18. けしの花
立入禁止の札。剪定ばさみ。ジーク・チェマと名乗る男。研究室に帰ってきたひかるが落ち着かない思いで室内をうろついていると、しばらくして突然扉が開き、平然とした顔の白澤が姿を現した。
「そんなところで突っ立ってどうした、ひかる」
「せ、先生! ご無事でしたか……」
「なんだ、ずいぶんと残念そうな口ぶりじゃないか。ええ?」
「いやいやそんな。被害妄想ですよ」
白澤は手を振って否定するひかるを睨みつつも「まあいい」と言う。
「それより、わたしがあそこへ入ってから、誰か来たか?」
「ええ。先生が不法侵入なさった後で、あそこの関係者らしい人たちが来ましてね——」
ひかるの話を黙って聞いたあと、白澤はポケットからスマホを取り出した。
「そうか。しかし、おまえはつくづく失敬なやつだな。なにが不法侵入だ。言っておくが、法を犯しているのはそいつら——G.G.H研究会だぞ。これを見ろ」
そう言って白澤が掲げたスマホの画面には、鮮やかな暖色の花が大量に映っていた。ひかるは眉根を寄せる。
「なんです、これ? ポピー……ではないですよね」
「おまえもそれくらいはわかるんだな。安心した。これはハカマオニゲシ、まあ簡単に言えば麻薬の原材料だ。塞がれた窓のちょうど裏に当たる位置に植わっていた」
「ああ……なるほど。これの発覚を防ぐために教室移動を仕組んだと踏んでいるんですね、先生は。そしてそれがすべてG.G.H研究会のしわざであると、そうおっしゃるわけですね」
「そのとおりだ。なにか文句でもあるのか? あるなら遠慮なく言え」
「いや、まあ、ないですよ、なにも。ぼくは先生の助手ですから、先生に従うことが仕事ですし」
「うむ。わかっているのならいい」
白澤はしばらくスマホを操作してからひかるに返した。
「ああどうも。ところでこれ、通報なさらないんですか?」
「今この段階で警察を呼ぶと、まず間違いなく学長がまたわたしに難癖をつけてくる。やつは大学の自治がどうのとやかましいからな」
「えっ、これってもうそういう問題じゃ済まないと思うんですが……」
「人の話は最後まで聞け。誰も通報しないとは言っていないだろうが。まだそのときではないというだけだ」
そう言って自席につきパソコンを立ち上げようとする白澤に、ひかるは疑問を投げかける。
「でも、本当によくぞご無事で。挟み撃ちにされませんでした?」
「なぜわたしが挟み撃ちにされるんだ。戦場でもあるまいし」
「まったく。心配したんですよ。信じていただけないでしょうけど……。どうやって戻ってこられたんです?」
白澤はかすかに笑い、「教えてやろう」とひかるを連れて廊下に出ると、左手突き当たりの壁にある小窓を指差した。
「ここから見るとよくわかるが、この棟はちょうど八条目大学の敷地全体を囲む外塀に面している。そしてその塀には一部崩れている箇所がある。あのあたりだな」
白澤の指す先に目を凝らし、ひかるは納得したように頷く。
「そこを通ったんですか。さっきフェンスを乗り越えたときも思いましたけど、先生って意外とアクティブでいらっしゃいますよね」
「なんだ。悪いか」
「いえいえ。健康でなによりです。でもどうしてあんなところが崩れてるなんて気づいたんです? だいぶ雑草で隠れてるように見えますけど」
「気づいたのではない、知っていたのだ。昔、なにかの話のはずみで末本教授がおっしゃっていた」
「なにがどうはずんだらそんな話になるんですか」
「教授が二十代のころにはすでにそのような状態だったそうだ。何度修理されてもそのたびに何者かの手によって崩されるらしい」
「へえ……妙なこともあるもんですね」
そう話しながら再び研究室に入っていくふたりを、またしても誰かが廊下の先から見ていた。
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