第38話 禁断の名
歌舞伎界の梨園や相撲業界の角界には代々脈々と受け継がれる名があり、その数多ある名跡の中でも、継承すると何かしらの災難に見舞われる名がある、と昔から噂されているものが存在する。
角界において力士が引退後も相撲協会に籍を置くには、百五個ある「年寄名跡(年寄株)」の一つを襲名しなくてはならない。
引退した元横綱はその後、五年間は現役時代の四股名を名乗って協会に籍を置く特例はあるが、その期間を過ぎても年寄名跡を継承しなければ廃業となる。
年寄名跡(年寄株)の中には、数々の因縁が渦巻く事で名が知られる「間垣」という名跡がある。
「間垣」は三百年の長きに渡る歴史を持つ伝統の名跡ではあるものの、関係者の間では呪われた株との噂が昔から囁かれていた。
この名跡を襲名し、定年まで勤めあげた親方は現在までほとんどいない。
廃業、病気、急逝などが相次ぎ、その事から代々噂の絶えない年寄株といわれている。
1980年10月4日。山形県村山市で或る落語家が倒れ、そのまま急逝した。
開演前より吐血を繰り返し、村山市民会館での高座の最中、トイレに駆け込み血を吐いて倒れたという。
落語界には事実上、封印された禁断の名跡が存在する。
「小圓遊」という名跡は明治時代の初代から四代継承された。
だが二代目を除く三名が、若くして巡業先で急逝されている。
そのような不幸が相次ぎ、1980年に四代目が急逝したのを最期に封印され、この名跡は継承される事もなく、空席の名となっている。
初代、三遊亭小圓遊の当時の人気は絶大なものであり、三遊亭圓遊の次期後継者と目されていた。
1902年。巡業先の広島県尾道の旅館で夭折。享年32歳。
師匠圓遊はあまりにも早すぎる死を惜しんだという。
二代目は師匠圓遊の座を巡る兄弟弟子間の跡目争いの中、名跡が変わったりしていた。人気、芸とも初代に及ばず、評判もあまり高くなかったとされる。
圓遊を継いだ二代目であるが、56歳の還暦目前にして病没。
三代目は1926年(大正15年)2月、北海道巡業中の北海道函館で腸チフスに罹患後、回復せず急逝。
亡くなられた年齢は30とも31の若さともいわれている。
四代目、三遊亭小圓遊。
桂歌丸との凄絶な掛け合い、罵倒合戦を繰り広げて日本テレビ「笑点」の黄金期を築き上げた名噺家。
だがその裏では長患いによる長期入院や交通事故、演じるキャラと自らの素顔のギャップから、ストレスによる不摂生が祟り、アルコール中毒にも悩まされていた。
その体調は歴史に残る落語家、初代林家三平にも痛く心配されている。(四代目小圓遊より二週間程前に病没)
番組収録中も酒の匂いを漂わせ、呂律が回らなくなる事もあり、笑点の番組プロデューサーや司会から、酒を取るか番組を取るかと迫られた時に酒を取った事から、降板を言い渡そうとした矢先に山形県にて急逝したという。(桂歌丸談)
まだ43歳の若さだった。
その訃報は速報としてメディア各局は報じたが、同日、当時人気絶頂のトップアイドル山口某のラストコンサートが開催されており、完全に陰に隠れて掻き消された。
村山市民会館のトイレ付近。
開演前より四代目が吐血を繰り返していた場所で、その後から霊が出るなどの噂が巡るようになった。
昼間でもその付近の空気は異質さを含んでおり、怖さ、とはまた違う別の緊張感が張り詰めた空間に感じられる事があるという。
倒れた四代目は最後の最後まで観に来られる観客の事を心から大事に思っていたと語り継がれている。
小圓遊の名を継承した四人は共に還暦前に病に倒れて亡くなり、四代目が没して以降、現在まで誰もその名を継ぐ落語家はいない。
奇談ブートレグ ―怪異録remixes― 滝 ぴん @requiemamen
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