5.オールドー・ルベル
「お前、それは生まれつきか」
体がようやくまともに動かせるようになった頃のことだった。
ふいに言われた言葉に、意味がわからずに視線を彷徨わせる。
「その目だ。なんだお前、自覚が無いのか」
視線を『彼』に戻す。
その日の『彼』は、少年ではなく大人の女性の姿をしていた――否、借りていた。
本来ならば美しいであろう女性の顔が、『彼』になると不機嫌そうな無愛想な表情になるのが、少し残念に見える。
「……お前が理由あって無口なのは知っているがな。声が出ないわけではないだろうが。それともなんだ、『俺』がお前の発声練習に付き合えばいいのか」
「ぁ……」
大丈夫、と答えようとして、息を吸い込んだ瞬間に咳き込む。
『彼』は呆れながらも、じっとこちらを見つめてくる。
ブラウンの瞳に、『彼』特有の青色の光が混じっている。
「その目の使い方を、教えてやろうか」
「フォーゲルさん? フォーゲルさん!」
肩を揺さぶられ、少年は覚醒する。
昼時のいつもの広場。肩を揺さぶっているのは、大きなお腹を抱えながら心配そうにこちらを見つめているマーネ・メモリアである。
「フォーゲルさん、こんなところで居眠りだなんて、風邪をひいてしまいますよ。なんだか魘されてましたし」
「……ぁ……うん。えっと、いろいろ、思い出してた」
寝起きですぐに働かない頭で、辿々しく返事をする。
マーネが言う通り、確かに昼時であるのに風は冷たい。うたた寝をする前はほどよい日差しを届けてくれていたはずの太陽は、少しの間に雲に隠れてしまったようだ。
すっかり冷えてしまった己の両手を見下ろしていれば、マーネは少年の隣へと腰を降ろし、腹の子が冷えないようにと肩にかけていたショールを腹部へとかける。
「今日はお一人なのですね」
「うん。アハートは、まだ、病院」
「アハートさん、大丈夫そうなのですか?」
「もうだいぶ、良くなったって」
アハートはヒスイコタカという種の鷹にあたる。
ヒスイコタカはこの地域にだけ生息する希少種であり、この街においては保護対象になっている。故に、怪我をしたアハートは街の保護条例に則り、暫く専門の施設に預けることになったのだった。
「……今頃、早く外に出たいって、大騒ぎ、してると思う」
「ふふ、フォーゲルさんとの散歩が好きなようでしたからね。アハートさん」
「? そうでもない、と思う、けど……アハートにとって、俺は監視しないと、いけない存在だから」
「監視? 何故です?」
「えっと……マーネに、説明……難しいな……」
事前の知識がない者への説明は、多弁ではない少年には難しい作業である。どうしたものかと、自然と彼は空を見る。
と。「あ」と、ふいに声が漏れ出た。
「そうか……今ならアハートがいない……」
先程の、うたた寝で見た夢を思い出す。
今なら。
今なら――
が、突然少年は立ち上がった。
まるで危機を感じ取ったように、唐突に。
それと同時に、広間の入り口に馬車が一台、停車する。
「マーネ、ごめん」
「え? フォーゲルさん、どうし――」
「俺の目を見て。今日俺に会ったことは忘れて、急いで屋敷に帰って」
両肩を掴まれ、マーネは驚きながらも少年を見上げる。
そこには紅いガラス玉のような澄み過ぎた目があった。
×××
――こいつに名前をくれたのは感謝するんだが、気をつけてくれよ、ゼーレの姫さん。こいつは、あんたが思っているほど純粋でもねぇし、それどころか魔性だぞ。せいぜい、こいつの目には気をつけるんだな。
と、『ソレ』は言っていた。
これはつい最近の記憶である、と彼女、ミスティル・A・ゼーレは夢の中で思考する。
いつの間にうたた寝してしまったのか。起きなければ、とぼんやり考えはするものの、体はずるずると眠りに引き摺られてなかなか覚醒しようとしない。
――ただ、まぁ、申し訳ないことに『俺』には名乗れる名がなくてな。その問いには応えられない。
場面がさらに過去へと遡る。これは、確か、少年を初めて発見した時の記憶だ。
水槽に浮かぶ少年の姿に。
そう。
そういえば。
この時すでに、既視感があったのだ。
――……へぇ、この目が効かないのか。流石はこの国の姫君ってところかな。
――ちょうどいいや。教えてくれよ、ゼーレの姫さん。アンタは、コイツに何という名をくれてやるのか。
日当たりの良い庭園の、影になっている所。
強い日差しで影は黒々としており、振り向いたその人影の輪郭がよくわからない。
ただ、顔を隠す襤褸布の隙間から流れ落ちている黒髪と。
闇の奥から覗く、深紅の瞳が。
この目を、彼女は知っている。
「っ!!」
一気に覚醒したミスティルは勢いよく立ち上がった。
どうやら自室のデスクでうたた寝をしてしまっていたようで、急に立ち上がったせいで目が眩む。ふらふらと椅子に座り直し、急な目覚めによる鼓動の早さを落ち着かせようと、彼女は深く息を吐き出した。
「……今の……?」
先程の夢は。
あの記憶は。
まだゼーレの国があった頃の記憶に違いない。あの庭園は、ミスティルが幼少期を過ごした城の中庭の風景だ。もちろん城の関係者以外は立ち入ることができないはずの場所であり、当時のゼーレ国は身分の差はあれど全ての国民が貧困に窮するような国ではなかった為、あのような襤褸布を纏うような身分の人間はいなかったはずである。
だというのに、なぜ、その様な場所で。
(そうだった……私はあの時、すでに『彼』に会っていた。そして、その頃から『彼』は当時のフォーゲルの中にいた……いえ、その後の研究所では違う人の中にいたから、『彼』は複数人の中に存在できるということ?)
よくわからない。どういうことなのか、と再び迷宮入りしそうになる思考に、またずるずるとデスクに突っ伏した。
どうにも先日以来、調子がでない。考えるべきことがありすぎて体が追いつかないような、もどかしい感覚をずっと引き摺っている。
その時、ふいに扉をノックする音が彼女の耳に届く。一言返事をして入室の許可をすれば、扉を開けたのはレオウ・レントゥスだった。
「御嬢、温かい紅茶をお持ちしました。少し休憩なされては」
「あ、えぇ……ありがとうレオウ。でもさっきまでうたた寝してたから大丈夫よ」
「ならば一層のこと休憩を。お体が冷えて風邪を召されてしまいますぞ」
レオウは苦笑を浮かべながらも、ミスティルへとブランケットを差し出してくる。紅茶のカップと一緒に持ってきてくれたらしい。彼女はそれを受け取り、言われるままに己の肩へとブランケットを羽織る。
そんな彼女の様子に、長年一緒に過ごしているレオウはよくよく気付いていたようだ。
「まだ調子が良くなさそうですな」
「……ふふ。レオウに嘘はつけないわね」
小さく笑いながら、ミスティルはデスク上の資料をレオウへと提示する。それを手に取ったレオウは、ううむ、と目を細めた。
「フォーゲルの過去を探っていた時の資料ですか」
「えぇ。彼が目を覚ましたら自分で語ってくれるかと期待していたからそのままにしていたけれど、彼、一向に自分の過去については口を開かないというか……彼自身、忘れてしまっている部分が多いようだから。ほら、覚えているかしら。クーストース君の依頼で、ご領主を止めに行った時があったじゃない?」
「ああ、そんなこともありましたな」
クーストース・オアシスが家出をしてまでこの事務所に来た日のことを思い出す。
あの事件以来、クーストースは定期的にフォーゲルへと自分の身辺について手紙を送ってくれている。フォーゲルもその返信を書くために読み書きの勉強をより一層するようになった為、二人の友情は順調に築かれているようである。
「あの事件の時だったわよね。フォーゲルが昏睡状態から目が覚めて、初めて自主的にエテルニア鉱石に接触したのは……その時、彼が言っていたの。返せって。それは俺の記憶だって。それはつまり、フォーゲルの記憶はエテルニア鉱石の中にある、ってことじゃないかしら」
確かに、そう言っていた。
エテルニア鉱石を所持した者は、どうやらフォーゲルの過去の記憶を持つようだ。原理はわからないが、所持者たちの言動や行動、それにフォーゲルの反応から、そう推測して正解なのであろう。そして彼らはあの青く光る石をフォーゲルに壊されると、石から得た記憶が消えていくようだった。
(でもこの推測が正しいのであれば……あの密猟者が言っていた言葉は……)
否。
今はそれよりも考えなければいけないことがある、と彼女は頭を振って思考を振り払う。
「レオウ、先日の事件についてなのだけれど」
「あの密猟者がどうやってエテルニア兵器を手にしたか、ですな。面識のある憲兵団に取調べの進捗を聞いてはいるのですが、オアシス領主の時と同様に記憶が混濁しており覚えていないようです。しかし不審な男と会ったという記憶は辛うじて残っていたようで、憲兵団ではエテルニア専門の売人がいるのでは、という話になっているのだとか」
「エテルニア専門の売人、ってそんな、どこからあの石を仕入れて……いえ……そういえば、クーストース君のお父上に兵器を売りつけた商人が誰か、まだ判明していなかったのだったわね」
あの家出少年の事件から半年は経過している。
しかし、未だに事件の真相は全て解明されていない。当時混乱していた領主も大分落ち着いたとはいえ記憶の欠如が所々あり、どこでエテルニア鉱石を手に入れたのか、そのきっかけを判明することができないというのだ。
ミスティルは視線を落として推理に集中する。
「……仮に、本当にエテルニア専門の売人なんて存在がいるとして……その兵器の入手ルートはどこなのかしら。そもそも、大体の兵器は一年と半年前に部隊が回収しているはずなのに」
そんな彼女に、レオウは表情を引き締めながら口を開いた。
「そのことについてなのですが、気になる情報を耳にしました。オアシス領主と先日の密猟者が所持していた武器――特にオアシス領主が身柄確保の際に所持していた銃ですが。一年半前に軍が回収したはずの兵器ではないか、と」
え、とミスティルの表情が強ばる。
その言葉がどういう意味を持つのか。すぐに察せない彼女ではない。
「ちょ、ちょっと待って、もしそれが本当なら、対エテルニア特別部隊の中に兵器を密売している者がいるってことに……」
言いかけ、さらにミスティルは思い出す。慌ててデスクの引き出しをひっくり返して奥にしまい込んでいた資料を広げた。
それは一年と半年前、対エテルニア特別部隊が公表した最終報告書である。そこには突撃した施設内の様子や構造、逮捕者の数と処遇、そして、回収したエテルニア兵器の扱いについてがまとめられている。
ミスティルが確認したいのはその『回収した兵器の扱い』についてである。すぐに該当部分を見つけ、彼女はその文を読み上げる。
「回収した兵器は……部隊長であるルベルに一任する……」
さっ、と血の気が引くのを感じた。
対エテルニア特別部隊の部隊長――先日、フォーゲルを保護という名目で屋敷へと連行していたあの男、オールドー・ルベル公爵で間違いない。
もし本当に回収した兵器が密売されているのだとすれば、この男が関与していることになる。しかし動機がわからない。どうして今になって、兵器をばらまき始めたのか。
「そういえばオアシスご領主が持っていた銃について、あの時のフォーゲル……試作品だから出回っていないはず、とか言っていたわよね……レオウ、ここ最近のエテルニア鉱石が回収された場所と内容を」
「少々お待ちを」
レオウはすぐに地図を抱えて持ってくると、地図上に丸印をつけていった。兵器が発見された場所、日付、内容を書き込んでいけば、それらがほぼ近い日数で円を描くように兵器がばらまかれていた事実が浮かび上がる。
そして、その円の中心にあるのは。
「……私たちの事務所、よね」
全ての事件が、リーベルタースが関われる範囲内で発生していたのである。
だとすれば。
「これらの事件のどれか一つにでも、私たちが関わると予想して兵器を密売していた……いえ、この場合は、私たちというよりも……フォーゲルが、エテルニア鉱石に接触すると予想して……?」
否。
違う、とミスティルはすぐに自分の考えを否定した。
この場合は、もっと最悪なパターンを想定するべきなのだ。
例えば、そう――密売者が狙っているのが、フォーゲルではなく、『フォーゲルの中にいる人物』の存在を知っているのだとすれば。
エテルニア兵器を所持した者には、フォーゲルの過去の記憶を持つ。そして、先日の密猟者の事件で、相手が口走った言葉を受けたフォーゲルの反応といえば――
「……いけないわ、レオウ! フォーゲルを、早く!」
×××
その頃、すでにフォーゲルは数人の男たちに取り囲まれていた。
見覚えのある面子である。つい先日、あの男が少年を事務所から連れ出した際に、あの男と一緒にいた者たちだ。それを視認しつつ、フォーゲルはそっと背後を窺う。
そこにマーネの姿はない。どうやら無事にこの場から脱せたようだ。それが確認できただけで、フォーゲルには十分であった。
早々に、フォーゲルは自身の身の安全を放棄する。
「己の身よりも他人か。そこは相変わらずのようだ」
聞こえた声にフォーゲルはビクリと体を振るわせた。
包囲網の向こうから姿を現したのは、シンプルながらも質が良いとわかる高価なコートで着飾っている、長身の男。
オールドー・ルベル公爵、その人であった。
途端にフォーゲルの体は硬直した。強ばった体は息苦しさをも併発し、フォーゲルはなんとか視線だけで公爵へ警戒を示す。
「……ほう。目つきだけは人間らしくなったか。しかし未だ、言葉を発するな、という私の命令は有効のようだ」
男はそれだけを言うと、おもむろに硬直しているフォーゲルへと詰め寄り、左手で胸ぐらを掴む。
そして空いた右手で唐突に、フォーゲルの腹に拳を撃ち込んだ。
「っか、は」
堪らず口から呻き声が発せられる。
それを冷ややかな目で見下ろす男は、フォーゲルを地面に突き飛ばすと、包囲している従者たちへ命を下す。
「やれ」
一言だけだった。
間髪入れずに四方から従者たちの足が向けられる。蹴られ、踏まれ、一切の躊躇いもない全力の暴力がフォーゲルを襲う。
しかし、フォーゲルとてただ痛めつけられているだけではない。すでに自身の安全を放棄している彼は、ただ冷静に、従者たちの動きと目を観察する。
彼らの動きは驚くほどに統一されていた。まるで、人形のように。
この様子を知っている。この人形のようになってしまった人たちのことを、フォーゲルはよく知っている。
このような人たちをフォーゲルは、そう、あのエテルニアを製造していた研究所で、何人も見て知っていた。
攻撃の手が唐突に止み、髪を掴まれて無理矢理に顔を上げさせられる。公爵からの冷たい視線を浴びせられながら、フォーゲルは痛みに呻きながらも視線を向ける。
「何故だ。何故、己の身を護ろうとしない」
「っ――」
「私にはアレが必要なのだ。わかるだろう? エテルニアの生成に必要なのは貴様の記憶と感情。腑抜けた貴様に感情を取り戻させるべく兵器をばらまき、あえて取り戻させることで人並みにまで戻してやったというのに、何故拒もうとする」
告げられる言葉に驚愕する。
しかし有り得ないことではない。この男には、それを実行できる力がある。
それでも、痛みのおかげで僅かに硬直から解けた体は、自然と口から声を出していた。
「な、ぜ……」
「声を発することを許可してはいない!」
再び地面に叩きつけられ、頭を踏みつけられる。
身動きができない。そうこうしている内に、真上から男の怒り混じりの声が降る。
「私の悲願は達成されていない。貴様が拒むというのであれば、私は貴様ではなく、貴様が大切にしている者を壊すとしよう。あの時のように」
フォーゲルの目が見開かれる。それまで抵抗の意志がなかった少年が、急に弾かれたようにもがきだし、男の足を退かして転がり起きる。
そんな少年の反応に、男は満足したようだった。薄く笑みを浮かべる男の表情にゾッとするフォーゲルの目に、不意に向こうからこちらへと走ってくる少女の姿が映った。
「オールドー公爵! 一体何をしているのですか!!」
ミスティルである。
フォーゲルにとっては最悪なタイミングだった。咄嗟に声を上げようと口を開くが、それよりも早く公爵は懐から何かを取り出していた。
拳銃だった。
それを流れるように自然な動作で、何の躊躇いもなく。
少女へと発砲した。
何が起こったのかわからないままにミスティルは転倒する。
右足に激痛が走っている。銃弾は少女の右足を抉るように貫通していた。
「っ――」
「御嬢!」
後ろを追いかけていたレオウがすぐに駆けつける。己の従者の表情と、自身の足から流れる血の色に、一瞬止まった思考が悪い方向へと急加速する。
(しまった……!)
痛みに構う間もなく、慌ててミスティルは視線を前方へと向ける。
銃をこちらへと向けている男の、さらに後ろ。フォーゲルが、顔面蒼白で目を見開いていた。
少女の悪い予感は的中する。
まず最初に、パンッと軽い破裂音と共にフォーゲルを包囲していた男たちが、糸が切れた操り人形のように倒れ込む。
辺りを一瞬だけ青色の砂埃が舞い散った。彼女から彼へと視線を戻した公爵が、ほの暗い笑みを浮かべる。
「……ようやくその気になったか」
そこには右腕を前にやり、左手で自身の胸を抑えているフォーゲルの姿があった。暴行を受けた際に負った手の甲の傷から、パキリと青色の結晶が生まれている。
フォーゲルの手はオールドー公爵へと向けられている。しかし公爵は笑みを浮かべたままだ。
「この者たちを操っていた媒体がエテルニア鉱石であることを見抜いたのは見事だったが、しかし残念だったな。私のこの銃にはエテルニア鉱石は使われてはいな――」
「残念なのは貴様の頭の方だよ。オールドー・ルベル」
突如として、少年から言葉が発せられた。
しかしそれはフォーゲルの言葉ではない。ゆらりと立ち上がった少年の、その目に不自然な青色の光が宿る。
いつの間にか辺りは異様な空気に包まれていた。風は止み、さきほどまで聞こえていたはずの鳥の声や木々のざわめきが遠退き、静寂が訪れる。
その中にいて、『彼』は、フォーゲルの体で盛大に溜め息を吐いた。
「無駄に力を使わせるな。そんなに死期を早めたいのかオールドー子爵。いや、今は公爵だったか」
「は……はは、やはり、やはり貴殿はそこにいたのか」
公爵の笑みがより醜悪に歪む。
それを『彼』は酷く冷徹に見ていた。
『彼』は少年の顔で、少年の声で、口を開く。
「貴様の望みは『俺』だろう。しかしまぁ、相変わらず手段が外道にも程がある。俺の宿主をあまり虐めてくれるなよ」
「褒め言葉と取っておこう。さて、わざわざ舞台を用意したのだ。私の目的が何なのか、貴殿ならばわかるのでは?」
「『俺』の捕獲か」
「その通り。私が欲するのは貴殿の力だ。素直に我々に同行してくれたならば、せめてもの情けとして宿主の命までは取らないと誓うが、どうかね?」
一人勝利を確信している公爵の笑みに対して。
『彼』もまた、少年の顔で口元に笑みを浮かべる。
「ハッ。この『俺』が易々と表に出て来るわけがないだろうが。逆に問うが、貴様ならすでに知っているだろう。『俺』が最終的に、コイツを選んだ、その理由が」
『彼』がそう言い終わるや否や、公爵へと飛びかかる影があった。
先程倒れたはずの男たちである。急にむくりと体を起こしたかと思えば一斉に公爵へと飛びかかり、公爵の足や腰、そして拳銃を持っている腕にしがみついて拘束する。
動揺したのは公爵だ。
「なっ、なんだお前達! 何をしている!」
「宿主が暴行されている時に一人一人の目と己の目を合わせていたからなぁ……はは、貴様が来る直前に、コイツが目の使い方を思い出してくれていて助かったぜ。おかげで楽ができる」
『彼』の目――否、フォーゲルの方の目だろうか。不自然に宿っている青い光の向こう側で、深淵のように深い紅色が揺らめいている。
そんな様子を、彼女は見ていた。
ミスティルは、見ることしかできなかった。
撃たれた足の痛みすら忘れて立ち上がろうとするが、力が入れられない足ではろくに動くこともできず、ただレオウに支えられる。
「御嬢、動いてはなりません! このままでは御嬢の足が――」
「私のことなんてどうでもいいの!! お願いレオウ、彼を止めて、このままじゃフォーゲルが」
止めようとする従者の手を振り切り、ミスティルはよろめきながらも手を伸ばす。
この手は届かない。
喧噪の向こう側にいる彼には、こちらの声も届かせられない。
しかし一瞬。
ほんの一瞬だけ、彼と目が合った。
青い光がない、彼自身の目で。
声は聞こえなかったが、彼の唇は動いていた。
「さようなら、ミスティル」
待って、と叫ぶ前に足がもつれてその場に倒れ込んだ。
そうしている間に、彼は背を向けてしまう。
「待って! 待ってフォーゲル! フォーゲル!!」
僅かに遅れて声を荒上げるも、何もかもが遅かった。
何もかもが、手遅れだった。
そうしてフォーゲル・フライハイトは、行方を眩ましたのだった。
5.オールドー・ルベル 完
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