パーティ


 玜介は旧知の間柄とでもいう態度で議員と話している。彼が生きているかのようだ。あの……、よく知っている苦虫を噛み潰した、あの……、あの顔で。


 獲物を狙う肉食獣のように、静かに爪を研ぎ澄ませている。


 玜介……。


 ——そこで何をしようとしていたの? それがなんであれ、あなたは死んだ。それでも、その顔でいることに意味のあることだったの? 


 ——わたしに耐え忍ぶことをい、一方で、わたしに冷たくされることを求めた矛盾するあなた。いったい、そこで何をしているの? 



『やあ、玜ちゃん。相変わらず、耳ざといな。何か用かね』

『そりゃ、用がなきゃ、ここにいませんよ。徳岡先生のことで……』

『先生のこと? そりゃ、こわい、こわい』


 声がかき消された。パーティ内で乾杯の音頭をとる声が響いたからだ。


『それで、金が動いているとか、……ね』

『なんだ、そのことかね。まあ、この世界じゃあ常識じゃろうが。公から民、みな金、金、金だよ。玜ちゃん、パンドラの箱が開けたいんかね』

『パンドラの箱ですか、先生。ロマンチストですね。じゃあ、最後に箱に残っているのは……、この黒い世界で何ですかね』

『それがわかれば、奴も安心できるじゃないかね』


 そこで、映像は途切れた。


「これはいつのビデオなの?」

「昨年の夏ですよ。政界も官界もコロナ禍で忙殺された時期だが、彼はパーティを開いて資金集めをした。選挙が近いわけでもなく理由はわからないが」


 文部科学省と徳岡の関係を玜介は調べていたのか。では、父親の自殺とは関係ない?


「何か気づいたことはあるの?」

「いえ、わからない事ばかりだ……」

「徳岡議員は教育関連の族議員だった。夫の父と関係していたのね」

「彼が倉方玜一郎氏と関係していた頃は、左翼系の組合に所属していたようです。その後、組合の力で議員に当選した。しばらくして、立場を変え、まあ、偏向したと言いますか、無所属になった。それから、どう潜り込んだか、文部省の役人と太いパイプを持つことで教育現場に強い影響力を得たのです。万年野党ではありますが、日和見的で、逆説的ですが、その為に重宝されてもいます。ほら、あの壇上にいる男」


 一段、高い壇に男が座っていた。

 ガマガエルのような風貌だと思った。年齢不詳に見えるが八十歳を超えているはずである。


「あの男が徳岡」

「そうです。政界の妖怪とも呼ばれ、隠然たる力を持っている。与党にとっても無視できない存在らしいです。マスコミに名前が出ることは少なく、知名度はないですが、しかし、いろいろな政財界人の弱みを握っていると噂が」

「そう、つまり」

「つまり、外に出ない汚れ仕事をしているんじゃないかと」

「詳しいのね」

「生まれたときから、こういう世界にどっぷりと浸かっていますから」


 東雲の表情に嫌悪感が現れた。


『銀の匙』を咥えて生まれてくる苦労もあるのだろう。普通の人間が見ない大人の世界を幼いころから経験してきたのかもしれない。そういえば、彼の祖父も妖怪と呼ばれた人物だった。


 東雲がキーをタップすると、再び、玜介が画面にあらわれた。

 右端の唇をクイッとあげる、あのあまりにもよく知る皮肉な表情。この画面で話している男は、もうこの世界にいない。


『徳岡先生の口添えがあったと』と、玜介が聞いていた。

『おいおい、玜ちゃん、その事は公にはできないよ。首が飛ぶ』

『それは、もう機密でさえもないですけどね』

『困ったやつだ』


 玜介は笑ったが、目は笑っていない。あの表情をするとき、何かを隠して詰め寄る方法だ。


『先生の自伝を書こうと思っていましてね』

『それで出版できるのかね。別に、特に有名でも知名度がある訳でもない、無所属の一議員に入れこみ過ぎではないのか』


 話し相手は彼に背を向けると別の男に向かった。しばらくして玜介はその場から消えた。


「これがこのパーティで唯一、ご主人が映像で残っているものです。それから……」


 東雲が操作すると、艶やかな女性を横に歓談する徳岡の姿があった。


「この女性。いかにもクラブのママという雰囲気ですが、これが例の姫野という女性です」


 着物姿で徳岡の隣に立つ女は、伏し目がちに周囲を見ながら、掠れた声で笑い声を上げた。着物姿でも裸体で立っているような色香が全身から溢れている。三十歳前後に見えた。玜介を刺すと言って脅したと聞いたが、想像していたイメージとは異なる。


「この人、男に夢中になって、嫉妬から激情して相手を刺す女性に見える?」

「これまた、随分と具体的な例ですね」


 東雲は、んんっと鼻にシワを寄せ、振り返って陽菜子を見た。


「逆なら、つまり翻弄された男が嫉妬から彼女を刺しても不思議はない。そういう印象ですが。しかし、人間というのは予想がつかない」

「そうね。夫の愛人だったと聞いたわ」

「それで……、嫉妬しないのですか? 例えば彼女に文句を言いに行くとか」

「夫の女全員に喧嘩を売るわけにはいかないわ……。自分の気持ちを言えば、彼が幸せなら良かった」

「気の毒だな」

「わたしが?」

「いえ、ご主人です。なぜ、嫉妬しないんです。まるで母親ですね」


 母親?

 彼は視線を外すと、以前も見たことのある傷ついた子犬のような表情を浮かべた。


「失言でした。しかし、もし僕が夫の立場なら嫌かもしれない」

「彼とあなたは違うわ。嫉妬のようなドロドロとした感情を嫌う人だったから。そういうものを受け付けない人なのよ」

「ドロドロは苦手です」

「そうかしら?」

「そういう立場になったことがないから」

「そうでしょうね」

「ともかく、あなたが夫の感情に合わせていたという意味に取れます。何に怯えていたんですか?」


 この会話を止めたかった。これ以上、この狭い空間で私的な会話を続ければ、その先に待っているであろう感情が怖かった。


 怖い? そうではない。面倒だと思ったのだ。


(つづく)

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