0.5.アハート


 何かの鳴き声を聞いた。


 深く深く沈み込んでいた意識が浮上する。水面をたゆたうような、そんな感覚と共にゆっくりと視界が開ける。

 まず目にしたのは見知らぬ天井だった。それを見つめ、空っぽの頭でのろのろと思考を開始する。

 その時、バサバサ、と。何かが羽ばたいていくような音が聞こえる。

 導かれるように目を動かす。すぐ真横の壁には開かれている窓があり、穏やかな風が新緑色のカーテンを僅かに揺らしていた。

 その窓枠に、一枚。鳥の羽根が引っかかっている。

 先ほどの鳴き声と、羽ばたきの主だろうか。

 息を吐き出す。

 と、ようやくその時になって、自分に体があるのを思い出す。

 意識して息を吸い込めば、肺に空気が入り込む感覚がする。ゆっくり吐き出し、次いで腕の感覚を思い出す。

 両腕、両足。どちらもくっついているようだった。が、うまく力が入らない。なんとか片腕を持ち上げ、自分の視界に手を映す。

 骨と皮だけのやせ細った指が、ぶら下がっている。

 それだけで十分だった。

 腕の力を抜いて投げ出して。

 浅く。

 長く。

 息を吐く。


 生きている。

 生きてしまっている。

 どうしてそんなことを思考したのか。思い出せない。 

 それでも落胆しなければいけないような気がして――


 コンコン、と音が部屋に響く。

 ゆっくりと頭を動かし、視界を移動させる。音の発生源はこの部屋の扉からだ。

 部屋の中からの返事を待たずして、扉はキィ、と小さな音と共に開かれる。

 扉付近は薄暗くなっているにも関わらず、はっきりと見て取れる、輝くような黄金の髪を持つ少女だった。

 知っている。

 すぐにそう思考した。

 少女は片腕に花が活けてある花瓶を抱え、こちらに、顔を向け。

「あ……っ!」

 花瓶を取り落とす。

 幸いにもそれは割れることはなかったが、ゴトリと音を立てて床に落ちた後、中に入っていた水がこぼれ落ちる。

 自分が花瓶に気を取られている間に。

 少女は勢いよく駆け寄ってきていた。

「目が覚めたの?!」

「……?」

「あ、えっと、えーと……ちょ、ちょっと待って、誰か人を、レ、レオウ! レオウ!!」

 そして慌ただしく扉の向こうへと行ってしまう。

 彼女の声は透き通るようによく響く。霧のようにぼんやりとしていた思考がようやく晴れていき、ベッドの上、再び窓へと目だけを動かす。

 そこにもう羽根はなかった。


×××


 『エテルニア鉱石』。

 青く発光する未知の鉱石である。内側から光を放っているこの不思議な鉱石は何かしらを惹き付ける力を有しているのだが、どういった原理で、どういった構造で、またどこで発掘されたのかすらも、何一つとして判明されていない。

 そんなエテルニア鉱石に文字通り「侵された」少年を保護し、この診療所へと運び込んだのが、一年前のことである。

 少女――ミスティル・A・ゼーレはそわそわとしながら目の前の医者の言葉を真剣に聞き取ろうとする。

「軽く診察した結果、数値に異常はなし。覚醒したばかりで意識の混濁が見られるが、これは時間経過と共に様子を見ていくしかない……ただし前から注意していた呼吸器官の異常はそのままだ。これは明日、改めて検査することにしてぇ、っと」

 カルテに追記事項を書き留めながら、アルム医師は熱烈な眼差しを向けてくる少女に苦笑を浮かべる。

「そんなに食いつかなくても、必要なら後でカルテの写しを用意してやんよ。少しは落ち着いたらどうだい、所長さんよ」

「え、えぇ……落ち着こうとはしているのですけれど、いざ目を覚ましたところを見ると、こう……」

 なんとか笑顔を作るミスティルだが、その声はどうにも落ち着きがない上に笑顔も引き攣ってしまっている。そんな少女の様子に、やれやれとアルム医師は呆れながら側に立つ少女の従者へと目を向けた。

 従者ことレオウ・レントゥスも、思わず苦笑いを浮かべる。

「御嬢、まずは目覚めたことを喜ばなければ。あの状態から目を醒ましたこと、ましてやその意志があったということは、もはや奇跡のようなものですぞ」

「ええ、うん……そう、ね。私が焦っても仕方ないわよね」

「しかし気持ちはわかります。我々はきちんと会話すらしたことがない身ですからな」

 そう。

 少年を助けようとこの診療所へ連れ込んだのはミスティルだが、彼女とてあの少年の正体を知っているわけではないのだ。

 彼が眠っている一年の間に、少年の過去に関する情報を集めたのだが、少年の出自や経歴について全てを知ることはできなかった。ただ、僅かに集めることができた情報から推測するに、彼は幼い頃から奴隷として各地へと売買されていたようである。そしておおよそ悲惨な扱いしか受けてこなかったようでもあった。それは、少年の体に残されたいくつもの傷痕が物語っている。

 故に、ミスティルとしては少年の回復を願う一方で、扱いに頭を悩ませていた。

(そもそも彼の声を聞いたのも、たった一言だけだったもの……あの崖の上で……)


 あの時。

 悲しいほどの微笑みを浮かべながら崖の下へと身を投じた少年は、死にたかったのだろうか。

 その心情を推し量ることを、ミスティルはできないままでいる。


「いろいろ聞き出したいところなんだろうが、患者はまだ意識が回復したばかり、おまけに一年間も昏睡していたんだ。現状把握にまで時間がかかるだろう。暫くは応答に時間がかかったり上手く反応できなかったりするだろうから、矢継ぎ早の質問は控えてやってくれよ」

「わ、わかりました」

「それとな、所長さんよ」

 アルム医師は苦笑いを浮かべる。

「奴さん、やはりというか、自分の名前がわからないというか……そもそも、名前そのものが無い様子だったぞ」


×××


 少年が奴隷だったという過去や保護当時の様子を考慮した結果、まずは一対一での会話を試みませんか、というレオウの提案により病室へはミスティル一人で入ることになった。

 レオウには病室の外で待機してもらうことになり、ミスティルは緊張をほぐすように深呼吸をしながら、扉を開ける。

 少年は相変わらずベッドの上にいた。

 診察の際に体を起こすため大きなクッションを背に宛がわれていたのだが、今はそのクッションにもたれるようにして目を瞑っている。

 また眠ってしまったのだろうか、となるべく音を立てないように近づくミスティルに、しかし少年はすぐに薄らと瞼を持ち上げた。

 吸い込まれそうに暗い深紅色の瞳に、ミスティルは怖々と声をかける。

「えぇっと……落ち着いた?」

 少年の反応は薄い。

 が、暫くしてから僅かに頭が縦に動いた。頷いてくれたようだ。

 ほんの少しでも応答を返してくれたことにホッと息を吐く。近くに置かれていた椅子に腰掛け、少年を見つめる。

「貴方がどうしてここにいるか、わかる?」

「……」

「じゃぁ、その……どこまで覚えてる?」

「……」

 一向に返事はない。アルム医師が言っていた通りに意識が回復したばかりで現状把握ができていないからなのか、それとも。

 ミスティルは少し思案した後、再び口を開く。

「貴方、声は出せるの?」

「……――」

 ゆらり、と少年の体が揺れる。

 この一年の間ですっかりやせ細った手が自身の口元、そして喉へと動き、ようやく少年は口を開く。

 が、まず彼の口から出てきたのは声ではなく咳だった。

 声を出そうとして息継ぎに失敗したのだろうか。慌ててミスティルは身を乗り出して少年の顔をのぞき込む。

「だ、大丈夫?」

「っ……けほっ……ん……」

 急に咳き込んだことで苦しそうではあるが、どうやら無事に声は出るようだ。僅かに聞こえた声らしい音と、それまで人形かと疑う程に微動だにしなかった少年にようやく人らしい一面が垣間見えたことに、ミスティルは思わず小さく笑う。

「……?」

「ふふ、あ、いえ、ごめんなさい。そうよね、ずっと眠っていたのですもの。声を出すのだって久しぶりよね。水、飲む?」

「……」

 再び口を開いた少年だが、頷くだけに留まった。

 口の中と喉を湿らせるだけの僅かな水を慎重に飲み込ませる。それでも少し噎せてしまう少年だったが、ひとまず喉の渇きは治まったようだ。 

 少年が改めて口を開く。

「……ずっと、眠ってた……って……?」

 掠れてはいたが、初めてまともな状態で聞けた少年の声だった。中性的な顔つきの割にはしっかりと変声期を超えた男性の声質である。

 あの崖上で聞いた声はこんな声だったろうか、等と余計なことを考えそうになる思考を抑えつつ、ミスティルはあえて平静を装いながら返答する。

「えぇ。ちょうど、今日で丸一年。それまで貴方はずっと意識がない状態で、この診療所にお世話になっていたのよ。さっき貴方の診察をしていた白衣の人が、主治医のアルム先生。それから私の名前はミスティル・ア……いえ、ミスティルでいいわ。そう呼んで」

「……ミスティル」

「うん、そう。話を戻すけれど貴方、診療所に運ばれる前のことは覚えている?」

「……」

「えっと、その……崖から落ちたのよ。覚えていない?」

 ミスティルの問いかけに。

 少年はゆっくりと視線を逸らして、自身の手を見つめる。記憶を遡っているのだろうが、暫くして少年は首を横に振った。

 転落事故のショックで記憶から抜け落ちているのだろうか。ミスティルはほんの少し戸惑った後、思い切って言葉にする。

「エテルニアという石のことを……貴方はどこまで覚えているの?」

 少年の瞳が不自然に揺らいだのを、ミスティルは見逃さなかった。

 何かを知っている。そう確信するが、少年は口を開かない。ただ、痩せた手を己の胸元へとやる。

 少年の胸元には、未だにエテルニアが鱗のように貼りついている箇所がある。去年の今頃に少年の体の大半を覆っていた、あの結晶の名残だ。他の結晶は少年が回復するにつれて自然と砕けていったのだが、胸元の部分だけはいつまでも残り続け、アルム医師曰く、皮膚に癒着してしまっているために無理に剥がすこともできないそうだ。そして、それにより少年の呼吸器官に何かしらの後遺症が残るかも知れない、というのが医師の見立てであった。

 そのことを、少年はどう思っているのか。

 彼は服の上から確認するように触れ、目を伏せた後、首を横に振る。

「……いない」

「いない?」

 問い返すが、少年は答えない。

 否、答えられないのか。暫く待っても口を開かない少年に、ミスティルは腕を組んで思考を巡らせる。

(言葉をあまり知らないのかもしれないわ。事前に調べていた彼の過去と、この反応……きっと学問に触れる機会はなかったのだろうし、それに……人に対して心を閉ざしていた時間が、彼は長すぎる)

 それは少年が昏睡状態になる前から感じ取っていたことだ。

 全ての感情が抜け落ちてしまったかのような表情と、顔を向けはするが決して合わせようとしない視線の動き。おそらく身について「しまった」癖なのだろう。一年もの昏睡状態からようやく覚醒したというのに、以前として少年の目には生気が感じられない。

 もしかすると、本当に。

 ミスティルは身を乗り出し、慎重に、少年の目を覗き込んだ。

「一年前と同じ質問をするわ。貴方、名前がないの?」

 少年が顔を上げる。

 そして頷きで返答する。それを視認して、彼女は更に口を開く。

「わかった。私が貴方に名前を与えてあげる」

 僅かに少年の肩が揺れる。

 昏睡中にすっかり動かし方を忘れたのか、顔は無表情のままではあったけれど。

 それでも、一年前とおおよそ同じ反応であった。ゆっくりと俯き加減に向けられた視線を了承の意と判断し、ミスティルは息を吸い込む。

「貴方の名は――」

 が、最後までは告げることができなかった。唐突に病室に乱入するモノがいたのだ。

 しかも窓からである。バサバサと大きな音と共に、一羽の小さな鷹が突如として窓から病室へと飛び込んできたのだった。

 艶やかな茶色の羽毛に、頭の一房だけが鮮やかな翡翠色をしている。咄嗟のことに驚いたミスティルが椅子を倒しながら立ち上がるが、鷹はそちらに一瞥することもなく少年がいるベッドへと着地をすると、猛禽類特有の鋭い嘴を彼へと向ける。

 ミスティルは気付くのが少し遅かった。その嘴に、青く輝く小さな結晶が咥えられているのを。

 あ、とミスティルが声を上げた頃には。

 もうすでに、少年が手を伸ばしていた。

「か、え、して」

 少年が声を発する。

 鷹はその声に答えるように、少年の手のひらにころりと結晶を転がした。

 刹那、パキッと軽い音。

 青い結晶――小指の先ほどの大きさのエテルニアは、少年の手に渡るや否や、その手の中で砕け散った。


×××


 紅い夕焼け空を眺めている。

 辺りには青く輝く鉱石の柱がいくつか立っている。いつの間にこんなものができたのだろう。覚えがない。

 体中が痛い。指一つとして動かせない。まるで四肢がバラバラになったように。

 それでも、生きていることに、ただただ驚く。

 あんな高い場所から。今度こそ生き残れないような高さから落ちたのに。


『――ごめんな』


 頭の中で声がする。『彼』の声だ、とすぐにわかる。


『お前を、生かしたくなっちまった。約束を破るなんて、まったく『俺』らしくない』


 声は悔いているようだったけれど、なんだそういうことか、と逆にホッとする。

 生きている。

 生きてしまっている。

 生かされている。

 『彼』に、そう望まれて。


『もう少し猶予をくれ。次にお前が目を醒まして、それでも世界に絶望するなら、その時は『俺』と一緒に逝こう。今度こそ約束だ……それまで、『俺』は眠る。消えてはやれないから、安心して、お前も少し眠れ』


 その言葉に、更に安堵する。

 紅い夕焼け空から目を逸らし、瞼を閉じる。遠くで誰かの声が聞こえている。きっと、彼女の声だ。けれど一度閉じた瞼を持ち上げることはできなかった。


『……あぁ、そうだ。お前、どうせ次に起きた時は全部忘れてるだろ。お前を生かすためとはいえ、お前自身の記憶をだいぶ使っちまったからな。だから、お前の目の力、暫く『俺』が預かっててやるよ……次はちゃんと、人と目を合わせられるように、な』


 声が聞こえたのはそれっきりだった。

 意識は急速に遠退いていく。

 否。

 これは、覚醒に向かっているのか。

 遠くにいたはずの声がすぐ近くで聞こえてきて、ハッと目を開けた。

「大丈夫?!」

 目の前には酷く不安げな少女の顔があった。

 どうやら自分は一瞬気を失っていたらしい。自分が目を開けたことで安心したのか、両肩に置かれていた彼女の手から力が抜ける。

「良かった……また眠ったままになっちゃうのかと思った……」

 彼女の目に涙が浮かんでいる。

 思わずそれを見つめてしまい、慌てて目を逸らす。

 ……いや、目を逸らす必要はなかったのか。いや、否、そもそも、どうして目を逸らさなければならなかったのだったっけ。思い出せない。

 部屋に入り込んできていた鳥はいつの間にか居なくなっていた。代わりに、窓を閉める音。見れば男が一人、窓の外を確認した後にこちらを向く。

「ふむ、怪我などはなさそうだ。御嬢、念のために先生を呼んできましょうか」

「ありがとうレオウ。お願いしていい?」

「お任せあれ」

 軽く承諾して、男は出て行く。

 怪我。

 そうだ、確か、さっきの鳥が、返してくれたのだった。

 手のひらを見れば砕けた結晶が僅かな砂になっていて、その代わりに手の甲に一つ、小さな鱗のような結晶が生えている。

 彼女もこの結晶に気付いたのか、両手で自分の手を包むように触れてくる。

「貴方、これ痛くないの? 大丈夫なの?」

 痛くはないので頷けば、彼女はホッと息を吐く。

 心配してくれるのか。こんな自分を。

「……少し眠れば……なくなる、と思う」

「そうなの?」

「……。……疲れた……」

 呟けば、彼女はすぐに察してくれたようで、背にあった大きなクッションを取り除けて横になるのを手伝ってくれた。

 まだ体がうまく動かせない。少し動かしただけですぐに疲れてしまうこの体力では、睡魔に抗うことができない。そのまま目を閉じそうになる、が、ふいに彼女が動きを止めた。

「どうしたの?」

「……?」

 気付けば自分の手が、縋るように彼女の袖を掴んでいた。

 無意識に掴んでしまっていたのか。

 ああ、そういえば。

「……俺、の……」

 言いながら、自分の言葉に驚く。

 今、自分は自分のことを「俺」と言ったのか。『彼』の口調がうつってしまったのかもしれない。

 彼女は思い出したようで、椅子に座り直す。

「そう、貴方の名前ね。ずっと何かに邪魔されっぱなしだったけれど、ようやく言えるわ」

 彼女は優しく微笑んで、告げた。


「貴方の名前は、フォーゲル。フォーゲル・フライハイト。私の国の名付け言葉で、自由の鳥を意味する名よ」


 ×××


 少年はそれから一ヶ月間の療養を経た後、ミスティルとレオウの元へと引き取られることになった。

 目が覚めたからには診療所のベッドをいつまでも使用するわけにはいかなかったからだ。とはいえ長く昏睡状態が続いていたことと、胸元の石はいつまでも砕ける様子がないことから、定期的に診療所へ通いながら経過を見ていくことになったのだが。

「フォーゲル! フォーゲルってば!」

 何度目かの呼びかけで、ようやく少年が思い出したように顔を上げてこちらを向いた。

 つい最近ようやく名前を得た少年は、まだ自身の名に対して反応が鈍い。何度も呼びかけないと気付けないようで、今も「自分のことか」とようやくわかったらしい。無表情ながらも小首を傾げてミスティルを見つめている。

 胸元の石のせいで呼吸器官に少しの後遺症を抱えることになった少年は、レオウの提案により、肺活量を鍛える為に横笛を吹くことがリハビリの一環として習慣づけられることになった。今もレオウから貰った横笛を手に、まずは音を出す練習のために診療所の敷地内にある中庭にやってきていたはずなのだが、ベンチに座ってぼんやりとしたまま一点を見つめるだけの少年に、ミスティルはやれやれと息を吐く。

「フォーゲル、先生との話し合い終わったわよ。退院は明後日になったのだけれど、貴方は大丈夫そう?」

「……」

 少年はただ頷いた。

 やはり喋るのは苦手なのか。少しだけ口が動いたのだが、声は聞こえなかった。言葉に関しては時間がかかりそうだと考えながら、ミスティルはフォーゲルの横に腰掛ける。

「何を見ていたの?」

「……鳥」

「鳥?」

「この前、の」

 そういって、少年は指差す。

 中庭から見える森の方向だ。つられてミスティルが指差す方へ目を向けた時、何かが飛んでくるのが見えた。

 それは真っ直ぐ、こちらに向かって、低空飛行で。

「えっ、ちょっと!」

 驚いたミスティルが咄嗟に腕を前にして防御の姿勢を取ったが、彼女自身には特に何も衝撃はなく。

 代わりに真横からバサバサと大きな羽ばたきの音が聞こえ、慌てて顔を上げた彼女が見たのはフォーゲルの頭にちょこんと乗っている一羽の鷹の姿だった。

「こ、この前のって……この前病室に入ってきた子!?」

「……おぉ」

「おぉ、じゃないわよフォーゲル! 貴方それ大丈夫なの? 頭に爪が食い込んでない?」

「……ちょっと痛い」

「でしょうね……」

 痛がりはするが頭に居座る鳥を退けようとはしないフォーゲルに、ミスティルは呆れた後に小さく笑った。そんな彼女に、少年は無表情ながらも不思議そうに見つめ返した。


 その後もしつこくフォーゲルに付き纏うようになった鳥に、見かねたミスティルが『アハート』と名を付けることになったのは、それから二日後のことである。



   0.5.アハート 完

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