2.クーストース・オアシス 前編
1.
振り子時計が午後一時を告げる。
低音で鳴り響く音に、フォーゲル・フライハイトは顔を上げた。
今この事務所にいるのはフォーゲルただ一人である。事務所の主とその従者は出かけており、アハートも今頃は単身で大空の中で翼を伸ばしていることだろう。ではフォーゲルは何をしているのかと言うと、事務所の留守番の傍ら、読書に勤しんでいるのだった。
少年にとって読書とはまさに勉学の一端である。リーベルタースに所属する直前までは、読み書きすらできないほどの無学だったのだ。この事務所で生活するにあたり、まず文字を習い、半年かけてようやく本を一冊読めるようにまでなったところなのだ。そして今は、レオウに選別してもらった新しい本を、辞書を使いながら読み解いているところなのである。
だが、とフォーゲルは壁にかけられている振り子時計を見上げた。読書に夢中になっていた為に気付かなかったのだが、どうやら丸二時間集中して読書をしていたようだ。
このフォーゲルという少年は、周りに誰もいなければ時間を忘れて一つの作業をやり続ける癖があった。しかも本人は自覚していても特に直そうとしないので、周りにいる者たちが気にかけてやる必要がある。そんなわけで、周りに誰もいない今現在、ようやく昼食をとり忘れていることに気付いたフォーゲルなのだった。
いつもならばレオウが何かしら用意をしてくれているのだが、今日は急な客からの要望であった為に支度をする時間がなかったらしい。代わりに、たまには外で好きなものを買って食べなさいと、少しばかりの金額を貰っている。
「……」
少し思考し、一人納得してフォーゲルは本を片付け、椅子から立ち上がる。戸締りを行って、事務所の出入り口である扉を開けて。
「……?」
そしてフォーゲルは無表情のまま首を傾げた。扉を開けてすぐ隣の壁に、小さな人影が蹲っていたからだ。
×××
グローリア国の外れ、辺境付近にある商業と医療の街ウィータ。
この街は商人が集まることもあり、街の中央にある市場では沢山の店や露天商が軒を並べており、活気に満ちている。
そんな昼過ぎの賑やかな通りで、マーネ・メモリアは見慣れた姿を見つけて思わず声をかけた。
「フォーゲルさん!」
呼びかければ、黒髪の少年は振り返る。表情は相変わらずの無表情だったが、少し驚いたようだ。小首を傾げている。
「マーネ」
「お久しぶりです」
「動いて、いいの?」
「ちょっとは体を動かした方がいいらしいのです。それで、散歩がてらに事務所に顔を出そうと思っていたところなのですが、フォーゲルさんはお買い物ですか?」
尋ねれば、少年はこくりと頷く。それから少し思考し、口を開いた。
「ミスティルとレオウは、出掛けてる。夕方まで、帰らない」
「まぁ、そうなのですか。じゃぁ今、事務所には誰もいないのですね」
「ん……」
珍しく少年が口籠る。言葉が拙く押し黙ることはよくあるのだが、これはどう言うかを悩んでいる時の反応だ。最近になってようやく少年の癖がわかってきていたマーネは首を傾げつつ、自分が声を掛ける前に少年が見つめていたものを見た。
パン屋の露天商である。すでに昼過ぎであるため、あらかたのパンは売り切れてしまっているのだが。
「パンを買われにきたのですか?」
「昼食、まだ食べてない。レオウが、お金をくれた」
「あぁなるほど。えーと、その金額ならそこのサンドウィッチが買えますよ」
「二つ、買える?」
「二つ?」
一時的に少年が所属する事務所で家事仕事をしていたことのあるマーネだからこそ知っていることなのだが、フォーゲルという少年は年齢の割には小食なのである。昔からロクなものを口にしていなかったようで胃が小さいようなのだと、レオウより聞いたことがあった。
故に、マーネは意外そうに少年の顔を見やる。
「二つも食べられます?」
「俺と、もう一人」
「もう一人?」
フォーゲルは頷いて、答えた。
「事務所の前で、生き倒れてた」
「……それって一大事じゃないですか!?」
かくして、マイペースにどれにするか悩んでいたフォーゲルを急かしてサンドウィッチを購入させたマーネは、やっぱりマイペースに歩いて帰ろうとする少年の背を押して早足で事務所へ向かったのだった。
「あー生き返ったぁー!! ありがとうお兄さん! 家の中に運ばれて何も言わずに出て行って扉を閉められちゃった時はヤバイ人じゃないかってビックリしちゃったけど、ごはんを買いに行ってくれていたとは! 助かったよー!!」
サンドウィッチ一つをあっという間に平らげて、その子供は笑顔でそう言った。
実はあのまま放っておけば後半刻は露天商の前でひたすら悩んでいたかもしれないフォーゲルのことを、口には出せないマーネであった。こっそりフォーゲルに聞いたところ、どうやらレオウに「好きなものを」と言われたことで余計に悩んでいたらしい。自分で自分の好みの味がわからない、とは少年自身の言葉である。
そんなフォーゲルは子供の笑顔に頷きつつ、マイペースに訂正する。
「玄関の鍵は、内側からだと開く。閉じ込めてない」
「あ、そっか!」
聞いていて、なんとも気の抜ける会話である。
キッチンから拝借した茶を子供に差し出してやれば、子供は喜んですぐにカップを空にした。よっぽど空腹だったようだ。後でレオウに勝手に拝借したことを謝らねば、と思いつつマーネは二杯目を淹れる。
「なんで、倒れてた?」
拙いながらもフォーゲルが尋ねる。
子供は「う……」と声を詰まらせた。
「えぇっと、その……い、いろいろあってさ」
「そうか」
「……え、いや、そんな反応でいいの?! 普通もっと聞かない?!」
「そうか?」
フォーゲルらしい素っ気ない対応である。自ら進んで興味を持とうとしない性格は依然として顕在のようだ。淹れた茶をテーブル上に出しながら、マーネは口を挟んでみることにした。
「もしかして、迷子なの?」
事務所の周りは閑静な住宅地になっている。貴族ではない一般階級の人々が住む場所であり、所狭しと家々が立ち並んでいる場所なのだ。もしどこか目的地があって、道に迷っていたというのであれば、なんとなく納得することができるのだが。
「んー、まぁ迷子っていえば、迷子なんだけど」
子供は二杯目の茶を今度はゆっくりと飲み干してから、ようやく本題を切り出した。
「実は僕、今お店を探してて。りーべるたーす、っていう名前らしいんだけど、どこか知ってる?」
子供が首を傾げる。
マーネとフォーゲルは顔を見合わせた。
「えーと……リーベルタースの事務所なら、ここですよ?」
「へ?」
キョトンと子供は惚けた顔をする。
彼が言葉の意味を飲み込むまで、約十秒。
「え、ええぇ?! ここ?! ここでいいの?! 本当?! やったあぁ!!」
ガッツポーズで喜ぶ子供である。慌ててマーネがさらに口を挟んだ。
「いえ、あの、今、所長さんは出かけていらっしゃるみたいで……」
「しょちょーさんって、ここの一番偉い人?」
「そ、そうです」
「お姉さんとお兄さんじゃ駄目なの?」
「えっとですね……」
目を輝かせている子供の勢いに押し負けて、マーネは困ったようにフォーゲルを見た。だが、もちろんのこと、フォーゲルは無表情のままで。
「ミスティルさん、帰ってくるのは夕方なんですよね……?」
「そう、言ってた。けど」
ふいに思い出したように、フォーゲルは言葉を続ける。
「嫌な人だから、早めに帰る、かも」
「嫌な人?」
あのミスティルにも苦手に思う人がいるのかと考えた、丁度その時。
勢いよく事務所の扉が開かれた。
「ただいま、もう聞いてフォーゲル! あ、マーネさんいらっしゃい。来ていたのね」
噂をすればなんとやらで、ミスティルがタイミング良く帰ってきた。何故か怒り心頭な様子だったが、マーネの姿を見つけてすぐに少女はにっこりと笑顔を見せる。フォーゲルとは反対の意味で、相変わらずの元気良さだ。
そんなミスティルは、事務所にいるもう一人の子供にもすぐに気が付いた。こてん、と可愛らしく首を傾げた後に、後ろから一緒に帰ってきたレオウに手を差し出す。
「レオウ、資料を頂戴」
「これですかな」
「そうこれこれ。えーと、とりあえず、フォーゲル。その子の手を握っておいてくれない?」
レオウから受け取った大きな封筒から資料を引っ張り出し、少女はフォーゲルに指示を出す。よくわからないまま、フォーゲルはしっかりと子供の手を掴んだ。
一連の三人の動作にキョトンとするマーネと子供の傍ら、ミスティルは資料を一枚、見えるように突き出した。
「クーストース・オアシス君、でいいかしら。貴方を探して保護して欲しいっていう依頼内容だったのだけれど、とりあえず、これで達成したってことにしちゃってもいいかしら?」
その資料には、「情報求む」という文字と、今現在フォーゲルによって逃げられないように手を繋がれてしまっている子供の顔写真が載せられている。
ニコリと笑うミスティルに、顔写真の当人――クーストース・オアシスは「げっ……」と声を漏らすのだった。
×××
「簡単に言うと、家出人を捜索して欲しいっていう依頼内容なのね。方々に手を回して捜索していたみたいだけど見つからないらしくて、回り回ってうちに依頼がきたというわけ」
マーネが淹れた茶を一口飲みながら、ミスティルはそう説明する。少女の前ではフォーゲルとクーストースが、レオウが改めて用意してくれた昼食を食べている。どうやら育ち盛りの子供にサンドウィッチひとつ分では足りなかったらしい。もそもそと控えめに食事をするフォーゲルの傍らでクーストースは元気にもりもりと食べている。
「ミスティルさん、早めに帰ってきてくださったのは助かったのですが……良かったのですか? フォーゲルさんは夕方頃に帰る予定だとおっしゃっていたのですが」
「うん。依頼をしてきた人がね。まぁ商人貴族でそれなりに階級も高い人なのだけれど、私、あの人が苦手なのよね」
むすりとした様子でミスティルは腕を組む。
「なんて言うか、下心が丸見えなのよ。今回の依頼の話だって、そう。何とか私を呼び出したいがために又聞きで依頼を寄越してきたみたいで、渋々行ってみたら案の定、依頼の内容そっちのけで食事に誘ってきたのよ。だから依頼だけ受けて早々に逃げ帰ってきたの」
「え、それって……ミスティルさんに気があるってことですか?」
「だから苦手なのよ。残念ながら私には全然そっちの気は毛頭無いし。それとなく苦手アピールしてはいるのだけれど、わかってくれないらしくて。でも、こっちの弱味を握られているものだから、無下にすることもできなくって」
相当に参っている様子だ。盛大な溜め息を吐くミスティルに、意外な面を見た思いでマーネは目を丸くする。誰にでも快く対応しているように見えるミスティルにも、それ程に不快感を露わにする相手がいたとは。
「弱味、ですか……」
「私は別に弱味だとは思っていないのだけれどね。レオウが煩いの。まぁ確かに、あちこちに言いふら回されて良い内容ってわけでもないのだけれど」
少女の言葉を受けてレオウを見れば、彼はとんでもないと言わんばかりに首を横に振っていた。ミスティル本人ではなく、少女の周りにいる者たちが青褪める内容なのだろうか……いろいろと察して、それ以上の追求はやめておくマーネである。
ミスティルは一息吐いて茶を飲んだ後、本題へと話を変えた。
「と、まぁそんな感じ。私自身、乗り気がしない依頼だったから、別にいいわよ。貴方がここにいることを黙っていてあげるわ」
「本当?! ありがとう、お姉さん!」
パッとクーストースが顔を上げる。食事に夢中になってはいたが、ちゃんと話は聞いていたようだ。
ミスティルはニコリと笑顔で頷いた。
「こんなこともあろうかと、先に受けている依頼の方は前料金を頂いているの。もちろん通常の倍額でね。だから大丈夫」
「ミスティルさん……本当にその人のことがお嫌いなんですね……」
今だけはミスティルの笑顔が悪どく見えてしまうのだった。
コホン、と咳払いをしてミスティルは話を続ける。
「次は貴方の話ね。リーベルタースに依頼をする為にここまで家出してきた、という話は本当?」
クーストースはこくこくと何度も頷く。何度目かの茶を飲み干してから、子供は口を開いた。
「調べてほしいことがあるんだ。僕の父さん、なんだけど」
「お父さん? というと、オアシス家のご当主でいいのかしら。確か、貴方の家はカピレという村の領主様なのよね?」
先に受けていた依頼の資料をペラペラと捲りながらミスティルは尋ねる。クーストースはもう一度頷いた。
「領主っていっても、地方の小さな村の領主だから全然偉くなんかないよ。でも父さんは、村のことをよく考えていてさ。村の人からも信頼されてて、そんな父さんを僕は誇りに思ってるんだ」
身を乗り出して父親の自慢をするクーストースだったが、話している内に言葉は失速していく。そして終いには、表情を暗くして俯いてしまった。
「けど……最近の父さんは変なんだ。家の中に倉庫みたいな部屋を作ったりしてさ。そしたら、それまで見たことがない商人が来るようになって、何かを買ったり売ったりしてるみたいなんだ。僕、気になって、倉庫の中を覗いてみたんだけど……」
俯いているその顔が、今度はさっと青くなる。
「その……武器が、いっぱい置いてあったんだ。大きい銃とか、大砲みたいなやつとかさ。父さんがそんなものを集めてるなんて、僕、信じられなくて……だって、いつもは虫も殺せないぐらい優しい父さんなんだよ?!」
必死に訴えるクーストースの様子からして、普段の父親とは到底考えられない行動なのだろう。
ミスティルは眉を潜めて腕を組んだ。
「武器の密輸はこの国では違法よ。厳しく処罰されるわ。気になるのは、何故急に始めたのか、という所ね。どういった系統の武器なのかしら……大砲のようなものまであるというのなら、実用的ではなさそうだし……貴方のお父様は、他に何か集める趣味でもあるの?」
「あるよ。綺麗な模様や色の石を集めるのが趣味なんだ。石だったら宝石でも、そこら辺に落ちてる石でもいいんだよ。よく僕と一緒に近くの河原に出掛けて、綺麗な石を一緒に探したりして遊んでた」
「石ねぇ……」
唸るようにミスティルは呟く。何か思い至ることがあるのか。
と、ふいにフォーゲルが口を開いた。
「倉庫の中、光る石は、なかった?」
「え?」
唐突だったために呆気にとられた様子でクーストースは少年を見上げる。そして、思い出したと言わんばかりに声を上げた。
「そういえば、石があったよ! 部屋の中に、同じ石がいっぱい。あと、武器にも石の欠片が入ってるのもあって……」
「ちょっと待って、それって透明で青色に光る石?」
ガタン、と音を立ててミスティルが立ち上がる。クーストースは驚いて目を丸くしながらも、おずおずと頷いた。
「そ、そうだよ。なんでかは知らないけど、暗いところでも光ってた……」
「エテルニア鉱石」
呟いたのはフォーゲルだ。少年らしからぬはっきりとした口調で、彼は言う。
「エテルニア仕様エネルギー爆薬機。大きいなら、初期型」
「……三年前、国を一つ滅ぼした大戦時に使われていた兵器よ……まだ、あったのね」
ミスティルの肩が震えている。少女は強く手を握りしめた。
「俄然その話に興味を持ったわ。いいわ、その依頼承りましょう」
×××
クーストースはそのまま暫く事務所で厄介になることになった。ミスティルは彼の依頼を優先することにしたようで、明日から本格的に依頼に取り掛かるつもりであるらしい。
そこで仕事の邪魔になってしまわないようにと、マーネは早々に事務所を後にすることにした。その際、人数が増えたことにより夕食の材料を買い足すついでだというレオウに、マーネが世話になっているフィークス邸まで送ってもらうことになり、二人は日が傾きだしている時間帯に事務所を出たのだった。
「なんだか、物騒な話ですね」
身重である自分に付き添ってゆっくりと歩いてくれているレオウに、マーネは声を掛けた。
「ミスティルさんは依頼を受けるようですが、大丈夫なのでしょうか?」
「心配なされるな。それは御嬢も重々承知のことです。ただ、そうですな……今回の話は、御嬢にとっては因縁のようなものですから、ご無理をしなければ良いのだが……」
見上げれば、レオウも僅かに眉をひそめていた。彼とて心配をしているようだ。マーネは思いきってレオウに質問をする。
「兵器、とフォーゲルさんが言ってましたよね。それとミスティルさんに何か関係があるのですか?」
一瞬、レオウは顔を顰めた。
聞いてはいけなかったかと慌てて質問を取り下げようと口を開いたところを、だがレオウは首を横に振ってそれを止める。
「マーネ殿には前回の依頼からというもの、度々事務所の手伝いで世話になっていますからな。もはや我らにとって家族の一員でしょう。隠し立てすることもなし……マーネ殿、三年前に起きた大戦をご存知ですかな?」
聞かれて、マーネは記憶を振り返る。
その頃はカリドゥス家の屋敷にいた身だったが、屋敷の中でも騒がしく噂が飛び交っていたのを思い出す。
「隣国の……ゼーレ国が、一晩の内に焼かれてしまったのでしたよね。確か、無名の軍隊が突然進行してきて、宣戦布告もなしに街を燃やして回ったと……」
「その時に使われたのが、エテルニアという未知のエネルギーを使った兵器だったのです。ゼーレは小さな国でありましたが、豊かな土地を持つ国でした。奴らはその土地すらも燃やし尽くしてしまったのです」
やけに詳しい内容に、まさかとレオウを見つめる。
彼は頷いてみせた。
「左様。御嬢はその大戦から逃げ延びたゼーレの民なのです。かく言う私も、出自こそはこのグローリア国の者ではありますが、御嬢の御父上とは旧知の仲でしてな。当時は国を出てゼーレ国にて生活をしておりまして、大戦時に御嬢と共に逃げ延びたのです」
懐かしむように、レオウはゆっくりと語る。マーネは小さく息を詰めた。
彼らにそういった過去があるとは思いもよらなかった。隣国とはいえ遠い地のはるか昔の出来事であると思っていたのに、レオウとミスティルにとっては今も息づいている古傷なのだろう。
ミスティルの真剣な表情を思い出し、マーネはゆっくりと詰めていた息を吐き出す。
「やっぱり聞かない方が良かったですよね……ごめんなさい」
「謝ることはありませぬよ。御嬢も、あの様なお方ですので、気になさりはしないでしょうしな。それに、この事はフィークス婦人もご存知のこと。知っている者は他にもおります故、遠くなかれマーネ殿の耳にも届いていたことでしょう」
「……そう言ってくださると、有難いです」
気付けば広い街道にまでやってきていた。マーネが身を寄せているフィークス婦人の屋敷は、この街道を真っ直ぐ進んだ先にある。夕方ではあるがまだ人通りは多いほうで、マーネは立ち止まってレオウを見上げた。
「ここから先は私一人で大丈夫ですよ、レオウさん」
「本当に宜しいのですかな?」
「えぇ。屋敷まで行ってしまうと市場が遠ざかってしまいますし、それに、今日は食いしん坊さんが一人増えていらっしゃいますから」
「それもそうですな。ではお言葉に甘えまして。日が落ちますと冷え込みます故、マーネ殿はくれぐれもお体にお気をつけくだされ」
「はい。お気遣いありがとうございます」
頭を下げれば、レオウも礼儀正しく一礼をして市場がある方向へと足を向けた。マーネも夕焼けに染まり出した街道を歩き出しながら、ふと呟いた。
「そういえば、フォーゲルさんは……」
ミスティルとレオウが兵器に過剰な反応を見せた理由はわかったが、ならばどうして、あの自己主張が希薄な少年も同じ反応を見せたのだろう。
否、これ以上の検索はやめておこう。ふるふると頭を横に振って、マーネは考えを追いやった。
×××
屋根裏部屋に取り付けられている小窓を開けて、フォーゲルはひと吹き、横笛を鳴らす。
その音を待っていたと言わんばかりにすぐ外から鳴き声が返ってきて、軽く窓から身を乗り出したフォーゲルの腕にアハートがバサバサと羽ばたきながら止まった。
「おかえり、アハート」
フォーゲルが言う。アハートはご機嫌な声を返した。
アハートを部屋の中に入れてやると、小さな鷹は窓近くに設置された巣箱に自ら入り込んだ。そこが室内でのアハートの定位置なのである。そんな彼らの一部始終を見たクーストースは目を輝かせた。
「すごい! その鳥、お兄さんの言うことわかるんだ!」
「アハートは、賢い。俺よりも」
そう答えた後に、フォーゲルは首を傾げてクーストースを見る。
「寝る場所、ここでいい、のか?」
「うん。この事務所に来るまで、ずっと一人ぼっちだったからさ。ちょっと寂しくて」
えへへ、とクーストースは照れ笑いを浮かべる。事務所にいる間はフォーゲルの部屋に泊まりたいと言ってきたのだ。知らぬ間に懐かれてしまったようで、フォーゲルは無表情ながらも不思議そうに目を瞬いた。
「狭い、けど」
「へーきへーき。あ、それともアハートが僕のこと怖がっちゃう?」
心配そうなクーストースに、フォーゲルは巣箱を振り返る。アハートの鳴き声はご機嫌なままだ。
「気にしない、って」
「そか、よかったー」
と、笑った後に。
「……ん? あれ? 怖がってないというか、気にしてもいないってこと? もしかして、なめられてる?」
それはそれでなんだかなぁ、と巣箱を見つめるクーストースであった。
とにかく、と運んできた布団一式をベッドの横に広げ、ベッドをクーストースに譲ってフォーゲルは床に敷いた布団で寝ることにする。
「嬉しいけど、本当に僕がベッド使っちゃっていいの?」
「俺は、どこでも寝れる、から」
「ふぅん?」
首を傾げるクーストースだったが深くは追求することもなく、ぽすりとベッドに腰掛けた。夕食までまだ少し時間がある。近くに誰かがいることで自身の作業に集中せずにいられるフォーゲルは、レオウの手伝いに行った方がいいだろうかとぼんやり思考する。
そんなフォーゲルに、クーストースは声をかけた。
「ねぇ、お兄さんのこと、フォーゲルって呼んでもいい?」
フォーゲルはすぐに頷く。クーストースは笑顔を見せた。
「僕のこと、クースって呼んでいいよ。父さんはそう呼ぶんだ。ねぇねぇ、フォーゲルはずっとここに住んでるの? お姉さんとはどんな関係?」
矢継ぎ早に質問され、フォーゲルは頭を悩ませなければいけなかった。
もとより人と会話することが苦手なのである。数少ない語彙力から言葉を探しつつ、クーストースの隣に少年も座ることにする。
「ずっとは、住んでいない」
「じゃぁいつから?」
「だいたい一年前、から。それと、ミスティルは」
言いかけ、少し思考した後、言葉を続けた。
「家族、だと、言ってた」
「言ってた?」
「ミスティルが」
どうやらミスティルにそう言われたことがあるも、フォーゲル自身は実感できていない様子である。自身で言いながらも小首を傾げている。クーストースは小さく微笑んだ。
「お姉さんにとってフォーゲルは大切な人って意味じゃないかな。家族って、そういうことだよ」
「そうなのか」
よくわからないままに頷けば、クーストースはニコリと笑って言葉を続ける。
「僕もね。本当は、父さんの本当の息子じゃないんだ。拾い子だったんだって。でも父さんは僕のこと大事にしてくれたし、僕もそんな父さんが大好きだった」
語るその目にじわりと涙が浮かぶのを、フォーゲルは見ていた。
クーストースは続ける。
「……なのに、武器庫ができてからは、僕のことがまるで見えてないみたいで……呼びかけても返事してくれないし、武器はどんどん増えてくし……だから、僕が、父さんを、なんとかしなきゃって……」
言いながらクーストースは膝を抱え、堪えていたものを吐き出すように泣き出した。
フォーゲルは何も言えず、ただ横に寄り添い続けた。
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