第21話 人好きな人形

「わたくしは一向にかまいませんわよ」


「そうか、じゃあお互い、なるべく距離を取って、両端で寝ようか」


 青年は大きく息を吸って部屋の照明を落とした。ベッド脇にあるスタンドライトの黄色い光だけが頼りだった。

 宣言通りベッドの両端に沿って、二人は床に就いた。


「楽しみですわ。ようやく京都を巡られるのですね」


「まだ半日しかたってないはずなのにね。もう満足しちゃったよ」


「いやですわ。本番は明日からの六日間ですのよ」


 青年と人形は仰向けのまま、まだ眠れそうにないのか、たわいのない話をしている。青年は初めて部屋に入った時から、この状況を看破みていた。先ほどから胸の鼓動が耳の奥まで鳴らして、かき消すように目をぎゅっとつむっている。

 人形は旅行を楽しんでいるようだった。まだ目的の遺産巡りはしていない。それでもたいそう機嫌がいいのは青年と一緒にいられることだった。情欲の類ではない。対等な存在とバカをする、そんな心の底から解放されたような気分を味わっていた。人形は永劫とも思える時間の中で、人がここまで発展するとは思ってもみなかった。自分が生んだ存在が、自分の手すら届かない場所まで到達するとは考えもしなかった。


「明日からはどこを回りますの?」


「一番近い本願寺、東寺に行って、そのまま西の方にある文化財を見て回る予定だね」


「文化!すてきですわ。」


 うわついたトーンで話す人形に、青年自身ずっと疑問に思っていたことを尋ねた。


「なんで世界遺産が気になるの?しかもわざわざパリにいたのに京都の遺産を見て回りたいなんて。向こうの方が数も多いでしょ?」


「日本のみなさんなら受け入れてくださると思ったからですわ」


「何を受け入れてくれるって?」


「『わたくし』をですわ」


 青年は隣から布がこすれる音が聞こえた。顔だけ音のする方へ向けると、端にいた人形はベッドの中ほどにおり、横向きに青年を見つめていた。背に黄色い光を浴びている人形は、青年との間の暗闇で懇願するような瞳でじっとりと見つめた。口元には何をされても大丈夫といった余裕の笑みがあった。奇妙な色気にあてられた青年は、このままではまずいと思い、再び天井を見た。


「まあ、そうだね、日本人は物に命が宿るっていう考え方はあるかもね」


 人形はなおも離れる様子はなく、じっと青年を見つめている。青年の言葉に目から笑ってみせた。


「それで?目的の方は?なんで世界遺産?」


「それは純粋に気になるからですわ。人類の営みがどのようになされてきたのか、とか」


「はーん、人類の営みねぇ、エマちゃんは人じゃないんだよね?」


「はい、人ではありませんわ」


 実際にこうして結論付けられると末恐ろしいものを感じる。首のあたりの筋肉がピリッと力んだ。続けて何者か聞いても『人形ですもの』と返されるのが落ちだろうと青年は目を細めた。


「文化が好きなのはわかったけど、自然遺産の方は?人類はどっちかというと自然遺産が好きな人が多そうだよ」


「たまに見たくなりますわね。まあ、わたくしとしてはそこまで。やまとさまと見られるのなら話は変わってきますわ。きっと、いいものでしょうね」


 そういうなり、寝息が聞こえてきた。ふっと人形を見ると、ふさふさのまつげを閉じて、体を丸くして眠っていた。人形について、謎は深まるばかりではあるが、少なくとも青年に対しては好意的であった。

 人形を起こさぬようにそっとベッドから降りた。スタンドライトの電気を消し、冷蔵庫に入れておいたミネラルウォーターで喉の渇きを潤した。夜目に慣れてきたころ、窓際のソファに腰を落ち着かせる。カーテンを少しだけずらし、現代の古都を眺めた。秋の夜空は月が煌々こうこうと輝いており、山々は黒々とそびえたって見える。青年がうっとりとした表情を浮かべている後方で、人形はかすかに目を開けていた。


『とくとご覧になられてください、やまとさま。わたくしも、あなた方を見ておりますので』


 青年に悟られぬまま、再び眠りについた。

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