第8話 恋

 夜空を切り裂き、電撃の呪術は、先頭に立つノーザンオーガの槍を弾き飛ばす。


「ガアァッ!?」


 突如として得物を奪われたノーザンオーガが、肉食獣を思わせる、怒りの声を上げた。


 同時にテレンスは、ものも言わず、崖の斜面を勢い良く滑り降りる。


「テレンスさんッ、無茶せんといて下さい!」


 エイダンは崖から身を乗り出した。その服の裾を、ノッバが慌てて掴む。


「危ねえちゃ癒やし手。悔しいが、あいつの剣は強いがいぜ。オーガの集団でも追っ払えるちゃ!」

「いんや、無茶です。さっきの一発が、多分最後の雷です」

「……んなぁ!?」


加護剣アミュレットソードは、そがぁに万能でもないけん。魔術士でない人が使えば、剣からすぐ魔力が失せるし、使い手も消耗します。多分、『母なる樹』みたぁなでかいもんは、あれじゃ壊せませんよ」

「じゃあ、あいつ、最初からハッタリかましとったがいけ!?」

「まあ、そうなけど……」


 オークを相手にハッタリ一本。確かに小悪党ではあるが、大物の小悪党と言ったところか。称賛している場合ではないが。


 エイダンは崖下を覗く。

 ノーザンオーガの一体に、テレンスが短剣で斬りかかった所だった。

 暗闇の中、稲妻に目をかれ、オーガ達は反応が遅れた。そこに、頭上から不意打ちで剣を振るわれたのだ。


 上手く隙をついたテレンスは、短剣の刃先を、先頭のオーガの腕に突き立てた。……だが、浅い。相手の皮膚が、あまりに頑丈過ぎる。

 早くも、態勢を立ち直らせたノーザンオーガは、流血をものともせず、テレンスの身体を片手で打ち払った。


「ぎゃッ!?」


 テレンスが崖面に、勢い良く叩きつけられる。


「ああ、いけん!」


 あれこれ考えを巡らせる猶予ゆうよもなく、エイダンはテレンスの滑り降りた斜面に、足をかけた。

 その横を、ノッバが落下に近い勢いで追い抜いて行く。

 崖の途中で、ノッバは斜面を蹴り、手近なノーザンオーガの頭に抱きつくような格好で、体当たりを喰らわせた。


「うおおおおっ!!」

「グァ!?」


 体格でまさるとはいえ、予想もしない重量が頭上からのしかかっては、耐えようもない。オーガは地面にべしゃりと押し潰された。


「お前っ……何して……!」

「まっでワケ分からんが、グェンラーナ様と村が危ないちゃあ! お前だけに任しとけるかぁ!」


 責める口調のテレンスに対し、ノッバが乱暴に言い返す。


 ノッバに比べるとモタついたものの、どうにか地面に降り立ったエイダンは、先程テレンスがオーガの手から弾き飛ばした、折れた投擲槍ジャベリンを拾い上げた。

 テレンスの眼前で、オーガがとどめを刺そうと身構えている。その背後に走り寄ったエイダンは、相手の膝裏を薙ぐように一撃を入れた。


 ……『膝がカクッとなってチクリとした』くらいのダメージはあったのだろうか。オーガが怒りの形相で、こちらを睨む。


「どっ……どうも」

「グラァァ!!」


 真正面から、槍の一突きが迫った。

 エイダンは辛うじて、手元の槍で受け流したが、元々半ばから裂けていた投擲槍ジャベリンは、粉砕に近い状態となる。

 両肩が抜けるかと思うような衝撃に、エイダンの身体は吹っ飛ばされ、背中から地面に転がった。


「このやろっ――」


 テレンスが短剣を振り回す、その横から、オーガの一体が投擲槍ジャベリンを投げつけた。

 先端に氷塊を備えた、『呪魂凍結フリージング』を施された物である。高速で飛来した鋭い氷の刃が、テレンスの二の腕に突き刺さる。


「うぁッ!?」


「いってて……テレンスさん!」


 くらくらする頭を振って、無理矢理身を起こそうとしたエイダンの前に、ノーザンオーガが立ちはだかった。喉元に、槍先が突きつけられる。


「癒やし手ぇーッ!」


 ノッバが絶叫するも、彼は他のオーガと取っ組み合っている。とても助けには入れない。


 暗闇の中、オーガの赤く濁った両眼が、殺意にぎらつくのが分かった。


 ――ばーちゃんごめん、孫不孝をします。


 とエイダンが、胸の内で故郷の祖母に謝罪し、精霊王に祈った時――


 唐突に、地面が揺れた。


 地鳴りのような何かが近づいてくる。これは、足音だ。

 エイダンは首をもたげ、獣道の彼方を見つめた。坂の下から、誰かが物凄い勢いで駆け登ってくる。


「……グェンラーナ?」


足音の主に気づいたテレンスが、彼女の名を呟いた。


「だりゃあああああああ!!」


 雄叫びと共に、視認する暇もない程の猛スピードで、ノーザンオーガの集団の中へと躍り込んだグェンラーナは、突進の勢いを落とす事なく両腕を広げ、その腕を二体のオーガの胴体にぶち当てた。


 世に言う、ラリアットである。


 二体のオーガは、四頭立ての馬車にでもねられたかのように吹き飛び、仰向けに地面へと叩きつけられた。


「おらんテレンスに、何しくさんがけぇコンダラがあァァァァァ!!」


 グェンラーナが怒りの咆哮を上げ、更に、エイダンの前に立つ一体の、顔面を掴んで投げ飛ばす。


「グェンラーナ様!」


 ノッバが彼女に呼びかけ、俄然、やる気に満ちた様子で戦いを再開した。


「グェンラーナ様に続けェ!」


 空気を揺るがすときの声が響く。

 オークの集団が、坂の下から、丸太やら斧やらを手に、こちらに突撃してくるのが見えた。


 立て続けに予想外の事態が起き、浮き足立つノーザンオーガ達に対して、回遊魚の群れのように一塊ひとかたまりとなったオーク達が、どうっと押し寄せ、真正面からぶつかる。

 次々と、オーガの巨体が薙ぎ倒された。


 かれないよう崖下に避難したエイダンの目の前で、猛獣の遠吠えの如きオークの勝鬨かちどきが、シリンガレーンの山々にこだました。



   ◇



 夜半をとうに過ぎた頃。

 ノーザンオーガの盗賊団は皆逃げ散り、あるいは山の崖から落ちてしまい、峠の獣道には、オーク達とエイダン、テレンスだけが残っていた。


「テレンス――!」


 槍の攻撃を受けた腕を押さえ、うずくまっているテレンスに、グェンラーナが駆け寄る。


「ああ……おらの、わたしのテレンス! しっかりして!」

「グェンラーナ……治ったんだな? 良かった」


 蒼白な顔色で、呪術の影響により動きが鈍りつつあるが、テレンスはグェンラーナに笑顔を見せた。


「ええ、すっかり治った……だからこうして駆けつけたのよ。貴方もきっと助かる」

「はは。こういう時さ……人間の書く冒険物語では、定番の展開があるんだよな」

「……なに?」


 グェンラーナがテレンスに顔を近づけ、耳を傾ける。


「乙女のキスで、呪いが解ける、って奴……王子のキスだったかな? とにかく、そういう奴だ」


 冗談っぽく、テレンスは口角を吊り上げたのだが、グェンラーナは彼を抱き上げ、その唇に、躊躇わず唇を押し当てた。

 長々と――エイダンやオーク達が呆気に取られる中で――グェンラーナとテレンスは、重なり合ったまま静止する。


「……呪いは解けた?」


 僅かに顔を離したグェンラーナが、熱の篭もった声音でテレンスに囁きかける。

 しばらく、面食らった様子で目を瞬かせていたテレンスだったが、やがて彼は、グェンラーナの背を抱き止めた。


「ああ……解けたとも。今なら、何だって出来そうだ!」


 二人は再び、熱烈に抱き合い――


「あのう……」


 ――そこに、エイダンが口を挟んだ。


「すまんのですけど……それじゃ呪術は解けませんけん、早めに治癒術をかけんなぁです」


 テレンスが彼を、渋い顔で見上げる。


「お前って、ほんと野暮やぼなのな。田舎者」

「治癒術に出身地は関係なぁです」


 エイダンは口を尖らせた。


「そういう事じゃねえよ」

「呪術は、症状が進行する前の応急処置が大事じゃとも言います。さあはよう、さっきの泉に」

「彼は、わたしが連れて行くわ!」


 そう宣言したグェンラーナが、テレンスの背と膝裏に腕を通し、立ち上がりかける。


「いんや、グェンラーナさんは、怪我しとるし妊婦さんだけん、あまり力仕事は」


 エイダンが手助けをしようとするも、彼女は訳もない風に、テレンスの身体をひょいと抱え上げた。


「……あ、あんがとうございます……大丈夫そうじゃね」


 解呪は出来たが、肩の怪我の方は、一度の治癒術では完治させられなかったはずだ。しかし、もうほぼ痕跡も分からなくなっている。

 オークは体力に富み、人間より遥かに自己治癒力が強いと、聞いた事はあるが。どういう身体をしているのだろう。


「ほんなら……」


 エイダンは、ノッバや他のオーク達の方を振り返り、大声で呼びかけた。


「他に、怪我しとる人おったら、重傷の順に並んで下さい! ――そういやあ、ディクスドゥさんは?」

「戦士長は、子供や家畜らを逃がす部隊を率いとるちゃ」


 肩と額に裂傷のあるオークが、エイダンに歩み寄って答える。


「怪我したもんはおるが、皆、命は無事がいぜ」

「そらぁ――良かったです。ほんまに」


 大分疲れきってはいたが、その言葉にエイダンは、我知らず、安堵に顔を綻ばせた。

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