17. 在東京青年
ところで沿島はというと、実は白澤とひかるが出ていった直後に一度研究室へ戻ってきていたのだった。しかし室内には誰もおらず、彼は机上でコーヒーだけが冷めているのを見つけてそれを飲み、再び部屋を出た。
迷った末、沿島は階段を下り三階へ向かった。エレベーターに乗らなかったのは決断しきれていなかったからだ。彼の脳裏には白澤の『くれぐれもやつらには関わらないように』という言葉が反響していた。しかし、G.G.H研究会に関わろうとしているわけじゃない、岡宮姉妹を心配しているだけだ、とそれを振り払い、一歩一歩足を進めていく。そのときだった。
「あれっ、沿島くん?」
呼びかけてきた声の主は三本木だった。階段の中途でふたりの目が合った。
「三本木先生! ちょうど僕、そちらに伺おうとしてて」
「そうなの? あっ、もしかして麗美くんの件かな」
「はい、あの、先週少し言い争いになってしまったので……」
「うんうん、そっかそっか」
三本木は少し思案するような顔をして、こう続ける。
「だったらさあ、今ちょっと時間大丈夫? 実は麗美くん、おれの研究室に来てるんだよね」
「本当ですか? それならぜひ」
「うん、おいでよ」
三本木の後について研究室に入ると、応接用らしきローテーブルとソファがあり、そこに麗美がいた。彼女は沿島の姿を見ると気まずそうに目を逸らしたが、三本木に何やら耳打ちされて渋々顔を上げた。
「……こないだは……ごめん、ごめん……なさい。いろいろ言っちゃって……」
「あ……ああ、まあ、うん。別にいいけど……」
「まあまあ沿島くん、とりあえず座って座って」
麗美の対面のソファを勧めながら、三本木は室内奥に向かって「お茶、もう一杯出してもらえる?」と声をかけた。
「あっ、そんなお気遣いいただかなくても……」
「いやいや、ちょっと長くなりそうだからさ。それじゃさっそくなんだけど、麗美くん、朝話してもらったこと、おれから沿島くんに伝えてもいいかな」
「……はい。お願い……します」
ありがとう、と応える三本木を見て、沿島は意外そうな顔をする。
「先生って、麗美ちゃんにはずいぶん紳士的なんですね」
「おれはいつでも誰にでも紳士的だよ」
三本木はにっこり笑い、話し始めた。その話は沿島を岡宮姉妹に同情させるには充分すぎるほど充分で、聞き終えた彼の頭からは白澤の忠告など跡形もなく消え失せ、ただG.G.H研究会を憎む心のみが燃え盛っていた。
「——だからね、おれはできる限り麗美くんに協力したいと思ってるんだけど……」
「なるほど、わかりました。麗美ちゃん、僕も協力する。一緒にお姉さんを助けよう」
「あ、ありがと……。えっと、名前……ソエジマだっけ」
「そう、沿島。沿島創。よろしく」
麗美はわずかに微笑んだ。初めて見るその笑顔に絆されている自分がいることを沿島は悟った。
「ところで先生、僕、G.G.H研究会についてほとんどなにも知らないんですが……」
「うん、ちゃんと説明するよ。つってもおれだって細部まで把握してるわけじゃないんでさ、おれのとこの学生でねえ、ひとり詳しいやつがいるんだよ、そいつに頼ろう。たぶん、もうすぐ来ると思うんだけど」
そのときノック音と「失礼します」という声とが聞こえて、部屋の扉が開いた。入ってきたのは洒落たデザインの丸眼鏡をかけた男だ。口元と顎にきちんと手入れされた髭をたくわえている。
「あ、来た来た。ほらちょっとこっち来て、自己紹介して」
三本木にそう言われた男は沿島と麗美の前に立ち、人のよさそうな笑みを浮かべた。
「修士二年、
「彼、趣味でG.G.H研究会を調べててね。下手したら内部の人間より詳しいかもしれない。専門家だよ」
世の中にはいろいろな趣味があるものだなあ、と沿島は感心する。
「じゃあ、なにから話そうか? なんでも訊いてよ」
膝を突き合わせて話し出した四人を余所目に、空には午後の白い月が雲の切れ端を装って浮いていた。
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