傾聴

 さて、僕が基礎探索グループを相手に何かを訴えかけたいとき、一斉メールという手段はまず選択枝から外される。ある程度均一化された集団を相手取るならまだしも、彼ら彼女らはみな一様に個性的で、とても同じ文面を全員に適用するわけにはいかないからだ。

 

 余計な誤解を招いて、不興を買わないように、面倒とは思いながらも一人ひとり対面で話をすることが望ましい。もっとも、こんなことをしているから残業が増えるのだが。


「井川さん、ちょっといいですか?」

 とりあえず最も与しやすい相手から声をかける。井川さんは僕と恵さんを除けば最もグループの中では若い。


「どうしたの? 実験の相談かい?」

 振り向きざまに井川さんが言った。彼は社員としては結構なベテランで、確かもう勤続十二年ほどになるらしいけれど、恵さんがグループに配属となるまでは、長らく後輩がいなかったようで。


「いえ、今日は仕事のご相談ではなく」


「なんだ、つまらないな」

 冗談っぽい笑みを覗かせる。後輩らしく接していると、とても可愛がってくれる面倒見のいい先輩だ。少しだけ悪意のある言い方をすると、先輩風を吹かせがちだ。普段僕が井川さんのことを面倒見がいいと思っているのか、やや煩わしいと思っているのかは詮索してはいけない部分である。


「実は、ホワイトデーの返礼品について、今、皆さんの意見を聞いてまして」

 因みに、与しやすいというのは、単に僕が話しかけやすいという意味で。各々から今回の件に関してどのような意見が出てくるのかは、正直運のようなものだから、僕に予想はつかない。

分かれば、はじめから苦労は少なくて済むのだ。


「ホワイトデー」

 井川さんがおうむ返しにする。


「そうです。先日、グループの女性社員の方からバレンタインにチョコレートを頂いたでしょう? それで、その返礼品を男性社員一同からという形でお送りしようと。町田さんとそういう話になりまして」

 町田さんの名前を出すことで、僕の発案であるという意識を薄めておく。これは一種のリスクマネジメントだ。この程度の気軽な企画、簡単に乗ってくれるか、そうではないにしても、私は参加を遠慮しますと簡単に断ってくれればいいのだけれど。大抵誰か一人くらいはそうならないのが、このグループの常である。


 ふと、二月にはこんな風に、女性社員皆の意見をまとめたのは、恵さんだったのだろうと思う。あの人への労いと感謝の気持ちだけは、きっちりと本物にできそうな気がする。


「全員から?」


「そうです。差し当たっては、品物は僕が選びますので、賛同いただける方にはカンパ金を募ろうかと思っているのですが」

 一気に話を終えて、井川さんの表情を伺うと、何やら思案顔であった。個性的と言ってもこういった案件に特にこだわりを示さなないケースも多いから、それなら初めから完成されたプランをあてがってしまうという作戦だ。賛同しかねるなら、自分は乗らないという逃げ道も用意されている。


 いっしょになって考え出すと、時間の消費がものすごい上に、碌な結果にならない。僕には時間がないのだ。


「それは……、やめた方がいいと思うけど」


「え?」

 井川さんの発言に、一発目から、外れクジ、という言葉が脳裏を過ったが、念のため聞き返す。


「みんなで一律に、ってのは辞めた方がいいと思う」


「カンパには、賛同しかねるということでしょうか」


「俺自身のカンパも当然だけど。俺以外の男性社員に関しても、皆から一律で返礼品を返すというのには反対だ」


「ええ……、理由をお聞きしても?」


「分からないかな? こういうのは、結局気持ちが大事なんだ。皆で一律にというと、こちらが手間を惜しんだのが透けて見える。少なくとも僕は個人的に、全員に別々の返礼品を選ぶつもりだよ」

 女性社員の方々も、形骸化された会社の風習に乗っ取っているだけですよ、という言葉が喉元まで出かかる。僕の事象の捉え方が歪みすぎているだけなのか、井川さんが物事の綺麗でない部分をおろそかにしすぎているのか、当事者である僕には判断がつかない。


「井川さんの気持ちは分かりました。では、ご協力は得られないということで」

 雲行きが怪しいことを察知した僕は早々に話を切り上げようとするけれど。


「待て、秋葉。お前、普通にこの後も、同じ話を橘さんと室田さんにもする気だろ? 俺はそうやって話を持ち掛けること自体止めた方がいいと思うんだけど」

井川さんはそれを許さない。橘と室田というのは、残りの基礎探索の男性研究員だ。


「いえ、そんなことは。井川さんの意見も貴重な一つとして考慮しますよ」

 図星を突かれた形となるが、僕は仕方なく急場を凌ぐ形で殊勝な言葉を並べた。井川さんのように、誰かと正面から意見を交わして、擦り合わせながら何かを進めていくのが僕は苦手だ。


「まあいいけど。もう一度よく考えてみた方がいいと思うよ」

 最後まで、とても納得していないという様子で井川さんは僕を見つめていた。

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