2.クーストース・オアシス 後編

2.


 二日間の情報収集の後、ミスティルは現地に乗り込むことをクーストースに告げた。

「やっぱり、こう場所が離れていては、ね。貴方が家出したという事ばかりが出回っているみたいで、それ以外の情報がなかなか掴めなかったの」

「そっかぁ……」

 十分に考えられる結果ではあったが、クーストースはそれでも残念そうに肩を落とした。

 そんな様子を見て、ミスティルは目を細める。

「ねぇ、貴方。家出する時に何かしたの? ただの家出にしては捜索の規模が大きいのよね」

「え、あー、うん……えっと……」

 妙に言い淀むクーストースに、声を発したのは側にいたフォーゲルだった。

「クース、首から下げてる」

 途端にクーストースがギクリと顔を強張らせる。じっとミスティルが見つめれば、観念したように自分の首に引っ掛けている紐を引っ張りあげた。

 紐の先には手のひら程の鍵が付けられている。

「鍵?」

「その……家出する時、父さんと喧嘩しちゃってさ。ムカついたから持ち出してきちゃったんだ……倉庫の鍵。えへへ」

「倉庫の鍵って、貴方」

 目を丸くしてミスティルは復唱した。

「武器庫になっている例の部屋のことよね? よくもまぁ、持ち出せたものねぇ。倉庫に予備の鍵はないの?」

「うん。もともと使っていない物置部屋だったし、窓もないよ」

「中に入っているものがやましいものである以上、鍵師を呼ぶこともできない……か。それであの手この手と捜索の手が広まっているわけね」

 納得したようで、ミスティルは腕を組んで暫く黙り込む。カレンダーに目をやり、手早くテーブルに地図を広げた。

「馬車を使えば丸一日で行ける距離……改めて思うけれど、貴方よく一人でここまで来られたわね」

「途中で行商人のおじちゃんの馬車に乗せてもらったりしたんだよ。おかげでお小遣いがすっからかんになっちゃった……あ、僕の依頼料っていくらなんだろ?」

 今になって気付いた様子で慌てるクーストースに、ミスティルは苦笑する。

「依頼がちゃんと終わった後に、貴方のお父様に請求させて貰うわよ。その時は覚悟してもらうことにして……レオウ、すぐに馬車を手配して。フォーゲルとクーストース君は荷造りをお願い。明日の朝には出発しましょう。それでいいわね、クーストース君?」

「あ、う、うん!」

「それじゃぁ、そういう段取りで各自宜しくね。私はフィークス婦人に事務所を暫く空けることを報告に行ってくるわ」



×××



 かくして翌日の朝一には荷物を積んだ馬車に乗り込み、出発した一行であった。

 朝方はよく晴れ渡った穏やかな気候だった。

 しかし目的地に近付くにつれ厚い雲が空を覆うようになり、夕方頃にはついに雨が降り出した。

「御嬢、どこかで馬を止めた方が良さそうですぞ。この空模様ではその内に土砂降りの雨になるかもしれませぬ」

「あともうちょっとなのだけれど……仕方ないわね。村に入るのは明日にしましょう」

 レオウの提案にミスティルが頷く。そして少女は腕を組んで辺りを見渡した。道中休憩で立ち寄った宿場にまで引き上げるにも中途半端な距離まで来てしまっていたのだ。むろん、辺りに宿屋らしき建物はなく、まだ身を隠しておきたいクーストースもいることから、ミスティルは溜め息を吐く。

「野宿になっちゃいそうね」

「あ、それだったら」

 話を聞いていたクーストースがひょこりと荷物の間から顔を覗かせた。万が一にも村の知り合いに出会ったりしないよう、荷物に紛れて隠れていたのだ。

「この先に、少し前までうちの使用人だった人がいるんだ。頼めば雨宿りぐらいはできるんじゃないかな」

「でも貴方、身を隠していたいのでしょう? 居場所がバレてしまうのではない?」

「んー、そうなんだけど」

 言いながら、クーストースは顔を隠す為のフードを少し上げ、無邪気な笑顔を見せる。

「実はあらかじめ僕の家出を話してある人なんだ。大丈夫、味方になってくれるよ」



 クーストースの提案により進路を変え、目的の家に着いた頃には雨足は強くなっていた。

 荷物と馬の番をレオウに任せて扉を叩いたクーストース達を、若い女性は驚きの声を上げて迎え入れてくれた。

「ぼっちゃん、よくぞお戻りになられましたね! どうぞ中へ、お連れ様も是非!」

 クーストースの話は本当だったようで、女性は辺りに目を配りながら一行を家の中へと迎え入れ、しっかりと戸締りをする。そしてホッと安堵の笑みを浮かべた。

「ご無事でなによりですよ、ぼっちゃん。お見送りしたのは良いものの、ずっと気掛かりで……」

「心配かけちゃってごめんね、アルカ。この人達はリーベルタースっていう何でも屋さんで、父さんのことに協力してくれるんだよ」

 クーストースの紹介を受け、ミスティルが代表で声を発する。

「リーベルタース所長のミスティルと申します。突然の訪問で申し訳ないのですが、雨宿りに一晩お願いしたいのです」

「えぇ、それはもちろん、どうぞゆっくりと休まれてください。申し遅れました、私はぼっちゃんのもとで使用人をしておりましたアルカといいます。あの、それで、実は私もあなた方にお頼みしたいことがありまして……」

 アルカが言い淀む。首を傾げるミスティルだったが、ふいに自分の傍を横切る影に慌てて声を上げた。

「フォーゲル? 何をしているの、勝手に歩き回っては駄目よ」

 ミスティルが視線を向けた先、フォーゲルは一人、何かを探るようにゆっくりと辺りを見渡していた。その足が、奥の部屋へと続く扉の前で止まる。

「そこに」

 少年は、唐突に扉を指差した。

「そこに、ある」

 一同が呆然とする中、一人息を呑む者がいた。

 アルカだ。彼女は動揺を隠しきれないままに、フォーゲルに問いかけた。

「そこは母の部屋です。ちょうど母のことでお頼みしたいことが……あの、何かわかるのですか? 数日前に旦那様から宝石を頂いてから、いくら声をかけても反応が薄くて、しまいには私を見ると怯えるようになってしまって……」

「宝石? それはもしかして、青色の宝石ではなくて?」

 すぐにミスティルが食いつくように発言する。何故知っているのか、とアルカは驚きながら頷いた。そうしている間にフォーゲルは勝手にその扉を開ける。

 中には酷くやつれた老婆がいた。何かをぶつぶつと呟いているのが辛うじて聞こえる。老婆は両手で祈るように何かを握り込んでいて、それに向かって何かを囁いているようにも見えた。その組まれた両手の間から、かすかに淡く青色の光が漏れ出ている。

 自然発光するそれは、間違いなく今ミスティルたちが突き止めようとしている鉱石で間違いがなく。

 部屋の中へとフォーゲルが足を踏み入れる。反応が薄いというアルカの言葉とは裏腹に、老婆は反射的に顔を上げ、少年を見た。

「……あ……ああぁ……?!」

 そして酷く狼狽する。他の誰でもなく、少年を見て狼狽したのだ。

 慌てて部屋に入ろうとしたミスティルを視線で押し留まらせ、フォーゲルは老婆へと歩み寄ると片手を差し出した。

「それは、俺のです」

「あぁ……ぁぁぁ……」

「返して、ください」

「わ……私は……私は……」

 固まったように手のひらを開かない老婆に、少年はじっと見つめて言葉を続ける。

「それは、貴方宛のものじゃない。俺が自分で、背負うべきものです。だから、返してください」

 老婆が目を見開く。

 そして涙をはらはらと溢しながら、固く握り込んでいた手のひらを解いた。中にあったのは、青く発光する指先程の小さな石だった。

 少年が石に触れる。その次の瞬間、パンッと乾いた音と共に、石が割れた。見る間にただの砂へと化していき、老婆の手のひらから溢れ落ちていく。

 と、ふいに老婆は我に返ったようにフォーゲルを見た。

「……え? あなたは?」

 今ようやく、少年をフォーゲルとして認識したかのようだった。辺りを見渡し、娘であるアルカを見つける。

「アルカ、この方たちは一体……」

「か、母さん、私がわかるの?」

 驚いたのはアルカだ。老婆に駆け寄り、その手を握って母の顔を覗き込んだ。

「あぁ良かった、母さん、私がわかるのね! ここ数日どんなに声をかけても返事をしてくれなかったのよ? 覚えていないの?」

「え……? そうなの、私が? ……なんだか頭がぼんやりするわ。何をしていたのかしら私……」

 首を傾げる老婆は本当に何も覚えていないようだ。手のひらにある青色の砂にも不思議そうな顔をする。その顔色は、先ほどよりも良くなっていて。

 そこまで観察してホッと息を吐いたミスティルだった――が、直後にクーストースが声を上げた。

「フォーゲル、大丈夫?! 顔が真っ青だよ?!」

 すぐさま目を向ければ、文字通り顔面蒼白になりながらフォーゲルが部屋から出てきたところだった。ふらつく体をクーストースに支えて貰いながら、フォーゲルは口を開く。

「……くすり……」

 けほっ、と咳き込む彼に、ミスティルは慌てて腰元のポーチから薬瓶を取り出した。そうしている間にもフォーゲルは胸元を抑えてその場にうずくまってしまう。

 胸が苦しく、呼吸がままならない様子だ。げほげほと咳き込む彼に液状の薬を飲ませ、壁にもたれさせる。即効性のある安定剤である薬であったため、苦しそうながらも彼はすぐに咳をとめた。

「だ、大丈夫なの? フォーゲル……」

 心配そうに顔を覗き込むクーストースに、フォーゲルは小さく頷いた。

「久しぶり、だった、から……体が、追いつかなかった、だけ」

 けほり、ともう一度咳をしながらも、少年はそう答える。とは言うものの、顔色は悪いままだ。そのままずるずると倒れこんでしまいそうになる体を支えながら、ミスティルは神妙な顔でフォーゲルに問い質す。

「フォーゲル、貴方一体、何をしたの」

「返して、もらった」

 それに対するフォーゲルの回答は短かった。すぐに収まったものの呼吸困難にまでなりかけたことから酷く体力を消耗してしまったのだろう、目を開けていられないとばかりに少年は瞼を閉じる。

「……せ、に……」

 声は言葉になりきらなかった。そのままフォーゲルはミスティルに体を預けて眠ってしまう。

 少女は深く、息を吐く。

「クーストース君、外にいるレオウを呼んできてくれる? フォーゲルはこのまま寝かせた方が良さそうだわ」

「え、う、うん、わかった」

 ぱたぱたとレオウを呼びに行くクーストースを余所目に、ミスティルはフォーゲルを見下ろす。

 すっかり脱力して寝入る少年に、彼女はもう一度嘆息した。



×××



 眼下を見ていた。

 遥か下には葉のない茶色の木々があるばかりで、ここから落ちればさぞかし痛いだろう、とぼんやり思考する。

 崖の淵に佇む。冷たい風が髪を揺らしている。

 背後から呼び止める彼女の声に、振り向いて。

「ごめんな」

 ひとこと、呟いた。



 見慣れない天井に、フォーゲルは何度か瞬きを繰り返した。

「……夢?」

 横になったまま記憶を遡り、ああ、と納得する。あのまま眠ってしまったのか、と。

 ゆっくりと体を起こして辺りを見渡す。と、ベッドにもたれかかるようにして眠るミスティルの姿に気が付いた。

「……」

 つい先ほど見た夢を思い出す。背後から自分を呼び止めていた彼女と、今眠っている彼女と。あの時、彼女は何を言おうとしていたのか。それから……

 自分に掛けられていた毛布を彼女の肩にかけ、フォーゲルは窓の外を見た。外はすっかり夜中になっており、月明かりが煌々と暗い室内へ差し込んできている。眠っている間に雨は止んだようだ。

 その窓の縁で、チロチロと赤い炎が見え隠れしている。窓を開けて外を覗き込んでみれば、すぐ近くでレオウが焚き火をしていた。

「おぉ、フォーゲル」

 レオウが気付き、小声で手招きをする。フォーゲルは一度後ろのミスティルを振り返り、起こさないようにそのまま窓から外へと降りた。

「体調はどうだ? クーストース殿が呼びに来た時は驚いたのだぞ」

「ごめん。今は、大丈夫」

 差し出された毛布を素直に受け取り、レオウの隣に座り込む。次いでパンを手渡され、フォーゲルはもそもそと噛り付いた。しっかり空腹になっていたのだ。その様子から体調の回復を確認したのだろう、レオウは手早くスープ鍋を焚き火の上に吊るす。

 目的地の村から少し離れているこの場所は、夜になると静寂に包まれるようだ。時折聞こえる鳴き声は夜の鳥のものだろうか。ぼんやりと考えながら口を動かしていれば、早々に温まったらしいスープを淹れたカップをレオウが差し出してきた。

「この辺りの夜は冷えるものだな。これを飲んだら部屋に戻るといい」

「レオウ、は?」

「私は馬の番があるのでな。なに、気を抜いて風邪を引くほど老いぼれてはおらぬよ」

 小さく笑うレオウを見ながら、フォーゲルはカップに口をつける。一口、二口と飲み込み――ふと、口を離して言葉を発した。

「木が」

「ん? どうしたフォーゲル」

「木が枯れてる」

 フォーゲルが指を差す。その方角は、明日自分たちが向かう村がある方角だ。レオウが目を向ければ、確かに少年が言うように木々が枯れているようだった。

 まだ葉が色付くには季節が早い。だというのに奥へと向かうにつれて木々が、否、全ての植物が弱っていっているようだった。

「ふむ、この辺りで不作の噂は聞いていなかったが……」

「……」

 フォーゲルは静かに目を伏せる。スープに映り込んだ月がゆらりと揺れていた。


×××



 翌朝早くにアルカに見送られ、一行は村へと馬車を進めた。

 雨は完全に止んで空は晴れているが、風が冷たく肌寒い。フードをしっかりと頭に被せて顔を隠しつつ、腕を摩っているクーストースは馬車の中から不安そうに外を眺めた。

「僕の村、こんなだったっけ……?」

 辺り一面の木々が枯れていた。道端の草花も弱々しく、進むにつれてさらに物寂しくなっていく。目的のカピレ村が見えてきた頃には、葉の付いていない木々ばかりになっていた――ある一部分を除いて。

 この村で一番大きな屋敷の周りにのみ、緑が生い茂っていた。壁一面に蔦が絡まり付き、手入れが追いつかないのか庭は背の高い雑草で覆い尽くされている。屋敷の周りに植えられた木々だけが生き生きとしていて、屋敷の外見を緑に染めているのが遠目からでもわかる。まるでこの辺りの生命力を吸い取っているかのような光景だ。

 住み慣れた我が家であるはずの屋敷と村周辺の様子に、見る間にクーストースの顔から明るさが消えていく。そんな彼の傍ら、馬車を止めたレオウもまた険しい顔をした。

「少々警戒した方が良さそうですぞ、御嬢。まだ昼間だというのに、人の活気がありませぬ。何事かがあったと見て間違いないでしょうな」

「そう……確かに、この様子は異常ね」

 ミスティルも賛同して頷き、辺りを見渡す。まだ日が高いというのに、見渡す限り村人はいない。皆一様に家の中に引きこもっているのか、不気味な静けさが漂っている。奥に見える村の畑も、弱った葉ばかりだというのに手入れをしている人々の姿がない。

「ミスティル」

 声を発したのはフォーゲルだ。

「あそこ」

 少年が指差す先に、扉が半開きにされている家がある。その扉から小さな子供が顔を覗かせてこちらを伺っており、目が合うと慌てたように扉を閉める。

 それを見たクーストースが一目散に駆け出した。

「ルーナ! 僕だよ、クースだよ!」

「……クース兄ちゃん?」

 再び扉を開けた子供は、クーストースの顔を見て警戒を解いたようだった。クーストースと、その後ろから来るミスティル達を交互に見比べ、不思議そうな表情をする。

「クース兄ちゃん、その人たち、お医者様?」

「お医者ではないけど、似たような人たちだよ。ルーナ、村の人はどうしちゃったんだ? おばさんたちは?」

 問いかければ、その子供は途端に俯き、声を震わせた。

「お母さんとお父さん、病気なの。ぼーってして、ルーナのお話聞いてくれないの。お隣のおじいちゃんも、そのお隣のお姉ちゃんも同じだって。兄ちゃんがいない間に、みんな病気になっちゃったのよ」

 言いながら堪えきれずぽろぽろと泣き出す子供に、全員で顔を見合わせた。

 まずいわね、とミスティルは呟く。

「村全体がそうであるなら、急がなくては。私たちが思っているよりも不味いことになっているのかもしれないわ」

 そうして村の奥へと顔を向ける。村の中でも一段と大きな建物――それが領主の家である。

 ぐすぐすと泣きぐずる子供に家の中で待つように言い、クーストースは服の上から鍵を握る。

「僕、こっそりあの倉庫に入って、石を壊せないかやってみるよ。そうしたらきっと、村も父さんも元に戻るんだよね……?」

 不安に表情を曇らせながらも言うクーストースに、ミスティルは頷いた。

「なら、二手に別れましょう。私とレオウで領主様に謁見を申し出てみるわ。その間にクーストース君と……フォーゲル、頼んでいいのね?」

 慎重に、ミスティルは訪ねる。フォーゲルは何も言わずに頷いた。



×××



 ミスティルとレオウが屋敷の中に案内されていったのを見届けてから、クーストースとフォーゲルは行動を開始した。

 流石はこの屋敷の住民である、クーストースにとってこっそりと忍び込むのは簡単なことだった。建てつけが悪くなっていたという窓をほんの少し押し込めばすぐに開き、そこから二人は屋敷に侵入する。

「広い」

「まぁ、村で一番大きいからね……よし、今誰もいないね」

「広いけど、人が少ない?」

「うん。本当は何人か使用人や役人がいたんだけど、父さんがあの石を集めだしてから辞めていっちゃったんだよ」

「アルカも?」

「うん……そう、アルカも」

 クーストースの言葉に、フォーゲルは僅かに目を眇める。

 そっと廊下の先を伺えば、まだ日も高いというのに人影はなかった。上の階へと続く階段から僅かに聞こえてくる声はミスティルのもので、あの二人も無事に領主に面会できたようだ。

「フォーゲル、こっちだよ」

 その隙に、クーストースとフォーゲルは階段の下を通り抜け、廊下の突き当たりの部屋へと辿り着く。その部屋が、例の石を保管している武器庫なのだという。

 懐から鍵を引っ張り出したクーストースが、音を立てぬよう慎重に扉を解錠する。開かれた部屋の中は、窓はなく、しかし部屋全体が淡い青色で染まるほどの光に満ちていた。

 拳銃に、大砲らしきものまで、大小様々な武器が並べられているそこは、まさに武器庫だと呼べるほどの数と量で……

「クース、支えて」

「え? 何を?」

「俺を、支えてて」

 そう言うや否や、フォーゲルは片腕を宙に掲げる。

 動作はそれだけだった。

 突然、バンッと一斉に弾ける大きな音が響き、一瞬にして部屋の中に青い砂煙が舞い上がる。思わず咳き込んだクーストースは、目の前でぐらりとフォーゲルがよろめくのを目撃して慌てて腕を伸ばした。

「わっわっフォーゲル大丈夫?!」

「……」

 ぐっと胸元を抑えながらも小さく頷くフォーゲルは、僅かに顔色が悪いが昨日のように立てないほどではないようだ。それを確認して、クーストースは砂煙が収まった部屋の中を見る。

 すべての物が壊れていた。まるで内部から破裂したかのように、金具が外れ、大きく複雑なヒビが入り、隙間からサラサラと青い砂が流れ出している。

 何が起こったのかさっぱりわからない。わからないが……漠然とした確信を持って、クーストースは震えた声で問いただした。

「フォーゲル……フォーゲルは、一体なんなの……?」

「さぁ」

 ケホッと小さく咳をしてからしっかりと足を地につけたフォーゲルは、無表情のままにクーストースを見下ろす。

「俺にも、わからない」

 答えた少年の言葉は、何故だか酷く悲しそうに聞こえた。

 思わず掛けるべき言葉を見失う。そうこうしている間に、ふいに上の方から、今度はパンッと軽く乾いた音が聞こえてきた。

「銃声だ」

 ボソリとフォーゲルが声を漏らす。

 クーストースが青ざめた顔で叫んだ。

「まさか、父さん?!」



「御嬢、ご無事ですか」

「私よりも貴方でしょう、レオウ」

「何、かすり傷です。それよりも……」

 己の右肩から血が滲んでいるのを一瞥しつつ、レオウはミスティルを自分の後ろに下がらせて扉越しに部屋の中を伺う。部屋の中には、虚ろな目をした痩せた男が一人。手に拳銃を持ち、銃口をこちらに向けている。

 この男こそが、クーストースの父親にしてこの村の領主である、はずなのだが。

「まさか発砲してくるとはね……」

 ミスティルは声を抑えて呟く。

 屋敷に踏み入れ、この部屋に通された、そこまでは良かった。領主と面会し、ミスティルが名乗った直後のことだ。突然領主が顔を青くさせたと思えば懐から拳銃を取り出し、銃口を向けたのだ。いち早く領主の挙動に感付いたレオウがミスティルを庇うように部屋の外へ押しやり、こうして扉を背にして身を隠しているわけである。

 レオウが扉越しに部屋の中を見渡す。ここまで案内してくれた屋敷の使用人は、主人の突然の暴挙に腰を抜かして部屋の隅で震えている。

 そして領主は、未だ銃口をこちらに向けている。が、それを構える手は震えていた。何を映しているのかもわからない虚ろな目をしたままに、領主は震えた声で言葉を発する。

「知っている……知っているぞ……ミスティル……『ミスティル・A・ゼーレ』!」

 ハッとミスティルが顔を上げた。「何故その名を……」と漏らした彼女の言葉は、しかし領主の叫びに掻き消される。

「亡きゼーレの亡霊め!! 私を殺しにきたのだな?!」

 次の瞬間、連続して銃声が鳴り響いた。がむしゃらに飛んでくる銃弾に、レオウはミスティルを更に部屋から遠ざけさせる。

「御嬢、ここは一度引きましょう! これでは話し合いにもなりませぬぞ!」

「でも……あの人、私の名を……」

「お姉さん!!」

 ふいに声がし、二人のもとにクーストースが駆けつけてくる。鳴り止まない銃声に震え、怯えながらも彼は問いかける。

「父さんは? あそこにいるのは父さんなの?!」

 必死の形相のクーストースに、ミスティルは一瞬言葉を迷う。確かにあの部屋にいるのはクーストースの父親で違いないのだが、しかし、あれは。

「レオウ」

 と、別の声がした。クーストースの後を追いかけてきたフォーゲルの声だ。少年は僅かに目を見開き、驚いた様子で言葉を発する。

「怪我、してる」

 僅かに声が震えていた。すっと目を細め、フォーゲルは先の部屋へと足を進める。

 慌ててミスティルが名を呼ぶよりも早く、少年は扉が開かれたままの部屋の前へと、銃を持つ領主の視界へとその身を晒す。

「フォーゲル!!」

 が、銃声は聞こえてこなかった。代わりにカチカチという金属が擦れる小さな音が耳に届く。

 ゆっくりと、フォーゲルは口を開く。

「……最初に一発。さっきので五発。全部で六発分。エテルニア仕様の小型銃は十六発だけど、それは試作品だから六発しかない。その試作品はあの大戦では使われていないはずだし、市場にも出回っていないはず……誰からそれを渡された?」

 一歩、少年は部屋に踏み入れる。

「それは、あの人が……ハカセが、最初に作らされたモノで、純度が高すぎて、使用者の記憶と精神を狂わすモノだから、ハカセが、壊すように指示したはず、なのに」

 足を止めず、少年は男へと手を向けた。


「返せ。それは俺の記憶と感情だ」


 少年の紅い瞳が、男の目を捕らえる。刹那、男は頭を抱えて声を上げた。

「あああああ?! 見るな、見ないでくれ!! その目で私を見るなあああ!!」

 発狂し、男は弾のない銃を持った手を振り回す。その手で少年に殴りかかろうとした刹那、何者かにぶつかって大きくよろめいた。

 部屋へ飛び込んだクーストースが、その勢いのままに男の腰元に抱きついたのだ。

「父さん!! 駄目だよ父さん、もうやめて!!」

 必死にクーストースが呼びかける。男はなんとか足を踏み止めながらも視線を下ろし、彼を視認し。

「っ……クー、ス……?」

 息子の名を呼ぶ。

 次の瞬間、バンッと鈍い音をたてて手に持つ銃が内側から破裂した。飛び散った金属片が男の指と腕を傷つけ、ぎゃっと短い悲鳴と共に半壊した銃が男の手から滑り落ちる。

 カシャン、と床に落ちバラバラになった銃の破片に、青色の砂が混じっている。と同時に男が意識を失い、クーストースもろともに倒れこんだ。

「わっ! と、父さん?! 大丈夫?!」

 慌てて体を揺さぶるも、男は意識を取り戻す様子はない。

 焦るクーストースだったが、ふいに肩を触れる手に気づいて後ろを振り返る。

「気を失っただけ……大丈夫」

 そこにいたのはフォーゲルだった。僅かに眉を顰めて胸を押さえている彼は、男を見下ろして声を発する。

「最後に、クースを認識、してた……しばらくは、混乱してるかも……しれないけど……」

 フォーゲルの声が徐々に苦しげなものへと変わっていく。不安げにクーストースが見上げれば、いつの間に追いついたのかレオウが少年の体を支える。更にその後ろから駆け寄ってきたミスティルが、おもむろにフォーゲルの手を取ると袖を捲り上げて少年の腕を見た。

 露わになったその腕を見て、クーストースは息を呑む。少年の腕は、青い鉱石でびっしりと、まるで鱗のように覆われていたからだ。

「……何をしたの、フォーゲル」

 ミスティルの声は冷静を保とうとしていたが、震えていた。少し青ざめてすらいる。

 少年は落ちる瞼に抗いながらも、口を開いた。

「返して……もらった……俺の、記憶……」

 そして抗いきれずに、少年は瞼を閉じる。

「ごめんミスティル……少し、眠らないと……」

「いいわ、待つから。後のことは私たちがやっておくから、貴方は休みなさい」

 ミスティルの言葉に、フォーゲルは頷き、ゆっくりと意識を手放した。

 くたりと脱力する少年に、戸惑いを隠せないクーストースを見て、ミスティルは困ったように眉を下げる。

「ごめんなさいね、クーストース君。フォーゲルのことは、私たちでも簡単には語れないの。まだわからないことが多くて……」

 言い淀み、視線をフォーゲルへと向ける。

「……本当に、わからなくて……だから不安になるのよね……」

 眼を伏せ、息を吐き。

 すぐに彼女は首を横に振って顔を上げた。

「とにかく、今は貴方のお父様をどうにかしないとね。できれば屋敷の外に連れて行って安静にした方がいいわ。怪我もしているし、あの状態だったなら目が覚めた後も混乱したままかもしれないし……いろいろと聞きたいことがあるでしょうけれど、お互い腰を落ち着かせてからにしましょう?」

 ミスティルが笑顔を見せる。

 クーストースは乱暴に目を拭った後、こくりと力強く頷いた。



×××



 呼吸が苦しい。

 喉の奥まで入り込んでいた管を引きずり出して、咳き込んだ。

 辺りは水浸しで、あちこちになり損ないの青い光を宿す鉱石の結晶と、自分に繋がれたいくつもの管と。

 目の前に、銃を構えた少女がいる。

 さっきまで水槽に浮かんで眠っていたこの体は、うまく動かない。

 なんとか顔だけを上げて、少女と目を合わせる。

 目を、使って、願う。

 けれど、声が。

『俺まで巻き込むんじゃねぇよ。なぁ、俺の可愛い被験体?』



「っ……」

 唐突に目が覚め、いつの間にか詰めていた息を吐き出す。

 辺りは暗いが、見慣れた天井と部屋の間取りに安堵する。時刻は深夜だろう。小窓の隣にある巣箱から、アハートの尾羽がちらりと見えている。

 暫く暗い天井を見上げる。やがて一息吐き、体を起こして己を見下ろす。

 手足は元の状態に戻っていた。

『  』

「……」

『  』

「……うん」

 そっと物音を立てずにベッドから抜け出し、わずかに軋む床に気をつけながら、自室になっている屋根裏部屋から下の階へと降りる。そのままさらに階段を降りようとして、一階から僅かに光がちらついていることに気がついた。

「……フォーゲル? 目が覚めたのね」

 足音を聞いたのだろう、小さなランプを持ったミスティルが階段下から顔を覗かせる。無言で頷いて、ゆっくりと階段を降りて少女のもとへと近付いた。

「体はどう?」

「……のど、かわいた」

 なんとか吐き出した声は、予想以上に掠れていて自分で驚く。

 ミスティルは小さく苦笑する。

「三日も寝ていたんだもの、当たり前だわ。私も温かいものを淹れようとしていたところだし、一緒にどう?」



 茶を淹れる傍ら、ミスティルは今回の事件に関する事の顛末を話してくれた。

 クーストースの父親である領主は、翌日に意識が回復し、自ら出頭したらしい。領主当人の記憶はところどころ欠損が見受けられたものの、人に向けて銃を向けたという記憶は確かに覚えていたようだ。元々は善良な人間であった彼は罪をすぐさま自覚し、出頭したということだ。

 しかし、どうやら彼の罪は軽く済むようである。

「なんでも、正気に戻ったカピレ村の住民たちが、彼の刑罰を軽くするように全員で訴えかけたらしくて。よっぽど信頼されていたのでしょうね。村の方もあの日から少しずつ元に戻っていっているみたい。今は代理の領主が村の復興にあたることになったらしくて、クーストース君はその手伝いをするんだって張り切っていたわ。落ち着いたら貴方に手紙を送るから宜しく、ですって」

「……手紙、俺に?」

「そう、貴方に。貴方にお礼を言いたかったのだけれど、ずっと眠ったままだったから」

「……」

 フォーゲルは押し黙って、思考する。

 礼?

 恨み言ではなくて?

「貴方が何を考えているのか、なんとなく予測できるのだけれど」

 困ったような顔をしてミスティルは言う。

「クーストース君の気持ちは本物よ。受け取ってあげて」

「……うん」

「ふふ、よろしい」

 ミスティルは笑顔で言う。

 その笑顔から逃げるように目を逸らした。

『  』

「……ミスティル」

 気付けば名を呼んでいた。

「ん?」

 カップを手に、彼女が返事をする。

 言うべきか。

 言わざるべきか。

『  』

「……聞きたいことが、あって」

 けれど、すぐには声にならなかった。

 目を逸らし。

 時間をかけ。

 口を動かす。


「ミスティルは、まだ、俺を……殺したいと、思うことある?」


 隣から息を呑む音が聞こえる。

 暫く、耳が痛いほどの静寂が辺りを包んだ。

 テーブルに置いたランプの灯がゆらゆらと揺れている。やがて詰めた息をゆっくりと吐き出す彼女に、カップの中身が僅かに波打った。

「……今はそう思ったことはないわ。貴方と、『あの人』は違う。フォーゲルはフォーゲルだもの……なぜあの時、貴方に銃を向けたのか……今となっては私自身もわからない」

 コトリ、とカップをテーブルの上に置く音。

 左肩に重さを感じて目を向けてみれば、彼女がもたれかかり、頭を自分の肩に預けていた。

「ねぇ、フォーゲル。貴方にとって、ここは貴方の居場所になれているのかしら。時々不安になるの。どこかに行ってしまいそうで……私は、貴方の家族になれているのかしら……」

 左の肩だけが温かい。

 彼女の優しさが、温かくて、重い。

 視線を手元に落として、カップの中の水面に自分を写した。

「……うん」

 そこに映った自分は、ほんの少し、笑っていた。




      2.クーストース・オアシス 完


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