After

 彼女に殴られてから、ひと月が経った。


 そろそろ年の終わりも間近で、まとわりつく外の空気も寒くなってきている。


 左腕には、とても大きなひっつき虫がべったりとくっついている。もちろんそれは、実際は虫でも植物でもなく、日向真白ひなたましろというクラスメイトの女子だった。


「コアラじゃないんだから、そんなくっつかないでもらえない?」


「好きでしょ、こういうの」


「……前は触られてビービー泣いてたくせに」


「は? 泣いてないし。泣いたのは君でしょ」


「私も別に泣いてないけどね」


 真白の無駄に密度のある胸が、ぎゅっと二の腕に押しつけられる。


 制服に羽織ったコートの生地が擦れ合うたび、静電気がばちばちと鳴る。離れようにも、握られた手が頑なに離れようとしない。


「そんなことしてると、また噂されるぞ」


「別に。あれで魔除けできたし、むしろ喜んでやってやるんだから」


「一緒に帰って、友達に噂とかされると恥ずかしいし……」


「君友達ほとんどいないでしょ」


 かわいい顔で結構ひどいことを言われた。正直傷つく。


 それでも、いまこうして一緒にいるのは、あの時妙に真白に対して親しみが持ててしまったからだ。つまり、満更でもないというところ。


 そうして駅に入ろうとしたところで、ぐいと引き止められる。


「駅ビル寄ってこ」


「え、なんで……」


「クレープ食べたくなっちゃった」


「……了解」


 私は駅に入り、改札を通らず駅ビルの方に入っていく。


 彼女にとって、私は所詮ペットみたいなものでしかないのだろう。いつか彼女は私の前から勝手にいなくなり、別の誰かの隣に、あるいはどこか遠い場所へ行くのかもと、そんなことを思っていた。


 だから、彼女のお願いはなるべく断らなかった。いつかそうなって後悔しないように、叶うならばずっと彼女が私のもとから離れなくなるように。


 たとえ彼女にとって取るに足らない存在だったとしても、私にとっては唯一の親友になってしまったわけで。だからせめて、私の人生を狂わせた責任は取ってほしい。


 ……自分も大概、重いやつだな。


 思わずくすりと笑いながら、目的の場所へと歩いていく。




 自分の分はそれぞれで払い、二人で丸テーブルに向き合って座ってクレープを食べる。


 真白はフルーツとクリームがたくさん入ってるやつ、私はガトーショコラだ。


「食いづれぇ……」


「食べ物に食べやすさを求めると精神が軟弱になるよ」


「食ってる時まで精神性を求められたくないんだけど?」


「じゃあ黙って食べなさい」


 渋々スプーンを刺しこみ、チョコアイスを口に放る。


 甘い。なんだかんだ、チョコレート系はなんでも好きだ。チョコレートの嫌いなやつなんかほとんどいないと思う。


 なんだかんだクレープに集中していると、前から手が伸びてくる。


「一口ちょうだい」


 見ると、彼女はにまにまとした笑顔を浮かべている。


 絶対なんかしてくるな。私はそう思いながら、スプーンでチョコアイスの先端をちょびっと掬って寄越してやる。


「ほらよ」


「……そういうことするんだ」


 ばんと立ち上がり、椅子をずるずる引きずって、すぐ隣に置いて座る。それから、横から腕ごとクレープを強奪して一気に丸齧りした。


 恐ろしいことに、クレープの半分ほどが一瞬にして消えた。あまりの惨状に、ただ絶句してしまう。


「意地悪するのが悪いよ」


「いや、だからってここまでする?」


「じゃあ、こっちも一口あげる。ほら、好きなだけ食べな」


 なんか餌付えづけみたいで嫌だな。


 そう思いながら、こっちも負けじと真白のクレープを丸齧りする。思いのほか食べられず、先ほどの彼女の一口が恐ろしくなる。


 ホイップクリームの甘さとフルーツの瑞々しさや酸味がちょうどいい具合になっている。よくわからないが、多分柑橘かんきつ系とかバナナとかなんじゃないかと思う。


 自分の食った量より多く食われたが、あっちもくれたのでまあまあ満足だった。そうしてまた自分の分を食べ進めようとしたところで、横から手が伸びる。


「お前、また取る気――」


「ついてる」


「えっ……」


 彼女の指が口端についたクリームをすくい取り、そのまま口へ運ぶ。それから、こちらを見ていたずらっぽく笑う。


 ずるい。こんな姿を、いつか他の男に見せるのか。


 そう思うと、目が離せなくなる。ムキになってしまう。


「お前もついてんぞ」


「えっ……本当だ。取って」


「自分で取りなよ」


「恥ずかしいの?」


「……持ってて」


 スプーンを刺したクレープを渡して肩を取る。そのまま、もう片方の手でクリームを取った。


 ばっちりと、視線が合う。彼女はほうけた様子でこちらを見つめて、なんだかこちらまで恥ずかしくなってくる。


 なんだかムッとして、クリームのついた人差し指を彼女の口の中へ押し込んでやった。彼女は一瞬うろたえながらも、口腔こうくうに入り込もうとするそれを受け入れる。


「うわっ、ねぶりやがった!」


 ぬるりとした感触にすぐさま指を離して、制服のポケットから出した自分のハンカチで拭く。彼女は笑ってこちらを見ながら、またクレープを食べ始める。


「かわいい」


「バカにして……!」


「君がかわいいのが悪いよ」


 指を拭き終えて、自分のクレープを返してもらう。


 食べ終える直前、ふとどうでもいいことを投げかけてみた。


「そういえば、サラダとかの甘くないクレープってどう思う?」


「……なに、また食べるの?」


「食べねえよ。いや、なんとなく」


「……んー、まあ。よくわからないけど、それもう生春巻きじゃない?」


「やっぱり、なんか違うよなぁ……」


 お互い食べ終わり、真白の包み紙を取る。


 それらをまとめてくしゃくしゃに丸めてゴミ入れに放ると、彼女へ向けて手を差し出す。


 いきなりのことだったのか、彼女は呆然とそれを見ていた。


「ほら、繋ぐんじゃないの?」


「……うん」


 珍しく大人しく応えて、ぎゅっと腕を取る。そのまま周囲の視線を一身に受けながら、恥じらいがちに構内を歩いていく。


 いつか後悔しないうちに、さっさと離れてしまうのがいいのかもしれない。それでも私は、彼女の元を離れられそうにない。


 私はいま、真白によって見えないリードに繋がれていて、私自身もそれを受け入れてしまった。そして私は、それが永遠に続けばいいと思ってしまったのだ。




〈了〉

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きみに殴られた頬が痛い 郁崎有空 @monotan_001

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