16. G.G.H研究会から来た人
「スマートフォンを貸せ。すぐに返す」
人文学部棟正面口を出たところで、唐突に白澤はそう言った。
「ええ? まあ、はい。どうぞ」
ひかるは戸惑いながらもズボンのポケットからスマホを取り出して差し出す。わざわざ理由を尋ねるようなことをしないのは、尋ねても無駄だとわかっているからである。白澤はそれを受け取ると建物の壁伝いに歩いていく。
「そういえば先生ってケータイお持ちなんですか? 前、三本木先生とそういう話になりまして」
「そんなことを知ってどうするというんだ」
「三本木先生、寂しがってらっしゃいましたよ。先生と一度も食事に行ったことがないと」
「あの人と大学の外でまで会う意味を見出せないだけだ」
「それはまあ、ぼくも同感です」
その会話と歩みは建物の角を曲がったところで止まった。
「なんだ、これは」
そこにはふたりの胸ほどの高さのフェンスがあり、行く手を阻んでいた。ずっと奥まで続いているところを見ると、どうやら人文学部棟をコの字型に取り囲むように設置されているらしい。
「こんなところに柵なんかあったんですね」
フェンスの一角には鍵のかかった扉があり、『関係者以外立入禁止』の札がぶら下がっていた。ひかるは札を裏返してみるが、それ以外の文言の記載はない。
「関係者って、なんの関係者でしょうね?」
白澤は何も言わずしばらく扉を見ていたが、突然「なるほどな」とつぶやくや否やその
「えっ、ちょっと、先生! まずいんじゃ……」
「ひかる、おまえは先に戻っていてかまわんぞ」
それだけ言い残すと、彼は早足で雑草の生い茂る細い道を遠ざかっていった。その姿が見えなくなったとき、入れ替わるようにひかるの背後から近づいてくる足音があった。
「——ここでなにを?」
振り向くとそこには何人かの男女を引き連れた体格のいい髭面の男が立っていた。体格がいいといっても痩せ型のひかると比較してのことであるため、実際には平均より多少図体が大きいという程度なのだが、心理的なものも手伝ってかそのときのひかるには男が巨人のように見えたのだった。
「ここでなにを?」
男はそう繰り返す。
「ここは関係者以外、立入禁止です。もしかして誰か入ったのですか?」
「いや、入ってないよ」
そらとぼけて答えたひかるの顔を男は見るともなく見て、後ろに控える数人に何やら合図をした。すると彼らは一斉に踵を返し、どこかへ歩いていく。その進む先はどうやら建物の反対側であるようだ。まずい、回り込むつもりか、とひかるは思ったが、どうすることもできない。
それから男は鍵を開けて扉の内へ入り、また念入りに鍵をかけた。奥へ歩いていこうと背を向けたその左手に、剪定ばさみが握られているのが見えた。鈍色の刃がやけに目についた。
「あの、ちょっと、きみ」
ひかるは思わず男を呼び止める。フェンス越しにゆっくりと振り返ったその顔の表情の乏しさがひどく不気味だった。
「きみ、園芸研究会かなんか?」
「まあ、そんなところです」
男はあまりにも感情の読み取れない目をしている。
「……きみ……名前は?」
短い沈黙があった。
「ジーク・チェマ」
その返答にひかるは耳を疑う。男の風貌はどこをどう見ても日本人だったからだ。
「は、はあ? それ、どういう……」
しかし、ジークと名乗る男はもう振り向かずに歩み去り、ひかるの視界から消えた。何かよからぬ事態が起こりつつあるように思えて、妙に胸騒ぎがした。白澤の身を案じつつ、ひかるは研究室へと戻っていった。
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