4.「   」


 冷たい雨が降っていた。

 ただぼんやりと空を見上げている。

 頭だけを動かして視界を転じれば、側には上から落下して潰れた馬車。その中身。そして自分のすぐ隣には、首がおかしな方向に曲がってしまった御者。

 皆、自分も含めて、崖の上から落ちて来たのだった。

 ただし自分だけが生きている。たまたま座らされていたのが荷車の出入り口近くだった為、崖から落ちる際に外に放り出され、青葉が茂った木々の枝がクッションになったらしい。酷く背中を打った為に呼吸が辛く、頭もガンガンとして痛いが、それでも意識がある自分はもはや奇跡だろう。

 しかし、それだけの話だった。

 これから先が無い話だった。

 だから、ぼんやりと空を眺めている。手足に嵌められた枷が冷えて肌が痛いし、薄い襤褸布も同然の服は水滴を受け止めることなく吸い込んで、寒いし、重い。

 早く終わればいい、と思った。

 早く、息を止めてしまいたかった。


「よう、お前。死ぬのか」


 いつの間にか、小さな人影が自分を見下ろしている。

 少年、だった。

 自分より少し幼いぐらいの。


「死ぬのなら、その体。暫く『俺』に、貸してくれねぇかな?」


 これは、過去の話だ。

 自分がこうなるきっかけになった、そんな昔の話。

 その時の少年は、少年らしくない、悪とも善とも言い難い、曖昧な笑みを浮かべていて。

 そんな寂しい笑顔で言われた言葉に、自分は何も考えずに頷いたのだった。


×××


 ミスティルがそこに辿り着けたのは、日がすっかり落ちてしまった時だった。

「夜分遅くに失礼致します、オールドー公爵様」

「構いませんゼーレ嬢。貴女が来ることはわかっていた」

 執務室に通され、少女が対面したのは背の高い男だった。

 オールドー・ルベル公爵。

 かつてエテルニア兵器に関わる奇襲作戦の際に、部隊を指揮していた男だ。

 今日の昼頃に開催された会合で見かけることができず、おかしいと思っていたのだ。まさか、会合を欠席し、事務所からフォーゲルを連れ出していたとは、誰が予測できただろうか。

 ミスティルは極力声を抑え、公爵を見る。

「フォーゲルを返してください。彼は今回の件については無関係です」

「そうでしょうな。別室に放り込んでいますから、どうぞ連れて帰ってやればいい」

 予想外の返答に、思わずミスティルは呆気に取られる。

 怪訝な気持ちが表情に出てしまっていたのだろう。公爵は横目で少女を見やった。

「出席しなくとも、会合の様子など手に取るようにわかりますよ。大方、アレに罪を被せて無かったことにしようとしていたのでしょう。その前に私自ら動き、先にアレを拘束。その後、何も罰を与えず釈放したとわかれば、アレの無罪も確定される。あの作戦時の部隊長を勤めた私本人がそう証明するのですから、他の者も文句は言えないでしょう……つまり、先手を打ったのです」

「……彼の為に、ですか?」

「否。私自身の為です。ゼーレ嬢」

 即座に男は否定する。

「他の者がアレを捉えた場合、書類処理の手順を踏んでから釈放しなければならない。そうなると手間と時間がかかる。生憎と、私はアレに手を焼くほどの暇は持ち合わせていないのでね。どうせ、無罪を主張して釈放要請を出すつもりだったのでしょう。貴女としてもアレを手元に戻す手間が省けて助かったのでは」

「それはそれは、お心遣い感謝しますオールドー公爵様。ですが、それならそうと一言申してから実行なさって欲しかったですね」

「仕方ないでしょう。どこに内通者がいたともわからない。知られては面倒だった、それだけの話です」

「……本当に、それだけの理由ですか」

「信用がならないと? ならば、そうですね」

 公爵は窓の外を見る。

 日が沈んだ空に、木々の黒い影が蠢いている。

「この目で、アレがどこまで人間に戻っているのか。それを確かめたかった……ということにして頂ければ」

「……なるほど。そういうことにしておきましょう。ですが公爵様、一つだけ言わせてください」

 ミスティルは睨むように、キッと男を見据えた。

「彼はフォーゲル・フライハイトです。物のように扱わないでください。過去がどうあれ彼を手放した貴方に、彼の所有権はありませんし……私にも、無いのですから」

 言い捨てるように、ミスティルは踵を返して部屋を出た。

 部屋に一人残された男は、嘆息吐いて肩を竦めるのみだった。


「フォーゲル! 大丈夫?!」

 少年がいたのは窓のない小部屋だった。

 急いで来たミスティルに対し、部屋の隅で壁にもたれて座っていたフォーゲルは、まるで寝起きのようにきょとんとした様子で少女を見る。

「ミスティル?」

 その声が、あまりにもいつも通りであるから。

 ミスティルは一気に脱力してその場でへたり込んでしまった。

「フォーゲル……貴方ね……」

「あ、声でた。さっきまで、声出せなかったのに」

「……もー! 心配したのにちょっとは私を労いなさい!!」

「ミスティル、痛い」

 胸元をぽかぽかと殴るも、落ち着かせようとしたフォーゲルに頭を撫でられ、ますます脱力して盛大な溜息が口から出た。

 とにかく、とミスティルはフォーゲルの手を引いて立たせ、小部屋を出る。

「帰りましょう、今日はもう遅いし。誰かさんのおかげで余計に疲れちゃったわ」

「? ……本当だ。外が暗い」

「フォーゲル、いい加減に怒るわよ」

 何故怒るのかと首を傾げるフォーゲルに、再度ミスティルは脱力する思いで嘆息する。

 屋敷の外で待機していたレオウに合流した時には、もう月が真上にまで昇ってしまっていた。ミスティルとフォーゲルの元気な姿にホッと安堵の息を吐いたレオウは、二人が馬車に乗り込むのを見届けてから馬を走らせる。そして屋敷から離れたところを見計らって後ろへ声をかけた。

「その様子ですと、何事もなかったのですかな? 御嬢はお疲れのご様子ですが」

「何事もなかったわよ。身構えたのが申し訳なかったぐらいにね……フォーゲル、貴方、公爵に何か言われたりした?」

「さあ」

「さあって……貴方ねぇ……」

 フォーゲルの気の抜けた返事に、ミスティルはいよいよ頭を抑える。

 が、ふと、少年が落ち着きなく外を眺めていることに気が付いた。気を取り直して少年を呼べば、フォーゲルは僅かに眉を顰めて口を開く。

「アハートが、いない」

「あ……」

 その言葉で、ようやくミスティルも思い出した。彼の相棒とも言えるアハートを、今日一日見かけていないのだ。

「ごめんなさい、気が動転していて気が付かなかったわ……朝から外に出していたのだった?」

「アハート、落ち着きがなかった、から。夕方に、呼びに行くつもり、だったけど」

「オールドー公爵に連れて行かれたのが、ちょうど夕方だったものね……事務所の近くに帰ってきてくれていたら良いのだけれど……」


 しかし、その期待は外れてしまった。

 事務所の屋根にアハートの姿はなく、フォーゲルの笛に答える鳴き声もなかった。

 窓を開けたまま辛抱強く待つフォーゲルだったが、今の時期は夜風が冷たく、見かねたレオウが声を掛ける。

「アハートは夜目が効かない故、この時間は動けないのやも知れぬ。心配だろうが今夜はもう休みなさい。日が昇ってからの方がアハートも返事をしやすくなるであろう」

「……うん」

 渋るかと思ったが、フォーゲルは素直に従った。窓を閉め、ベッドに向かうフォーゲルを見届け、レオウは屋根裏部屋を後にする。

 一階ではミスティルがそわそわとした様子でレオウを待っていた。

「レオウ、フォーゲルは?」

「ベッドに入るのを見届けました。明日は早くから探しに行くでしょうな」

「そう……」

 少女はホッと息を吐く。

 昼間の会合から帰ってきて、すぐに公爵の屋敷にまで出向いたのだ。ミスティルの表情には疲れが見て取れる。

「温かなミルクを用意しますので、御嬢もお休みになって下さい。明日はフォーゲルと共に探しに行くおつもりなのでしょう」

「え、えぇ、まぁ……」

 歯切れ悪く返事をして、ミスティルは眉を下げる。

「……彼、最近やっと感情を顔に出すようになってきていたのに。今回のことでまた心を閉ざしてしまわないかしら……」

「あやつはこの一年でずいぶん回復しました。そう心配しなくとも大丈夫でしょう。それに、アハートが賢い鳥だということは、御嬢もご存知ではありませぬか」

「……そう、ね……ありがとうレオウ。私も、もう休むわ」

 少女は無理に笑った。


×××××


 翌朝、フォーゲルはレオウの予想通りに日が昇ってすぐに事務所を出た。

 ミスティルはというと、前日の疲れもあり、寝坊気味に起床した。慌てて髪を整えて部屋を出たが、すでに少年は事務所を出た後だった。

「もー! 起こしてくれたら良かったのに!」

「御嬢、落ち着いてくだされ。フォーゲルは御嬢の体調を案じたのですよ」

 ミスティルに朝の紅茶を出しながらレオウは苦笑し、少女の顔を覗き込む。

「うむ、今日は顔色が宜しいようですな。しっかりと休まれましたか」

「おかげさまでね。ねぇレオウ、私もフォーゲルのところへ行きたいのだけれど」

「森へ行く、と言っていましたぞ。いつもの広場の方角でしょうな……御嬢、私は気になることがあります故、調べ物をしてから合流することに致します」

「気になること?」

 紅茶のカップを手に取りながら、ミスティルは小首を傾げる。

 レオウは顔を引き締めて言葉を発した。

「昨日、会合の場で嫌な噂を耳にしましてな。どうやらこの辺りを密猟者がうろついているようなのです。アハートのこともありますから、一度情報を探った方が良いかと」


 軽く朝食を済ませた後、ミスティルは広場へと向かう。

 幸いにも、フォーゲルはすぐに見つかった。笛を鳴らしていた為どの方角にいるのかはすぐにわかったし、彼はまだ森の入り口付近に留まっていたからだ。

「フォーゲル! 良かった、まだここに……」

 しかし、振り向いた少年の顔を見て、ミスティルは掛けるべき言葉を失った。

 今まで見たことがないぐらいに、少年の表情は暗く不安に満ちていたからだ。

「フォーゲル……?」

「森が、静かすぎて」

 少年はすぐに森へ向き直り、笛に息を吹き込む。ピィー、と高い音が辺りに響くが、それ以外の音が一切聞こえないことにミスティルも気が付いた。

 鳥の声が無いのだ。

 この時間、いつもならば騒がしいほどに聞こえる鳥の声が。

「嫌な、感じがする」

 そう言って、少年は胸元を抑えるような仕草をする。また呼吸が苦しくなったのかと慌てて駆け寄るが、少年は大丈夫だと首を横に振った。

「苦しくはない。大丈夫……少し、変なだけ」

「変?」

「たぶん、気のせい。だから大丈夫」

「それなら良いのだけれど……無理はしないでね。私も探すのを手伝うから」

 ミスティルが言えば、フォーゲルは素直に頷く。

 二人は森の中へと入り、木々の間を探し回った。

 街の外れにあるこの森は、規模は小さいが密度がある。鷹一羽を探すのには骨が折れるが、それよりも、とミスティルは辺りを見渡す。

 何もいないのだ。動物が、一匹も。

(密猟者がうろついている、という話だったけれど……でも、だからって一匹も動物を見かけないなんて)

 そして、ミスティルはもう一つ気にかけなければいけないことがあった。

 木々の間を丹念に見上げながら進むフォーゲルが、自分を置いて奥へ奥へと行ってしまうのだ。

 ふらふらと息を切らしながらも歩き続ける少年は、どうやら疲れを忘れているようであり。日が高く昇り切った頃になっても一向に足を止めないフォーゲルに、堪らずミスティルは腕を掴んで引き留めた。

「フォーゲル、一度休みましょう。貴方さっきから足を引きずっているの、自分で気が付いていないの?」

 掴んだ腕を引っ張り、フォーゲルの顔を半ば強引に自分へ向けさせれば、少年は思い出したように息を深く吸い込み、途端に酷く咽た。げほげほと咳きこむフォーゲルを近くの木の幹に座らせ、背を摩る。

 どうやらまともに呼吸をすることすら忘れていたようだ。念のために安定剤を飲ませ、フォーゲルの呼吸が落ち着くのを待つ。少年は額に汗を浮かべながらも、顔を上げて視線をさまよわせた。

 アハートを探しているのだ。ミスティルは掌を握り締める。

「ねぇ、フォーゲル。一度事務所に戻らない? レオウが今、情報を集めてくれていて……」

「アハートは」

 え、と少女は聞き返す。

 フォーゲルは呼吸をなんとか落ち着かせて、改めて口を開いた。

「アハートは、森の番人なんだ」

「番人……?」

「この森を、守っている。アハートは、危険があれば、自分が向かって、他の動物を守る……森が、静かなのは、アハートが皆を守っているから。きっと、なにか大変なことが、今から起こるんだと思う。だから……俺が、アハートを守らなきゃ……」

 言いながらも、フォーゲルの瞳は木々の間を彷徨っている。

 それほどまでに、あの鳥を――ミスティルは首を横に振った。

「ミスティル?」

「私、先に行っているわ。フォーゲルは落ち着いてから追いかけてきて」

 フォーゲルが怪訝そうに首を傾げるのを横目に、少女は立ち上がって足早にその場を離れた。

 後ろから自分を呼ぶ声が聞こえたが、今は早く彼の側から離れたかった。

 胸の奥がざわざわとする。しばらく突き進んで、フォーゲルの姿が確認できなくなった辺りで、少女は詰めていた息を吐き出した。

「……最低だわ、私……」

 まさか、アハート相手に嫉妬した、だなんて。

 あれほどに、彼に求められるアハートを、羨ましく思った、だなんて。

 到底、彼に言えるはずがない。

「フォーゲルは、私のものでもない……のに……」

 昨夜、オールドー公爵へ言い放った、自分自身の言葉を思い返す。

 わかっていたはずだ。わかっていて、彼に「フライハイト」という名を――「自由」という意味を持つ名を、与えたのは自分自身なのに。

「フォーゲルに愛されたいなんて……本当に、最低だわ、私」

 足を止めた。

 泣きたいのは何故だろうか。

 彼には誰からも縛られたくないのに、今まさに自分が縛ろうとしているのは何故なのだろうか。

 己の自業自得であるはずなのに。


 と、後ろから自分を追いかけてくる足音が聞こえてくる。

 慌てて潤んだ目を袖で拭い、思わず逃げようとしたミスティルに、しかしそれを引き止めたのはフォーゲルの切羽詰まった声だった。

「ミスティル、伏せて!」

「え」

 振り返った途端にフォーゲルが自分を押し倒したのと。

 ダンッ、と至近距離で銃声が鳴り響いたのはほぼ同時だった。

 静まり返った森に、銃声が木霊する。地面は柔らかい土だった為に打ち付けた背中が痛むこともなかったが、現状が把握できないミスティルの目の前に、眉間に皺を寄せて必死さを表情にしているフォーゲルがいた。

 その右頬に、一筋の赤い線があり。そこから赤い血が、滲んでいて。

 走ってきたのだろう。酷く息を切らしながらフォーゲルは体を起こして、前を見る。

「なん、で……ここに、ソレが、ある」

 切れ切れに少年は言う。

 その時になってミスティルは周りの状態をようやく視認した。自分とフォーゲルの前方には一人の男がおり、その手に銃が握られているのを。

 レオウが話ていた噂の密猟者だ、と瞬時に理解する。だが、体を起こしたミスティルは我が目を疑った。

 密猟者が持っている銃が、日蔭の中、淡く、青色に発光している。


 エテルニア兵器に違いなかった。


 男はぶつぶつと何かを呟いている。日蔭に立っている為に表情は伺えない。しかし明らかに異常な様子だ。こちらに銃を向けたまま、まるで亡霊のように男は佇んでいる。

「……ミスティル、後ろに、隠れて」

「で、でも」

「大丈夫……俺には、当たらないから」

 彼の言葉には何故だか確信が感じられた。

 それに、密猟者の銃口はミスティルへと向けられている。ここはフォーゲルに従うことにして、ミスティルはゆっくり、相手を刺激しないように慎重に後ろへと下がる。

 すぐ近くの木まで、あと少し。

 その時、ふいにミスティルの耳にまで男の呟き声が聞こえてきた。


「……かなきゃ、いうことをきかなきゃ、いうことをきかなきゃ、いうことをきかなきゃいうこうときかなきゃいうことをきかなきゃいうことを」


 隣で少年が動揺したのがミスティルにもわかった。

「やめろ」

 少年の声が震えている。

 しかし、密猟者はうわ言を止めない。

「いうことをきかなきゃいうことを言う事を、言う事を聞かなきゃ」

「……やめろ」

「言う事を聞かなきゃ、言う事を聞かなきゃ、俺があの国を」

「ミスティル、聞かないで、お願い、聞かないで」

「俺が、あの国を、壊さなきゃ」

「やめろ!」


 フォーゲルが叫んだ。

 言葉の意味よりも、そのことに驚愕した。

 気を取られて、咄嗟に動けなかった。銃口は己に向けられたままだ。


 刹那、上空で羽ばたきの音が聞こえた。

 頭上を黒い影が横切り、男へと飛んでいく。そして鋭い爪で、銃を持った男に襲いかかった。

「アハート?!」

 声を上げたのは、自分だったのか、それとも彼だったのか。

 行方をくらましていたはずの鷹が、男を引っ掻き、嘴で攻撃をしている。フォーゲルが動いて手を伸ばす。


 二発目の銃声が鳴り響く。


 ビャッと悲鳴のような鳴き声をあげて、アハートが地面に落ちた。

「あ」

 それを、少年は目にした。

「あ、ああ、あ」

 男が持っている銃からは煙が上がっている。

 青い光が、一段と輝いている。

「ああ、あ、あああアアアアアア」


『 そこを、退け 』


 ふつりと、少年の声が止んだ。

 側で見ていたミスティルは、脳が現状に追いつけていない状態のままに、周囲の空気が一瞬にして変わったのを感じていた。

 その発生源は、側にいる少年からである。

 パキリ、と軽い音がしたと思えば、少年のだらりと垂れさがった手の甲に青い鉱石が浮かび上がる。パキ、パキリ、と小さな音は鳴り続け、少年の右頬にできた傷を青い鉱石が塞いでいく。

 少年が口を開く。


「――嗚呼。起きちまったじゃねぇか。まだ早いのに」


 しかし、その口から出た言葉は、少年のものではなかった。

 俯いた顔を上げた少年の、紅い色をした瞳に、不自然な青色の光が宿る。

「まったく。もう少し寝ているつもりだったのに、いつの時代も馬鹿ばかりだな。そんなに早く世界を壊したいのか自殺志願者どもめ……そら、還せ。それは能がない人間には、ちと重すぎる」

 少年。

 否、ソレは、男に向かって手を差し出す。

 瞬間、パンッと軽すぎる破裂音と共に銃が内側から破裂した。飛び散った破片で指先と腕をずたずたに切り裂けながら、男は気を失ってその場に崩れ落ちる。

 ソレが取った行動はそれだけだった。青い鉱石の鱗で覆われた腕を降ろし、ソレは振り返る。

「よう、ゼーレの姫さん。二年ぶりだな」

 この口調には覚えがある。

 ミスティルは、震えた声で、問いかけた。

「なぜ……何故、貴方が、いるの」

「『俺』は元からこの体にいたんだよ。それがこの被検体との契約なんでな。まぁ、『俺』が起きるのはもう少し後の予定だったんだが、予想外のことが起きたもんで」

 パキ、パキ、と右頬の鉱石がゆっくり広がっていく。

 ソレは少年の姿で。

 少年の顔で。

 少年の声で。

 少年ではない笑みと言葉を吐き続ける。

「こいつに名前をくれたのは感謝するんだが、気を付けてくれよ、ゼーレの姫さん。こいつは、あんたが思っているほど純粋でもねぇし、それどころか魔性だぞ。せいぜいこいつの目には気を付けるんだな」

「目……?」

「相変わらずあんたには効き辛いみたいだけどな。じゃぁな、姫さん。あとは任せたぜ」


 言い切り、目を瞑ったソレは、そのまま意識を手放した。

 倒れ込む体を咄嗟に支えれば、すぐに彼は目を覚ます。

「……ミスティ、ル?」

 紅い瞳にはあの光はない。言葉も表情も、少年のものだ。

「フォーゲル……で、いいのよね?」

「……俺……?」

 何が起こったのかわからない、という様子で困惑している。

 フォーゲルで間違いはないようだ。彼は力の抜けた手足を動かして、なんとか己の体を起こす。

「……っ、アハート!」

 思い出したように声を上げた。

 その時、前の方からピィ、と弱々しい鳴き声が上がる。

 地面に落ちたアハートだ。柔らかい地面の上で蹲るようにしているが、生きてはいる様子で。

 手の甲や頬の鉱石はそのままに、飛び起きるようにフォーゲルが駆け寄ってアハートを抱き上げた。片翼の端と腹部に傷があるが、銃弾は掠れただけだったようだ。至近距離で撃たれた反動と翼を少しだけ痛めた影響で地面に落ちたのだろう。安堵し、息を吐き出したフォーゲルは、アハートを抱いたままその場に座り込んだ。


 少女は、そんな後姿を見つめるしかできなかった。

 考えることが多過ぎて、思考がろくに回らなかった。

(何故……どうして……何が、どうして)


 銃声を聞いて駆け付けたレオウが来るまで、少女はただ立ち竦んでいた。




   4.「   」 完

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