第22話 それらは自分自身と向き合う行為であり、それは苦痛を伴う

 次の瞬間、僕は『影の国』を抜け、虚無から這い出て図書館にいた。あの日と同じように、夕日がさす。

「すでに貸し出した本はご返却いただきましたよ」

 図書館司書・美澤ツカサの声。

「別のものを返しに来ました。できれば、PTA会長と副会長のところに案内してもらいたいのですが」

「……承知しました」

 美澤さんは僕をつま先から頭のてっぺんまで眺めまわした挙句、何かをあきらめたようなため息をついて、歩き始めた。

「どうぞ、こちらへ」

 図書館を出て、高等部の校舎群へ向かう。

「あなたがあの本を、鳶アカネに渡したのですか?」

 ふいに浮かんだ疑問が、口をついて出る。

「……そうですね。もちろん直接渡したわけではないですけれど、彼女の目につくように仕向けることはしました」

 彼女はそう答え、しかし振り向くことはなく歩を進める。

「あなたは、何者なんです?」

 僕がクレイドルから再び出るきっかけになったのも、思い返せばこの人の訪問だった。

「それは誰にとっても難しい質問でしょう。私は図書館司書で、PTAの一員です。しかし大人になり切ることができない境界人なのかもしれない」

 高等部職員室の奥に、校長室がある。彼女はその前で立ち止まった。

「私は案内をすることぐらいしかできませんが……健闘を祈ります」



図書館司書をあとに残し、重々しい扉を開く。

「せっかくゆりかごを用意しなおしたのに、あなたは大人になることを選ぶのね」

高級そうなソファには会長の千草園モモが脚を組んで座っている。顔を見るのは初めてだが、声からそうとわかる。歳は四〇代だと思われるが、スタイルは洗練されていて大人の色気がある。化粧もしっかり施されているが、今はどうにも物憂げな表情を隠しきれていない。

デスクの向こう側、神妙な面持ちで座っているのは副会長の解窪マガリだと予想される。白髪交じりの短髪は丁寧にセットされているが、こちらもまた憂鬱そうな表情をしている。

「これを返すべきなのは、あなたたちですか? それとも、その背後にいる誰か……?」

 両手に持った槍と杖を示す。

「そうですね。私たちPTA会員は、『彼ら』のしもべとして働く代わりに肉体を与えられた大人たち。ただそれだけ。我々にはそれがどういったものなのか、見当もつかない」

 答えたのは解窪マガリ。

 槍と杖。人間と影。それらは元々一つのものだった。

それを引き裂いたのが、『彼ら』。

「『彼ら』というのは、隕石と関係があるのですか?」

 二〇〇年前に隕石が落下してから、ここは雲に覆われ季節は冬だけになった。学校ではそう習っている。人々はクレイドルを手に入れ、人生のほとんどを夢現(ゆめうつつ)で過ごすようになった。

「そう。『彼ら』はこの星の外から現れ、我々と影を切断した」

 物語の中で、主人公の影を切り取った灰色の紳士。ヒトは見返りに『幸運の金袋』を受け取る。

「自らの影を失ったヒトは、アニマ・アニムスに到達することができない。不要になったそれらを、『彼ら』は捕食する」

 副会長による、淡々とした説明。会長はただ黙って聞いている。

「どうしてそんな『彼ら』の言いなりに?」

 静かな怒りを込めて、尋ねる。

「『彼ら』は少年少女のアニマ・アニムスを特に好んで食す。そのためには、学園で子どもを管理し栽培する大人が必要なの。その役割を果たしていれば、自分の子どもだけは『旅立ちの日』を迎えることができる……」

 千草園モモが言う。教室の座席を思い出す。僕の右隣は千草園トウくんの座席。彼はずっと不登校だった。

 学区開放(オープンスクール)ないし学区(スクール)解体(エンド)がなされれば、本来子どもは『旅立ちの日』を迎えることはできない。学園から卒業することなく、大人になることもない。

「そうですか……。どうすれば、その『彼ら』に会うことができますか?」

 大人の事情は今、こちらの知ったことではなかった。

「もうすぐ、向こうからいらっしゃるわ。あなたのせいで……否、あなたのおかげで、と言うべきかしら」

「ここはすでに終わり始めている。すでに契約は破棄されてしまった。そうなると、我々はもう、用済みだ」

 その言葉を合図としたかのように、会長と副会長の二人は服を脱ぎ、その場で交わった。結合部から溶け合って、比喩ではなく、一つになる。ドロドロに溶けあって、校長室のデスクの上で、液状になって拡がる。やがてその液面に波が立ち、泡立ち、中から灰色の紳士が現れる。グレーのスーツに身を包んだ、細身の男。腕と脚が異様に長い。

 悪い夢を見せられているようだった。夢なら覚めてほしかったが、勝手には覚めない。僕がこの手で、やらなければならない。

「契約者以外の子どもと直接相まみえることは初めてです。どういう表情をしてよいものやら」

 灰色の紳士は僕に向かってにんまり笑いかける。何の感情もない、形だけの笑顔。

「君たちくらいの年頃のアニマ・アニムスは非常に良質で好みなのですが、あなたたち自身には全く興味が抱けない。気を悪くしないでほしいのですが……」

 気を悪くすることなどない。最初から気分は最低だ。

「しかしわからないですね、わざわざ私に会いに来る少年がいようとは……私共のプレゼントがお気に召さなかった、とか?」

「……プレゼント?」

「『幸運の金袋』ですよ。君たちはアレを使って最高のゆりかごを手に入れた。一生何の苦労もせずに、生まれて、夢を見て、死んでいく。少年たちは欲望を積み重ねてアニマを作り、少女たちは妄想をこねくり回してアニムスを作る。それを私がいただく。君たちはそのことに気が付きもしない。大変効率の良い循環だと思いませんか?」

 大人を排除し、子どもたちを性と死から遠ざけた学園で飼育栽培する。

「僕らが生きているのは、あなたたちの食料を作るために過ぎないということ……?」

「あなたたちヒトだって同じことをしているでしょうに。ひどい言い方ですね。だいたい、契約に応じたのはそちらの方ですよ。自分の中の見たくないものを影として切り離し、永遠の富を手に入れた。それに何の不満があるというのです?」

「…………」

 身体を鍛えることも、勉強をすることも、無意味。人生において何の役にも立たない。役に立たないどころか、それらは自分自身と向き合う行為であり、それは苦痛を伴う。

 しかし、僕の魂のある側面は、芳川スイとともに影と戦うことを望み、またある側面は鳶アカネとともに影の国を探索することを求めた。別段理由なんてないが、そうしたいからそうした。

 苦しいことばかりだっただろうか?

 意味のないことばかりだっただろうか?

 夢現の中に見た妄想かもしれないが、病室で握ったスイの手、夕日の中で見たアカネの微笑を思い出す。

「どうも意思の疎通がうまくいかないですね。まぁ、構いません」

 槍と杖を握る手に力が入る。

「この学区での食事は終わりです。契約者の魂(メインディッシュ)こそ手に入りませんでしたが、まぁよいでしょう。私は次の学区へ向かいます。わざわざ商売道具を返しに来てくれるなんて、あなたはとっても親切ですね」

 灰色の悪魔は腕を拡げる。

「僕とハルカは、」

 心は決まった。

「いや、僕ら兄妹だけじゃない、」

 いびつな槍と杖は交差し、中心で結合して『鋏』となる。

「アカネも、スイも、」

 かつてヒトと影を分断した大鋏。

「――僕らはみんなで、大人になる!」

それでもって僕は、目の前の紳士の首を切断した。

 ――ボトリ。

「おや? おやおや?」

 首が床に転がりながら声を発する。僕はそれを無視して、そのまま鋏の切っ先を下に向け、首の付け根から腹の下まで一気に切り捌く。

「やれやれ、どうしてそうつらい選択ばかりするのか……君たちは本当に愚かだ」



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