第29話
※
《房総沖で海上自衛隊による謎の演習が行われたとのことですが、あれから一ヶ月、有識者の皆様はいかが思われますか?》
《言語道断ですね》
《と言いますと?》
《不審な点が多すぎます。通常、海自の演習は艦隊規模で行われますが、今回はたった一艦――イージス艦『しなの』によるものです。その後も海自や海上保安庁が現場海域に急行したそうですが、それでは連携も何も取れたものではありません》
「全く、日本も何やってるのかしらねえ」
「あー」
報道番組を観ながら不満を漏らす母親に、海斗は間抜けな声で応じた。自宅のテーブルで、朝食のトーストをかじりながらのことだ。
アナウンサーの言う通り、あれからちょうど一ヶ月が経とうとしている。
どうやら海底ダンジョンや怪物、それにドラゴンの存在は、巧みに隠蔽されたらしい。握り潰された、とも言えるかもしれないが。
軍事評論家の次に、いかにも変人という派手な格好をしたオカルト雑誌の編集者が、甲高い声でいろいろ喚いていた。
が、それもまた事実無根だし、真実からは程遠い妄想の塊を述べ連ねているだけだった。
しかし、現場にいた海斗にだって、まだ知っておきたいことはある。
もちろん、ダンジョンやドラゴンのことは既知の事実。海斗が手にしたかったのは、あの場にいた人々がどんな境遇を辿ったのか、ということだ。
自衛隊関係者、それにあの海洋実習に参加していた生徒たちには、当然ながら口止めがなされた。生徒たちといっても、あの距離からドラゴンを視認できた者はいないだろうから、あまり懸念材料になるものではなかった。
それより問題は、実際に監督にあたった遠山睦と、火器の使用を決断した相模修司。この二人の『その後』だ。
遠山は、全ての責任は自分にあるとして、後任者も決めずにさっさと地位を捨てた。
また、相模は長期休暇を取得し、今後も自衛官を続けるかどうか、まだ判断しかねているとのことだ。
何故海斗がそんな裏事情を知っているのかと言えば――。
「ご馳走様でした」
そう言って空になった皿に向かって手を合わせた直後のこと。ポケットの中で携帯が震えた。着信だ。
海斗はすぐにダイニングを辞して、携帯の画面を見下ろしながら自室に向かった。
「もしもし、華凜?」
《海斗、おはよう。今日のこと、忘れてないよね?》
「当然だよ。泰一と美希は?」
《二人にはもう確認は取ったよ。美希はだいぶ快方に向かってるみたい》
「そう、か」
安堵の息を交えつつ、海斗はベッドに腰を下ろした。
海斗に正確な情報が入ってきている理由は、そう、華凜がリークしてくれているからだ。
遠山が引退するにあたり、一つだけ残した条件。それは『他言無用』の前提で、この事態に巻き込まれた人々――民間人、自衛官問わず――に、密かに情報を開示していく、というものだった。
この海斗と華凜の通話にしても、恐らくは防衛省が開発した暗号化システムによって盗聴は不可能になっているはず。
だが、海斗にはどうしても引っかかるところがある。今回の事象そのものではない。
ずばり『何故華凜はそこまでして情報を提供してくれるのか』ということだ。
華凜が海斗を関係者と認め、遠山の指示に従って情報を提供してくれている――そう言ってしまえばそれまでかもしれない。だが、その是非を電話越しに尋ねるのは無粋であるように思われた。
華凜がここまでまめまめしく情報をくれるのには、有難いながらも違和感がつきまとう。
『今日の予定』を確認し終え、通話を切った海斗は、ベッドから腰を上げて荷物の最終点検を行った。
※
同日午後。
東京から千葉へ電車で出た海斗は、皆と合流していた。皆と言うのは、泰一、美希、華凜、そして池波のことだ。
「おせえぞ、海斗! いてっ! 何すんだよ、美希!」
「まだ集合の十分前よ、泰一。全くせっかちなんだから……」
泰一に肘打ちを食らわせているところを見るに、美希の傷はほぼ全快したといっていいようだ。
「元気そうで何よりだよ、二人共」
海斗がそう言うと、何故か二人はフリーズしてしまった。やや赤面しているように見えるのは気のせいだろうか。まあ、仲がいいことには問題はあるまい。そう海斗は納得する。
「あ、海斗くん! 早かったわね」
「ええ、池波先生。今日はお世話になります」
海斗が池波に会釈すると、残る一人――華凜がにこやかに頷いた。にこやかと言っても、どこかぎこちないわざとらしさが浮かんでいる。
やはり自責の念に囚われているのだろうか。自分がドラゴンの逆鱗を傷つけたことで、ドラゴンに大暴れをさせてしまった、というような。
「さて、四人共揃ったし、行きましょうか」
そう言って、池波はくるりと背を向けた。付近のパーキングへと向かっていく。
ここからは池波の運転で、一旦海岸沿いに出る。それから向かうのだ――件の房総沖へと。
もちろん、海岸に最寄りの駅を集合場所にしてもよかった。だが、敢えて海斗たちは車での移動時間を設けることにした。理由は単純で、一種の精神統一というか、互いの心境の変化を話し合うとか、そういう時間が欲しかったのだ。
だったら、話が外にバレにくい移動中の車内で過ごした方がいい。
「へえ、池波先生の車、大きいんですね」
歩きながら美希がぽつりと言う。すると池波は『レンタカーだけどね』とだけ言ってスライドドアを開錠した。自然と、池波が運転席、泰一と美希が中央の席、海斗と華凜が後部座席に腰を下ろす。
「それじゃ、行きましょうか」
※
パーキングを出てから十分ほどが経過した。
しかし、誰も口を開こうとはしない。やはりあの一ヶ月前の冒険は、そう易々と思い返せるものではなかった。
命懸けでクリアしたダンジョン、大人たちの頭上で渦巻いていた陰謀、自分たちがそれに協力させられていたという事実。
思い出そうとすればするほど、一種のトラウマが形成されていく。
顔を合わせれば、もしかしたらそのトラウマも薄らぐのではないか。そう提案したのは華凜だが――そこには罪滅ぼしの意識もあったのかもしれないが――、実際もたらされたのは沈黙だった。
これでは華凜の気遣いが無駄になってしまう。その時の海斗には、何故かそれが耐え難いことのように思われた。
「あ、あのさ、華凜」
つっかえながら声をかけると、華凜はびくり、と肩を震わせた。
しかし、咄嗟に謝ろうとした海斗を手で制し、『何かしら?』と短く問うてきた。
「大丈夫なのかい? その、君は」
「どういう意味?」
「いや、身分の保証とか、学校生活とか」
「そうだね……」
華凜は顎に人差し指を当てて、淡々と語り出した。
遠山の資金援助を受けながら一人暮らしを始めたこと。学校にはあの事件以降もきちんと通っていること。そして、何かしらの責任を取らされる事態は避けられたこと。
「そう、か」
『それはよかった』とでも言えばよかったかと、海斗は自問した。だが華凜の性格からして、自分で自分を許せずにいるきらいはあるかもしれない。何らかの責任を取らされていると聞かされた方が、『よかった』というのにお誂え向きだったかもしれない。
結局のところ、あの事件は自分に何をもたらしたのだろう。海斗は胸中で呟いた。いや、この一ヶ月の間、ずっと呟き続けていたと言った方がいいかもしれない。
二学期が始まってからも、海斗はずっとぼっち状態だ。人畜無害、というより存在感がない。また、自分自身、世界を救った(かもしれない)という自負もない。
英雄気取りするつもりはないし、逆に面倒だ。まあ、緘口令が敷かれているから、という理由もあるが。
では、ダンジョン制覇及びドラゴンの怒りを鎮めたことは、自分の人生に何の益ももたらさなかったのだろうか? いや、違うな、と海斗は口内で呟く。
世界も他人も相変わらずではあるが、海斗自身は自分が変わったかもしれないと思っている。胸中に温かいものが生じたことは自覚できているのだ。
これが自信というものだろうか? アイデンティティというものの確立に繋がるのだろうか? そりゃあ、ドラゴンと意思疎通をしたのは、この一二〇〇〇年の間で自分くらいのものだろうが。
「さ、着いたわよ」
前方から威勢のいい声が響いてくる。池波が車を砂利の駐車場に停車させる。
そこは、プレジャーボートの貸出場だった。
「元々は華凜さんの提案だったんだけどね。ある程度の沖合に出れば、つまり現場に行けば、皆が現実を見直せると思って」
海斗はそっと、隣に座る華凜を見遣った。そして合点がいった。
これは、華凜のためのイベントなのだと。
彼女だけが罪を問われるのはおかしい。その心細さたるや、想像を絶するだろう。もしかしたら、今すぐでなくとも、いずれ彼女がそうなる可能性が零とは言えない。
だから、自分たちを付き合わせて現場に戻り、現実に立ち向かおうとしているのだ。
まあ、実際の現場は八〇〇〇メートル下方なのだけれど。
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