04 : DESPERATION AND TAG-GAME
九人いた船員も、もはや残っているのはマーカスとジョーンズの二人のみとなった。
予定ではあと一時間弱で進路変更が完了し、そうなったら燃料が投棄されてしまうはずである。タイムリミットぎりぎりのところだった。
「ジョーンズ、あとどれくらいかかる?」
「五分ってとこか。このモジュールをセットしたら、完了だ」
「どうやら間に合ったか……」
「ちょっと待て、なんでエンジンが止まってる?」
先ほどまでうなりを上げていたエンジンが、今は静まり返っていた。船尾から突き上げるようにして加わっていたGも感じられない。
コンソールからピッと音がして、燃料投棄を開始するメッセージが表示された。
「まだ残り時間はあったはずだ! なんで燃料投棄が始まってる!?」
「しまった。カーゴベイを切り離した分、船の質量が減って、速度ベクトルの修正が早まったんだ……」
推進力が同じでも、質量が小さくなれば加速度は大きくなる。そんな力学のあまりにも初歩中の初歩のことを、船員の誰もが失念していた。ひょっとしたら、ロビーなら指摘していたかもしれないが、あいにく沈黙したままである。
未知の異常事態に直面して冷静さを欠いていたせいもあるにせよ、航海士のマーカスとしては
慌てて最後の作業をして、船の制御を取り戻したものの、燃料の多くが失われてしまっていた。進路を再修正するには余裕がなく、生命危険域を避けられるかどうかは微妙なところだった。
「くそっ。燃料はあとこれだけか。そのうえ、アレはまだ船内をうろついてやがるし」
「アレに喰われるのだけはごめんだ。あんな風になるくらいなら、まだ
「そうだな……」
この先どうなるにせよ、レギオンを船内に留めておくのは耐えがたかった。なんとしても船外に追い出す必要がある。
すでに船のロックは解除されてるので、船内から隔離したブロックを切り離すことは可能になっている。
ただ、問題はどうやって切り離したブロックを遠ざけるかだった。第三カーゴベイでやったような、単純にブロックを切り離しただけでは、レギオンが舞い戻ってくる可能性が高かった。
「じゃあ、こういうのはどうだ」
マーカスは思いついたプランを説明した。
「なるほど、そのくらいなら残りの燃料でもギリギリやれるか」
「ああ。『
*
レギオンは船首付近の脱出ポッド前でうずくまっていた。七人分の人体を吸収して、さらに巨大になっている。
船外活動服を着込んだマーカスは、レギオンの前に立った。
「この、くっそっ野郎!」
すでに船内すべての空気が抜かれているので、いくら怒鳴っても伝わることはない。その代わりに、手に持ったスパナをレギオンに向けて投げつけた。
当然、レギオンは反応して、マーカスに向かってきた。
普通に走ったくらいでは、すぐに追いつかれてしまう。そこで、マーカスは宇宙服に取り付けた命綱のワイヤーをウィンチで引っ張っていた。この方法なら、足と手を使って走るよりはずっと速かったのである。
「い゛っ! あだっ! いでっ! あっ! 痛えっ!」
あちらこちらで壁にぶつかったり、曲がり角で引っかかったりして、宇宙服の気密が破れないかも心配ではあったが、目の前の赤紫のゲルに喰われるよりはマシだった。
そうして引っ張られながら、マーカスは第一カーゴベイに入った。レギオンもそれを追って、カーゴベイに入ってきた。
「檻に入った!」
『了解!』
ブリッジにいるジョーンズの操作で、カーゴベイの扉が閉じた。
さらにマーカスは引っ張られて、開きっぱなしだったエアロックを通過し、船外に放り出された。即座に、エアロックが閉じられる。
「ジョーンズ!
『おうっ!』
バンッと、ジョーンズがコンソールのボタンを叩いた。
その直後、船首上端と船尾下端の姿勢制御スラスターが火を噴いた。いたか丸のブリッジがある重心付近を軸にして、船体が前転し始めた。
マーカスはと言えば、ブリッジ近くに設置されたウィンチに引き寄せられていった。そこは重心に近く、船体の回転の影響が少ない場所だった。
強烈な回転Gによって、カーゴベイ内のレギオンは壁に叩きつけられた。
通常時では、積荷の安全を考えて旋回速度は小さく抑えられているが、リミッターを外せば燃料の続く限り回転速度を上げられる。
スラスターの噴射を続け、回転速度は一分あたり一回転まで上がった。遠目にはゆっくりとした回転に見えるが、なにせ全長数キロメートルの巨大な船体がその速度で回転しているのである。先端に行くほど猛烈な力がかかっており、人間であれば、カートゥーン描写のごとくぺしゃんこに平たく伸されているレベルである。船体の一部には、負荷で崩壊しかかっている部分も出始めた。
船首に近い第一カーゴベイ辺りでも、加速によって銃弾並みの速度が出ていた。
そして、ちょうど回転円の接線真正面に恒星プロキシマセンタウリが来た瞬間を見計らって、ジョーンズがカーゴベイを切り離した。
今や超巨大な
数百m離れたところで、カーゴベイのハッチが弾けたように見えた。しかし、ここまで離れてしまえば、いかにレギオンがあがいたところで、届くことは物理的に不可能だった。
それを見ながら、マーカスが叫んだ。
「プロキシマで灼かれて、死ねぇっ!!」
*
いたか丸が惰性で漂流を続けて二週間がたった。
いたか丸の回転は止められたものの、そこで燃料が尽きてしまい、進路は修正できなかったのである。このまま行けば、三週間ほどでプロキシマセンタウリの生命危険域に突入することになる。
しかし、生き残った二人は気楽だった。たとえ、恒星の熱で焼き尽くされようとも、レギオンに喰われるよりはよほどマシである。
船内にはレギオンの残滓というべき粘液も残ってはいたが、薬品で徹底して洗浄したことでどうにか危機は脱したらしい。今のところ、マーカスもジョーンズも感染の兆候はなかった。
食料などは十分に余裕はあるものの、いかんせんすることもなく退屈な時間が過ぎていた。
そんな時、不意に船舶の接近警報が鳴った。
『こちらプロキシマbステーション沿岸警備隊所属、巡視船「ナイトゴーント」だ。漂流中の貨物船、応答せよ』
相手は大型の巡視船だった。いたか丸が発した遭難信号をキャッチしたようだ。
「こちら、地球圏ダイモス船籍の貨物船、『いたか丸』。トラブルがあって、現在、燃料を使い果たして、漂流中。生存者は二名のみ。回収を求める」
『了解した。接舷するので、こちらの指示に従ってもらいたい』
「『いたか丸』了解」
どうも、先方はいたか丸をさほど警戒してはいないらしい。地球圏連邦治安当局からの通達が伝わっていたら、もっとめんどくさいことになりそうなのだが、そうした雰囲気はなかった。
これでやっと生きて帰れる見通しがたった。検疫などで待たされる可能性もあるが、それでも先が見えないのよりはずっとマシだった。
だんだんとナイトゴーントの船影が広がっていき、頭上にはあちらの船の船底が見えていた。
そのとき、ジョーンズが声を発して、窓の外を指差した。
「お、おい、アレ……」
「ん……?」
ジョーンズが指差した先はナイトゴーントの船体下部に開いた、大型の格納庫だった。
何がどういう経緯でそうなったのかはまるで想像つかないが、そこには恒星プロキシマセンタウリに向けて投げ飛ばしたはずの、第一カーゴベイが丸ごと収容されていた。
開け放たれていたカーゴベイのハッチから内部に入ろうとした作業員の胴体が、中から出てきた赤紫色の触腕に貫かれた。
「
マーカスとしては、そう呟くしかなかった。
〈了〉
ハイド・アンド・シーク・イン・スペース えどまき @yedomaki
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