風聞の怪物

@DivainK956

『ケイイチ』

 都市伝説『ケイイチ』の噂が青柳高校で流れ出してからはや一カ月。クラスメイトは皆何処か浮足立っていて、あり得もしない噂話に花を咲かせている。

 「聞いた?藤沢の奴、二股掛けていたってよ!」そう嬉々として語る佐藤は、少年のように純粋な眼差しで僕の反応を伺った。同意して欲しいのだろうと意図を組んであげ、話を合わせる。

 「そりゃ酷いな。『ケイイチ』にやられてしまえばいい。」

 「だろ?ありえねーよ二股なんか?」

 義憤に駆られている佐藤が酷く滑稽に思えた。やはり学校生活は何処か息苦しい。何かあるとすぐにボヤ騒ぎが起きてしまう。

 朝のホームルームになると、担任の三橋先生がチャイムと同時に入って来た。教壇の前に立つと、手に持っていた幾つかの教材と書類を置いた。あれは多分英語のミニテストだ。

 「えー、朝礼、あ、その前に、皆に伝えなきゃいけない事がある。」

 そして、三橋先生は勿体ぶるように言った。

 「今朝な、駅前で死体が発見されたらしい。死体、いや遺体の損傷が激しくて特定は出来ないそうだが、うちの制服を着ていたらしい。」

 「らしいって何ですか。」クラスで最も発言力のある今井が訊く。

 「いや、俺も聞いた話なんだ。だから今日は集団下校になるんだと。何かと最近物騒だからな。十分気を付けてくれ。」

 「犯人はまだ逮捕されていないと?」今井が続けて訊いた。

 「そう言う事だ。まだ安全が確保出来ない以上、集団下校になるな。さ、朝礼だ、日直。」

 そう、あっさりと話を切り替え、本来の朝の日常が始まる。

 「起立、礼!」日直がこぎみよいリズムで声を出す。その声に動きを合わせながら、何人かの噂好きの生徒がひそひそと声を揃えて言った。

 「やっぱり、『ケイイチ』っているんだ!」

 

 何処からが本当で、何処までが嘘なのか。

 その境界が曖昧である事が、都市伝説の本質であるように思う。そうした余白を残す事で、人間の想像力を刺激する事が出来るからだ。実在するかどうかはどうでも良く、その存在が信じられさえすれば、あたかも実在しているかのように錯覚する。この認知の歪みこそ、今日まで神の実在を信じる人々の生存が確認される所以だと思う。想像力により生み出された文化や風習は、そうした経緯もあり人々の生活に、当たり前に根付いた部分もあるので、先人が信じた虚構は、一概には馬鹿に出来ないのである。

 基本的に、そのような都市伝説というのは、噂が蔓延する事により発生する。

 「知ってる?駅前で起きた事件、『ケイイチ』がやったんだって!」

 渡り廊下で、如何にも噂好きそうな女子が、友達数人と話の花を咲かせていた。

 「知ってる!殺害予告出てたよね?裏サイトに書いてた!」

 「今日、藤沢君休みだって。」

 「あっ、じゃあやっぱり藤沢君なんだ。二股バレた後だし、天罰みたいなものだよね。」

 という風に、人は抽象的な概念に罪と罰を委ね、いいように解釈する事がよくある。

 人間の感情は、基本的に薄汚く、陰湿で、穢れている。誰かの足を引っ張らないと気が済まないのだ。僕は、人間というモノを性悪説的に捉えている。このような場面に出くわす事が余りにも多いから、僕はどうにも、人というモノを信用出来ずにいるのだ。

 こうなって欲しいというのは、ただの他力本願に過ぎないというのに。

 そのまま靴箱を開け、学校の玄関に出た。僕の家は少し遠い為、電車に乗らなくてはいけない。こんな寂れた田舎町でも、電車通学しなければいけない程に、僕の家の周りは山に囲まれていて、何も無い。

 駅員に定期を見せ、一番ホームに来る電車を待った。

 一両編成の電車がやって来る。人はそれなりに詰まっており、ギリギリ座る所が確保されている位の密度だ。

 向かいに座っている他校の女子高生数人が、また噂話に花を咲かせていた。

 「『ケイイチ』知ってる?」噂好きな人間の声を顔って、何でこんなに似通っているんだろうと不思議に思う位、先程の女子と似ていた。

 「知ってる!あれでしょ、血塗れの金属バット握ってて、一人になった時、何処までも追いかけてきて殺しちゃうって奴!」

 殺してしまうのに、何処からそんな目撃情報が出て来るんだか。聞いてるだけで呆れてしまう。

 「そうそう、あれ?私はチェンソーって聞いたよ。覆面被ってて、白い服着て」

 「それはジェイソンじゃないの?」

 「でも、サイトで見たもん。金属バットじゃ証拠隠滅出来ないから、最近はもっぱらチェンソー使うんだって。」

 「それはもう普通の殺人鬼じゃん。『ケイイチ』のアイデンティティ何処にあんのよ。」

 「あと、影が無いんだって!幽霊とかと同じで、影が無いと『ケイイチ』だって判別出来るみたい。」

 「何それ、もう人間じゃないじゃん。」

 会話を聞いているだけでも笑ってしまう。そうだ、都市伝説はこれくらいの信仰がいい。

 最近の『ケイイチ』の盛り上がり様は、異様だ。本当に実在を信じている人間が、冗談抜きで多くなってきているのだ。半信半疑くらいの方が、聞いていて安心できる。もはやネットミームと化した全国的な都市伝説の『ケイイチ』は、指数関数的に知名度を増している。

 そして、『ケイイチ』はもう既に事件化している。実害が出ているのだ。

 誰かが本気でその存在を信じるせいで、『ケイイチ』は現実世界でも実体を帯びてしまった。この現象は、ロンドンで発生した殺人鬼『ジャック・ザ・リッパー』に似ているのかもしれない。

 噂話をすればする程、事件化する程に、『ケイイチ』は存在を肥大化させていく。

 車窓から見える景色が変わっていく。住宅街から、田園風景、そして森の中に入り、遂には何も見えなくなった。いつの間にか、電車の中には僕以外、誰も居なくなっている。

 ガタンゴトンと、電車の揺れる音だけが聞こえる。まるで世界に僕一人だけが取り残されたような孤独だ。不思議とそれが心地よく感じてしまい、僕は終点まで微睡んでしまった。

 

 ――翌日。

 『ケイイチ』を特集している裏サイト『メメントモリ・ケイイチ』に、こんな書き込みを発見した。

 「青柳高校に、消して欲しい人がいます。その人の名前は――」

 『メメントモリ・ケイイチ』はいわば『ケイイチ』の公式サイトと言ってもおかしくない影響力を持っている。そこで書き込みした内容は、過激であればある程採用されやすく、その依頼は達成されやすいという特性がある。大きな事件になると、『ケイイチ』の存在がメディアを通じて、全国的な都市伝説に成長出来るからだ。

 ここで依頼された内容は、『ケイイチ』が解決する事になっている。正直な話、今の時代こんな依頼内容は珍しくない。普通の検索エンジンでは引っかからないサイトである為、いわば無法地帯と化しているのだ。その為、利用するのがモラルの無い人間ばかりなので、ひと時の感情に突き動かされて個人情報を垂れ流す。色んな情報を書いておいた方が『ケイイチ』の依頼として採用されやすいといった側面もあるみたいだが、それもあくまで噂の話だ。

 今や数分毎に新たなスレッドが立っている有様で、その盛況ぶりが伺える。

 本当に、情けない限りだ。

 「『ケイイチって、救世主の可能性もあるのか?』」

 そんな書き込みも見た。いよいよ宗教らしさが出てきたようだ。

 「学校の図書室のパソコンで、堂々と裏サイト見るなんてどんな神経してんのよ。」

 ヤバいと思い、すぐにサイトを画面から消す。

 図書委員長の酒井先輩が、呆れたように話し掛けてきた。

 「知ってるの?『メメントモリ・ケイイチ』。」僕は、不安になって訊く。

 「いや、名前だけは。胡散臭くて見てらんないでしょ?」

 そう聞いて、僕は安心した。

 この人は、『メメントモリ・ケイイチ』によると、今日殺される予定になっているからだ。

 「え、君ってそんなの信じる系なの?」

 「いや、信じる信じないというよりか、実害が出ているので気になっているだけです。」

 「それは、『ケイイチ』がこの学校から始まった都市伝説だから、って事?新聞部の矜持かしら?」

 「そうですね。あと僕、目指しているのが心理学科で、こういうムーブメントが起こっている時の群集心理を個人的に分析しようと思っているんです。いわば研究対象ですね。ま、取り敢えずこれはジャーナリズム精神だと思って見逃して下さい。」

 「・・・今回だけよ。」酒井さんはそう言って、図書室の受付に戻ろうとする。

 可愛らしいおさげの髪が揺れる。低身長故の幼さが、自分より学年が上である事を忘れさせる。こんな僕にも分け隔てなく接してくれる女子の先輩は貴重だ。その華奢で綺麗な容姿が災いし、今回の書き込みに繋がってしまった。簡単に人に嫉妬する、思考の幼稚なしょーもない女子の反感を買ったのだ。もし実害が出てしまったら、僕は知人を殺されてしまうのを見過ごす事になる。

 今回の決断には、迷いはない。僕が抱いているこの気持ちが嘘では無い事を証明して見せる。

 僕は僕が下した決断に従いたいのだ。

 

 ―――放課後。

 僕は、三年の学校の玄関前の柱にもたれかかり、ずっと、突っ立っていた。

 そこでも、僕の横を通っていく生徒が面白おかしく、『ケイイチ』に関する色んな噂をする。

 「『ケイイチ』はこの学校の生徒」

 「『ケイイチ』は嘘が嫌い」

 「『ケイイチ』は電車通学」

 「『ケイイチ』は影が無い」

 「『ケイイチ』は実は巨人」

 やはり、その場の話題として盛り上げる為に、『ケイイチ』という存在は酷く脚色される。

 これこそ、現実と虚構の狭間にある都市伝説という存在の面白さだ。名前は一緒でも、全く違う人物のように聞こえてくる。

 玄関口に、酒井先輩が現れた。僕は見つけると、下心が見えない程度に駆け寄る。

 「昼休みぶりっすね。」

 「あっ、君今から帰り?」

 「正直、話が会って先輩を待ってました。」

 「・・・・・え」

 「あ、告る感じでは無いです、安心して下さい。」

 変な誤解を与えてしまった。悪い事をした。これなら、率直に伝えた方がいいだろう。

 僕は昼休み以来、あれからの午後の授業、今日どうやって先輩を生存させるかを考えていた。『ケイイチ』の目的依頼は、指定日時にキッチリと実行される。だから、その指定日時さえ乗り切れば、先輩の生存は確定する筈なのだ。書き込み通りに行かなかった事は今までにいっぱいあるが、そのどれもが殺される予定だった人物の居場所が特定出来ないなどの、物理的な要因だった。『ケイイチ』は悪魔のように契約に忠実だから、この日さえ乗り切ればいい。僕はそのように仮定している。

 だから、先輩にはやはり、正直に話すべきだという結論を出した。

 「あのですね、先輩、歩きながらでいいんで耳に入れてもらいたい情報があります。」

 「えっ、何?」

 「先輩の安全を確保する必要があります。」

 「いや、いいって。『ケイイチ』関連でしょ。」

 流石に鋭い。でも、これは深刻な問題なのだ。何とかして説得しなければならない。

 「『ケイイチ』関連です。でもこれは先輩だけに言いますよ。」

 「うん。」

 「僕が本物の『ケイイチ』です。このままでは、先輩を殺してしまいます。」

 「・・・・・・は?何言ってるの?」

 「じゃあ、質問します。僕の名前は何ですか?」

 「・・・・・・。」

 「先輩、僕の事は『君』としか言ってこなかったでしょ?僕の名前って、まだ無いんです。生き延びたら僕に名前を付けてくれますか。」

 「・・・・え、え、え、え、ちょっと待って、何で名前が出てこないの?」

 様子がおかしい。そりゃそうだ、僕の正体は都市伝説だ。

 人々の風聞が実体化した存在だ。僕には名前も、戸籍すら無いんだから。混乱するのも無理ない。

 「そういう事です。これから先輩が今まで生きて来た中で、ありえない事がとても多く発生すると思います。」

 「え、え、何で今まで気付かなかったの・・・?」

 「それは大衆に『ケイイチ』が都合のいいように解釈されているせいですね。僕は現実における認知の歪みみたいなモノですから、人々に矛盾無く当たり前に解釈されるんです。」

 「意味が分からない。」

 「でもそれに僕の意思は関係ありません。僕が都市伝説だからです。今の世間の『ケイイチ』のイメージは、どういう訳か殺人依頼業者の側面が付いています。そしてそれが本気で信じられています。それは、本物の『ケイイチ』にも多少なりとも影響は出ます。そうですね、あと一時間もすれば先輩への殺人衝動が抑えられなくなります。だから逃げて下さい。お金も渡しますので、駅まで連れて行きます。」

 「ちょっと待って、話が急すぎるし、警察に行った方が」

 「僕は化物です。誰かに守ってもらうという発想は捨てて下さい。被害が大きくなるだけです。とにかく、遠くへ逃げて下さい。本当に、もっと早く書き込みを見つけていれば対策が立てられたんですが」

 「君が私を殺すんでしょ?何でそんなに冷静なのよ!」

 「僕は大衆の代弁者に過ぎないんです。でも、人間としての僕は貴方を死なせたくない。この殺人衝動は、僕の理性では抗えません。夜九時を過ぎた辺りから、僕は化物になります。その前に貴方が電車にさえ乗れればいいんです。」

 「何で電車なの。」

 「『ケイイチ』は電車通学するんです。そんな噂に今僕は縛られています。なので僕は基本電車移動になります。先に電車に乗っていれば、追いつかれる事はありません。だから貴方が電車の中にさえ居れば、僕からの脅威は消えます。午前零時、日を跨ぐまで電車に乗って下さい。」

 「情報量が多いって!」

 「仕方無いんですよ、で、こっからが重要です。僕より厄介な事がもう一つ。」

 そう言って、僕は酒井先輩に催涙スプレーと、小銃を渡した。

 「この銃は本物と殆ど同じです。6発まで使用出来ます。使い終わったら証拠も残らないで跡形も無く消えるので、もしここぞという時に使って下さい。」

 「何でこんなものを」

 「それは僕『ケイイチ』が銃を作れる、という噂があるからです。それは僕の身体の一部のようなもの。何で必要かって言うのは・・・ほら、向こうからやって来た。。」

 薄暗い夜道。時刻は8時。駅まで、2キロメートル。

 そこに、正面から、ひょっとこの仮面を被り、金属バットを持った人間が現れた。

 「あれは、僕の模倣犯です。つまり、貴方は僕だけじゃなく、『ケイイチ』になって好き勝手したい犯罪者予備軍全員から命を狙われているんです。とりあえず、あいつは僕が対処します。こうまでしないと、多分全面的に信じてくれないでしょうから。」

 そう言って、僕は、顔という仮面を外した。

 

 ひょっとこの仮面を被った者が、こちらに向かって走り出した。手には鈍器。まさに噂の『ケイイチ』の標準装備である、金属バットを握り締めている。

 「先輩、通り過ぎるバイクにも気を付けて下さい。車にもです。奴らは、人を殺す為にはどんな手段も使ってきます。犯罪者が走って追って来るとは思わないで欲しい。それくらい、今の貴方は危険だ。」

 「何で、こんな事に」ごもっともだ。何故、無辜の人間を巻き込むのだ。

 「これからは、誰も信用しちゃ駄目ですよ。取り敢えず、電車に乗れれば生存確率は飛躍的に上がる。とにかく、遠くです。遠くへ逃げて下さい。いざとなったら、銃を使えばいい。」

 「君、顔が・・・。」

 「のっぺらぼうは初めて見ましたか?これが僕の正体です。信用してくれましたか?」

 「・・・・分かったわ。」

 「じゃあ、この場は任せて、逃げて下さい。」

 酒井先輩は、反対方向へ逃げていった。回り道だが、駅まではそう遠くない。

 彼女には銃を持たせてある。これで多分、大丈夫だ。

 僕が彼女を殺す心配は、ひとまず消えそうだ。

 ―――安堵すると、顔の無いまま前方の奴を睨みつける。

 『ケイイチ』が都市伝説になった途端に、僕という存在は誕生した。人々の集合的無意識が作り出した僕は、人々から思われるがままの姿形を取り、噂される度に僕の存在は肥大化していった。僕という人格が形成され、個性を獲得するまで、そう時間は掛からなかった。

 だが、その『ケイイチ』をいいように悪用する者達が現れた。

 神格化し、何をしても許される存在と解釈されたそれは、実際の僕とはかけ離れた存在になっていった。

 そして、正義の暴徒と化した偽物の『ケイイチ』が全国的に発生しているのがこの現状だ。罪の無い人を殺す事が出来る免罪符として、『ケイイチ』が利用されている。

 僕にも、その影響が出始めている。どうにかしてこの流れは食い止めなければならない。

 それで、僕は、最近は偽物の『ケイイチ』を殺して回っている。

 こいつも例外では無い。

 「・・・何だよお前。この、化物が?」

 顔の無い僕に恐怖したのが、錯乱したのか、金属バットを振り回しながら突進してくる。

 僕は、そいつの金属バットを素手で掴むと、思いっきり握り締めて折り曲げた。

 ―――そう、僕は化物。

 最初は、ほんの小さな出来事から始まった都市伝説。

 今や、人を殺す事だけに能力が尖ってしまっている。全て根も葉もない噂のせいだ。

 そのまま奴の首を掴み、持ち上げようとするが、身長が足りなかったので、体そのものを二倍に膨らませ、大きくした。誰かが、『ケイイチ』は巨人だとか言ったせいで、こんな事も出来るようになってしまっている。

 そいつのひょっとこの仮面を取る。やっぱり知った顔だった。

 佐藤だ。昨日の朝、藤沢に義憤していた、奴だ。

 こいつが模倣犯予備軍である事も把握済みではあったが、まさか同じ学校の生徒にも殺意を向ける事が出来る程、凶暴な人間だとは思わなかった。やはり、人の悪意は一筋縄にはいかないし、読めない。

 「は・・な・・せ・・・・?」

 彼の目は涙に滲んで、苦しそうにもがいている。蝉が死ぬ時の最後の抵抗にも見える。

 「放さないよ、佐藤君。僕は誰であれ、偽物は許さないと心に決めているんだ。」

 首を掴んだ右手を外し、今度は大きくなった左手で身体そのものを包み込み、拘束する。

 少し、話したくなった。彼とは、友達だったから。

 ゴホゴホ、と咳を鳴らす。よっぽど苦しかったのだろう。

 「何で俺の名前を知っているんだ。」佐藤は表情に驚きの色を浮かべる。

 「それは僕が本物の『ケイイチ』だからだよ。」

 「ハッ!本物も偽物も変わんねぇよ。顔の無いお前が本物だって言うなら、お前は中身の無い空っぽじゃねぇか。『ケイイチ』は令和の十字軍だ。誰が名乗ってもいい。」

 佐藤君は、僕がクラスメイトだって事には、気付いていないようだった。良かった。

 「でも、殺す事は無いだろ。」

 「殺さなきゃ救われない人間がいるから、『ケイイチ』名乗ってんだ。」

 「他人の嫉妬を満たす事が救いか?」

 「ちげーよ、本当にサイトの書き込み見たか?あの酒井って女、ろくでもねーぜ。」

 「噂に左右され過ぎだ。僕は自分で見たモノしか信じない。誇張だらけのネットの書き込みに本気になる奴の思考の方がろくでもないよ。」

 「知らねーのかよ。じゃあ、教えてやる。二股の藤沢が登校してこない理由をな。あの酒井って女が『メメントモリ・ケイイチ』に書き込みしたんだよ。藤沢を殺してくれ、ってな。藤沢からのストーカー被害で悩まされていたらしい。で、この前、駅前で発見された身元不明の死体は、恐らく藤沢だ。俺じゃない『ケイイチ』に殺されたんだ。

 で、酒井って女を殺してくれってあのサイトに書き込みした奴は、その藤沢の彼女だよ。

 俺は、その敵討ちをしているだけだ。藤沢の彼女は、俺が好きだった女だから。」

 「残念、藤沢を殺したのは僕だ。彼は『ケイイチ』のフリをして酒井先輩を殺そうとした。これが真実だ。噂に踊らされたな。」

 僕は、左手の握る力を強くする。ミシミシと音が鳴る。骨が軋み、肉が潰れていく。

 「いってぇぇぇ!クソがぁぁぁ!!!化物がぁぁぁぁ!!!」

 断末魔の叫び声が周囲に木霊する。僕は構わずにそのまま、彼を握り潰した。


 ―――寂れた街路の灯が、ポツン、ポツンと点滅を繰り返す。

 染まる程の返り血が化物に滴っている。

 相変わらず、僕の影は映らない。それが、僕が化物である証と共に、人間とは分かり合えない烙印でもある気がする。

 静まり返った夜に、異形の僕だけが独りぼっちだ。

 時が経つにつれ、再び緩やかな殺意が心を満たしていく。このままでは、また化物に戻ってしまう。

 酒井先輩を殺さなければならない、それが使命感として身体を突き動かしていく。

 身体が、肥大化しては縮小を繰り返し、心拍と同時に変形していく。理性が崩れ、本能のままの存在に塗り潰されていく。

 かなり遠くの方で、銃声が聞こえた。

 ―――頼む、間に合わないでくれ。

 早く、いち早く、電車に乗ってくれ。

 僕は、祈るような気持ちで、殺意に胸を躍らせながら、銃声の方へ身体を走らせた。


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