第3話

 街は北半分が壊滅的な被害を受けていた。

 生き残った住民は全体の6、7割とみていいだろう。


 王太子は自ら隊を指揮して、負傷者の救助にあたった。

 二個中隊がほぼ無傷だったことが大きい。また二日後には北の国から王妃となったザフィーラが自ら隊を指揮してたくさんの食料、資材を持ち込んだ。

 街の族長は心から感謝し、国王と王太子への忠誠を改めて誓った。

 王太子が『砂漠渡り』を撃退したという話が流布され、王都への帰還は1か月以上遅れたが、それ以上の大きな成果を残した。

 大きな二つの問題を残して。

 ひとつはヤミルを失ったこと。

 もう一つは救援に来たザフィーラが帰国の途中で失踪したこと。





『砂漠渡り』との遭遇から半年たったころ、突然ザフィーラがヤミルを連れて帰国した。

 彼女はすたすたと警備を通り抜け、謁見の間の中央にいかにもくつろいだ様子で座ったため、王宮はひっくり返るような大騒ぎになった。

 ザフィーラは、粗末な服をまとい、すっかり日焼けして真っ黒になっていたが、美しい瞳も優雅な物腰も損なわれておらず、むしろまとった威圧感は女王のようだった。

 ヤミルを探して馬を駆り、重傷の彼が動けるようになるまで小さなオアシスで過ごし、キャラバンとともに戻ってきた経緯をサラッと説明する。

「そういう訳で、北の国王には離婚を願う文を出しております」

 生きていたことに喜ぶ時間も与えてもらえず、次々に突き付けられる事実に国王と王太子と居並ぶ重鎮たちは絶句した。

「一番星の方向」という情報のみを頼りに自ら馬を駆って砂漠の果てから死にかけの男を探し出したその情熱の熱量。その上、国王に断りもなく離婚願をだしてしまったその状況。質問の隙も与えない矢継ぎ早の攻撃に、父親の国王も言葉が継げない。

 紙のように白くなって、意識が遠のいているようだ。

 国王が絶句しているのに、誰が何を言うことが許されるだろうか。

 そして最後に、満開の花のような完全な微笑みをたたえてこう言った。

「ヤミルはわたくしのものです」

「は?」

 それは誰の声だったかもわからない。

 数名の鼻の穴からほぼ同時にその音が漏れた。

「ヤミルはわたくしが救い、わたくしが手籠めにいたしました。この国に戻りたいというのでとりあえず連れてまいりましたが、わたくしを迎え入れないのであれば、連れていきます」

 ヤミルはザフィーラの傍らよりやや後ろで、ひたすら平伏している。

 両足を骨折して、片腕を脱臼していたそうだ。半年たっても杖が必要な様子に見える。

 とても自主的に何かをできる様子ではない。「手籠め」という関係性にあるのだとするなら、本当に姫の言う通り食べられたのは彼の方だろう。

 静寂を破ったのは王太子の呵呵大笑だった。

「姉上、おめでとうございます。よくお戻りになりました」

 突き抜けた大笑いのあと、ついでに噴き出した涙を拭きながら姉を寿ぐ。

 隣国の王妃ではなく、姉に対しての態度でさらに重ねた。

「それで、姉上はどのような手を打ってこられたのですか」

「北の国王様は、楚々とした女性がお好みでいらっしゃるのよ。私の代わりに第六王女をおそばに差し上げますと申し上げたら、それはお喜びでいらっしゃったわ」

 第六王女は慎ましい純白のマツリカの花のような女性で、十五人いる王女の中では目立たない。生母の格からいっても隣国の王に差し上げるには些か見劣りすると思われたが、その姫がお好みだとするならば、青空の中心で照りつける夏の太陽のようなザフィーラは好みとしてほぼ対極に位置するだろう。

「それは調べの足りないことでございましたね。父上、直ちに親書をしたため使者を立て、第六王女の輿入れの準備も同時に進めましょう」

 親書には即座に返事が来た。

 離婚を承諾する旨が簡潔に書かれ、新たな婚姻を心から待ち望むこと、ザフィーラに対する変わらぬ友情についてしたためられていた。

 一月も立たぬうちに若き北の国王は自らお忍びで来訪し、吟味の末、やっぱりザフィーラおすすめの第六王女の手を取ってさっさと連れて行ってしまった。



 負傷から一年以上たって徐々に回復しているが長距離を歩くことは難しいようだ。

 それでも彼の表情は穏やかで、明るい。

 誰とも夕食を共にすることがなかったヤミルが、今は視察旅団の皆と酒を飲むほどになった。

「ヤミル様は『砂漠渡り』の弱点をご存じだったのですか」

 出世して大隊長を拝命した当時の中隊長の質問に対し、ヤミルは首を横に振った。

「幼かったので記憶は曖昧でしたし自信はありませんでした、むしろ自分だけは助かるつもりだったのですよ」

 そのように軽口を叩いたが、まさに身を呈して王太子の命と、街の七割の命を救う判断をしたのは彼であること旅団の皆はよくわかっている。

「引っかかっていたのは袖のようですね。腕が引っ掛かっていたなら肩から千切れて死んでおりましたでしょう。それでも脱臼しておりました。両足から天幕に突き刺さりましたので、足の骨は粉々だったようです。それを整復師が治療してくれましたが、身動きできない状態で眠れないほどの激痛でございました。そんなとき、ザフィーラ様が突然枕元に降り立たれたのでございます。私は死んだんだと思いました」

 聴衆は絶世の美女が優しく癒してくれる話を期待した。

 予想あるいは期待に反して、降り立った女神は寝たきりのヤミルを渾身の力でぶん殴ったという。

「脳天から足先まで雷に打たれたかと思いました。神経を直撃する激痛でございました。軽く気絶しました。息ができないほど痛かったです」

 酒が回りきっているのかふふふとご機嫌に笑う。

「私が姫を手に入れるなどと考えるのがおこがましいのだと、腑に落ちたのでございます。私が姫の物になり、いずれ姫にたたき捨てられるのだと思ったら、なんだか頭が全部整理できてスッキリして」

 そのような経緯で、姫に応えたのだとややあけすけに彼は話した。

「私が帰国したいです、と申し上げたら、戸板に乗せられて北の国まで連れていかれました」

 帰国した時になされたのとまったく同じように、夫と居並ぶ重鎮と兵士たちの前で「これがわたくしの恋人です」と紹介され、憤った近衛兵にすんでのところで斬り捨てられるところだった様子を面白く語った。

「ここ一年で一番死に近づいた一瞬でしたねえ」

 斬りつけられたついでに病院に収容され、改めて手厚い骨折の治療を受けている間に、当時王と王妃だった夫婦は円満に離婚し、希望する相手と再婚するための作戦を練ったようだ。


「考えれば、私はずっとさみしかったのでしょう」


「皆さんは私と同じ『砂漠渡り』。私は独りだけの『砂漠渡り』ではなくなり、私の故郷はこの国となりました」

 ヤミルはくるんと丸まって、ひざを抱えた。

「だから私は生きていける気がするのです」

 小さく呟いた最後の息が深くなり、すうすうと寝息を立てて寝入ってしまった。

 召使が彼を部屋まで運ぼうとするのを王太子は制した。

 もう少しすれば、世話女房を気取る最強の女性が彼を迎えにやってくるだろう。


 冴え冴えと青く、くっきりとした輪郭を描いて月はまばゆく輝いていた。

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砂漠渡りと長月 錦魚葉椿 @BEL13542

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