第22話 秋暁と朝食

 東の山は朝日を背に薄暗い影を落としていた。空は紫色の雲が細長く伸びていた。秋のあけぼのも美しいものだと、青年は窓際のソファで感慨にふけっていた。朝は弱いほうで、今日の目覚めの良さは旅行の興奮がもたらしたものだった。

 青年の目ざめと同じくして、人形もからだを起こした。いつもより早起きなのか、目を半開きにうなっている。枕元に腰をよせ、壁に背を預けてボーっと宙を眺めている。着物に着崩れはなく、寝返りを一つも打たなかったのが見てとれた。


「おはよう、早起きすぎたかな?」


「ごきげんよう。お日様がまだ遠くにありますので。少し調子を取り戻すのに手間取っているだけですの」


 寝起きの、のどが開き切らずに発生する声だった。ガラガラ声が人形には不釣り合いな響きであるのに、青年は目の端にしわを寄せて笑った。


「どうかされましたか?」


「いいや、人間っぽいなと思って」


「……わたくしが言うのも変ですが、そこらの人形よりは人間性を宿していると存じております」


「そこらの人形ねぇ、どの人形も君のように話せないし、一つのからだでそう多彩な表現はできないだろうよ」


「ふふ、そうですわね。ですが、一番大事な部分はそのままですわ。人を愛しているという点は、そのままですの」


 太陽が山から顔をのぞかせた。まぶしさに目を細めながら、人形にからだを向ける。人間に好意があるのは感じていたが、それが何ゆえか、青年は確かめることにした。


「人形ちゃんはさ、きっと人間のことが好きなんだよね。僕たちは君の実態が知りたいから、今回のような旅行をしている。世界遺産を巡るのも、始めて京都に訪れるのも、なんだってサポートするよ。

 それとは別に、君からは人に対して愛情を持っていることが分かった。日本に来て、まだ僕と美来さんくらいしかまともに話はできていないだろうけど、僕は確信している。その愛はどこから来たものなの?」


 青年はゆっくりと抑揚をつけて話した。なにかいい資料になるかもしれないと思いながら、もしかしたらと、別の可能性を考えていた。つまりは青年に異性としての好意を持っているのではないか、そういった下心であった。なにかと肉体的な接触が多かったことが青年を悩ませていた。


 人形は青年を見つめていたが、ふと外の光を眺めた。大きく背伸びをした。着物に描かれた花々が胸部を中心に伸ばされていった。青年は思わず顔をそむける。それをみた人形はおかしそうに笑いながら、しゃくとり虫のように両手両足でからだを移動させ、寝台から降りた。


「お日様が昇ったうちから、わたくしのことを気にかけてくださるなんて。光栄ですわ。ですが、まだ秋暁の刻。空気も冷たいままでは、言葉にも真心の温もりが伝わらないものですわ」


 そういうなり人形は後ろ向きのまま帯をほどき始めた。

 予想外の出来事に青年は固唾かたずをのんだ。起きたばかりの口の中でどこから湧いてきたのか、ごくりと喉を鳴らした。言葉は出なかった。人形が帯を床に垂らし終えると、引き締まっていた着物がふわりと緩んだ。青年はそこで、ハッとして息を吸い、体ごと窓ガラスに向けた。


 目のやり場に困りながら、行きついた先は地上に広がる住宅だった。部屋と外の明暗が逆転していたら、人形の様子はガラス越しに見えてしまっていた。そうなっていたら、青年の悩みはますます深まっていただろう。からだを固くし、こぶしは強く握りしめられていた。


「ご安心ください。お話すべきと思ったら、こちらから申し上げますの。今はわたくしより、ともに古都を楽しみましょう」


 扉がパタンと閉まった。青年は音に反応して振り返ると、人形は帯だけ残して消えていた。脱衣所から服がこすれて、床に落ちる小さい音が聞こえた。シャワーを浴びに行ったと、やや遅れて人形の行動に気づいた。顔をしかめながら崩れるように深く腰をずらした。足も腕もだらけさせ、まだ暗い天井を見やった。新天地の興奮か、仕事に欲を出しすぎたか。青年は言われた通り、京都巡りを楽しもうとほほを両手で叩いた。


 二人はからだを洗い、ISEを出た時と同じ服装に着替えた。ホテルのバイキングが始まる六時半ピッタリに一階のレストラン会場へ向かった。

 昨夜レストランに行きたがっていたので朝食を一緒にとってみることにした。もともとご飯は青年だけがとる予定だった。人形から目を離さないように、おにぎりやサンドイッチなどで済ませようと考えていた。人形が食に興味を持っており、しかも食べられると知り、急きょ予定に組み込んだ。青年としてもせっかくの京都、おいしいものの一つは食べたいと願っていた。


 予想通り、初めの方は他に誰も客はいなかった。青年の後ろを人形がついていく。

 楕円形だえんけいの白い皿一枚と、半透明な丸い皿をトレーに乗せる。炊き立ての湯気を上げてきらめく白米。一口大に切りそろえた野菜を、甘い香りがするルーで包んだカレー。赤色と茶色の福神漬けが用意されており、好みで赤色を選んだ。皿にきれいに盛り付けると、余った皿にはデザートを盛った。フルーツがごろりと転がっており、四角く切られた杏仁豆腐あんにんどうふの二種が混ざった寸胴から均等にすくい上げた。

 人形も青年にならって、同じものを皿によせた。


「おいしそうですわね!お好きなのかしら?」


「ほかにもよさげな食べ物はあるけど、給食の名残かな、トレーを使うとなんだかカレーが食べたくなってね」


 席につき、青年は少し恥ずかしながらも、懐かしむように昔を思い出していた。


「キュウショク?なんですのそれは」


 青年は意外そうに眉を上げた。学校の給食を説明しているうちに、話は昔話にそれた。人形はいい聞き手と見えて、青年は夢中になって少年時代を語り聞かせた。初めて人形がご飯を食べているというのに、それを忘れてしまうほど、人形はよく話を聞いてくれた。

 30分もすると、さすがに数人が朝食をとりに現れた。人形の豪勢な格好に視線が集まる。二人は食事を済ませており、長居は無用と、さっと立ち上がり部屋に戻った。


 一時間ほど、部屋でくつろぎ、外出の準備をした。青年はショルダーバッグを下げた。人形はスマホだけポケットにいれ、他には何も持たなかった。


 玄関先で青年は部屋を見渡した。今日から六日間、お世話になりますと、つぶいた。足元では人形がブーツの靴ひもを結んでいた。結び終えると勢いよくからだを起こし、危うくぶつかりそうになった。あわてた青年は上体を軽く後ろに下げながら、人形の肩に手をかけた。

 人形は口元を手で押さえながら笑い、青年は冗談を言いながら穏やかに笑った。旅の最後までこのような関係が続けばいいと青年はつくづく思った。

 実際はそうはいかず、望まぬ方向に進むのもまた旅行である。しかし、これから起こることはもっと厄介な、明確な意思によって捻じれていくことになる。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る