第3話 美少女の間抜け

 ISEの敷地は表門からのみ入ることができた。その唯一の門扉は片開であり、勤務帯は常に開いている。白いワゴン車が向かってきた。敷地の中ほどはまっすぐに進み、つづく環状路を左から右回りに運転し、玄関前で停車した。


 青年は玄関から出たすぐのところで待機しており、同僚女性も上司に電話をかけながら出迎えに来た。青年は自分の鼓動を聞いていた。車が目の前で止まった時、ドクンと一回大きく脈打ち、青年の意識は心臓から車の黒いスモークガラスへと移った。


 運転席から30代前半の男性が降りてきた。スーツ姿にきっちり頭髪を固めた男性は緊張した顔つきで青年らに会釈した。彼は足早に玄関側の後部座席まで移動した。早くこの勤めから解放されてたいという気持ちが一挙手一投足に表れていた。


 ドアが開き、後部座席の中から一体の人形がおのずと出てきた。ドアに両手をかけてゆっくりとレトロな茶色のブーツを地につけた。


「運転、どうもありがとう」


 人形の声はアルプス山脈の水を連想させるような、透き通った声だった。運転手の男性はそれではと手早く別れのあいさつをし、運転席に戻るやさっそうと帰っていった。降りてきた時の緊張は解け、晴ればれとした表情だった。


「ごきげんよう。お会いできまして嬉しゅう存じます。と申します。よろしくお願いいたします」


 人形は青年らに純真な少女の瞳を向けた。表情には人形とは思えないほど自然に、かわいらしくおしとやかな笑顔を浮かべていた。人形だと知らない者には女神に見え、また逆の者には人知を超越した存在に対する恐怖そのものに見えた。


「こちらこそお会いできて嬉しく思います。さっ!ここではなんですから、どうぞ中の方まで」


 青年の声に恐怖の音色はなかった。感動を抑えきれずに漏れた口早な返答だけがあった。同僚女性は見とれて口元が緩んでいた。


 エントランスホールのエレベーターから六階へ移動し、北に延びる棟にある会議室へ移動した。その間、青年は軽い話をしながら人形の様子をつぶさに観察していた。言葉遣いから立ち振る舞いにいたるまで人間と遜色のないものだと思った。


 会議室は入って正面に窓ガラスがありホワイトボードと二つに合わせた机が中央においてあるという簡素なものだった。このISEは人形の研究目的で一年前に急遽作られた。身体検査などの重要な施設の部屋は一階に集約されており、八階中七階が無用の産物と化していた。本部の意向で人形の存在は公にしたくないらしく、奇抜な建物のデザインと無駄な大きさは人形を隠すためだという。それにしてもやりすぎだと青年は感じていた。こういった事情から部屋のほとんどは同じ作りになっている。


「どうぞ~おかけになってください」


 間延びした口調の同僚女性が椅子を引きながら言った。


「恐れ入ります」


 ゆっくり、それでいてはっきりと人形は言った。黒いドレススカートにシワをつけないようヒップラインに手を滑らせながら座った。


 青年と同僚女性は人形に向かい合って座った。これから軽い自己紹介をして互いの理解を深めようと思った。研究と監視が青年らの業務だったが彼らは人形に意思があることを認めていた。自然と人形に対する態度は人間にしてきたことと変わりのない、尊重の上に成り立つものだった。


「では改めて、軽い自己紹介からしていきましょうか」


「恐れ入ります。お尋ねしてもよろしいですか?」


「はい、なんでしょうか」


「お紅茶はいただけませんの?」


 人形の言葉を最後に室内から一切の音が消えた。一呼吸ほどおいて、窓の外で小鳥はちゅんチュンとさえずり、親鳥は力強くはばたきの音を残していった。

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