第19話 私たち大人が、守ってあげますからね

 鳶アカネから差し伸べられた手に背を向け、追ってきた芳川スイも躱し、僕はまっすぐH市本町に戻る。モノレールの柱を目印に、一心不乱に山を下る。放浪する影に見つからないよう、時には迂回もした。自宅を一度通り過ぎ、坂を上って加賀美坂上中高へ。そのころには朝になっていた。疲労で震える脚を引きずり、職員室を訪問してクレイドルの故障を伝える。物理的な修復はともかくとして、いずれにせよIDの再発行が必要になるということだった。そしてIDの再発行をするためには、PTA評議会への出席が不可欠となる。

 担任の名方タモツ先生の立体映像(ホログラム)が僕を案内する。高等部の視聴覚室に通される。固定された白い机に、引っ張り出して腰掛けるタイプの固い椅子が、前方の舞台に向かって弧を描き並んでいる。

〈君たちが学校で出会う大人たちは、基本的に悪魔の手先と考えてよいだろう〉

そんなことをかつてどこかで聞いた気がしたが、もうどうでもよい。

「臨時の議会がオンラインで開かれるから、君はここから参加しなさい。聞かれた質問に、端的に応えるように」

 名方先生は、いつになく真面目な調子でそう言い残し、姿を消した。僕は一人寂しく待つ。

「これより臨時のPTA評議会を始めます」

 女性の声だけが響く。視聴覚室の前方に、出席者の名前とそのシルエットだけが表示される。会の始まりを告げたのは、保護者代表・PTA会長の千草(ちぐさ)園(えん)モモ。

「今回は、会長である私が進行を務めます。観測者として副会長が同席します」

「はい。よろしくお願いします」

 加賀美坂上中高校長。PTA副会長の解(ほど)窪(くぼ)マガリ。男性の声と名前の表示が現れる。他にもいくつか、顔無しのウィンドウが表示される。司書教諭・美(み)澤(さわ)ツカサ、中学部教員・比良山(ひらやま)ジョウ、高校部教員・皆実(みなみ)平(だいら)ナミ、保護者・朝比丘(あさひがおか)ミワ、保護者・大路(おおじ)ユタカなどなど……。一方的に複数の目によって監視されているようで、居心地は良くない。

「では、名前をどうぞ」

 こちらからは顔が見えないので判断が難しいが、どうやら僕に話しかけたらしい。僕だけが囲まれ、他に声を発する者はない。

「はい。那々生カナタです」

「これよりあなたのアイデンティティを確認いたします。いくつかの簡単な質問に答えてください」

 会長の声が淡々と続ける。

「はい」

「あなたの母親の名前は何ですか?」

「那々生ユウです」

「彼女は今、どこにいますか?」

「……病院に、隔離病塔にいるはずです」

「はず? あいまいな表現はやめなさい」

 副会長の声が挟み込まれる。咎めるようなその口調に、たじろいでしまう。大人しく家(ハイブ)にいると答えればよかったか……普通の大人は、そこにいることになっている。

「すいません。僕も信じがたかったので、あいまいな表現になってしまいました。たしかに隔離病塔にいました。自分の目で確認しました」

「よろしい」

 副会長はそれで一度引き下がる。再び会長の声が浮上。

「続けます。父親の名前は?」

「……那々生アキラです」

「彼は今、どこにいますか?」

 騎士団の王……という言葉が頭に浮かぶが、それは打ち消す。ひどい妄想だ。夢と現実がぐちゃぐちゃになっている。

「わかりません。僕が物心つく前に失踪しました。家のクレイドルに戻っても、姿を現したことがありません。母も父のことは教えてくれませんでした」

 しかしよくよく考えてみれば、僕が母だと思って話しかけていたものは、クレイドル内に残された母の記録に過ぎない。僕のために残された記録。父親についての記録は残されていなかったということか。

「兄弟姉妹はいますか?」

「……いました。那々生ハルカ。双子の妹です」

「過去形なのはなぜですか?」

 再び副会長の声。

「消えて、しまいました。いや、連れ去られたのかも」

 できるだけ誠実に応えるように心がける。あいまいな表現を避けようと思っても、現実にあいまいなことが多すぎるのだ。

「誘拐ということかな?」

「そうかもしれません」

「探したのかね?」

「…………」

 探したのかと問われれば、探していないということになる。双子の妹が消えたというのに、僕は自分の身の安全を優先してここに逃げ込んだ。大人たちに助けを求めた。それを咎められるのだろうか……。

「どうした?」

「あ、いえ、でも影が……」

「影?」

 説明ができるだろうか?

突然現れた影に、双子の妹が連れ去られた。どこにいるのかはわからない。普通の人間には探しようがないところにいるにちがいない。だから僕にはどうすることもできない。『アララギ騎士団』だか『羊飼いの杖』だか、そういう特殊な人たちが解決してくれるのを待つしかない。

そんなことを聞いてくれる大人がいるだろうか?

「ひどく精神的なショックを受けているのかもしれない」

「これ以上の尋問は不要だろう」

 僕がまごついていると、大人たちがそれを勝手に解釈していく。画面がざわつく。大人たちが相互に意見を交わしている。

 少しの沈黙の後。

「わかりました。あなたは那々生カナタ。十六歳の少年だが、現状保護者として機能する血縁者なし」

「はい……」

 改めて聞くと、なかなか心細い状況ではある。

「あなたがこの学校を卒業するまでは、この解窪マガリが未成年後見人となりましょう」

「はい……」

 一応首肯するが、不安は拭えない。

「安心なさい。とりあえず書類上は、ということだよ。IDを再発行して、クレイドルは修理して、君は今まで通りの生活に戻る。何か手続き上困ったときに、私の名前を出すことができる」

 僕の不安を先読みして、副会長が説明をする。

「はい、わかりました」

「それでは、本日の臨時PTA評議会を終了します。あなたはこれまで通りの生活に戻るのよ。難しいことは考えなくていい。私たち大人が、守ってあげますからね」

 千草園モモ会長の優しい声を最後に、出席者が退室していく。



 新しいクレイドルが手に入ると、僕はいよいよ外に出ることをやめた。学校に登校してしまうと、芳川スイや鳶アカネと顔を突き合わせることになる。そうすると、どんな顔をしていいのかわからない。『アララギ騎士団』や『羊飼いの杖』に再度勧誘されてもたまらない。

 相変わらず自宅にいるが、物理的に両団体から勧誘を受けることはもうなかった。それこそ、見えないところで大人に守られているのかもしれない。僕はクレイドルの中で日々のあらゆることを完結させた。顔を合わせたくない人はミュートにして、悩みの種は最小限にする。否、最小限どころか、根絶やしにする。波風の立たない生活、心乱されない生活。これが僕の求めていたものだ。

 ゆりかごに揺られて、まどろみの中で様々な「もしも」を考える。

 もしも、『アララギ騎士団』に協力して原初の槍を手にしていたら――

 もしも、『羊飼いの杖』に協力して影の国へ飛び込んでいたら――

 しかし、往々にしてその妄想はうまくいかない。僕は選ばれし者として急上昇を試みるのだが、あと少しというところで転落してしまう。僕にはやはり、主人公・英雄としての素質はないのだろう。妄想や夢の中ですら失敗するのだから、間違いない。人間として大切なものを、何か欠落している。

 現に僕はここでじっとしている。失われた妹を捜索することもなく、クレイドルの中にいる。だって僕が動いたところで仕方がないのだ。どうせ何にもならない。きっとロクな目には合わない。串刺しのイメージ。いつもそうして夢は途絶えるのだ。

 引きこもり始めてから二週間ほどが経過したある日、初めての訪問者があった。訪問者といっても、物理的な訪問ではない。

「那々生ハルカさんのご自宅でしょうか?」

「ハルカはいません。ここは那々生カナタのクレイドルです」

「図書委員長が休学中のため、私が貸し出し図書の確認をしています」

 僕のクレイドルにアクセスしようとしている女性の名は美(み)澤(さわ)ツカサ。加賀美坂上中高附属図書館の司書である。

貸し出し図書の回収……心当たりはあった。ハルカが借りてきたあの本。彼女の部屋の出窓に置かれていたのを覚えている。

「すいません、ちょっと見当たらなくって……。探しますので、明日返しに行っても大丈夫ですか? わざわざご連絡もらって申し訳ないんですが」

 学校図書館の司書がわざわざ貸し出し図書の徴収に現れることが、果たしてどれくらい異例なことなのか、ほとんど紙の本を読んだことがない僕には判断がつかない。しかし僕は、とっさにそう言っていた。

「そうですか。わかりました。では明日、お待ちしております」

 美澤ツカサは、事務的な感じでそう言って、おとなしく帰っていった。

 僕はその後すぐ、ハルカの使っていた部屋に入る。もう少女が生活していた匂いはかなり薄れている。記憶通りの場所に、その本が置いてある。ハルカに概要を聞いてはいたものの、自分では読んでいなかったその本を、開く。

 自分の目で文字を追い、読み始めた。



 小さなゆりかごに双子の赤ん坊が寄り添って眠っている。ハルカとカナタ。ゆりかごをやさしく揺らすのはアキラとユウ。僕らの両親。

 母さんなのか父さんなのか、どちらの声なのかわからないが、おとぎ話を語って聞かせる。その時に思いついただけの、とりとめもない物語。

主人公は怪しげな男と契約し、自分の影と『幸運の金袋』を交換する。金には困らなくなったが、影がないために周囲から非難される。影を奪った悪魔は、影を返してほしければ魂をよこせと言う。主人公は絶望し、『幸運の金袋』も投げ捨ててしまって旅に出る……。

 赤ん坊に、そんな話が分かるわけもない。これは後から作られた、捏造された記憶かもしれないけれど、そんな光景が思い起こされた。


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