第23話 旅立ちの日

 悪を滅ぼして少女を救い、世界は元通りになりました――となれば良かったのだが、そう簡単にはいかなかった。

「さぁハルカ、行こう」

 校長室を出て図書館へ戻ると、そこにハルカがうずくまっていた。

「行けません。わたしの我儘で、世界をこんな風にしてしまったのに……」

 影によって浸食された学校は、半ば廃墟のようになっていた。町全体も同様であることは容易に想像された。

「いや、行くんだ」

 やや強引に手を取り、引っ張り上げる。

「その契約は、僕が破棄してきた。そしてその罪は、兄ちゃんと半分こしよう。背負って、進もう」

 先に立って進む。

「ずるいですよ、兄さん……」

PTAの二人は、灰色の異星人――人間と契約して魂を奪う悪魔――のことを、『彼』ではなく『彼ら』と言った。僕が倒した悪魔だけでなく、他にもいると考えてよさそうだ。僕らの学区の外にも別の学区があることは、すでに芳川スイの存在からも明らかである。

「二人とも無事なんて……奇跡みたい。契約者は?」

 加賀美坂上中高の校門前で、芳川スイが僕らを待っていた。

「さぁね。よくわからないけれど、ここでの契約は終わったみたいだよ」

 白々しい嘘だったが、スイはそれ以上何も聞かなかった。

「学区の周縁を見に行きましょう。それで、どうなっているかわかるはず」

 僕らは中央病塔・隔離病塔を目指して歩いた。モノレールは動いていなかったため、長い道のりを歩くことになった。

 元々見えないものではあったけれど、影や虚無の存在は感じられなかった。『影の国』へ還って、再び僕らの認知できないところへ行ってしまったのかもしれない。人々から影を切り取った張本人をこの手で殺してしまったから、再びつなぎとめる方法も分からずじまい。いや、そもそもそんな方法は無いのかもしれない。

 道中、つぶされずに残った家々(ハイブ)の中から、子どもたちの泣き声やうめき声が聞こえた。契約が中途半端に放り出されてしまったために、クレイドルはもはや機能しなくなっているようだった。かつての僕のように、保護を求めてさまよい歩く。しかし、大人の姿は見られない。


「やれやれ、どうしてそうつらい選択ばかりするのか……君たちは本当に愚かだ」


 切断した悪魔の首が、最後に漏らした言葉。このことを指していたのだろうか。突然ゆりかごから放り出されてしまった子どもたち。これからは、自分の足で立つ他ない。

 昼頃から歩き始めて、隔離病塔に着くころには日も暮れていた。とっくに五時を過ぎていたが、あの耳障りな放送も、もう聞こえてこない。

「やはり、あなたたちね」

 隔離病塔へ続く連絡橋の一つ。そこには鳶アカネがいた。

「アンタ……」

「大丈夫、もう『彼女』はいないわ」

 警戒するスイに、アカネが言う。『影の女王』は、もうアカネの中にはいないようだ。

「『影の女王』……ね。あたしの学区(セカイ)では、出会わなかった」

「各学区に、それに類する存在はあるのだろうけれど、遭遇するのは難しいでしょうね」

「どういうこと?」

「体を乗っ取られている間に垣間見たこと、あなたたちが来るまでに探索していて気が付いたこと――それらを総合すると、おおよその予想は立つ」

 アカネはそのまま歩き始める。隔離病塔もほとんど半壊してしまっていて、道らしい道を判別することが難しい。

「私たち『羊飼いの杖(シェパーズクルーク)』は、世界は壁みたいなものに覆われていて、その外に『影の国』が広がっているものと思っていた」

 アカネは瓦礫の中からビニル袋を見つけて取り上げる。さっと空気を取り込んで、手元で膨らませてみせる。

「私たちがいる場所と『影の国』の位置関係は、壁の内と外ではなく、袋の表裏――」

 袋を一度つぶしてから、表裏を返してもう一度膨らます。

「私たちが『影の国』へ行こうとすると、こうなる。表と裏が入れ替わるだけで、外には出られないようになっていた」

「なっていた――ということは、今はそうじゃないんだね」

「おそらく」

 僕の言葉に、アカネがうなずく。

瓦礫の山をいくつか超えると、隔離病塔の向こう側へたどり着いた。かつては虚無があって、視認すらできなかった場所だ。

「おそらく今は、袋が破れた状態ね。影もヒトも開放された無秩序な状態――」

 空気を入れて膨らませたビニル袋をパンッとつぶしてしまう。スイがアカネの説明にうなずく。

「そう。あたしもこうして自分の学区を出て放浪し、ここにたどり着いた」

 スイとアカネの情報を交換し、僕が整理する。ハルカはしばらく黙って聞いている。

「君たち『羊飼いの杖』は僕らの母さんを、『影の国』からサルベージしたと言っていた。他の大人たちもそこにいるものだと思っていたけれど……」

 アカネは瓦礫の山を振り返り、悲しそうな顔をする。

「おそらく、私たちが発見した十一の大人は、かつてこの地で契約者となり、魂を売り渡した者たち……。魂を抜き取られた後、その抜け殻は『影の国』へ行く。あの悪魔たちにはもう不要なものだから」

 七つの城壁と九つの柵。凍てつくような女王の間。穴の底からは、捨てられたモノたちの声。あそこには契約者の抜け殻と――

「悪魔に従ってPTA役員となった大人以外は、棺桶(コフィン)となったゆりかご(クレイドル)で永久に眠っている。子どもたちの帰って来るハイブの地下でね」

 肉体の自由を奪われた影たちは、女王の城で蠢く。時にあふれ出し、袋の裂け目からこちら側へやってくる。

「あたしももちろん、自分の学区で大人たちを探したけれど、とうとう見つけられなかった。それは、あきらめた方がいいでしょうね」

 芳川スイが、とどめの一言。

「これから、どうすればいいんでしょう?」

 ハルカが僕の腕を掴む。

「僕らが、大人になるしかないよ。僕はそれを選んだんだ」



 それから約三年をかけて、僕らは学区の子どもたちを集め、生活の基盤を築いた。廃屋を漁って資材を集めたり、『幸運の金袋』財団の隠された食糧庫を見つけて襲撃したり。私事を挟めば、鳶アカネに告白してフラれたり、芳川スイと良い感じになったり、ハルカに迫られたり。そんな風にして三年を生きた。

「ご卒業おめでとうございます」

 河川敷へ向かう道中、僕とハルカの前に美澤ツカサが現れた。どこに身を隠していたのか、実に三年ぶりの再会であった。

「……ありがとうございます」

「……どうも」

 こちらとしては、反応に困る。

「卒業証書授与……というほどのものではないですが、お渡しするものがありまして」

 元図書館司書はジャケットのポケットからいつかの本をとり出し、ハルカに手渡した。

「これは……」

 随分と前に、図書館へ返却したものが、再び戻ってきた。

「よく見て」

その本には、現像された一枚の写真が挟まれていた。

「こんな時代遅れなものを後生大事に持っているなんて……と思っていたけれど、クレイドルがなくなってしまった今、その判断は正しかったということね」

 写真には、双子の赤ん坊をそれぞれ腕に抱く男女の姿があった。父と母。那々生アキラとユウ。

「どうしてあなたがこれを……?」

 ハルカが至極真っ当な疑問を口にする。

「アキラとユウは、私の同級生だった。この写真を撮った直後、私たちの学区は終わり、大人たちは排除された」

 彼女は僕らの両親を、親しみを込めて名前で呼んだ。

「私はPTAとして働くことで、奴らの目をかいくぐって君たちを見守ることができた。すべてはこの時のために、ね」

 影をなくした男の物語。それを読んだときに思い出した光景――


小さなゆりかごに双子の赤ん坊が寄り添って眠っている。ハルカとカナタ。ゆりかごをやさしく揺らすのはアキラとユウ。僕らの両親。


この写真によって、あの日思い出した光景が、偽物ではなかったとわかる。

「ありがとう」

 美澤ツカサに礼を言う。

「いいのよ。私は古い友人の頼みを聞いただけ」

 彼女はそう言うと、僕らとすれ違い、反対方向へ去っていった。



「後のことは任せろよな」

「達者でな」

 猪子田セイと東興寺ショウに背中を押され、僕は舟に乗った。H市の淵を沿うように流れる珠(たま)川(がわ)を下って、僕は学区ではなく世界を旅することに決めた。

「おそらくは、悪魔たち――灰色の異星人たちの侵略は進んでいて、いたるところに学区が形成されているのだと思う。全貌はわからないけれども」

 左手に義手を付けた鳶アカネが言う。

「調査してくるよ。君の知識欲を満足させられるようにね」

「よろしく」

 眼鏡の奥で微笑む。

「兄さん……」

「おう、ハルカ」

 少しだけ身長の伸びた、双子の妹。

「わたしはまだ、あきらめたわけではありません。今回ここに残るのも、戦略的撤退なのです。もっと魅力的な女になって、兄さんの帰りを待っていますから」

「わかったよ」

 華奢な肩にそっと手を置き、ポンとたたく。それだけにして、僕は彼女に背を向けた。

「行くわよ」

 すでに舟へ乗り込んで僕を待つのは芳川スイ。同行者に彼女を選んだのは、学区の外を旅するなら、経験者の彼女がいた方がいいだろうという判断であって、他意はない。

「浮気はしないでくださいね」

 ハルカの声が後ろから聞こえる。浮気って……。

「行ってくるよ」

 舟が岸を離れる。H市が遠ざかる。

 これから大人になる子どもたちに、手を振る。

風変わりな卒業式。

今日は旅立ちの日。

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トラウマハート×ロストフラグメンツ 美崎あらた @misaki_arata

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