第1夜 魔導師




 いったい、どれだけの時間を費やして誰もいない廃屋の群れの中を歩いたのか。

 少なくとも1時間ぐらいは超えている。

 それだけ歩いても、あるのは木製の古び過ぎて朽ち果てた建築物と《奴等》しかいない


 ガサ。ガサ。


 ふと、近くの茂みを掻き分け地面の土を踏み締める音が少年……『焔葉アキラ』の耳に入る。


ああッ! また《奴等》かよ、クソが!!


 口には出さないが内心悪態を吐き、その音の正体が何であるかを瞬時に理解したアキラは、音のする後方を見る事なく、一目散に駆け出す。


ザッ!


 同時に何かが茂みから飛び出したらしい。

 一際大きな雑音がワンテンポで出たと思えば、今度は地面を蹴り、アキラに追いつこうと駆け出す足音へと変わる。


 ヤバい。そう思った時には既に自身の脚の速度を上げていた。

 自身を追う存在が何なのかを知っている。だからこそ、アキラはそれから逃れようと必死に脚を動かす。

 幸い向こうはアキラの脚よりは遅いらしく

、距離を取られてしまっているのがいい証拠だ。

 このまま行けば、難なく逃げられる。

 そう思った矢先だった。


 ガッ!


 足下に太い木の根があったのだ。それに気付かずにぶつかり、バランスを崩した身体は当然ながら重力に従って転倒してしまう。

 それが通常時なら大して問題にはならなかったのだが、今、この瞬間に追われている状況下でそれはあまりに失態過ぎた。


「いってぇ……は、早く!」


 軽く一回転してしまい、俯せになった態勢からアキラは起き上がる。

 身体は痛むが大した怪我は一つもない。

 問題なく走れる……とは言え、その追跡者が既に追いついていれば、何の意味もないが。


『ギ、ガ、ゴゴ、ギギ……』


 追跡者は、アキラの上を軽々と飛び越えて眼前へと立ち塞がった。

 濁音混じりの片言を意味不明に垂れ流すソレは、人語らしきモノを口にしていようと一目で人間ではないのがよく分かる形状をしていた。

端的に言ってしまえば、それは泥。赤黒い泥のような何かで構成された、犬か狼を思わせる四本足の獣の形を成している。


『ガガ、ギ……に、贄』


 贄。確かに泥の獣はそう言った。

 つい先程までの不明瞭な人語らしきモノではなく、はっきりと意味のある人語を口にした。

 そして解釈に違いがなければ……贄とは文字通り生きた供物の事を指しているのだろう。

 では、その生きた供物とは何を指すのか?

 状況から鑑みるにアキラ自身である可能性が非常に高い。


「……ふざけんじゃねぇ。気色悪りぃ泥の化け物が神様なんて言うつもりかよ」


 理解の及ばない存在に対する恐怖や、それに襲われて死ぬかもしれないと言う絶望感。

 それらは、早々消えるものではない。

 しかし、怒りがそれを無視して少年の身体を立ち上がらせる。

 常人なら気絶してしまうだろう。あるいは錯乱するか、心の防衛機能を動かす事で『これは夢だ、幻覚だ』などと世迷言を抜かして逃避に身を委ねるか。

 だが、アキラはどちらでもなく、真っ向から挑む事を選んだ。

 勝算。策。技術。そんなものは一切ない無謀のソレだ。勇敢とは程遠く、激情に身を任せただけの無意味に等しい行為。

 愚かだろう。馬鹿の極みだろう。

 しかし、だとしても。


「訳の分かんねぇ化け物にやられてたまるかァァァァァッッッ!!!!!」


 そう叫び、近くにあった石を投げつけた。

 雑に投擲された石はそれなりに威力があったこと。加えて、その化け物が泥という、柔らかい性質で出来ていたおかげで獣を顔をグシャリと歪ませることができた。

 だが、それで終わりではない。

 ゆっくり……とだが、徐々に顔が元に戻りつつある。さながらビデオの巻き戻しを見ているような気分だ。

 しかしそれにいつまでも浸ってなどいられない。少年はすぐに次の行動へ出る。


「食らえぇぇぇぇぇぇッッッッッ!!!!」


 今度はつい今し方投げた石よりも一回り大きな石を手にし、背後から泥の獣を殴打しまくる


「死ね! 死ね! 死ね! 死ね!」


 何回も。何十回も。数など、ろくに覚えてられないほど一心不乱に石を叩きつけ殴打し、泥の獣の息の根を止めようとする。

 そうしていく内に形が崩壊していく。やはりり、石を通じて伝わって来る感触は紛れもなく泥のソレだ。

 到底生き物とは思えない。そもそも泥で構成された生き物なぞ、あってないようなものだ。


「ギ、ガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガ!!!!!!」


 形を無くし、もはや蠢く泥でしかないソレは、まるで断末魔の叫びとばかりに不協和音をこれでもかと周囲に巻き散らす。

 壊れた機器が出す無機質な故障音にも似た断末魔の叫びらしきモノは、ほんの数秒の間だけ少年の耳に軽いダメージを与え、そのまま止まった。


「はぁッ、はぁッ、はぁッ、はぁッ、はぁッ」


 口腔から大きく深く空気を吸い込み、同時に大きく吐く。そうやって肩を上下に動かすような呼吸を繰り返すアキラは、緊張の糸が切れたのか。腰を地面へと落とし座り込む。

 動きを止めたということは、どうやら殺せたらしい。

 普通の生き物どころか、本当に生き物なのかすら怪しい泥の獣モドキに『殺害』の概念が当て嵌まるのかは微妙なところだが、当面の危機は去った。


「はぁ、はぁ、………もうなんか、ワケわかんねーよ」


 この手で殺せたとは言え、それで何か得るものがあったかと問われれば……ほぼ皆無と言っていい。

 獣のような形をした泥が自分に襲い掛かってきたという事実以外に何もない。


「ほぉ、これはこれは。断絶領域に人が入って来るとは。いやはや驚きだな」


 一つの声がした。

 アキラの耳朶にまるで染み渡るように入って来るその声は女性特有の高い声で、幼さを感じる。

 おそらく、子供だろう。

 それも10にも満たない年齢だろうと予想し、その姿を見ようと重く閉じた目蓋を開けた。

 開けて、後悔した。


『どうも初めまして。まぁ見て分かると思うけど人間じゃないよ』


 つい先程まで普通だった筈の少女の声は何故か、変声機でも使ったのかと思いたくなる程に濁音混じりの歪な、しかしそれでも幼い少女らしさが残っている不気味なものへと変わり果てた。

 そんな声を口にしていたのは、少女などではなかった。

 のっぺりとした山のような身体をし、いくつもの重瞳がびっしりと覆っている複眼のような目。

 それが幾つもあり、特に際立つのはそれらと

比較して数倍大きな目。

 その目は他の目のように重瞳に覆われた目とは異なり、単一の瞳をしていた。

 しかし、その瞳はまるで血を零したように紅く、心の底を覗き見ているような不快な感覚を沸き立たせた。


『"ヴァグ・ロ・ベアード"というものだ。私を知るものは"黒孔王"とか、"ベアード"って呼んでるから、まぁーお好きに呼んでよ』


 その異形は……やけにフランクな感じで自己紹介して来た。











 魔術。魔法。錬金術。妖術。呪術。呪法。

 言葉は違えども、結果的に既存の法則を無視した事象を体現するという意味では同一の意味に帰結しているこれらは、大抵の場合は『御伽噺』ないし『空想の産物』として片付けられてしまう。

 しかし、こういったモノは現実に存在する

。その筋の者達からは総称として『外象具現

』と呼ばれている。

 外象具現は本来であれば人ならざる存在が行使する力の一種である。しかし、それを人の身でも実行できるよう変換したものを『錬金術』といい、今日に至るまでその流派や家系は人知れず脈々と続いている。


「で、その錬金術を使える人間を"錬金士"って呼ぶ訳だ。理解した?」


 黒髪をショートヘアに伸ばした、黒のドレスを纏った少女……ベアードは妖艶な笑みを少年こと焔葉アキラに向ける。

 対照的にアキラの顔は『うんざりだ…』というのが嫌でも分かる表情を滲ませている。


「おや? どうしたそんな顔して。ティータイムがてらの補習がご不満かな?」


「いや、それはいい。あれから数時間はかけ

て……まぁ、どうにも簡単には納得できないけど色々教えてもらった。うん。それは有難いんなけどさ……」


 アキラは言い淀む仕草を見せたが、この際だと腹を割り、はっきりと物を言う。


「"怪異斬り"なんてもんにはならねー!!


「え〜い」


 人差し指をクイっと。自分の方に曲がる形で動かした瞬間、彼女の足元から一本の放射状に伸びる黒い触手が伸びる。

 触手はあっという間にアキラの頭に吸い付くと、少しづつ髪の毛一本一本の先を粒子化させていく。


「まっ、待て待て待てッ!! ホント待って下さいぃぃぃぃッ!!!!」


「あっはは。面白い反応だね〜」


 必死に迫る懇願を聞き、カラカラと笑いながら辞めたベアードは一口、紅茶を味わう。


「ふぅぅ。で、怪異斬りを辞めたいっていうのはどう言う了見かな?」


「いや、辞めるも何もなってすらないだろ」


 髪を大事そうに摩りながら、アキラは的確なツッコミを繰り出す。


「いやいや。私に見初められた時点で怪異斬りになったも同然。まぁ、諦めた方がいいよ」


「えぇー……」


 あまりに無茶苦茶な言葉に思わず呆れた声が漏れ出る。しかしまぁ、こんな言い分で軽く片付けられてしまえば怒りに身を任せるか、もう呆れるかの二択しかないだろう。

 アキラの場合は後者だ。

 数時間という長いようで短い時間の中で彼は理解したのだ。

 この目の前にいる人ならざる存在に常識を求めてはいけないのだと。

 そもそも、アキラとベアードがあの廃村で邂逅してからというもの、本当に常識離れの連続だった。

 いきなり黒い影のような何かに飲み込まれたかと思えば、全く違う場所へと移動されていた。原理など理解できない。

 まともに考えれば頭がおかしくなるだろう。

 そしてその移動先は黒い屋根の不気味な雰囲気を醸し出す洋館だった。

 しかし、洋館と言えどもそれは外観だけの話で、中は驚くほどに黒しかなかった。

 何もない真っ暗の闇が空間を支配し、家具や

部屋など建物として本来備わっている筈のものが一つ、その欠片さえない。

 にも関わらず、ベアードは何もない筈の空間に突如として貴賓さを感じさせる、そこそこお洒落な円形の小さいテーブルと椅子、そして紅茶の入ったカップを出現させた。

 洋館内部の異様さに目を奪われていたとは言え、僅か1分弱でそんなものを用意させてしまったベアードに対し、得体の知れない恐怖やこの先我が身がどうなるのかという不安。

 そういった悪感情が留めどなく溢れて、アキラの内心は外側も含めパニック状態だった。

 そんな彼をなんとか落ち着かせたベアードは

彼を椅子に座らせ、出来る限りの範囲内で教えられる情報を伝えた。

 そのおかげで、アキラはベアードが何者なのかを本人から知り得ることができた。

 彼女の名はヴァグ・ロ・ベアード。

 この世界に存在する数少ない『魔導師』。

 魔導師とは、文字通り魔術・魔法を他者に教え説き、伝授させる者。

 この二つは一見同じように思えるかもしれないが、明確な違いがある。

 魔術は基本的にいくつかの工程を経て、通常の理では不可能な事象を発生させるもの。対する魔法はこの工程を省き、事象を発生させることができる。

 この二つを体得し、尚且つ上位に位置する魔術魔法を行使できる者こそ、初めて魔導師という称号を得るのだ。

 そして……魔導師というのは、なにも人間だけが成るものではない。

 彼女のようにヒトならざる者が成る場合もあり、むしろ、そちらの方が数としては多いのだ。


「それに、君は妹さんを探してるんだろ?」


「!!ッ……ああ、そうだよ。それが何か関係あるのか?」


 ベアードの指摘に、アキラは分かりやすい動揺を晒してしまった。

 すぐに気を取り直して何の関係があるのかと怪訝そうに言ってくる。


「2日前から音沙汰なしに突然失踪した彼女を見かけた、という情報を頼りに某山中にある廃村に足を運んだ。で、君は怪異に襲われ私と出会った。この認識で間違いないね?」


「おい、長々と前置きして勿体ぶるなよ」


「勿体ぶってなんかいないさ。確認だよ確認」


何が面白いのか、愉快げに笑う様にアキラは苛立ちを募らせる。


「で、あの廃村は実は普通じゃないんだ。君も見ただろ? あそこは怪異が巣食う魔境の村なのさ」


「……」


ベアードの言葉を聞いて、アキラの中で一つ納得がいった。

あそこは本当にヤバい場所だった。泥の獣らしきモノもそうだが、その前には脚が8mも

あり、胴体部分が楕円形の形状をした黒い蜘蛛らしきモノや白いヒト型をした靄など。

 明らかに常識の範疇の内にあるとは思えない異形の数々。どうやらそれ等は彼女のような魔の道に通じている者からは"怪異"と呼ばれているらしい。

 そして共通しているのは、その怪異たちはアキラを見つけるな否や襲って来たこと。


「……その怪異ってのは、人間を襲うもんなのか?」


「いいや。普通なら襲わない…というより、

"襲えない"って言った方がいいかな?」


「? どう言う事だよ」


それではあの廃村での出来事と矛盾してしまう。間違いなくアキラは怪異に襲われたのだ


「怪異って言うのはね、概念的事象に過ぎないんだ。ソレらに明確な形はない。物質的な意味においては存在していない。だから物理的な干渉は微塵もできないんだ」


「……あー、なんつーか、幽霊みたいもん?


 幽霊。その例えを出したのは基本的に目には見えず、物理的な干渉ができないというイ

メージからだ。


「うーん……その表現は少し違うけど、まぁ、分かり易いんならそれでいいよ」


 そう言ってまた一口。紅茶を含み味わう。


「ん……で、じゃあ何であの廃村の怪異は実体があったのかって話だけど、彼等はある場

所で形を得たんだ」


「場所?」


「何処だと思う?」


 ニヤリと挑発的な笑みを浮かべるベアード。

それを見て苛立ちを募らせるアキラだが、ここでストレスを吐き出した所で意味はないし

、先程の妙な技をして来られるのも困る。


「分かんねーよ」


「まぁ、普通なら分かる筈ないわ。だって、異世界だもの」


 ベアードのなんてことなく平然と紡がれた言葉を理解するのに、僅かながら時間が必要だった。

 理解する、と言ってもそれは言葉の意味そのものだが。アキラでもソレ自体は分かる。

 異世界は文字通り、異なる世界。悪魔の住む魔界だとか、神や天使、善良な人の魂が住むイメージの天国がこれに当たるかもしれない。

 だが、何故そんなワードが出てくるのか。

 そして、どう関係するのかが、アキラには到底理解が及ばなかった。


「はっはっは。大丈夫だよ。ちゃんと説明してあげるって」


ケラケラと悪戯的な笑みを浮かべつつ、ベアードは説明を始めた。


「まぁ、君の住む世界ってのはさ、私みたいな超自然的な存在…神様だとか、悪魔とか、妖精や幽霊って感じのヤツは基本的に存在できない。明確な実体を保つことは勿論、どんなに強大な力を持っていても行使することはできない。

そーゆー風に出来てる訳だ。だから、あくまでソレ等は概念としてでしか存在できない。ここまではいいかな?」


ベアードの確認に対し、アキラは頷く。


「結構。で、そんな曖昧で不確かな彼等でも、それなりに意思がある。明確な存在として在りたいって言うね。でも世界の理がそれを許さない。なら、違う世界なら行けばいい。不明瞭で曖昧な概念でも明確な実体と力を持てる世界に、ね」


「それが異世界って訳か? そこって魔界とかあの世的な?」


「ううん。そこは"アウターユニヴァース"って呼ばれてるんだけど、普通に人間が住ん

でて変わった生き物がいる程度だよ」


 魑魅魍魎が跋扈する悍ましく、おどろおどろしい世界でも想像していたのか。

 それを聞いたアキラは肩透かしを喰らったかのように溜息を漏らす。


「で、その世界には概念が実体化できる力の法則が働いていてね。そのおかげで彼等はきちんと見て触れる明確な肉体を手に入れ、好き放題にやり散らかしてる。一部は君が廃村で遭遇した連中みたいにこっちに戻って来て、まぁ〜〜色々やらかしてる訳だ」


 心底うんざした様子で、やれやれと肩をすくめながら言うベアード。


「正直な話、ご勘弁願いたいんだ。好き勝手にやられては色々と面倒が起きる。その場合、あっちもこっちもタダじゃ済まなくなってしまう」


「……もしかして、怪異斬りってアレか? 俗に言う妖怪退治的な……」


「そ♪ それも異世界でやって貰うってわけ」



 ・・・・・・・・・・・・・・・はぁ?


 長い沈黙の後に出した声は、まさしく理解不能を代弁した分かり易い気の抜けた声だった。



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