この違いがわかるかね」


 静かに頷くと、彼は右の唇の端を少しだけ曲げて、再びほほ笑んだような顔を作った。


「つまり、なぜ、そうしたことがリークされたか、その理由を想像できるかね、倉方陽菜子さん」


 思いも寄らない質問だ。しかし、そう指摘されて玜介の事件との関連に考えが及んだ。


 はっとして、思わず顔を凝視した。


 彼は陽菜子の事件が原因で、週刊誌が記事を取り上げたと言いたいのか?

 しかし、なぜ? 

 疑問と同時に、姫野の元を訪れたことを不快に感じている人物がいるのかと疑った。もしそうなら、その人物は警告のために週刊誌に記事をリークできる人物なのだ。


「わかったようだね」

「それはわたしの事件が影響しているということでしょうか」


 彼は厳かに頷いた。


「そういうことだ。今回の事件に、息子は深入りし過ぎてしまったようだ」

「それは、犯人をご存知だという事ですか?」

「いや、それは知らない。しかし、こうした掲載記事がリークされる原因はそこにある。あなたのご主人は危険な地雷を踏んだようだ」

「危険な地雷? どういうことでしょうか。なにをご存知なのでしょう」

「なにも知らないよ。わからんかね。何も知らないが、困った事態であることは分かっている。その違いも察することだ」


 彼はそう言うと、コツコツと床を杖で叩いた。


(つづく)

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