第5話
はる
『お約束なんでいちおう触れておくけど、あっちゃん、字汚すぎ! 実は、この字見てなんか懐かしさが増すようになっちまった。俺も、長くはないかもしれん……。
それはいいとして、結婚おめでとう!
マジでびっくりしたよ。まさかあっちゃんがさきんこと結婚するとは!
こないだゲコが東京きたときに聞いたんだけど、あっちゃんならきっと彼女を幸せにしてあげられるだろう。
いきなり父親になった気分はどうだ?
奥さんはもちろん、子どもたちの尻にしかれている父の姿が目に浮かぶ。文字だけは親父に似させないように注意しろ。
こっちからも実はめでたい報告があるんだよね。
あんときのオーディションが結局ダメだったってのは前にラインしたけど、そのあと、本格的にピンでやるようになって、実は妙に順調なんだよね。
すぐ別のゴールデンのレギュラーが決まって、あと深夜だけど、初俺の冠番組が四月から始まる。
そしてなんと、遂にきました、映画!
もちろん主役じゃないんだけど、主役の友だち。来年の正月映画だ。詳しい話は今度、披露宴のときにでも聞かしてやるぜ。
しかし、まさかこういう形で帰省することになるとは、考えてもなかったよ。
帰るときはまた連絡すっからよ。みんなに会うの楽しみにしてます。
しかし、手紙もいいな。
俺はあっちゃんの字が見たくて、こうして手書きで手紙をだしているのかもしれない。
パートのおばちゃんと浮気すんじゃねぇぞ。じゃあな。』
レポート用紙をなるべくきれいに折りたたんで封筒に入れた。披露宴まで二週間、明日の朝仕事いきながら出すか。
さすがに、ギリギリということはあるまい。
「あっちゃんが結婚か……」
あっちゃんの奥手っぷりは昔からだ。男には偉そうなのに、女性にはてんで弱かった。
初体験の話は、あっちゃんらしくて面白かった。
そのあっちゃんが、これほどすぐに結婚までいくとは、まさに驚きだ。
二月の終わり頃、ゲコがなんかの資格の研修だか更新だかで東京に出てきた。そのとき、あっちゃんの結婚について詳しく教えてくれた。
祭りの前の正月、さきんこが町に子ども連れて突然帰ってきた。
結婚して大阪に住んでから、町に戻ってきたのは初めてだった。
帰ってくるまで誰一人知らされておらず、みんな驚いた。
しかも、もう大阪には戻らないという。
正月、同級生が集まる飲み会で、さきんこはそんな話をしていたという。
あっちゃんが祭りの説明や支援金集めなどで家々を回っていたとき、さきんこの家を訪れるとたまたま彼女と子どもだけのことがあった(決して狙っていったわけではないと、あっちゃんは弁解していたようだが)。
好機を逃すまいと、擦り寄ったのだな。
「なんかあったら相談に乗る。まあ、別に俺でなくてもいいんだが、遠慮なく言ってくれ。さきんこのこと、好きだから……、いや、俺じゃなくて、みんなが、みんなが」
弱味につけ込む、卑劣な所業だ。風上にも置けない。
あっちゃんの家とさきんこの家はそれほど近所じゃない。
祭りが終わった後も「通りかかったから」「近くに用事があったから」と言っては、子どもにお土産を持ってくる。下心見え見え、破廉恥極まりない。
子どもを篭絡するのに時間はかからなかった。それによって、さきんこは徐々にあっちゃんに心を許していく。子どもを見ながら、しみじみと語った。
「あの子たちが私の宝物。旦那のことは憎んだりしてない。私が選んだ、あの子たちのお父さんだもん。でも、もう二度と、あの人のもとには戻らない」
彼女の手元には、その旦那からの手紙があった。
大阪でなにがあったのか、詳しい事情までは聞いていない。しかし、彼女の態度からは、断固たる決意が滲み出ていた。
それは、余人が軽々口を差し挟む余地のないものだった。
彼女が戻ってきてから一ヶ月、とうとう旦那が彼女の実家を訪れた。しかも、なんと父親を伴って。
テーブルを挟んで、彼女と旦那親子が向かい合う。
「用件はなんでしょう」
およそ他人行儀な彼女の言葉。彼女の隣には二人の子どもが、一応真面目な顔で座っている。
旦那の父親がまず言った。
「大事な話だ。子どもは向こうにやりなさい」
「子どもに聞かせられないような話は私も聞きません。子どもたちの同席が気に食わないなら、お引取りください」
向こうが忌々しげにこちらを睨んだ。この人たちはなにも変わっていない。
「頼む。親父も反省してわざわざ付いてきてくれたんだ、戻ってきてくれ。お袋もおまえのことを気に病んで入院してる。頼む」
私のことを?
入院しているということの真偽は別として、気に病んでいるのは世間体でしょ。目の前にいる旦那の父親も、とても反省しているようには見えない。
旦那は会社の先輩だった。外見は十人並みで目立つところはなかったが、真面目で仕事熱心で、誰に対しても優しい。
そのくせ純粋というか、ちょっと天然な部分があって、時々後輩にも突っ込まれていた。
そんなときも、嫌な顔一つせず、「ありがとう」とか「すまんすまん」と笑顔を返した。それがとても素敵に思えた。
ゆったりとした器の大きな人だと思った。それが魅力だった。
そんな旦那が、実は父親に全く逆らえない人間だとわかったとき、魅力は魅力でなくなった。
この人は「大きな器」などではない。父親に従順な、父親にとって都合のいい「紙コップ」に過ぎないのだ。
立ち上がりながら「失礼します」と言い、子ども二人の頭を優しく抑えて、彼女は部屋から出ていった。
すぐに帰ってきて、二人の前に紙切れを広げた。
「これに名前とハンコ、お願いします」
旦那の顔色が変わった。
「これ、離婚……、おい、ちょっと、冗談はよしてくれよ。考え直してくれ、な。この子の父親は僕だぞ。この子たちには」
「あなたは、確かにこの子の父親です。でも、あなたはそれ以上にその人の子どもなのよ」
困ったように俯いてしまう。なにも言い返してこない。
ここまできたことは見直してあげる。父親を引っ張ってきたことも。
でも、あなたの頑張りはここまでなの。
「ね、あなたは、あなたの子どもの前で、父親であることより子どもであることを選ぶ。そういう人なのよ。自分でもわかってるでしょ」
弱々しく項垂れる息子と、苦々しくそっぽを向く父親。対照的なようで、とてもよく似ている。
こんな二人に付き合っていることがバカバカしい。子どもの教育にも、多大な悪影響だ。
さきんこは、傍らの子ども二人に笑いかけると、小さく耳打ちした。二人がパタパタと部屋を出ていくと、テーブルの向こうに控える二人に言った。
「お願いです。これに名前を書いて帰ってください。あなたと結婚したことを、あなたの子どもを生んだことを、後悔させないで欲しいんです」
「後悔って、お前、そんなこと」
「私、こっちでもう好きな人ができちゃったんです」
旦那の泣き出しそうな顔と、父親の怒りに溢れた顔と。よく似ている。
「汚らわしい女でしょ。そう、私って、ほんと節操がないの。好きになったら、もう世間とか関係ない。嫌いになってもそう」
彼女がそう言って二人に笑いかけたとき、部屋の入り口に眼鏡をかけた男が、子ども二人に手を引かれて現れた。
「ど、どうも。えーっと、遠路はるばるご苦労です。ただいま紹介にあずかりました、わたくし雑賀晃と申すものです」
言いながらさきんこの隣に正座で座ると、
「遠いところわざわざアレだけど、とっとと帰ってください」
二人の顔の前で右手の親指を地球に向けて下げてみせた。親子の驚いた顔、とてもよく似ていたこと。
「そういうことなんで、早くサインとハンコ押してくれないかしら。そうしないと、新しい彼との婚姻届が出せませんの」
何時間かけて大阪からやってきたかは知らないが、彼らは滞在一時間にも満たず彼女の家を後にした。
そのときの彼女がどこまで本気だったのか、わからない。
その時点では、あっちゃんはただ離婚のために利用されただけだというのが、ゲコを始めとする周りの人間の見方だ。
あっちゃんが、そのとき家にいたのは偶然ではない。さきんこに呼ばれたというのもちょっと違う。
事前に相談されたとき「家にいてやろうか」と言い出したのは、あっちゃんからだった。
さきんこの両親を差し置いて、その現場に引っ張り出され、サムダウンする覚悟が初めからあったかどうかは、疑わしい。
というのがゲコの見解である。異論はない。
それから一ヶ月と経たず本当に入籍して婚姻届を出したのだから、まんざら利用されただけでもなかったのだろう。
なんとなく、お似合いだ、と微笑ましく想像してみるが、
「そのうち捨てられるべ」
というゲコだった。嫉妬のようでもある。
こいつの言うことのどっからどこまで本心なのか、長いこと付き合っているが未だに「謎」だ。
「お似合い」と感じようが「一時的」と考えようが、親友の結婚を喜ばない親友はいない。
「ええか、こまけぇことはまた連絡する。あっちゃんには披露宴の当日にけぇるって、間違いなく連絡しとけ。前日にけぇってくること、絶対悟られるんでねぇぞ」
こいつのことだ、きっとまた無茶苦茶なことを考えているに違いない。その結果、感動の涙になるか絶望の涙になるかは、わからないが……。
きっと一生の思い出に残るに違いない。
「ラインが主になると思うが、間違ってターゲットに送るなんてヘマこくなよ。お互い、細心の注意を払って、残りの時間を過ごさねばなんねぇ。わかったか」
男と男の友情を確認し合い、アパートに一泊して翌日、ゲコは帰っていった。
三月も半ばだというのに、今年はなかなか暖かくならない。雪が降って東京の街に五センチも積もったのは四日ほど前だった。
この時期の積雪は、毎年のことではある。
といっても、ほんの数センチでも雪が積もると交通の手段などが心配になるのは、こっちの生活に染まりつつあるからだろう。
五センチの積雪など、地元じゃ降ったうちに入らない。
仕事から帰ってきて手紙を書き終えると、時計は二十四時になるところだった。
シャワーを浴びて寝ようかと思いつつ、こたつで横になった。
天井は、この部屋で恐らく最も整然としている部分だ。壁と同じ白っぽい壁紙が貼られた天井には、カメラなどには写らないいろいろなものが書き込まれ、映りこんでいた。
北村は、結局帰ってこなかった。今は実家に帰っているということだが、失踪したときは埼玉にいたそうだ。
一度この世界に入って三年ほどでやめていった後輩の実家に隠れていた。そのまま一度も姿を見せることなく、東京をあとに実家に帰っていった。
相方が失踪して、こっちも地元にばっくれて、帰ってきてから仕事がやたら順調なため、相方との別離をさして寂しいとも悲しいとも感じないのは皮肉なことだ。
仕事が「これから」というときに、あの人が自ら選んだ道だ、同情することではない。
文句の二つや三つ言ってやる資格は充分にありそうだが、そんなことを言う気はさらさらなかった。
自分の選んだ道で、今度は逃げずに踏ん張って欲しい、ただそう思っていた。
コンビが解消してしまったことは寂しくも悲しくもなかったが、ただ、去っていった相方の背中を思うと、寂しさと後悔とが入り混じった。
相方にしてやるのはそのくらいでいい、とも思った。冷たい男だ。
スマホが鳴った。ラインは、早苗ちゃんから。「おやすみ」と。
彼女とはラインを続けていた。ご飯を食べにいったりもするが、友だちから先には踏み込めないでいる。
前の彼女のことがひっかかるようではあるが、それは、前進しないことに対する後付の理由に過ぎない。
仕事が軌道に乗り始めたところだから……。
それもやはり後付だ。いずれにしろ「理由」なんぞを考えているうちは「恋」とは呼べまい。自分の彼女に対する気持ちが充実しないのだ。
天井を見飽きたので、シャワーを浴びた。決して、早苗ちゃんに対してお高くとまっているわけではない。
彼女も、自分に対してまんざらでもないような気があるような気はするが、こっちでその気になれば、相手の答えなど考えずに「告白」までは突っ走る。
そうやって、今まで何度堕ちてきたことか。そろそろ失恋の痛み、苦しさが恋しくなってきたな……。
ちょっとPCいじって蒲団にくるまった。眠りはすぐに訪れた。
カバン一つ背負って、ハイカットのブーツににカーゴパンツ、スタジアムジャンパー。この時季の東京にしてはやや厚着ともいえる格好であろう。
男が向かったのは駅である。雪の跡形はすでにない。
地下鉄鈍行乗り継いで、目指す場所は遥か彼方、春でも寒い山奥の町。男が生まれた町、名前は「雪の下町」。
雪の下に、もうすぐハルが訪れる。
「あっちゃん、手紙がきてるわよ。薫、はいこれ、あっちゃんに渡してきて」
「うん。あっちゃん! てかみだって」
「おう、薫、ありがとう」
「ハルからだ」
「なんて?」
「うんうん、うん。ふーん」
「ハル、なんて」
「なんてなんて」
「なんてなんて」
「あいつ、もうすぐくるってさ」
「へー、ハル、もうすぐくるって?」
ハルくる! ハルくる! ハルくる! ハルくる!
「うん、もうすぐ、この町にハルがくるってさ」
「この家にはもうきてるのにね」
雪の下 カイセ マキ @rghtr148
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