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与野さつき

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「ちょっと、君! 通報するよ!」

「へ?」

 ある日、学校からの帰り道、可愛い女の子に声をかけられたと思ったら、言われたのはそんな言葉だった。

「ス、ストーカーでしょ、君!」

「ええ? いやいや、違いますって」

「じゃあ、証拠見せてよ! 同じバスに乗って同じバス停で降りて、私の後をピッタリつけてきたじゃない。しかも、制服から見るに同じ学校だよね?」

 どうやららちが明かなさそうだ。


「僕もこの団地に住んでるんですよ。証拠を見せましょうか?」

 そう言って僕はその女子の脇を通り過ぎると、自分が住んでいる部屋の前で足を止め、ついでに学生証を見せた。

「ほら、表札と同じでしょ」

 僕の苗字はかなり珍しいので、他人の家を使って偽装するとは考えにくい。それにバレるリスクも高まる。

「う……」

 そいつは言葉を詰まらせた後、

「ご、ごめんなさい。私の勘違いでした」

 と素直に謝ってきた。

「いえ、いいんです別に。慣れてるので」

「え? それはどういう……」

「では」

 僕は家の中に入った。が、ドアを閉めた直後、インターフォンが鳴った。開けると、さっきの奴だ。

「まだ何か用ですか」

「……いえ、その。お詫びというか、お返しというか、私も名乗らないとフェアじゃないと思って」

 そう言うと彼女は、自分の学生証を取り出して俺に見せた。


「都立三鷹総合みたかそうごう高校1年、上清戸かみきよとりんです」

「……三鷹総合高校1年、野火止のびとめりつ。です」

「あれ、同じ学年? さっきは名前しか見てなかったけど」

「そうみたいですね」

「じゃあタメ口でいいよ」

 急に馴れ馴れしく話しかけてきたので、色々と要らない情報が増えた。彼女が僕のいる5組の隣、6組に在籍すること。僕と同じ経路、同じ交通手段で登校していること。誕生日が6月19日であること。一通り話し終わると、「私、2階に住んでるから。じゃあ、またね」と去っていった。

 鬱陶しいと思ったが、同時に、自分の思ったことをズバズバ言えるのが羨ましいとも思った。僕にはそんな勇気はない。

 勿論、勘違いはしてほしくないけど。


 ***


 数日後、学校から帰る電車の車内で、彼女に再会した。

「あれ、君は律くんだったっけ」

 いきなり下の名前呼びか。

「あ、上清戸さん」

「倫で良いって。あれ、その小説、新しく出たやつだよね」

 え。カバーをかけていたのに、どうして気づかれた。

「私もう何回も読み返しちゃった。その作者って伏線の作り方、凄いよねぇ」

「詳しいんですね」

 僕がそう返すと、上清戸さんは「タメ口でいいって」と笑いながら続けた。

「この辺り一帯はくに木田きだ独歩どっぽが『武蔵野』を書いた土地として有名だし、それに三鷹は太宰だざいおさむゆかりの地だし。西武線沿線は漫画家が結構住んでるし、書籍文化の宝庫だよ。東京に生まれてよかったぁ」

 それは人口規模から見た母数が多いからそうなるんじゃないか、とは一瞬思ったが、意外だった。僕の中で「東京」というと、ゴミゴミしただけの都会であり、「武蔵野」というと、慌てて発展したような中途半端な街が点在するというイメージしか持っていない。

 要するにこの街が好きではないのだが、それ以上に、生まれ育った街をそんな風に表現してしまう自分が嫌いだ。

『間もなく、武蔵むさし小金井こがねい、武蔵小金井。お出口は右側です』

「じゃあ、僕はここなので」

「何言ってるの、どうせ同じバスでしょ」

 車内放送にかこつけて逃げようとしたが、記憶力は良いようだ。


 バスは桜で有名な公園の脇を抜けて、僕の住む街へと走って行く。

「律くんも、読み物が好きなの?」

「まあ、そう……だね」

「何、その間」

「上清戸さんほどかって言われると、そうじゃないからな」

「好きかどうかを聞いたんだから、程度の話じゃないよ」

 そういうものか。

 ……まずい。会話が続かない。女子との会話って、何を話せばいいんだっけ?

「か、上清戸さんは、何か好きな小説とかあるの?」

 とにかく沈黙を破ろうと思って、そんな言葉が出た。しかしそれは、本好きの口にペラペラ喋らせるにはちょうど良い潤滑油になってしまったようだ。


「好きな小説かぁ。流石に一つに絞るのは難しいなぁやっぱり三浦みうら哲郎てつおの『盆土産』は中学の授業でもやったし思い入れがあるなーあと宮沢賢治の童話系のお話も良いし『よだかの星』なんか感動的だよねぇ。あ、ラノベも読むよ最近だと岬鷺宮のやつあれなんだっけまあいいやあとはねあとはね」

「ストップ! 振っといて申し訳ないけど、情報が追いつかない」

「……あ。ゴメン」

 彼女はそこでようやく口を止め、小さく手を合わせるジェスチャーをした。

「はぁ。いっつもこうなんだよねー。魅力を語ろうとしたら喋り過ぎて引かれるし。結局『文学オタク』認定されちゃうんだよね」

「ふーん」

「興味なさそうな返事だなぁ。君は何か好きな小説あるの?」

 そう言われて、一瞬どうしようかと迷ったが、嘘を吐いてもしょうがないと思い正直に言うことにした。


「印象に残ってるのだと、太宰治のやつかな。『人間失格』とか『津軽』とか」

「ふーん」

「ごめん、暗いでしょ」

 恥の多い生涯を送ってきました、という一文が印象的だ。

「まあ、暗いことは暗いけどね。でも、自分と向き合ってるってことじゃないの」

 また予想を裏切られた。他人に話すと大体は「暗いね」で終わる。

「私も読んだことあるけどさ。『人間失格』も『津軽』も、人の生き死にが関わってるように思えるんだよね」

「……どういうこと?」

「『人間失格』は、自分の全てをさらけ出して終わりにしたそうで、『津軽』は、死ぬ前に自分が生まれた土地を見ておきたい、みたいな」

 まあ、ただの妄想だけどね、と付け加えた。

「凄いね。僕はそんなこと考えてないな」

「そ、そう? ありがとう」


 ***


 翌日の放課後。僕のいる5組の教室に、帰り支度を済ませた彼女がやって来た。

「ちょっといいところがあるんだが、行かないかね」

 今日は掃除当番もないから、断る理由が見つからない。まるで狙っていたみたいなタイミングだ。

 クラスメイトから奇異の視線を感じながら、招かれるまま学校を出た。

 いつもと口調が違うように感じたが、気のせいだろうか。

「どこに行くの?」

「いいからいいから」

 はぐらかしたまま、駅とは違う方向へずんずん歩いて行く。僕はその数歩後をついていった。


「じゃーん。ここです」

 腕で示された先にそびえるのは、古びた跨線橋だった。階段を上ると、眼下には幾本もの線路が見える。

「ここは……」

「そう。太宰治が生前気に入ってた、と言われてる歩道橋だよ」

 緑色の塗装が所々剥がれ、錆が目立つ。金網だけでなく、鉄骨もそうだった。

 太陽が昇っている西側を見ると、何本かの電車が待機を兼ねて車庫で休んでいた。夕方のラッシュアワーになれば、企業戦士のごとく出庫していくのだろう。


「さっき説明板があったの見た? 戦前からあるみたいだよ、この歩道橋」

「へえ」

「そんで、当時三鷹に住んでた太宰治が、友人たちをここへ連れて来たこともあるんだって」

「それはまた、なんで?」

「当時は高いビルとかまとまった住宅街なんかもほとんどなくて、遠くが良く見えたらしいね」

 足早に轟音を響かせて、僕たちの足元を電車が通過していった。あの電車はどこまで行くのだろうかと、少し考えを巡らせてみる。

「だから、ここは太宰治ゆかりの地ってわけ。だから誘ってみたんだよ」

 好きとは言っていない。が、訂正するのも面倒臭かったのでスルーした。

「……ってのはまあ、前置きで」

 随分と長い前置きだな。

 ん? 前置き?


「依頼というのは他でもない。三鷹総合うちの文芸部に入ってくれないか、野火止のびどめくん」

 そうか、それが本題か。にしても。

「学校でも思ったけど、その言葉遣いは何なの?」

「いや、ちょっと文豪っぽくしようと思って」

 変だった? と彼女ははにかむ。が、その顔はすぐに神妙なものに変わった。

「今の文芸部、私含めて4人しかいないんだ。校則の部活動成立条件は『部員5人以上』だから、野火止くん……いや野火止様が入って下されば解決するのです。お願いします」

 わざわざ「様」をつけなくていい。というか、数分だけだがストーカーだと思っていたような奴にお願いするのか。


「……部費は月いくら?」

 僕がそう返したことに不意を突かれたのか、彼女は一瞬固まった。

「え? ああ、えーと、部費はないと思うよ。基本的に個人活動の集まりって感じだから。全員でやることといえば、文化祭で部誌を作って販売することくらいかな。って聞いた。その時の印刷とか製本の費用は学校の経費らしいし」

 ストーカー扱いした奴の依頼を受けるのは、少し癪だった。

「名前、間違えないでくれるなら」

「え?」

「ノビメじゃなくて、ノビメだから」

 でも、好きなことを好きと言って貫けるところは、羨ましく思った。

「それって……」

「入るよ、文芸部。本読むのは好き……ウップ」

 僕の言葉が途中で遮られたのは、彼女が抱きついてきたからだ。

「ありがとーっ! これで部長に良い報告が出来るよ!」

「ちょ、ちょっと、上清戸さん離れて」

 ここは屋根もない跨線橋の上。少し離れたところから、跨線橋の通路に居た子連れの奥様らしき集団が見ている。さらに悪いことに、跨線橋の下の車庫にいる職員さんも、何事かと振り向いた。それでも彼女は抱きついたままだ。

 違う。そんな「カップル成立か。若いって良いねえ」みたいな目で見ないでくれ。入部を承諾しただけだ。

 僕は精一杯声を張り上げて言った。

「離れて……。誤解される……」

 だがその小さな叫びは、だいだい色の電車の音にアッサリかき消されたのだった。


 帰りのバス。僕は羞恥心でいっぱいだった。まだ顔が赤いかもしれない。

「や、ゴメン、ゴメンって。つい、ね」

 謝罪で済むなら人の目は気にしない。

「……じゃあ、改めて」

 そう言って彼女は右手を差し出し、握手を求めてきた。

「これからよろしくね。野火止のびとめくん」

 今度は拒否せず、僕はその手を握り返した。

 バスは桜で有名な公園の脇を抜けて、僕たちの住む街へと走って行った。

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