第四話 こんにちは、私のあるじ様


 台所に向かう途中に朝餉あさげを食べ忘れていたことに気づいた私は、過去最速で食べ終え、食器を持って台所に走った。行儀は悪いが、この満ち満ちたやる気を失うわけにはいかない。

 食器を洗い終えるなり、私は早速準備に取り掛かった。


餡子あんこは、えーっと、小豆あずきがいりますね」


 私の料理は、全てが。調理も味つけも、その場で思いついたことをやるだけ。たまに失敗することもあるが、それでも、大抵はまるで誰かに教えてもらったかのような美味しい料理ができあがる。

 違和感を覚えたこともあったが、美味しく作れるから無問題もうまんたい


 そして、料理の材料は大体が屋敷横の倉に置いてある。校倉造あぜくらづくりの倉は古いが、風通しが良くて食物の保存にはぴったりだ。

 知らぬうちに食物が増えているのを見ると、先生が街や配達員から買って集めてくださったのが分かる。数も種類も豊富だから、なんとなくの料理でもやりがいを感じる。

 私はそれをとても幸福なことだと思う。


 日常が幸せだと、心の底から思えるんです。

 熱中することがなかったから、嬉しいんです。楽しんで料理して、胸を弾ませながら配膳できるなんて、幸せな日常じゃありませんか。

 ……と、先生に感謝した日は数知れず。


 私は思いせながら、倉から必要な食べものを引っ張り出した。


 袋を片手に倉から出ると、ひんやりとした冷気が私の頬をでる。反射的に身体が震えた。


「ううっ、今日は冷えますねー。朝はあんまり寒さを感じなかったんですけど……一応、お布団もう少しあついのに替えましょうか」


 寒いけれど、冬は私の大好きな季節。


 私は縁側に上がってから、くるりと中庭を見渡した。

 庭には、私のお気に入りの椿の木を含む草花がたくさん生えている。特に冬に咲く花の美しさが目をくのだ。真っ白な竹林の中で芽吹く色彩が視界をおおう風景は、感嘆せざるを得ない。

 夜は空から降り注ぐ淡雪あわゆきの欠片が月明かりを反射し、幻想的な煌めきを生み出す。そんな冬の空を初めて見た時の感動と景色は、今でも私の網膜もうまくに焼きついている。


 ……でも、感動するのは後にして。


 まずは先生のために餡子あんこを仕上げなければ。

 台所に着いてから、私はなんとなくで料理を始めた。小豆あずきを混ぜたり、鍋に火をかけたり、所々で水切りしたり。作業は目の前で手際良く、あっという間に終わる。

 炊事と掃除は無心でやれるから、私は家事の中でこの二つが特に好きだった。


「あっ、あれも入れなきゃ」


 私は作った餡子に一手間加え、軽い足取りで先生の書斎へ走った。






 お盆を持って書斎の前に立ち、すぅと息を吸う。反応は分かりきっているが、この瞬間は慣れない。

 

「先生、今よろしいですか。昼前で申し訳ございませんが、ご所望の餡子あんここしらえました。せっかくなので、味見をお願い致します」


 私の声がむなしく廊下に響いた。

 反対に、書斎はしんと静まり返っている。

 反応がないのはいつものことなので、私は躊躇ためらいなくふすまを開けた。改めて声を掛けるが、書斎の奥で腰を丸め、頭を抱えた先生は振り向きもしない。


「先生、お邪魔します」


 敷居越しきいごしに私は三度目の声を掛ける。

 ふすまを開けて声を掛けて、ようやく先生は「お前か」と振り返った。


「私以外いませんよ」


「どうだかな。小動物の可能性もあるだろ?」


「?小動物は人語を話しませんよ。話したら怖いじゃないですか。……でも、そういう子供心をお忘れになってないのが本当愛らし……こほん。いえ、そんなことおっしゃるなんて、先生疲れてるんじゃないですか」


「はぁ、そんなわけあるか。良いからさっさと入れ」


 許可が出たところで部屋の敷居しきいまたぎ、私は先生の後ろに正座した。背中を丸めていた先生は鉛筆を置き、くるっと身体の向きを変えて私に向き直る。


 先生が自発的に机から離れるなんて、珍しい。余程よほど甘いものが食べたいようだ。私は笑いながら、先生にお盆を差し出した。


粒餡つぶあんの白玉添えです。是非食べてみてください」


 お盆の上を見るなり、先生は目を丸めた。


「なぜ白玉?」


餡子あんこと白玉は相性抜群なんです。騙されたと思って、是非一緒に食べてみてください。絶品ですよ」


「あ、嗚呼、そうだな」


 先生は一瞬躊躇ためらって、お皿に手を伸ばす。


 もしや先生は白玉が苦手なのでしょうか……?


 私が一人でハラハラしていると、先生は察したのか「白玉は好きだ」と不意に言った。


「だが……うん。まさか餡子あんこと白玉を合わせるとはな。その発想はなかった。お前の料理にはいつも驚かされる」


「そんな……せ、先生……褒め過ぎです……」


「褒めたつもりは微塵みじんもない」


「それでも、嬉しいです」


「はぁ」


 先生は慣れた手つきで餡子あんこを崩し、白玉と共に口に放る。そして、もぐもぐと無言で咀嚼そしゃく。相変わらず表情は変わらない。


「では、僭越せんえつながら私も」


 私も先生に続いて餡子あんこを食べる。

 ほろりと口の中で溶ける食感と、形の残った小豆の歯応はごたえが程良く混じっていた。先生の希望通りに美味しくできたと思う。


「美味しいですね。我ながら天晴あっぱれです」


 私は口を動かしながら、さりげなく先生を見遣る。先生は黙々と食べ進めていた。


「先生、美味しいですか?」


「……うん、まぁ、甘さも硬さも私好みだ。よく半日もかからずにこれほどのものを作れたな」


 「美味しい」とは言わなかったが、先生なりに褒めてくれているのがすぐに分かった。素直じゃない先生の言い方でも、私にとってはとても嬉しい褒め言葉。

 むずがゆくなって、私は頬に手を当てた。


「ふふ、滅相もないです。料理は得意ですから。昼の用意は、おろそかにしてしまいましたが」


「む、それは悪いことをしたな。せっかくの準備が台無しになるんじゃないか?」


「えっ?い、いえ、全く!昼は昼ですし!お菓子作りも悪くない、って思えましたし……えっと、いただきますっ」


 不意打ちの優しさは駄目です、先生。


 照れ隠しに私は白玉を頬張った。一口大の白玉はもちもちしていて、私はすぐ、その食感のとりこになって思考が停止する。同時に餡子あんこを食べると甘い風味が鼻を抜けて、より一層美味しく食べられる。餡子あんこの引き立て役として入れたのに、白玉が主役の如く主張をしてきた。

 これでは本命で餡子あんこを練ったのか、白玉をこねたのかが分からない。


 一応どちらも先生のためではあるんですが……。


 果たして先生はどちらを楽しんでいるのか。悶々もんもんとして、お盆を床に置くついでに横目で見ると——案の定、無表情。


 先生はなかなか表情が変わらないですよね、と心の中で泣くと沈黙が耐えられなくなって、考えなしに口を開く。


「そ、そういえば餡子あんこって、昔誰かに作ってもらったことがあるんですよね」


 意外にも先生は箸を止め、私に顔を向けた。先生の顔は真剣そのもので、直視できなかった私は一瞥いちべつで済ます。


「つ、作ってる時、とっても懐かしい気持ちになったんです。料理の時はあまり感傷にひたりませんから、不思議で不思議で」


「——……そうか。良かったな」


「ええ、はい。記憶の中の私は、すごく楽しそうだったんですよね、三つ編みの女の人と並んで鍋を回して、白玉粉をこねて……ふふ、もしかしたら私の中で一番綺麗な記憶かもしれないです——って、先生?」


 先生は私の話を聞きながら、わずかに目の輪郭りんかくを歪め、眉根を寄せた。表情の変化は一瞬だったが、私の不安に繋がるには充分過ぎる変化だった。


「わ、私何か変なこと言いましたか?」


「なんでもない。続けろ」


 先生は今度は無表情で言った。と言うより、吐き捨てた。

 また私は先生の気に触ってしまったらしい。やること全てが裏目に出てしまう。何故、私はこうも空回りしてしまうのだろう。先生を不快にさせるなんて——。


 ——……不快?


 自分の反省に違和感を覚えて、私は先生を見上げた。先生の表情は変わらず、瞳の奥まで冷たい。

 気を取り直し、改めて私は頭を下げた。


「いえ、申し訳ございません……黙ります」


「そうか」


 先生は甘味を食べ終わると、お盆の上にお皿を戻した。


「お前の作る餡子あんこも、なかなか悪くなかったよ」


 そして身体の向きを変えて、私に背中を見せる。


「さて。美味しいものも食べたし、午後からも仕事に励むとするか」


「……でしたら、私はここらで退散しますね?先生の邪魔をするわけには、いきませんから」


「そうしてもらえると助かる」


「では、また昼時にお声掛けします。それとも、昼餉ひるげも食べられませんか?」


「嗚呼、そうだな。昼も夜も要らん」


「承知しました。くれぐれもご無理はなさいませんよう。必要でしたら、いつでも私を呼んでください」


「分かってるさ」


 先生はそれっきり口を開かなかった。

 先生が早く集中できるように、私はお皿を二つとも下げる。見られてないが一礼し、静かに部屋を後にした。


 台所に戻りながら、私は違和感を振り返ってみた。先生が一瞬見せた表情。私は、似た笑顔を一度だけ見たことがある。


 忘れもしない。

 あれは、私を拾った時のお顔だ。


 一見すると悲しそうで、でもよく見ると残念がってるようにも、困っているようにも捉えられる複雑な表情。拾われた時以外では見たことのない物憂げな表情。

 ……私の心が最も痛む表情。


「先生、何が悲しいんですか。それとも何か怒ってらっしゃるんですか。私は、一体何をしてしまったんですか」


 廊下に響いた私の疑問は、誰の耳にも届くことなく、やがて雪のように消えた。


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