第21話 大人に与えられたんじゃない、第三の選択肢を試してみたい

 普通の兄弟姉妹の距離感というものが、僕にはわからない。双子なのでほとんど同時にこの世へ生まれ落ちたはずだ。誰しも生まれたばかりのことはわからない。記憶にない。生まれ出てからもしばらくはクレイドルの中で育てられるのだから、ほとんど胎内と同じだ。小学校へ通う頃になって、ようやく本格的に外の世界を認識する。寒くて薄暗い外の世界。出てみたところで感動はない。

 小学校には二人そろって通っていた。はじめは僕が手を引いて歩いていたそうだ。僕らはそこで、ようやく実感を伴って、同世代の子どもたちの存在を知る。ネットワークに接続することなく、自立して動く肉体。それが思いの外たくさんあることに驚く。気の合う人間、気に入らない人間、無秩序に行きかう。

 知識も愛情も栄養も、全てはクレイドルの中で平等に与えられるものと思っていたが、やはり人間には個体差がある。与えられたものは同じでも、吸収の仕方が異なる。別の顔立ちになり、別の考えを持つ。

 小学四年生の時に、欠落症候群について学んだ。理不尽な喪失は突然訪れる。それを知って、僕はむしろ安心をした。どうせ失われるなら、つらい思いをして何かを得たり、血のにじむような努力をして何かを成し遂げたり、そういったことは無意味なのだ。それらをしなくてすむ言い訳を与えられたような気がした。

 僕の消極的な思考とは反対に、ハルカは年々生気を増していくようだった。貪欲に知識を求め、中学はみんなと違うところに行くと自ら言い始めた。そして話は、彼女の思うがままに進む。そこから僕らの距離は開き始めたのだ。

 優秀な妹が遠くに行ってくれて、どこか僕は安心していたのかもしれない。だから彼女が何も言わずに戻ってきたとき、ひどく不安な思いがしたのだろう。



 僕が杖(ロッド)を引き抜くと、『影の国』は揺らぎ、形を変え始めた。女王の間は消え、見慣れた部屋が現れる。

「彼女はそこで眠っている。夢を叶えるまで、あるいは夢を壊されるまで、そうすることに決めた。前者になることを望んでいたが……お前の好きにするがいい」

 鳶アカネの形を借りた『影の女王』はそれだけ言い残すと、陽炎のように消える。

「夢を壊す……か」

 やはり彼女は、望んでここに来たのだ。彼女が消える前日を思い出す。用水路沿いの、かつての通学路。手を振りほどいてしまった僕の鈍感さが、彼女をここに引きこもらせたのだ。

 ここは那々生の家だった。あるいは家の投影。ドアノブに手をかけると、電流が走る。一〇歳の頃から、これは始まっていたのだ。

「ハルカ、起きて」

 ゆりかご(クレイドル)に手を触れると、ハルカがゆっくりと目を開く。

「兄……さん?」

 僕は少しかがんで、上体を起こしたハルカと目線を合わせる。

「ずっと、夢を見ていたみたい」

「うん……」

「悪い夢。いつも最後には兄さんが死んでしまう」

 それは夢であって夢ではない。僕はやはり実際にそれを体験しているのだ。しかし彼女の望み通りには動くことができず、そのたびにリセットが施された。

「やはり君が、この学区の契約者だったんだね」

「契約……」

 目を見開く。

「何か願いを、伝えたはずだ」

「願い……」

 頬が紅潮し、その後青ざめる。

「兄さんはわたしの願いをかなえにきた――わけではなさそうですね」

「そうだね。こうしないと僕らは、先に進めないと思ったから……」

 先へ進む。狭い学区から出て、広い世界へ。

「わたしの願いは、兄さんと一つになること。結ばれること。受け入れては、くれないんだね」

 差し出された手を、僕は握ることができない。一つのクレイドルに二人の男女が入ること。これはすなわち大人の世界への参入を意味する。

「ダメだよ、ハルカ。それじゃあ僕らは、ずっと大人になれないんだ」

 ブラザーコンプレックス。兄に対する恋愛感情。独占欲。生まれた時からずっと近くにいた異性を、ずっと自分の――自分だけのものにしておきたいという欲望。

「兄さんがわたしを、妹としか見ていないことはわかっていた。だから、あえて時間と距離を置くことで、意識させようと思ったの」

 私立中への進学と、中途半端な時期の転校。すべては契約者の意志だった。

「意識させる……ね」

 それは成功していたと言っていいだろう。三年の時を経て、小学六年生の女の子が、高校一年生の魅力的な少女となった。

「わたしの願いを聞いて、驚かないんですね」

「驚いてるさ」

 双子の妹から向けられた好意が、兄へのそれとは違った。

「兄さんのそばにいると、身体の奥がじんとうずく。兄さんが誰かと仲良くしていると、嫉妬で苦しくなる……」

 僕が恋した鳶アカネの左手と、その欠落。その出来事とハルカの転校がほとんど同時だった。影たちは契約者の願いに従って動く。そして、欠落症候群には契約者の無意識が投影される……。

「全て、思い出しました。わたしが悪魔と契約したこと。そのせいで、みんなは影を失い、大人たちは囚われたこと……」

 涙を浮かべるハルカを中心にして、世界がゆがむ。

死へ向かう衝動、デストルドー。リビドーと対を成すもの。契約は破棄され、契約者の自死と引き換えに、学区は開放される。

 妹を選ぶか、世界を選ぶか。

 何かを選ぶということは何かを選ばないということで、そこには責任が伴う。それが大人になるための道だ。僕は騎士団に入って戦うことも、影の国を探索することも選ばず、一度は自分の殻の中へ逃げた。選択を他者へ預けるのは、楽なことだ。責任を逃れられる。ずっと子どものまま、ゆりかごの中でまどろんでいられる。

 契約者の望みを叶えることは簡単だった。僕がハルカの手を取り、招きに応じればいい。三年会わないうちに、彼女はそうするに足るほど魅力的になった。しかしその願いが叶えられれば、悪魔との契約は完了し、魂が奪われてしまう。母を失った父と同じ結末をたどることになる……。

 僕は今世界の方を選び、再び会えた妹――その秘めた思いを伝えてくれた妹を、今度こそ本当に失おうとしている。契約者は自身が悪魔との契約者であることを自覚すれば、デストルドーを放出する。芳川アオイの例を、僕は知っている。僕もスイのように、この学区の外で暮らすことができるだろうか。ハルカのいない外の世界で……。

 世界も妹も救うには、何も気が付かないフリをして、クレイドルにひきこもることが正解だったのだ。何も考えず、何も選ばず、ただ同じような日々を繰り返す。

しかし、本当にそうだろうか……?

「僕は、大人に与えられたんじゃない、第三の選択肢を試してみたい。ハルカ……もう少しだけ頑張って、待っていてくれないか」

 それだけ言って、僕は立ち上がる。右手には槍、左手には杖を持って。



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