第3話 悪党と風呂屋と

 アンバーセットの西側は、山岳地帯となっている。

 ここから南西方向に曲がる街道を抜ければ、鍛冶の聖地スミスベルスで知られる、エアランド州。西の険しい山道をずっと登っていくと、シリンガレーン山脈に至る。

 頂上付近には夏でも根雪が残る程の、高い標高を誇る山々。この山脈を境に、シルヴァミストの文化圏は東西に分かれるのである。


 エイダンはテレンスに連れられて、シリンガレーン山脈のふもとまで来ていた。


 ――こんな所に、助けを求める怪我人が?


 そう、テレンスの依頼を怪しまなかった訳ではない。

 他に何人か、仲間の冒険者を集めようかとも思った。『仔狐亭』の店主か、シェーナにでも事情を話せば、何とかしてくれるだろう。

 しかし、


「俺の名前を出しちまうと、信用ねえから、多分誰も集まらねえよ。それに、急いでんだ。頼む」


 と、テレンスは拝むような勢いでエイダンをかすのである。


 エイダンの脳裏には、路地裏で、治癒術の教本を読みながら、疲れ果てて居眠りをしていた、テレンスの姿がちらついた。


 一時期エイダンも、住む場所と所持金を失い、それでも治癒術士への道は諦められず、路上で必死に魔術の練習をしていた事がある。

 あれは正直、つらかった。もうあの日々には戻りたくないし、他人がそんな生き方をしているのも、出来れば見たくない。


 ――まあ、何とかなるじゃろう。


 結局エイダンは、持ち前の呑気な前向きさでそう考え、依頼を受ける事に決めた。

 何か騙されてむしり取られるとしても、命まで奪うような相手には見えない。命が残っていれば、あとはどうにかなる。


「ええと……この辺りは」


 エイダンは手製のノートをめくった。出発前に、周辺の地理については調べてある。


「標高五百ケイドル(※一ケイドル=約一メートル)地点、青麦峠。麦の野生種が多く生えるためこう呼ばれる。一説には、この近辺に古くから生息する、オークの植えた麦が、野生化したものとも」


 しかめた顔を、エイダンはノートから上げた。


「オークがおるんだそうです」

「そうかい。気をつけろよ」


 先を行くテレンスは、他人事のような返事を寄越す。

 随分と余裕のある態度だが、彼の持つ武器と呼べそうな物は、腰の後ろに提げた短剣一本のみである。

 一方のエイダンは、いつもの長杖を背に挿している。故郷の村で、一応棒術を学んでいたから、そこらのや、低級魔物モンスターから身を守るくらいは出来るのだが、オークと戦った経験はない。


 オークとは、見上げる程の巨体で、人間の営む牧場などを襲撃し、牛や豚を強奪していく魔物モンスターだ。冒険者ギルドの分類では、危険度『中級』。

 人を食べたとかいう伝説も数多く残っているが、近年の学術調査により、シルヴァミスト原生のオークには、食人の習性はない事が分かった。


 外見上はオークに似た、別の種族が存在するのだ。人も獣も、オークすらも食らう、より凶暴な魔物が。

 それはノーザンオーガと呼ばれ、北の不毛の大陸から、シルヴァミスト北方の高山地帯に移住した、外来種である。

 ノーザンオーガの方が体格が大きく、頭に短い角が生えているらしいが、襲われている最中に、そこまで見分けるのは難しい。それで、「オークは人をさらって食べる」という誤解が生まれたのだろう。


 尤も、オークも遭遇したくない相手である事に変わりはない。


「川が近いな。一旦、川辺で休もう」


 不意に、テレンスが呟いた。


「……まだ、怪我人のおる場所ちゅうのは、大分先ですか?」

「いや、近い。ただ、山の日没ってのはストンと暗くなるからな。早めに火をおこしといた方がいいぜ」


 詐欺師まがいだったとしても、冒険者としての経験は、テレンスの方が大分豊富だ。ここは従っておこう、とエイダンは、荷物を下ろした。



   ◇



 二人は野営の準備を整え、焚火をおこした。

 川の水を汲み、鞄に入れていた香草や腸詰め肉を鍋に放り込み、しばらく煮込む。

 どういう訳か、エイダンは料理が非常に苦手なので(火属性治癒術の適性を持って生まれた、ある種の反動かもしれない、と彼は勝手に睨んでいる)、茶を淹れる方に専念して、鍋の番はテレンスに任せた。


「テレンスさん、治癒術の教本を持っとんさりましたよね。治癒術士なんですか?」


 腸詰めの煮込みを食べながら、ふと、エイダンは訊ねた。


「ん? ああ、あれは捨て値で買った古本だよ。……練習はしてみたが、俺にはどうやら、魔術の才能はないらしい。書いてある説明も、呪文も、一語も分かんねえ。学校行ってねえからな」


 つまり、俺には役立たずな本だ、と自嘲気味にテレンスは言って、鞄の中の本をエイダンに投げて寄越した。

 空になった食器を傍らに置いたエイダンは、ぱらぱらと本をめくり、最後のページに注目する。かつてこの本が、どこに所蔵されていたかを示す、判が押してあった。

 士官学校魔道養成部だ。


「士官学校用の教本……?」

「軍に捕まって、釈放された後、北方に出稼ぎに行っててな。そこで手に入れたんだよ。北の対魔物戦線の、最前線近くだ。あっちじゃ色んなルートで、色んなブツが手に入るぜ。これだってそうだ」


 テレンスが、自分の上着の裾をひらひらと振ってみせた。

 正規軍の払い下げ風、という最初の印象は、間違っていなかったらしい。


「ついでに――なんで俺が、剣も魔術もろくに使えないのに、オークの出るような山道で、平気でいられるか。教えてやろうか?」


 にやりと口の片端を持ち上げて、テレンスは腰の短剣を抜く。


「こいつも、北で手に入れたのさ」


 エイダンは、焚火の上に掲げられた短剣をまじまじと見つめ、軽く刃に触れてみた。


加護剣アミュレットソード……!」


 刀身に魔力を篭めて鍛えた武器だ。火属性の呪術、それも相当に強力な雷電の魔術が、刃の内側に封じられている。


「魔術士や魔道剣士ソーサリーファイターでなくとも、ある程度は使いこなせるタイプだ。本気で使えば、岩くらいは砕くぜ」

「んでも、魔術士の訓練を積んどらん人が、魔道具マジックアイテムを使い過ぎると、すぐ疲れてぶっ倒れるっちゅう話ですよ」

「馬鹿、ものの例えだよ。本気で岩を砕いたりする訳ねえだろ。オークや低級の魔物モンスターを脅すにゃあ、これで火花でも散らせば十分だ」


 何となく、入手ルートは非合法なのではないか、という気がしたが――加護剣アミュレットソードは通常、貴族階級か、余程の富裕層でなければ所持出来ない――深く突っ込むのは、この際やめておいた。武器があるのは心強い、それだけは確かだ。


「北方の、戦場の近く言うたら……魔物が多くて、危なかったんと違いますか?」


 食後の茶を一口飲んで、エイダンは質問を重ねる。


「まあ、多かったな。色んなもんを見かけたよ。ドラゴンにゴブリン、それにノーザンオーガ……」

「へぇ……」


 軽い口調のテレンスの回答に、エイダンはゆっくりと目を瞬かせてから、相槌を打った。

 まだ日も沈み切っていないのに、妙に眠い。一日山道を歩いたため、予想以上に疲労しているのだろうか。


「ま……俺にとっては、魔物も人間も、似たようなもんさ。誰からも信用されてねえし、俺も誰一人信用してねえ……一人を除いて、だがな」

「一人……?」


 問い返そうとして、エイダンは舌が回らなくなっている事に気づいた。

 何か、おかしい。

 眠い。身体が動かない。

 先程食べた、煮込み料理。あれに何か、盛られたのだろうか。薬、あるいは毒――


「テレ――ンスさん、なに……」


 言葉を発する事が出来たのは、そこまでだった。


 エイダンは、ブリキのマグを取り落とした。飲みかけの茶が、地面に零れる。ああ勿体ない、と考えながら、重力に抗えなくなったかのように、ずるずると身を横たえた。


「悪いな」


 閉じかけた瞼の合間から、テレンスが近づいて来るのが見える。


「全部真相を話しても、お前はついて来てくれるかもしれない……しかし、そうじゃないかもしれない。だから念のため、手を取らせて貰った。何しろ、人間ってやつは信用ならないもんでな」


 そこで、エイダンの意識は闇に沈んだ。

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