3.5.レオウ・レントゥス


 レオウ・レントゥスには、かつて妻子がいた。

 過去形である。何故ならば、最愛の妻はすでに亡くなり、生まれたばかりの息子も今現在行方がわからないままなのである。

 レントゥス家を襲った悲劇は、ゼーレ国が滅亡する、その更に前にまで遡る。当時、ゼーレ国内で暴挙を働く強盗集団がいた。金品を盗むだけでなく人身の命すらも奪う強盗集団に、運悪く襲われてしまったのが、レオウが不在中のレントゥス家だった。

 すぐさま国を守る騎士部隊が派遣され、当時その騎士部隊の隊長に任命されたレオウ自らの手によって強盗集団の頭を捕らえることに成功した。が、その時にはすでに遅く、彼の妻であるロサ・フラーメンは強盗達の手によって重傷を負い、間も無く亡くなってしまったのだ。

ただ、そこに幼い息子の姿はなく。捕らえた強盗達も「気がつけばいなくなっていた」と証言していることから、運が良ければまだ生きているのかもしれない――それが、レオウにとって唯一の希望なのである。


 と、ここまでがフィークス・フラーメン婦人が知り得ている彼の過去である。

 フィークス婦人はにっこりと笑顔を見せた。婦人の前には、頭を下げて小さくなっているレオウの姿。

「レオウ君、わたくし、ティルちゃんを連れて帰ってきて、って言ったわよね?」

「め、面目無い……」

 更に小さくなる大の男に、婦人はやれやれと息を吐いた。

 婦人が呼ぶ「ティルちゃん」とは、ミスティル・A・ゼーレのことである。彼女はちょうど今から一週間前、慌てた様子で婦人の屋敷に舞い戻ってきては、婦人の伝手でどこか信頼のおける診療所はないかと問いかけたのである。

 見れば、少女の後ろで人の目につかぬように布で身を包まれている少年が、レオウに抱えられている。よくわからないが重症だろうと判断し、すぐさま診療所を手配した。だがしかし、それからというものミスティルは目を覚まさない少年につきっきり状態だというのだ。

 これではいけないと、レオウにミスティルを一度屋敷へ連れて帰ってくるように言いつけたというわけである。しかし背を丸める彼の様子から察するに、うまく説得ができなかったようだ。

「ティルちゃんはどこ? わたくしが説得してみます」

「は、はい、こちらでございます」

 レオウが案内した先で、病室前のベンチに項垂れながら座る少女の姿を発見する。二人の足音に顔を上げた少女は、見るからに目の下に隈を拵えていた。

 息が詰まる思いで婦人は少女に駆け寄った。

「ティルちゃん! まぁまぁ、こんなに窶れちゃって!」

「おば様……?」

「レオウ君から聞きましたよ。あまり眠れていないのでしょう? 一度我が家へいらっしゃい。温かい食事とベッドを用意するわ」

「でも……」

 俯く少女の頬を両手で包み、婦人はしっかりと目を合わせた。

「いいから、いらっしゃい。話はそれからです」

「……はい」

 戸惑いがちではあったが少女の了承を得て、フィークス婦人は頷く。

 馬車に少女を押し込み屋敷まで走らせ、事前に召使い達に用意させておいた部屋に招き入れ、レオウに下がるように言い、人払いをし。

 そうして婦人は少女に向けて腕を広げた。

「さぁティルちゃん、いらっしゃい」

「え? ……ふきゅっ」

 唐突に抱きしめられ、少女は婦人の豊満な胸元に顔を埋めることになった。

 オロオロとする少女に、フィークス婦人は頭を撫で付ける。

「辛かったでしょう。よく頑張りましたね」

 そして慈愛の篭った声で囁く。

 顔を上げた少女の顔は驚きに満ちていた。

「ここには私しかいませんからね。堪えるのはやめて、安心してお泣きなさいな」

「っ……! ……ぉ……おば、様……っ」

 少女の瞳から雫が溢れてからは早かった。

 極限にまで堰き止めていたものがなくなり、少女は声を上げて婦人にしがみ付く。ぼろぼろと零れ落ちる温かな涙を受け止め、フィークス婦人は少女の頭を抱きしめた。


×××


 その間、部屋の外で待機していたレオウである。

 部屋から漏れ聞こえていた泣き声が止み、暫くしてから名を呼ばれて部屋に入る。中では、少女が泣き疲れた様子で婦人に抱きしめられながら目を閉じていた。

「レオウ君、手伝ってちょうだい。ティルちゃんはこのまま寝かせてしまいましょう」

 婦人の笑顔に安堵する。

 言われた通りに少女をベッドに移し、布団を掛ければ少女はすぅすぅと落ち着いた寝息で眠りだした。あどけない寝顔に今までの疲労が見て取れるが、この様子ではひとまずのところは安心だろう。

「助かりました……どうにも、御嬢は私の前だと気を張ってしまうようでして……」

 少女は己の前では気丈であり続けた。極力泣き言を口にせず、前へ前へと歩き続けた。

 けれどもレオウとしては、少女が不貞腐れずに力強く生きることを選んでくれて感謝する反面、少女に年相応の感情や経験を何一つとして与えることができない自分に負い目を感じせざるを得ないのだった。何せ、彼女はまだ十六歳の幼い少女なのである。本当は、婦人のように少女を心ゆくまで泣かせてやりたかったのだ。

 そんなレオウに、婦人はくすりと笑って否定する。

「あら、それは違うのよ、レオウ君。ティルちゃんは貴方がどれだけ大切に想ってくれているか知っているし、自分の為に貴方が頑張ってくれていることを一番近くで見ているわ。ティルちゃんはその想いに応えるために、前を見つめて歩き続けただけ……じゃないと今頃、ティルちゃんはとっくの昔に心を砕いてしまっているところよ。貴方が支えてくれたからこそ、今のティルちゃんがいるの」

 穏やかに眠る少女の、涙の跡をそっと撫でる。

 婦人は柔らかく微笑んだ。

「ただ、そうね。レオウ君は年頃の女の子に甘えさすのが苦手でしょう。ロサに対してもそうでしたもの」

「い、いえ、ロサは、その……」

「ふふ。妹は、貴方のそんなところが可愛いのだとよく言っていたわ。けれどまぁ、わたくしで良ければティルちゃんの涙を受け止めて差し上げましょう。不器用なレオウ君の代わりに、ね」

 茶目っ気のある顔でいう婦人に、レオウは苦笑を返した。

「お心遣い感謝致します、義姉殿……」



 泣き疲れた少女が目を覚ましたのは、すっかり日が暮れた頃のことだった。

 ベッド周りの天蓋をぼんやりと眺めた後、緩慢な動きで体を起こす。はて自分はどうなったのだっけ、と目を擦りつつ眠る前のことを振り返り、ふと天蓋の向こう側に人影があるのを見た。

「ん……だれ……?」

「御嬢、目を覚まされましたか」

 耳に馴染んだ声が天蓋越しに聞こえる。天蓋を押しのけて顔を出してみれば、湯気立つカップを手にしているレオウの姿があった。

「ちょうど良かったですな。そろそろご起床なされるかと思い、スープを頂いてきたところです。お加減はいかがですか?」

「うん……大丈夫だけど……」

 言いながら、少女は目をぱちぱちと瞬きする。

「……目が痛いわ……」

「そうでしょうとも。どうぞこちらを」

 カップをサイドテーブルに置き、あらかじめ用意しておいた濡れたタオルを少女に渡す。泣きすぎて腫れぼったい瞼に押し当てれば、少女は息を吐き出して肩の力を抜いた。

「……なんだか、頭の中がすっきりしたみたい」

「よくお休みになられていましたからな。ですが、まだ顔色が優れないようです。少しでも栄養を摂って、しっかりと体調を整えた方がよろしいでしょう」

「……」

 少女は黙ってカップを受け取る。ちびちびと少しずつスープを口にする少女は、何かを考えている様子であり。

 カップから口を離し、ゆらゆらと波打つスープに目を落とす。

「……レオウ。彼を、最初に見た時のことを覚えている? あの本棚がいっぱいの部屋で」

「はい、覚えております。あの時は肝が冷えましたな」

 本棚と水槽だけの部屋だった。

 そこにいたのは、今まさに寿命を迎えたばかりの老人と、水槽の中で揺蕩っていた少年のみ。そこで彼女がとった行動には、常々レオウも疑問に思っていた。

 何故、唐突に彼女は、あの少年に銃口を向けたのか。

「私、あの時、何がなんでも彼を殺さないといけない、って考えたの。まるで自分とは別の、誰かの意思が入り込んできたみたいに」

「御嬢、それは」

「ええ、わかっているわ……エテルニア兵器を使って精神に異常をきたした使用者と、同じ症状なのよね」

 もちろん、あの時に少女が手にしていた拳銃に、エテルニアは使用されていない。

 ならば何が彼女を狂わせたのか。

 少女の瞳に暗い影が宿る。

「彼があの不吉な石に関わっているのは、明白よね……でもね、我に返ってから、ずっと考えていたのだけれど……もし彼が私を操ったのだとして、何故自分を殺させようとしたのかしら」

 レオウは少女の瞳が潤み出すのを見る。

 どうやら一度泣いて、涙腺が緩んでしまっているらしい。溢れ出した雫は数回瞬きしただけで頬を流れた。

「どんな、覚悟が、あって……? 何が、誰が彼を、そこまで……彼は何をしたの……?」

「御嬢……」

「っ……ごめんなさい、泣くつもりじゃ、なかったの」

 声が震え出した少女の手からカップを取り、タオルを差し出す。素直に受け取った少女は、ひくっ、としゃくりあげながら再度目を冷やす。

「……私、間違えたかしら。彼、助けちゃったけれど、良かったのかしら」

「理由なき死は周りを苦しめるだけです。それに、たとえあの少年が正しく悪人であったとしても、無闇に見捨てず救うことを選んだ、御嬢のそのお考えは誉あることです。判決を下すのは、真相を確かめてからでも遅くはありません」

「ひくっ……うん……」

 目を真っ赤に腫らしながらも呼吸を落ち着かせ、顔を上げた少女はのろのろとレオウを見る。

「……気のせいかしら、目の前がぼんやりするの」

 そう言う少女は、顔色が悪く、頰だけが赤い。

 一言断ってから少女の額に手を当てたレオウは、確信をもって告げた。

「熱があるようですな。薬をお持ちします故、今日はゆっくりお休みになられては」


×××


 次の日、高熱を出しながらも少年の側に行きたいと駄々を言う少女をフィークス婦人に任せ、代わりにレオウは単身で診療所へと向かうことにした。

 道すがら街の広報誌を購入し、情報を得る。エテルニア兵器を押収し終えた特別部隊は、無事にグローリア国の首都へと帰還を果たしたようだ。現在は捕らえた者たちへのより詳しい聴取を行なっていくと共に、押収した兵器の今後の扱いについて協議していくとのことである。

 その紙面に、亡きゼーレの姫君についての詳細は載せられていない。部隊の反対を押し切り、治療するために少年を連れ出した、そんな少女からの連絡がまだ何もないのだ。これからの対応を考えると胃が痛くなりそうだが、今はともかく少女の体調が戻るまではそっとしておくべきだろう……案外、部隊側もなんの手がかりも掴めないままに被験体を見殺しにするところだった為、こちらにどう伺いを立てるか慎重になっているのかもしれない。



 少年は相変わらず眠ったままだった。

 診療所に運び込まれた直後は、全身を覆う包帯に、点滴に、呼吸器に……と酷い有り様であった。が、あれから一週間が経ち、多少はマシにはなっているようだ。相変わらず手足は包帯だらけで顔も半分隠れている状態ではあるが、彼の治療に当たっているアルム医師によると容体は落ち着いてきているらしい。

 ただし、それは表面的な話である。少年がいつ目を覚ますのか、それは医師にも判断がつかなかった。そもそも少年に目覚める意思があるのかどうか。それすらも不明で、今はただ少年が生きようとしてくれるのを期待するしかできないとのことだった。


 少年が眠るベッド脇の椅子に、レオウは腰かける。

「……これは独り言なのだが……私には息子がいたのだ」

 そしてポソリと、呟く。

「無事に育っていれば、今頃はおぬしと同じぐらい……いや、もう少し幼いだろうか。ようやく私のことを、父と呼べるようになったばかりの頃だった……いなくなってしまったのだ」

 あの頃のことを思い出す。

 助け出した妻は、すでに手の尽きようもないほどの重体だった。

 けれど、彼女は事切れる寸前、レオウの手を握って、「あの子は大丈夫だから」と言ったのだ。

 母として誇らしげに、安心させるように穏やかな笑みを見せて。

「妻の言葉を信じたかった。だが、いくら探しても息子は見つからず……それ以来であろうな。どうにも、死に急ぐ幼い子を見ると、放ってはおけなくなるのだ。これはただの私のエゴであると、わかってはいるのだが」

 深く眠る少年に、この言葉は聞こえていないだろう。

 だが、レオウはようやく、決心したように微笑んだ。

「そういうことなのだ。御嬢……いや、我が姫の為にも、おぬしには生きぬいてもらうぞ。文句があるならば、目を覚ましてから語ってくれ」


×××


 少女の熱が下がったのは、それから三日後のことだった。

 心身共に回復を果たした少女は、ベッドから抜け出して開口一番、レオウに向かって宣言した。

「レオウ、私決めたわ」

「はて、決めたとは何を?」

「商売を始めたいの。いわゆる『何でも屋』ってやつね」

 そう言う少女の笑顔は明るかった。

 レオウを見上げる瞳に、もう影は見当たらない。どうやら少女も覚悟を決めたようだ。

「このまま、おば様に甘え続けてはいられないし……なにより彼が目を覚ました時に、三人揃って路頭に迷うようなことは絶対に避けなきゃ。でも今私に何ができるのかわからないから、とりあえず何でもやれそうなことからやってみようと思うの」

「なるほど、それで『何でも屋』ということですな」

「そう。とは言っても、さっき思いついたばかりだから、本当にまだ何にも考えてないのよね。まずは身の回りの厄介ごとから片付けていかなきゃ……あ、ちなみに店の名前だけは考えてあるの」

 少女はにこりと笑った。


「『リーベルタース』。いい名でしょう?」





  3.5 .レオウ・レントゥス 完

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