不快な質問



 丸の内署に帳場がたった。

 警視庁捜査一課から派遣された篠崎が担当者。きっと、そういうことなんだろうと、頭の片隅で考えた。


「夫の兄弟ですか? 義兄たちには会ったことがないのです。父親が亡くなったときに相続で少しもめたとは聞きましたが。夫に全財産が渡るのは変だと。遺言書には夫を相続人とすると書かれていたので」

「まあ、よくあることですな」


 喉が痛む。空調が効きすぎており、カラカラに乾いている。空咳を繰り返しても、篠崎は無視した。


「それで民事裁判沙汰になりました。法的には、ほどんど夫が遺産を譲り受けるという結果でしたけど。わたしは、その事については詳しいことはわかりません」

「いつのことだね」

「遺産のことは夫が中学生の頃と聞いています」

「ふむ」と、言ってから、書類にメモして、トントンとボールペンでテーブルを叩き顔をあげた。

「ご主人の仕事関係ですがね。月刊ジャパネスクという雑誌の記者だったそうだが……。え〜〜、主に社会的な事件を取材と。そのことで何か聞いたことは?」


 顎を上にあげた話し方は、まるで子どもにでも言い含めるような調子。わざとか、性格なのだろうか。言葉の端々はしばしに、フンッという鼻息が聞こえてきそうだ。

 他人に不快感を与える人は、心の底は優しいなんて弁解は嫌いだ。たとえそれが仕事であったにしても。人は、その表面に出た行動がすべてだと陽菜子は思っている。


「仕事の話は家庭ではしない人です」

「生命保険は」

「保険? ええ、入っていたと思います。保険証は自宅のどこかに……、あったと思います」


 巧みに質問を混ぜてはいるが、このいけ好かない警部補は、陽菜子に疑いを持っていると確信した。


 うつむいていた陽菜子は、はじめて真正面から彼を見た。


 シワの寄った、いかにも平凡な男は、その視線を真っ向から返してくる。するどい目。こういう目を持つ仕事は悲しい。悲しいが羨ましい。独善的であろうとする、その姿に迷いがない。

 夫は、陽菜子が正面から見つめると、必ず視線を反らせた。


「ところで、ご主人は浮気をしていたのだね」


 篠崎の態度が意識的なのか、無意識なのか、更にぞんざいになった。


「ええ」

「相手は? その相手の女性は知り合いかね?」

「いいえ」

「つまり、浮気は知っていたが、相手は知らない。そういうことでいいのですな」


 陽菜子はうなずいた。


「それで喧嘩をした」

「いいえ」

「ほほう、浮気を知って、それでも問い詰めなかった。なぜかね」

「なぜ」と、答えて首を傾けた。


 それに対して明確な答えなど持っていなかった。強いていえば修羅場しゅらばが嫌いとしか言えない。


「そういうことが苦手なのです」

「苦手って問題かな、感情がね」


 篠崎は鼻で笑った。


 彼は陽菜子のような女。つまり仕事で認められている女が嫌いなのだろう。


 世の中に受け入れられない理由は、自分ではなく別にあると考える典型的なタイプかもしれない。多くの人びとは世界が自分を受け入れてしかるべきだと考えている。少なくとも人は自分を認めてしかるべきだと。


 篠崎は無言の圧力を与えるような態度で、鼻を啜った。


 それから、テーブルに置いた袋からナイフを取り出した。

 陽菜子は身構えた。この凶器が玜介の身体を切り裂いたと思うだけで身体が震える。


「これが凶器です。見覚えは?」


 首を振った。常識で考えれば見覚え等あるはずがない。その時、先ほどの疑問が危惧きぐではないと直感した。


「ご主人は……、道角で煙草を吸うために、立ち止まったと言ったね」

「ええ」

「しかし、え〜〜、あなたは立ち止まったことは気付かなかったと」

「ええ」

「ご主人が刺された現場に、煙草の吸い殻はなかったがね」

「吸い殻がなかった?」


 その状況を思い出そうと記憶を探ったが、ぼんやりしている。彼は路地から表通りに出る場所で立っていた。陽菜子は煙草に火を付けたいのだろうと後で想像した。それは彼がよくすることで、とっさにそう考えたのだ。


「いつも夫は煙草の火を付けるとき立ち止まるので、それで」

「では、煙草に火を付ける所を見たわけではないのですな」

「ええ」


 彼の口調すべてにトゲが感じられる。

 それでも、陽菜子は身体をまゆにおおわれている感覚がして、すべてが非現実的になっていく……。今にもドアを開けて、玜介があらわれ、例の皮肉じみた態度で『そこで、一体なにしているの?』と問う気がしてならない。

 そういうトボけた彼の態度が、若いころは好きだった。


「それで、あなたは知らずに歩いて、それから振り返った」

「そうです」

「なぜですか」


 だから何が言いたいのと質問に質問で答えたかった。


「少し腹を立てていたのでしょうね」

「怒っていた」

「ええ」

「ご主人に対して何を怒っていたのだね」


 椅子の背もたれに身体を預けた。そして、しばらく目を閉じた。


「何を怒っていた?」と、篠崎は繰り返した。


 首を振った。そして、視線を上げると彼の顔をみて、穏やかな声になるよう努めた。


「もしかして、わたしを疑っているのですか」


 篠崎は唇をすぼめ、そのままゆっくり横に向けた。そして、わざとらしく両手で口許を押さえた。彼は迷っているのだと思った。否定しようか、それとも肯定しようか。その選択に迷っているようだった。


(つづく)


***


《用語解説》

帳場:捜査本部のこと。

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