第30話
※
「まあ、接近できるのはこのくらいまでかしらね」
池波の声に、海斗は我に返った。前方を見遣るが、水平線がずっと続いているようにしか見えない。未だ猛暑を誇る日差しが漣の上で踊っている。
「なんにもないんじゃないっすか、池波先生?」
「泰一くん、これをご覧なさいな。安物のレーダーだけど、それでもこれだけの船舶が前方に展開してるのが分かる。どう? 見える?」
「うひー、これって全部海上自衛隊の?」
「海上保安庁の船もたくさんあるでしょうね。海外からの調査艇なんかも来てるかもしれない」
「すごい数の船が展開してるのね、ここからは船影なんて見えないけど」
皆の意見を、美希が代弁した。
「あ、そうそう」
「ん? どうしたんだい、華凜?」
海斗が振り返るや否や、華凜は真顔でこう言った。
「私と付き合ってくれない?」
「……は?」
「別に、私があなたの恋愛対象でなければ無理にとは言わないけど」
繰り返しになるが、華凜はずっと真顔である。
「ちょっ、か、華凜⁉ あなた、なんてことを言い出すのよ!」
「そっ、そうだ! そういうもんはちゃんと恥じらいがあって言い出すからこそ効果的であってだな!」
美希と泰一が口々に声を上げるが、華凜には、そして海斗にも聞こえはしない。
華凜の突然のカミングアウトは、彼女がもの知らずだからこそ平然と行われたのだ。だが、華凜ほどではないにしても、海斗もまた人生経験が多いとは言えなかった。ぼっちの本領発揮だ。
「うん、分かった。よろしく頼むよ、華凜」
「それじゃ、よろしく」
華凜の差し出した右手を、海斗はすっと握り返した。しかし、華凜はその手を放そうとしない。
「……華凜?」
「ごめんなさい、海斗。ちょっとこれから先の自分の身の振り方を考えたら……あはは、おかしいよね、膝ががたがたになっちゃって……」
無言で華凜を見つめる海斗。その二人をさらに見つめる泰一と美希。
池波も、操縦桿から手を離して二人に注目している。池波にとっては、こういった展開は想定範囲内だったらしい。
そんな周囲の状況を一切無視して、海斗は言葉を続けた。
「身の振り方を考えなくちゃいけないのは、僕たち四人全員がそうさ」
「えっ?」
いつの間にか下がっていた視線を、華凜はぱっと上げた。
「なあ皆、自分たちがSQから預かった武器、今はどうしてる?」
「武器って、あの金槌か。自分の部屋の押入れに突っ込んである」
「泰一って本当に雑よね……。まあ、あたしの弓矢も部屋の隅に立て掛けてあるけど」
「私の短剣は没収されちゃったけど、きちんと管理されてるみたい」
「それがおかしいと、僕は思うんだ」
皆の頭上にクエスチョンマークが浮かぶ。海斗はぐるりと周囲を見渡し、言葉を続けた。
「もしSQがこれ以上の戦闘を想定していなければ、僕たちに預けた武器は回収するはずだろう? アトランティス文明で発明された未知の物質でできているんだから」
『ああ』と誰からともなく声が漏れる。
「それを僕たちから回収していない、ってことは、まだ戦いは続くんじゃないかな。海底ダンジョンの最下層まで到達した僕たちにしかできない戦いが」
「確かに、SQは言ってたね。アトランティスのエネルギーを世界各地に分散させたって」
「そうだよ、華凜。もしこれ以上戦わずに済むのなら、SQが僕たちに武器を残して消えてしまうはずがない。もちろん、僕たちがこれ以上呼び立てられる事態は避けるべきだ。でも、ダンジョンの発する想念と似た脳波を持っているのが僕たち四人しかいないなら、戦い続けるべきなんじゃないかと思う」
『それが責任だから』――海斗はそう言って言葉を〆た。
「で、でもよ、だったらSQのやつ、それを伝えてから消えればよかったんじゃねえか? 俺たちにはまだ戦いがあるかもしれない、って」
「言えなかったのよ、泰一」
美希が軽く泰一の肩を押す。
「あたしたちはドラゴンの相手で精いっぱいだった。それなのに『まだ戦ってもらう』なんて言われたら、士気は絶対下がってたはずよ。海斗がドラゴンに対峙する心の準備が整わなかったかも」
「それもそうか」
神妙な顔で泰一は俯いた。ダンジョン内で起こったことを思い返し、あまりいい気分になれないのだろう。
だが、海斗はこの事態を悲観してはいなかった。ドラゴンの想念を感じ取っていたのだ――『お前は敵ではなさそうだな』と。
「世界のどこに、あのダンジョンと似たものがあるかは分からないけど、僕は戦うよ。今回のダンジョンの主、ドラゴンだったけど、僕に伝えてくれたんだ。敵意は互いにないんだ、ってね。だったら、他のダンジョンに封印されているラスボスたちも、同じくらいの知性を持っている可能性はある」
『僕は平和的解決のためだけに剣を振るうつもりだ』――そう言って、海斗はきりりと目元を鋭くしてから、こう言った。
「皆、付き合ってくれないか」
池波を含む四人もまた、気難しい顔をしている。だが、今回の沈黙は長くは続かなかった。
「私、海斗と一緒に行く」
そう言って、華凜は海斗の腕に自らの腕を絡ませた。
「ちょっ、華凜!」
「勘違いしないで、海斗、これはおじ様の指示じゃない。私が自分で決めたことだから」
いやいや、そうではなくて。
説明しようとして海斗は眉間に手を遣ったが、結論は実に単純だった。――ま、いいか。
「華凜、僕と一緒にいると危険が及ぶだろうけど」
「構わないよ。海斗は私のヒーローみたいなものだから」
「なあんだ、純正のヒーローじゃないのか」
微かに笑みを浮かべると、華凜はすぐに頷いた。そして顔を上げ、目を丸くした。
「どうしたんだい、華凜?」
「い、いや……今度こそ海斗、嬉しそうな顔をしてるな、って」
「え?」
そこまで言われてしまっては、海斗に逃げ場はなかった。さっきは何とはなしに華凜の手を取ったけれど、これは男女交際の話なのだ。
意識した途端、顔に血が上ってくるのを海斗は感じた。
「やれやれ、若いっていいわね」
池波の言葉は、本人以外の誰の耳にも入らなかった。
THE END
深淵のマリンブルー 岩井喬 @i1g37310
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます