第5話 オーク
「我が妹、グェンラーナである」
ディクスドゥは、寝床に横たわるオークの傍らに、膝をついて宣言した。
――でかい。
それが、エイダンの率直な感想である。
ディクスドゥの身長は、目算でざっと二ケイドル半だが、妹のグェンラーナは、彼より頭一つ分は大きく見えた。
男性のオーク達と比べると、下顎から突き出した牙はごく短い。鼻筋もやや細く通っていて、人間の感覚からすると、『整った顔立ち』に近く思える。
ただし、筋肉量は男性と遜色ないか、もっと逞しい。両胸が大きく張り出しているが、胸筋なのか、人間の女性と同じ特徴なのか、よく分からない。
その胸から右肩にかけて、包帯が巻かれていた。
呼吸音は聞こえるが、瞼は閉ざされ、意識がないようだ。
「この、右肩ん所を怪我しとるんですね?」
「そうだ。これが凶器だったと、テレンスめは言っていたが」
布にくるまれた細長い何かを、兵卒のオークが掲げてみせ、ディクスドゥがそれを受け取る。
取り払われた布の中から現れたのは、ずっしりとした、丸太に近い木製の棒だった。一応、削って加工されたような痕跡があるが、ごく原始的な技術によるものと思われる。
「……テレンスさんが?」
「数日前、ぐったりとしたグェンラーナと、あのテレンスと名乗る人間が、村の近くで見つかったのだ」
ディクスドゥは、苦々しげに語った。
「グェンラーナは、いずれ我が一族の
「ごっ……ごうげな話ですね」
「うむ。今は亡き、我が母も長であった。オークの女は平時であれば、どんな敵にも遅れを取りはせん」
オークの族長には、通常女性が就任するものらしい。
女性が稀少で、しかも母体から生まれるオークには特別な力が備わっているとなると、母へのある種の崇拝や信仰が生まれ、母系社会が形成されるというのは、なるほど、ありそうな話だ。
社会科目全般が好きなエイダンは、自分の置かれた状況を忘れて、異種族ならではの文化形態に、興味深く感心した。
「……その
どん、と辺りを揺るがす勢いで、ディクスドゥは拳を床に叩きつけた。エイダンは危うく転びそうになって、我に返る。
「申し開きもなく逃げたという事は、すなわち……テレンスこそが、グェンラーナの
「そうとは限らんですが……」
何の関係もないエイダンでも、今すぐここから逃げ出したいとは思っている。どうにか冷静さを保っていられるのは、この場に自分の診るべき怪我人がいるからだ。
「とにかく、ちょい、診断させて貰います。新しい包帯と、消毒に使えるような……強めの蒸留酒とかがあれば、用意をお願いします」
グェンラーナの傍ら、デクスドゥのすぐ隣に
「それと、風呂も。患者さんがゆったり入れるくらいの、湯船があるとええです」
「風呂?」
「治癒術に使うけん」
眉をひそめるデクスドゥの前で、打って変わっててきぱきと、エイダンは水鉢で手を洗い、グェンラーナの包帯を
◇
「えっ!?」
思わず、エイダンは声を上げた。
包帯を解いた下、グェンラーナの右の肩口には、ごく浅い傷があった。
治癒術を使わなくとも、清潔と安静を保っていれば、じきに塞がりそうな程度の切り傷だ。
ただし、その傷の周囲には、薄く氷が貼りつき、霜を伴って、肩の皮膚を凍てつかせている。
呼吸もしているし、脈拍も確認出来るのだが、まるで胸から上だけが、凍死体となったようだ。
「これは、呪術……『
「我々オークには、魔術は分からん。オークの『癒やし手』というのも、もっぱら薬草の知識や、縫合技術を持った者の事を指す。生憎と、この村には今いないのだが」
エイダンの言葉に、ディクスドゥは仏頂面で首を振る。
「こういう卑怯な力を使うのは、人間であろう」
「いんや、どうでしょう……さっきの、木の棒が凶器っちゅう事でしたよね? あんなんで刺しても、こんな傷にはならんですよ。先端は丸いし、
「あの棒の先端は、鋭く凍てつき、刃となっていたのだ」
ディクスドゥが、グェンラーナの肩口の患部を指した。
「丁度、槍の穂先のように。氷の刃自体は、数日で溶け消えてしまったが、突き刺さった断片は取り除けず、ああして未だ皮膚に貼りつき、呪いを広げている」
「消えた?」
エイダンは驚いて
つまり、金属や木に呪術を封じ、
それは、膨大な魔力を必要とする力技だ。
しかも、それほどの強力な魔術を使いこなしながら、魔術を
最初に見た時は、何か分からなかったが、恐らくあれは、
ただし、普通の人間が投げられる重量ではない。少なくとも、エイダンには無理だろう。
……どうも、話がちぐはぐではないか。
「ほんまに人間技かいなぁ……」
首を傾げつつも、エイダンはグェンラーナの容態を、引き続き診断しようとした。
「失礼します」
と断って、胸から下に掛けられた毛布をめくり、手首でも脈を取る。それから、胴体の体温を確かめた。
「あ、これって……」
ひとつ呟くと、注意深く、腹部に触れる。ややあって、彼はほっと息を吐いた。
「どうなのだ。治せそうか?」
横で、じりじりと様子を伺っていたディクスドゥが、牙を剥いて問い質す。怖い。
「うん……多分。『
「ほう。それでお前達、ユブネとかいう物は、用意出来そうか?」
ディクスドゥは、テントの入口で待機する兵卒達の方を振り向いた。
先程から、彼らは手洗い用の水を用意したり、包帯や消毒用の酒を持ってきたりと、入れ代わり立ち代わり、忙しく働いている。
「戦士長、グェンラーナ様の浸かれるような容れ物は、なかなか難しいがいちゃ。そんだけの大量の水も、すぐには……」
「『
困り顔の兵卒の横から、ノッバが口を挟み、
「グェンラーナ様を墓に入れる気け!?」
「ふざけんなま!」
と、頭を
エイダンは、目を瞬かせた。
シルヴァミスト人は無類の入浴好きだから、どんな小さな村落にも、湯船の一つ二つはあるものだ。この国にいる限り、どこでもそうだと思っていたが――まさか。
「あの、ひょっとしてこの村には、湯に浸かるっちゅう習慣がなぁですか?」
「ない」
至極端的に、ディクスドゥは答えた。
「風呂ならあるぞ。岩屋の中を暖め、蒸気で満たして、汗と垢を出した上で冷水を
「ああ、蒸し風呂」
「その形の風呂では、お前の治癒術とやらは使えんのか」
「……出来なくはなぁかもしれんですが、どの程度の効き目になるか……それと、蒸し風呂には他の心配事が」
「いや、あい分かった」
言い募るエイダンを、ディクスドゥが押し
そして、やにわに彼は立ち上がり、兵卒達へと告げた。
「湯船なら、ある。『母なる樹』の泉へ向かうぞ。グェンラーナと癒やし手を連れて!」
その場に集まったオーク達に、動揺が広がり、皆が顔を見合わせる。
「戦士長! 『母なる樹』のもとに、人間を連れてくんけ!?」
「しかも、あの泉で魔術を使わせると!?」
「次期族長の危機なのだ。大いなる祖先の霊も、許して下さる!」
ディクスドゥの決意は、固い様子だった。
エイダンは遠慮がちに挙手をして、質問を試みる。
「ええと……どこへ……? 俺が行ったら、なんか、やれん所ですか?」
「気にするな。別に、人間を踏み入らせてはならん、という掟はない。勝手に踏み荒らした人間は、大体首をねじ切ってきたが」
気にするなという方が無茶な物言いだったが、一先ずエイダンは、「そがぁですか」と小声で相槌を打つ。
ディクスドゥは何事か、オーク達に指示を飛ばしてから、今一度エイダンを振り返った。
「少し山を登るぞ、癒やし手。『母なる樹』の泉は、この村の水源だ」
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