第20話 久しぶりに外に出ると、世界は終わりかけていた
次の日、久しぶりに外に出ると、世界は終わりかけていた。ずっと終わり続けていたけれども、今回たまたま僕がそれを認識したというだけなのかもしれない。
モノレールの終着駅、二つの塔のその向こうにあった虚無が拡大し、まだ昼間だというのに、肥大化した影たちが背を丸めて徘徊する。見ていた世界が――というより、魅せられていた世界が、いかに狭いものだったかを自覚する。ネットワークに接続して、四肢をどこまでも伸ばせる気になっていたが、その実、自分に不都合なものには触れないことも可能である。アクセスできる範囲も大人によって制限されている。生まれてからずっと、ゆりかごの中で過ごすこともできる。ゆりかご(クレイドル)が、そのまま棺桶(コフィン)となる。そうしてゆりかごに揺られていれば、夢の中で何度も英雄として立ち上がり、理想に向かって上昇し続けることができる。しかし上昇を繰り返すだけで、決してそこには到達しない。
「そこに気が付いてしまいましたか。気づかずに眠り続けていれば、つらい現実を目にすることはなかったのに」
虚無に沈みかけた、傾いた電柱の上。スーツを着た女性、美澤ツカサが座って僕を待っていた。立体映像かと思ったが、どうやら実体らしい。
「何をしにきたのか、という顔をしていますね」
「え、まぁ、はい」
返しに行くと言ったのに、わざわざ取りに来たことに対して、ちょっと気味悪く思っているところはある。僕は手元の文庫本を、彼女に向かって差し出す。
「私もPTAの一員なので、忠告をしにきたのです」
美澤ツカサは僕の差し出した本をいったん無視して話をつづける。できれば受け取ってほしいのだけれど。
「契約が満たされようとしている。否、契約が破綻しようとしているのか。いずれにせよ、この学区は閉じ始めている。こうして大人である私が自由に動けるまでに、壊れている。気が付かないフリをして、ゆりかごに戻ってはどうです?」
そうしたいのはやまやまだけれど……
「お断りします。だいたい、ヒントを出しに来たのはあなたでしょう?」
「そうですか。そうですね。その決断ができてしまった時点で、すでに手遅れか」
美澤ツカサはそう言って、ひょいと電柱から飛び降り、僕の側へ着地。うやうやしく本を受け取り、今度こそ学校の方向へ歩いて行った。
僕はそれとは逆、アララギ騎士団本陣へ向かう。雨が降り始めた。
「那々生……どうしてここに」
館の前で、満身創痍の芳川スイと遭遇する。
「ここは危険よ。『生贄の山羊(スケープゴート)』の軍団に襲われているの」
彼女の槍『霹靂(へきれき)の槍(そう)―蒼(アオイ)―』に、かろうじてもたれかかるようにして立っている。
「わかってる。だから来たんだ」
「は?」
今ここにいる僕は、何の修行も積んでいない。存在しているだけ足手まといなのはわかっていた。しかし、これ以上知らないふりをしているわけにもいかなくなったのだ。
「ともかく、一旦隠れましょう。ここにいてはマズい……」
王の間の天井は外からの強い力によってはぎとられ、雨ざらしになっていた。
「お前が、影を狩る者どもの王か」
「君が、影の女王か」
騎士団の生き残りは三名。団長の誉田(ほんだ)マサル、芳川スイ、そして少年の姿をした王。他の団員の姿は見られない。館はすでに、大小さまざまな影たちに包囲されている。その先頭に立つのが、影の女王。鳶アカネの姿をした何者か。
「何故我が子らを狩る? お前たちの目的は何だ?」
「君たちこそ、どうして夜な夜な人間の身体を求める?」
「聞いているのはこちらだ!」
女王の側に立つ巨大な影が前のめりになる。山羊の角を生やした異形が腕を振るう。
「ぐッ――」
咄嗟に王の前に飛び出たマサルの身体を、影の腕が撫でる。影に触れられた部分がただれ、蒸発していく。
「あぁぁ、ああああああああああああああ」
ボトボト。破片となって崩れ落ちる。
「すまない、マサル……」
少年にしては大人びすぎた声。すでに返事はなかった。
「貴様まさか……いや、ならばなぜここに存在している?」
影の女王が騎士団の王に問いかける。
王は誉田マサルだった破片の中から、一本の槍を持ち上げる。歪な刃、曲々しい柄。
「終焉(しゅうえん)の槍(そう)―創(ハジメ)―これによってボクは自らの肉体を少年の姿にまで還元し、学区(スクール)解体(エンド)を免れた」
子どもだけの学区(セカイ)。大人は実在することを許されない。
「ルールブレイカーか。しかしその槍をお前が手にしたのも、所詮は『彼ら』の気まぐれ。もてあそばれているだけだ。『彼ら』は人間のアニマ・アニムスにしか興味がない」
「構わないさ。奴らの思惑はどうでもいいんだ。こうして君が出てきてくれたのだから」
「何……?」
「もう少し完全な形で計画を成し遂げたかったのだが、仕方がない。この槍の『呪い』が強すぎた。魂の形に、器が合っていない。そして未だに還元は続いている。生命の創めまで、このボクを還元するつもりなのだ」
槍を、大きく二振り。
女王の両隣に立っていた影がなぎ倒される。
「ボクにはもう、時間がない。悪魔の隙をついて生きていれば、ユウを取り戻す方法が――抜け殻ではない、魂を伴ったユウを取り戻す方法が――見つかると思っていた。しかしダメだな」
王は、那々生アキラは、何かを受け入れるように腕を拡げる。
「さぁ、ボクをユウの元へ連れて行ってくれ。影の女王よ」
「エゴの塊というわけか。人間らしい。そして、気持ちが悪い」
鳶アカネの身体を借りた女王の手から、黒い炎が伸びる。原初の火『ロッド』。いびつな形をした、鋭い杖。
「ハハハハハ」
杖は僕の父、那々生アキラの身体を貫き、燃え盛った。しかし笑っているのは、父の方だった。やがてその声も、フェードアウトしていく。
影の女王は、自らの杖を引き抜き、彼の亡骸には関心のない様子で、姿を消した。
「何なの、いったい……」
女王の退去とともに、取り巻きの影たちも姿を消した。僕とスイは物陰から身を起こし、王の元へ駆け寄った。
「鳶アカネが出てきただけでも意味わかんないのに、アララギ騎士団の王が、アンタの父親だったわけ? それで、母親が、かつての契約者……?」
「どうやらそうらしい」
「そうらしいって……」
僕は父だったものの側に跪き、『終焉(しゅうえん)の槍(そう)―創(ハジメ)―』を取り上げた。思いの外ひんやりしている。
父の死自体には何の感慨も抱けなかった。父は母を――那々生ユウを取り戻すことだけに夢中だった。息子であるはずの、ユウの子であるはずの僕には目もくれず、言葉もかけず。何なら、この槍の「呪い」を僕に移そうとしていた。
「本当は、僕が決着をつけるべきだったのかもしれない」
「え?」
「いや、何でもない。彼女を追わないと。君はここにいて」
今や虚無は肥大化してH市を飲み込みつつあり、『影の国』への入り口はそこら中にあった。境はいまや不明瞭となり、おそらくは入国のための手順も省略されているようで、手近な虚無に向かって歩を進めれば、そこはすでに『影の国』だった。『不幸の原』に足を取られながら進む。
アカネがいないので、沼を晴らす火はない。代わりに父の残した槍に父の遺したシュレミウムランプを吊るしてかかげると、『不幸の原』に光の道がまっすぐ伸びる。沼を晴らしてくれたわけではないが、道に迷うことは無い。その光に従って歩いていくと『拒絶の橋』が現れる。しかしそれは、今や来るものを拒む橋ではなくなっていた。橋の向こうには城。城門は開け放たれている。
七つの城壁、九つの柵を越え、女王の間へ至る。そこには鳶アカネの姿を借りた『影の女王』がすでに戻っていた。鳶アカネの左手には、彼女が『ワンド』と呼んでいた影が宿る。
「お前が求めているものはこれかな――『ロッド』!」
生身の右手をゆらめく左手に添える。ズズズ、と影の中から歪な杖をとり出す。原初の火『ロッド』。つい先刻父を貫き、かつて夢の中で僕を刺し貫いた鋭い杖。
「父の次は子か。すでに役目を終えた契約者の魂は戻らんぞ。すでに『彼ら』のものだ」
「『彼ら』って……?」
「わかっているだろう。お前たちが悪魔と呼ぶものだ」
人類から影を奪い、契約者の魂をねらう、悪魔。
「その『彼ら』には、どうやったら会えるだろう?」
「……知らないな。我ら影は、お前たち人間が捨てたもの。契約者の投影にすぎない。向こうが望まなければ、こちらからコンタクトをとることはできない」
〈君たちが学校で出会う大人たちは、基本的に悪魔の手先と考えてよいだろう。そして、切り取られた影、すなわち『生贄の山羊(スケープゴート)』も契約者の望みを叶えるために動く〉
たしかアララギ騎士団の王は、こう言っていた。
「では、契約者が今どこにいるのかは、知っている?」
しばしの沈黙の後、
「……知っている」
女王は応えた。
「じゃあ、案内してほしい。あるいは、場所だけでも教えてほしい」
「契約者が何者なのか、知っているのか?」
「たぶん、わかったと思う」
「彼女(、、)は、自分が契約者であることをまだ知らない。お前が知らせればどうなるか、わかっているのか?」
〈契約者が己の罪を自覚すれば、デストルドーが放出され、学区(セカイ)は終わる〉
芳川スイは、自分の弟が契約者であることに気がついてしまった。そのせいで芳川アオイは死んだのだった。そしてスイはずっと、蒼(アオイ)と名のついた槍を振るっている。
「わかっている。でも、そうならないように、頑張ってみるつもりだ」
「そうか。そのためにこれが必要というわけか」
影の女王が杖となった影を床に突き刺すと、火花が散る。殺気をふくむ圧力とともに、玉座から立ち上がる。
「お前がもっと早く気が付いていれば、お前がもっと早く彼女の望みを叶えていれば、こんなことにはならなかった!」
ひるんで後ずさりそうになるが、耐える。空間がビリビリと震える。
「む……」
しかし女王は、杖を部屋の中央に突き刺したのち、背後によろめく。
「……この娘か」
鳶アカネの意志が、女王の脚を止める。アカネは努力を惜しまない。知識を貪欲に吸収し、影と共存する道を求める。何もかも無駄とあきらめて、成長を拒んだ僕にとっては、まぶしい存在。
「ありがとう」
そう言って、僕は杖を引き抜く。
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