3.ミスティル・A・ゼーレ


「貴方、誰なの?」

 問いかけた。

 日当たりの良い庭園の、影になっている所。強い日差しで影は黒々としており、振り向いたその人影の輪郭がよくわからない。ただ、顔を隠す襤褸布の隙間から流れ落ちている黒髪と、闇の奥から覗く深紅の瞳が印象強い。

 人影は声を発する。

「……へぇ、この目が効かないのか。流石はこの国の姫君ってところかな」

 この声を知っている。

 身近で、何度も聞いたことがある。

 けれど、彼ではない。

「ちょうどいいや。教えてくれよ、ゼーレの姫さん。アンタは、コイツに何という名をくれてやるのか」



「フォーゲル……っ」

 勢い余って声が出た。

 目が覚めたばかりの視界の中で、名を呼ばれたフォーゲル・フライハイトが目をぱちくりとさせている。その顔を見て、ようやく先ほどまで見ていた光景が夢であったことを認識し、ミスティルはホッと息を吐き出した。

「ミスティル、なに?」

「あ……あぁ、えっと……ごめんなさい、寝ぼけていたみたい」

「……? おはよう、ミスティル」

「はいはい、おはようフォーゲル。診察は終わったの?」

「今、薬、出してもらうのを待ってる。もう少し」

 そう言う間に受け付けからフォーゲルを呼ぶ声が聞こえてくる。薬の用意ができたのだろう。それを受け取りに向かうフォーゲルを見送りながら、ミスティルは視線を受け付けのカウンターに置かれているカレンダーへ向ける。

 先ほどのうたた寝で見た夢も、最近寝付きが悪く睡眠不足が続いているのも、心当たりがあり過ぎて思わず溜め息を吐いてしまう。

「あれから五年、ね……」

 過去このグローリア国の隣国であった、ゼーレという名の国が炎に包まれて崩壊した日が近付いてきている。

 あれから五年経った今、未だにその日が近付くと当時のことを鮮明に思い出してしまう。前触れもなく、宣戦もなく、唐突に、突然紅い炎に包まれてしまった、あの当時のことを。

「ミスティル」

 気付けばすぐ側にまでフォーゲルが帰ってきていた。

 じっと見つめてくる紅色をした瞳に、ミスティルは苦笑してみせる。

「……わかってるわ。今日はもう帰ってちゃんと休みます。こう寝不足が続くと肌にも悪いものね」

 頷くフォーゲルに促されて、ミスティルは立ち上がった。


×××


 燃え上がる炎は、夜空をまるで夕暮れ時のように赤く染めている。

 高台からその光景を力なく見つめる少女は、先ほどまで泣き喚いていたのが嘘だったかのように静かだった。

 そんな少女の肩に触れるのは、後に少女の従者になる元騎士だ。

「姫、もうここも危なくなります。お辛いでしょうが、離れましょう」

 少女は応えず、頷きもしなかった。

 その代わり、酷く落ち着いた声で言葉を発した。

「……お父様も、お母様も……皆、いなくなってしまったわ……」

「姫……」

「わたくし、何もできなかったわ……何も……できなかった……」

 見れば、少女の両手は強く握りしめられていた。

「わたくし、許せそうにありません」

 そう呟く少女の瞳は、深く淀んだ光が宿っていた。


 ゼーレ国は、四方を切り立った山々に囲まれている国だった。

 その昔、空の向こうから飛来した石によってできたクレーターの、その中に作られた国だったのである。国を覆う山々は草木の生えない不毛の地であったが、不思議とクレーターの中心部には地下水が湧き出る豊富な水源と作物が育ちやすい豊かな土があり、そこに人が集まり、国ができたのだ。

 山を切り出し隣国へ続く大通りを整備し、豊かな土地を最大限活用して商業で交流をする。争いは好まず、隣国との関係は概ね良好だった。

 だからこそ、そんなゼーレ国が一晩で灰と化したことに、近隣諸国は大いに驚愕した。ゼーレ国を襲ったのは名もない軍隊で、どこに所属していたのかもわからない。突然湧いて出たように現れ、未知の兵器で国を、土地すらも全て、焼き尽くしたのだ。

 その軍隊はゼーレ国を跡形もなく破壊するだけ破壊し、代わりに何も奪わずに去っていった。そして、未知の兵器を他国に高値でばら撒き始めたのだった。

 その未知の兵器に使われていたというのが、エテルニア鉱石である。

 膨大な力を秘めたエテルニア鉱石だが、その石の出所はどの国も知らなかった。また、確かに絶大な威力を持っていた兵器だが、度々使用者が精神に異常をきたす事例が発生した。これら未知の兵器と鉱石を危険視した国々は、正体不明の軍隊を取り押さえるべく協定を組み、精鋭を集わせエテルニア兵器を回収・破壊するための特別部隊を結成する。

 その中に、当時十六歳だった少女――亡き王国の第一王女、ミスティル・A・ゼーレは存在した。国が焼かれてから三年後のことである。


×××


「じゃぁフォーゲル、行ってくるわ。留守番お願いね」

 玄関口でそう言えばフォーゲルはこくりと頷く。

 少年の見送りを受けつつ、外でレオウが用意してくれていた馬車に乗り込む。馬車はゆっくりと走り出し、事務所とフォーゲルの姿が見えなくなったところで、ミスティルは嘆息を吐いた。

「お嬢、移動の間だけでもお休みになられては」

 向かいに座るレオウが眉を下げ気味に言う。

 少女は僅かに肩の力を抜いた。途端に疲労が顔に出てしまうが、幸いにも今この場には己とレオウしかいない。

「……昨日、フォーゲルにも注意されたわ。そんなに私わかりやすいかしら」

「あやつはそういったことに人一倍敏感ですからな。悟られないという方が無理な話です」

「そうね……あー、やだやだ。今日の会合は正直に言って気が重いわ……」

 本日開かれる会合は、近日発生したエテルニア鉱石に関する事件について協議するという内容だ。

 ついこの間、オアシス家に関するエテルニア武器の事件に関わったばかりだが、どうやら似たような事件がここ最近立て続けに起こっているようなのだ。それらの事件は一通り処理され、発見された武器も無事に回収されたらしいのだが。

「きっと彼らは、フォーゲルへの処罰を求めるのでしょうね」

「御嬢……」

「わかってる。彼を保護するように口を出したのは私だし、彼らだって一番の被害者が誰か、理解しているはず……大丈夫。なんとかするわ」

 そう、一番の被害者はゼーレの生き残りである自分であり……フォーゲルもなのだ。

 ミスティルは長く息を吐き、瞼を閉じる。

「……やっぱり少し休むわ……」

「畏まりました。安心してお休みくださいませ」

「うん……ありがとう、レオウ……」

 体の力を抜けば、すぐに睡魔はやってくる。

 抗うことなくそれに身を任せ、少女は眠りについた。


×××


 かの人物は、膨大な量の書架に埋まるようにして鎮座していた。

 名もなき軍隊の、その根城。奇襲作戦に参加し、特別部隊に紛れ込んで乗り込んだ先で、少女が見た光景がそれだった。

 白衣の先から覗く手足は枯れ枝のように細く、窪んだ目が印象的で。会ったことがないはずの容姿であるはずなのに、その彼は、まるで旧知の仲であるかのように少女へ言葉を発した。


「……よう、ゼーレの姫さん。久しぶりだな」


 ただし、その口調には聞き覚えがあった。

 少女は嫌な予感を抱えつつ、白衣の人物へ銃を向ける。

「貴方は誰?」

「わかっているだろうに……ただ、まぁ、申し訳ないことに『俺』には名乗れる名がなくてな。その問いには応えられない……あぁ、頼むからその銃で撃ち殺そうとしないでくれよ。これはじいさんの遺言なんだ。死に際は書架に埋もれて逝きたいそうだ……『俺』のために体を貸してくれたのに、その願いすら叶えられないんじゃ、ろくに成仏させてやれねぇぜ」

 涸れて今にも消え入りそうな声であるのに、その言葉は不釣り合いに明朗としていた。ただし言葉の意味は不可解極まりない。白衣の老人には敵意がなく、ただ静かに分厚い本の頁を捲っている。

 銃口を向ける少女の体が震えた。

 直感的に理解したのだ――この老人は、あと数分で寿命を迎えるのだと。

「……はは、流石ゼーレの姫さんだ。その直感は大事にしろよ? ……ああ、どのみち、このじいさんは死ぬんだよ。でも一人じゃ寂しいっていうんでな。『俺』が付き合ってやってるんだけども……」

 視線は本の文字を追ったまま、老人は枯れ枝の指先を彷徨わせる。立ち並ぶ本棚の隙間を指差し、絞り切るように声を発した。

「……この奥、に……あんたらの目的がある……あいつ、まだ名前がないんだ……姫さん、あんたがつけてやってくれ……」


「じゃぁ、な」


 かくりと落ちた腕に、老人が静かに息を引き取ったのを知る。

 少女は狼狽えた。

 己は、この人物に恨みがあったのではないか。

 己は、この人物に復讐する為に銃を手にしたはずなのに。

 己は、ただ寿命を全うした亡骸の死に際を目にしている。

「姫! こちらにお出でで……」

 駆けつけて部屋に飛び込んだ従者でさえ、言葉を失う。

 部屋の外で繰り広げられている応戦と暴力と罵倒を全て否定するかのように、この一室は静寂に満ちていた。

 部屋にあるのは、沢山の書架と、枯れ木のような白衣の老人の亡骸、そして銃を手に呆然とする少女。

 少女がふらりと動き出す。今にも折れてしまいそうな不安定な足取りに、元騎士である従者は思わず手を伸ばすが、それは届きはしなかった。

 少女はふらふらと本棚と本棚の隙間へ、奥へ奥へと足を踏み入れる。

 立ち並ぶ本棚の向こう側から、鮮やかな青色の光が漏れ出していた。

 導かれるように足を進め、やがて少女はそれを目にした。


 一つの大きな水槽だった。

 大袈裟なほどに備え付けられた数々の機械に、脈のように伸ばされ繋がれている大量のコードの群れ。なのに、ごぼりとした気泡で僅かに沸き立つ水の音以外には、拍子抜けするほどに何も聞こえてはこない。

 その水槽の中に、人影がひとつ。

 溶液の中、ぷかりぷかりとたゆたうソレには、まさに生命線である大量のコードと管が繋がれていて。


 そして半身、いや体の大部分を、青く光る結晶に侵食されていた。


「こんな……こんなの……私は……」

 心に宿るのは言い知れぬ怒りだった。少女は今度こそ銃を向け、発泡する。

 一発、二発、三発と、銃弾は分厚い水槽のガラスを割り、破裂するように中の溶液が床に吐き出される。流れ落ちた溶液に本棚の書架が水浸しになるのも構わず、自身の足元を濡らしながらも少女は割れた水槽に駆け寄った。

 ソレはまだ中にいた。喉奥に入り込んでいたらしい管をずるりと吐き出し咳き込みながら、ソレは肩肘をついて顔を少女に向ける。

 ソレは少年だった。ぼろぼろの服の間から何本ものコードが伸び、体と顔の左半分までを青い鉱石が鱗のように覆っている。

 唯一、少年の瞳だけが紅い。その紅色に衝動的に銃を向けた少女は――刹那、唐突に我に返った。


 なぜ己はこの少年を殺そうとしているのだろう?

 この少年が「何か」をしたという確証は無い。むしろ、推測するに彼は何かしらの実験による被験体であって、被害者側ではないのか。

 だというのに――何故、衝動的に、銃口を向けた?


 自身に呆気に取られ身動きが取れずにいた少女を、少年はその虚ろな紅い瞳で見つめ。

 確かに、確実に、失望の色を浮かべた。


×××


 会合の場として用意された大広間の中は、殺伐とした空気が漂っていた。

 ゼーレ滅亡から五年、エテルニア兵器破壊作戦から三年……会合に集まった面々はエテルニアに関する協定と作戦に関わった者ばかりだ。

 用意された席につき、ミスティルは辺りへと視線を巡らせる。

(……近隣諸国の上層部が一同に、よくもまぁ)

 その者たちの視線が突き刺さるのを肌で感じ、内心でミスティルは呆れかえる。これはどうやら、危惧していた展開そのものになってしまうようだ。

(エテルニアの発生源は今現在も不明なまま。あの作戦の中で、兵器を開発指導していたと思われる老人は私の目の前で亡くなって、その技術がどのように行使されていたのかもわからない……だから、もはや見なかったことにして、早くこの不吉な鉱石の件から手を引きたい、と)

 けれど、彼らには野放しにできない事柄がある。

 それが己が「フォーゲル」と名付けた、あの少年の存在だ。

 奇襲作戦によって保護された少年は当時、まともに意思疎通ができないほどに衰弱しており、おまけに身体の半身を青い鱗のような鉱石に覆われ、生きているのも不思議なほどの有様だった。そんな少年の姿を見た者たちは、口々に心無い言葉を吐き出した。

 『この少年があの不吉な鉱石の発生源ではないか』と。

(情けない……彼らはフォーゲルに全ての責任を負わせて、見捨てたいだけなのよ……)

 少なくともミスティルは、彼と暮らし、彼と行動を共にしたことで、この場にいる大人達が思うような化け物ではなく、彼がれっきとした一人の人間であり、一つの個人であると認識している。

 認識、できているはずだ。

(私が思い悩むのは、これがただの自分勝手なエゴでしかないということよ)


 そも、己がなぜ彼を擁護するのかというと――見てしまったからだ。

 崖の淵に佇んで、静かに笑う、彼の顔を。


×××


 奇襲作戦は無事、成功という形で終わった。

 施設内にあった全ての兵器は回収され、後に破壊される。関係者は残らず捕らえられ、刑に課せられることだろう。

 しかし部隊が得られたのはそれだけだ。主犯らしき老人は死亡、兵器製造に関わる資料は一切残っておらず、捉えた者達は流れ作業を淡々と繰り返していただけの使い捨てで何も情報を掴んでいない。ただ、少女が発見し保護したという被験体の少年だけが残ってしまった。

「ねぇ、貴方の名前は?」

 根気強く尋ねるも、少年の反応は薄い。僅かな首の動きだけでのやり取りでしかできないようで、しかし、兎にも角にもこの少年からいろいろと情報を聞き出す必要があった。

 被験体だったのだ。そこらの者よりも、内部事情に通じていた可能性がある。

 けれども少年は一向に口を開こうとしない。何度か問いかけ、反応を伺い……ふと、少女は思い至ったことを口にした。

「貴方、もしかして名前がないの?」

  少年は頷きで肯定した。

 少女の問いに答えられないわけである。そういえばあの老人は、「名前を付けろ」と言ったのだったか。少女は改めて少年の目を見つめる。

「いいわ、わかった。私が貴方に名前を与えてあげる。貴方はそれでも構わない?」

 ようやく少年がまともな反応を見せた。

 僅かに少年の目が丸くなる。驚いたようだった。そして釣られたように閉じていた口を開く。

 だが、それはすぐに閉じられた。少年の目は少女を通り越した背後へと向けられている。振り返れば、そこには撤収作業をする部隊員と、それらを指揮している部隊長がいるだけだ。

 それの何がいけなかったのだろうか。視線を戻した少女が見たのは、全ての感情が抜け落ちた少年の表情だった。

 完全に心を閉ざしてしまっている。人間らしい感情が一切読み取れない。

(何が原因で……そこまで……)

 かけるべき言葉が見つからない。それでも何かを言わなければ、と口を開いたところで、ふいに背後から名を呼ばれる。

 己を呼んだのは部隊長であった。確かオールドー・ルベルという名前だったか。

 この時、この部隊長となんと会話したかは、正直覚えていない。重要なのはその後だった。

 目を離した隙に、忽然と少年が姿を消してしまったのだ。

 半身を鉱石に侵食されていたのだ。まともに立つだけでも困難だっただろうに、少年はそこにいない。慌てて辺りを見渡した少女の脳裏に、嫌な予感が湧き上がる。


 あの時。割れた水槽の中で、まるで『死ねなかったことに』失望したような、そんな目をしていなかったか?


 この施設周辺は切り立った崖が続いている。予感のままに足を運べば、案の定、少年は崖の淵に佇んで眼下を眺めていた。

 冷たい風が髪を揺らしている。夕陽の赤い色の中、少年を覆う青い鱗は不思議な色合いで光を反射していた。

 これは、この世の風景ではない。

 咄嗟に少女は声を張り上げた。

「待って!!」

 だが、次の言葉が出て来ない。何かを言わなければいけないのに、今更になって疑問が次々に思考を埋める。

 なぜ己はこの少年に執着する?

 なぜ己はこの少年を助けようとする?

 なぜ己はこの少年に生きていてほしいのか?

 なぜ己はこの少年を――殺してやれなかったのか?

「っ……」

 湧き上がる思考を停止させたのは、少年の振り返った顔だった。


 笑っていたのだ。

 落として、失くして、諦め、諦めた、そんな静かな笑みだった。

 少年は口を開く。

「ごめんな」

 それが、少女が初めて聞いた少年の言葉だった。

 少年は崖下へと身を投じた。


×××


「……」

 ぼんやりとする頭を持ち上げ、フォーゲルは時計を見上げた。

 いつの間にか机に突っ伏して眠っていたようだ。時計の針は最後に見た記憶から一つ先に動いている。凝り固まった体を伸ばし、一息を吐く。

「……」

 まだ思考がぼんやりとして、ようするに、眠い。

 ここ最近、やけに眠いのだ。睡眠時間はきちんと取っているのに。

 重い瞼を持ち上げつつ、机上の自分の手に目を落とす。


 結果的に、少年は一命を取り留めた。

 崖の下で見つかった時、少年は巨大なエテルニア鉱石の石柱の中にいたという。

 その辺りの地形は事前に調査済みで、未確認の鉱石の塊があるという報告は一切なかった。それに、この不気味な塊はどう見ても少年を中心に発生しており、おまけにあの高さから落下したにも関わらず少年の身は潰れずに残っている。突然出現したエテルニア鉱石の塊の中に、まるで守られたかのように微かな呼吸を続けている少年の姿は、誰もが不気味さと不吉さを感じたという。

 このまま手を出さず息絶えさせた方が良いのでは、という意見が出るほどには。

 あまりに現実離れしたこの光景は、きっと厄災に違いない。ならばこの不吉な鉱石は、この少年が発生源なのではないか。であるならば、この少年は生かすべきではないのではないか。

 それらの言葉に啖呵を切ったのがミスティルであった。少年が生きているとわかった途端に鉱石の塊に自らわけ入り、石を砕いて少年を引き剥がし、信頼の置ける診療所へと連れていった。

 もはや半身以上を鉱石に侵されてしまった少年は、崖から落下した割には目立った損傷がなかったものの衰弱が酷く、意識は全く戻らず昏睡状態が続き……少年が目を覚ましたのは、それから一年も後のことだった。


 その少年が、今のフォーゲル・フライハイトである。

 青い石の鱗に覆われていない自分の手を見つめ、フォーゲルは誰もいない部屋でポツリと言葉を音にする。

「……ハカセ。俺が思い出したいのは、そういうことじゃなくて……」

 と、ふいに玄関口からの呼び鈴が鳴る音を聞く。ミスティルとレオウが帰ってきたのだろうか。ふるりと首を横に振って眠気を散らし、椅子を引いて立ち上がった。


 ……だが、玄関口に立っていたのはレオウでもミスティルでもなく、招かれざる客だった。

「目が覚めたと聞いていたが……ふん、人形のままではあるようだな」

 黒い軍服姿の男は言う。

 その声を聞き、姿を見た瞬間、フォーゲルは声を出すことができなくなってしまった。

 無意識に息が詰まり、指先が震える。床に張り付いてしまったかのように足が動かない。

 その男――オールドー・ルベルには、それだけの力があった。

「一緒に来てもらおうか被験体。貴様を連行する」


 この楔は未だ自分を縛るのか。

 朦朧とする頭の中で、ただそれだけを思考した。




   3.ミスティル・A・ゼーレ 完

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る