ひまわりの思い出

朋阪ゆりゑ

短編:ひまわりの思い出

 瞼が重い・・・

 なんでこんなに重いの?目が、開けられない・・・

 暗い、怖い、そんな時間が永遠と続く・・・


 『・・・・・さん!』

 あれ、今声、声が聞こえたような気がする。

 

 『・・・・・如月さん!』

 男の人の声。どこか、聞き覚えがある気がする、どこか落ち着く声。でもわからない・・・


 『・・・・あおい!』

 誰、あおいって誰?あなたは誰なの?


 『葵!!』


 突然瞼が軽くなり、そっと開けてみる。ぼんやりとした視界が広がる。

 少し経つとピントがあってきて、視界がもっとはっきりとする。

 そこに広がっていたのは、知らない天井。真っ白い、どこか寂しさを感じさせる、純白の天井。


 ここはどこなの?


 少し体をよじらせる。すると、身体中の至る所に激痛が走った。あまりの痛みに、また動こうとする気力が失せる。

 体の下から感じる柔らかさは、ベッド?

 ピッ、ピッ、ピッ、と隣から聞こえる機械音。

 何?顔を横に向けようとすると脳がすり潰されているのではないかと言うくらいの頭痛が襲ってくる。


 「うっ」


 思わず呻き声が出る。続いて吐き気も込み上げてくる。それを必死に堪える。

 ある程度経つと痛みも吐き気も引いていき、また目を開ける。

 やっぱりある白い天井。

 機械音もずっと続いている。


 ここは、病院?


 状況からすると、病院の病床に寝ているのかも。それならこの痛みも納得がいく。

 確かあの時、あの時、あの、時・・・


 あの時ってどの時?


 私はなんでこんな大怪我をしているの?病院に行くほどの怪我をどこでしたの?

 記憶がない、何をどうしてこうなったのか、全く覚えがない。

 答えを探ろうと考えるも、何も浮かばない。何も思い出せない。

 そして考えるうちに、ある漠然とした、恐ろしい疑問が浮かぶ。

 

 私って、だrーーーー


 「如月さーん、朝ですよー。今日もいい朝でsーーーー如月さん!意識が!」


 カーテンのシャーっという音ともに女の人の明るい声とその後に続く驚く声が聞こえる。

 おそらくナース、の声。


 「い、今先生を呼んできますね!」


 大きな声と遠ざかる足音。

 ナースの元気いっぱいな声を聞いても、私は底のない恐怖の闇へとどんどん落ちていった。


 私は私が誰なのか、わからない・・・




******************




 「解離性記憶障害?」


 と医師に聞き返しているのは、私の母だと名乗った如月民子という女性。


 「解離性健忘、とも呼ばれます。通常での物忘れでは忘れないような重要な個人情報や記憶がおもいだせなくなる病態です。」


 と説明しているのは私の担当医師だという先生だ。


 「そ、そんな・・・」

 「そ、それは治るんですか?」


 言葉を続けられなかったお母さんに変わって先生に質問しているのは私の父、如月和也という男性。

 私は残念ながらこの二人のことを覚えていない。

 

 私を産んでくれた人たち、名前を与えたくれた人たち、育ててくれた人たち、なのに、私はその人たちの顔を見ても親として認識できない。それがとても辛く、とても悲しい。

 でもきっと、お母さんとお父さんの方がもっと辛いはず・・・

 現に二つの違ったすすり泣く声が聞こえる。


 私はまだ寝たまま。あまり動かない方がいいということで、まだ天井を見つめて、声だけを聞いている。

 もし顔が見えていたら、私は耐えられただろうか・・・多分、無理。


 「精神療法という手がありますし、時には催眠法または薬剤を使用する面接法を併用して治療を行う場合があります。ただし、確実に治る、といった治療法はありません。ですが、一時的な記憶の喪失という可能性もありますので、断定はできません。」


 そう先生が答えている。

 これはなぜか知っている。確か昔記憶障害を持つ女の子の映画を見た際に色々調べたことがった。

 こんなくだらないことは覚えているのに、なぜ私は・・・


 「そ、そうですか・・・」

 「でも、そういった治療を始めるのももう少し怪我の具合が良くなってからです。先日も言いましたが、手術は成功しましたがまだしばらくは安静にしていないといけません。」

 「わかりました・・・」


 お父さんと先生の会話、それによるとどうやら私はバイクに撥ねられ、その時私と一緒にいた人が救急車を呼んで病院まで付き添ってくれたらしい。

 幸い、頭は軽傷ですみ、手術も無事成功。


 この記憶喪失は事故のショックが原因らしい。


 ただ、そういう内容を聞いても全く頭に入ってこなかった。どこか他人事のような、そんな気がする。

 ただただ心の中に存在する虚無感が私を支配していた。


 


*****************




 コンコンコン

 「葵、起きてる?入るわよ。」


 目が覚めた翌日の昼過ぎ、朝ごはんの後一旦家に帰ると言ったお母さんが帰ってきた。


 「空いてるよ。」

 

 短く答えると、ガラガラっという音ともにドアが開き、お母さんが入ってきた。


 「あなたに言われた教科書、持ってきたわよ。」

 「ありがとう、お母さん。」

 「ーーっ!え、えぇ、どういたしまして。他にも何かあったら言ってね、すぐ持ってくるから。」

 「うん、ありがとう。」

 「でもあまり無理しちゃダメよ。」

 「わかった。」


 そう言いながらお母さんは紙袋を病床の横のテーブルに置いてくれる。

 今日の朝、私はお母さんに私の教科書を持ってきて欲しいと頼んだ。

 それを見れば、少しトリガーになると思ったから。でも、今はまだ顔を少し上げることしかできないから、実際に見るのはもうちょっと後になると思うけど。

 お母さんといえば、なぜお母さんは私がと呼ぶと毎回ビクッと反応をするの?もしかして、私はお母さんとは違う呼び方をしていたのだろうか・・・わからない。


 そんなことを考えていると、またドアにノック音がした。

 誰?お父さんかな?

 すると、お母さんが急いでドアに向かう様子が見える。


 「あっもう来たのね!入って入って!」


 そんなお母さんの明るい声の後について入ってきたのは若い男性だった。

 おそらく同い歳くらい、ヒョロっとした体格に少し長めの黒髪、そして澄んだ目、長いまつ毛、整った顔立ち、正直言ってなかなかのイケメンだった。でも今のこの状況でイケメンが現れてもドキドキも何もしない。


 そのイケメンは、私を見るや泣きそうな、そしてどこか嬉しそうな顔になって、無言で私を見つめてくる。


 一体この人は誰?お兄ちゃん、とか、かな・・・

 どこか安心感のあるオーラを放っている。


 「えっと、お兄ちゃん、ですか?」


 恐る恐る口を開く。

 すると、それが間違いだったことにすぐ気づく。私の言葉を聞いた瞬間、一瞬にして表情が曇ったからだ。


 「えっ、あっ、俺が?いや、ちが、うよ・・・」

 「えっと、ごめんなさい、私何も覚えていなくて・・・ど、どちら様でしょうか?」


 なるべく傷付けないような言い方を考えるも、それはとても難しかった。


 「・・・は、話は民子さんから聞いてるよ。僕は日向薫・・・如月さんとは、結構親しい友人だったかな。」

 「ひ、日向さん、ですか。えっと知ってると思いますが、私の名前は如月葵です。」

 「フフ、知ってるよ。」


 笑ってはいるが、目が笑っていないのは一目でわかる。親しい友人と言っていた。ってことは多分砕けた口調で話していたに違いない。それを私は今敬語で喋っている。それは変な気分だと思う。

 でも私は今は砕けた口調で喋る気になれない。だって今の私には日向さんは初対面なのだから。


 横を見ると、お母さんも泣き出しそうな顔をしていた。


 「如月さんが無事で、本当に良かった・・・あの時はどうなるかと思ったから・・・」


 そう呟きながら、目を潤ませている日向さん。


 ん?あの時?


 私の顔を見て察したのか、お母さんが口を開いた。


 「薫くんは葵が事故にあった時一緒にいて、救急車を呼んでくれたのよ。」


 日向さんを見ると彼は深く頷いた。


 「たぶん、知りたいよね、何があったのか。」


 こくん、とうなずく。


 「俺が、猫を助けようと道に出たんだ・・・道の真ん中に猫がいたからその子を抱き上げようとした瞬間、バイクが来て・・・如月さんが、その、庇ってくれて・・・如月さんの怪我も記憶喪失も、全部、俺のせいで・・・」


 すると、ついに限界がきたのか涙が彼の目からこぼれ落ちる。

 そして、それはいつしか大号泣に変わった。

 お母さんも涙を流しながら彼の背中をさすっている。

 私は一方で、少し安堵していた。私は、馬鹿して事故に遭ったのではなく、友人を守るために怪我をした、その事実が今はとても心強く感じた。


 それから彼が泣き止むのを待つこと数分。


 目元を真っ赤にして立ち上がった日向さんに、精一杯の笑顔を向ける。頭の中が混乱の真っ最中、多分ほとんど笑えていない。けど伝わるといいな。


 「・・・ありがとうございました、教えてくれて。それと、日向さんのせいではありません。多分、私がしたくてそうしたんですから。」

 「き、如月さん・・・」


 そう言うと、彼はまた一瞬明るい顔をして、また暗くなった。


 「記憶がなくなっても、変わらないね、如月さんは。」


 そう聞こえたような気がしたけど、それについて口出す前にまた日向さんが喋り始めた。


 「これから、できるだけお見舞い、くる。毎日でも、なるべく。」


 突然の宣言に困惑する。いくらなんでも友人だからと言って毎日は来すぎじゃない?そう思ったけれど口には出さなかった。そんなこと言ったら、またこの人が悲しみそうだったから。


 「今日はもう行かなくちゃだから、また明日。あっ危ない、これーーーー」


 そう言って後ろに回していた手が差し出される。そこには一輪のひまわりがあった。


 「こ、これを私に?」

 「うん、そう。」

 「あ、ありがとうございmーー・・・ありがとう。」

 「ど、どういたしまして。では、今日はこれで失礼するね。お大事に、如月さん。」


 そう言って彼はお母さんにひまわりを渡すと病室から出ていった。

 その間にお母さんは部屋にあった空いてる花瓶にひまわりを入れている。


 ふと、そのひまわりをもう一度じっくり眺める。なんで、ひまわりを一輪だけ、なのかな?普通花束とかだと思うんだけど。そんな疑問が頭に湧く。

 でもそれと同時に、違う何か、わからない何かが胸の奥から込み上がってきて、それが形となって現れる。

ただ言えるのはそれが悲しみではなく、どこか嬉しさのような感じがすることだけ。


 「ちょっと葵!大丈夫!?なんで泣いてるの?」


 そうお母さんに言われて私自身も初めて泣いてることに気づく。


 「うん、大丈夫。」


 どうしてこのひまわりを見ていると涙が出てくるのか。その答えはきっと、私が失った記憶のどこかにあるのだと思う。




******************




 それから、日向さんは毎日来た。来訪時間はほんの数分、でも、毎回彼は一輪だけひまわりを持ってきた。

 それが不思議でしょうがない。初日は素直に嬉しかったし、なぜか涙も出た。でも、こう続くと・・・以前の私はそんなにひまわりが好きだったの?なんで毎日毎日一輪だけくれるの?謎を深まる一方だった。


 彼が来初めて二週間が過ぎ、私の病室には一五本ものひまわりが飾られていた。

 流石に量がいっぱいになってきたから、思い切って言ってみることにした。


 いつものように日向さんがひまわりを一輪持って部屋に入ってくる。挨拶を交わし、少し雑談をする。

 そしてタイミングを見て、打ち明ける。


 「その、日向さん、ひまわりをくれるのはすごく嬉しいんですが、毎日くれると少し量が多いと言いますか・・・はっきり言ってちょっと迷惑です。その、親切にしてくれているのはわかっているんですが、私ひまわりが特に好きというわけでもありませんし、その、もう少し頻度を下げていただければーーーー」


 そう言って顔を上げて彼を見ると、二週間前、大泣きしたあの時のような顔になっていた。


 「葵!あなたなんてことーーーー!」

 「い・・・いんですよ、民子さん。」


 なぜか大声を発し始めたお母さんを日向さんが制す。

 なんで、今の言葉でお母さんまでもが大声をあげるの?そんなに私にとってひまわりって大事なの?ただの、花じゃん・・・


 「ごめん、如月さん。毎日は迷惑だよね・・・」


 暗い声を発する日向さん。

 でも、しょうがないじゃん。以前の私には特別なものだったのかもしれない。でも今の私は何も感じない。今の私は前の私じゃない。だからひまわりは、今の私になんの意味もない。


 「ご、ごめんなさい、失礼なこと言って。でもーーーー」

 「ううん、わかるよ。ごめんね如月さん。ちょっと、きもいし重いよね。如月さんのことも考えずに、本当にごめん。」

 「別にそこまではーーーー」


 言いかけてやめる。深く考えれば、そう言ってるようなもの。そこまで言ってない、なんて言えない。


 「ごめんなさい。」


 短くまたそう呟く。

 すると、くるっと彼は向きを変え、ドアを目指す。

 ドアを開ける前、最後にもう一度私の方を見て、いつも帰り際に言うセリフを吐いた。

 

 「お大事に、如月さん。」


 そう言った彼の顔は誰が見てもわかるほど、必死に笑顔をつくろうとしているのがわかった。そして、心臓がズキっと痛む。でも私は何か言えた立場じゃない。彼にあんな顔をさせたのは、他の誰でもない私だ。


 そして、日向さんは病室の外へと消えていった。


 それから、日向さんがお見舞いに来ることは無くなった。




*******************




 「一日だけ退院?」


 病室でお母さんとお父さん、そして私の三人で先生の話を聞いていた。 

 日向さんが来なくなって、数日後のことだった。


 「そうです。術後の具合も、完治とまではいきませんが、歩く、軽く走る、などのことができるようになるぐらいまで良くなってきていますし、家に帰ることによって、記憶を呼び起こすトリガーやきっかけが見つかるかもしれない、ということで明日一日だけ退院を許可します。」

 「ほ、本当ですか!?」

 「はい、もちろんです。」

 「ありがとうございます!よかったな、葵!」

 「えぇ、本当に。」


 と先生の提案にお母さんもお父さんも大喜びだけど、正直私はそんなに乗り気ではなかった。

 一体どんな家?一体どんな部屋?私は一体どんな暮らしをしていたの?そう言った疑問はもちろんあるし、気になる。

 でも、そこには私の知らない私の生活があるだけ。もしそこにいったら、私が私じゃなくなる気がする。変だな、今の私が本当の如月葵じゃないのに・・・

 だからちょっと怖い。前の私が暮らしていた世界に行くのが怖い。


 でもその反面、元に戻りたい気持ちもある。元に戻ったら日向さんともまた上手くやれるんじゃないか。私は自分の親友を傷つけた。でも昔の私ならそんなことしなかったはず。お母さんもお父さんも昔の私に戻って欲しいって思ってる。私もそれは同じ。

 だから、もし治る可能性があるなら、行ってみる価値はある。


 「どうしますか?」


 と私に聞いてくる先生をまっすぐ見て言う。


 「はい、行きたいです、家に。」




*****************




 自分の家に踏み入れて、私は驚いた。


 2LDKの普通の家、はっきり言ってとても居心地良さそうな家。

 二階にある自室にはシングルベッドと勉強机、黄色いクッションチェアに洋服箪笥。いろいろな物の配置を見て我ながらいいセンスをした部屋だと思った。でも一番目に止まったのは窓際の小さいテーブルの上に置いてある花瓶に刺さっている数本のひまわり。


 「やっぱり私、ひまわり好きだったのかな・・・」


 自室に飾るくらいだ。相当好きだったに違いない。 

 だとしたら、日向さんに悪いことしたな・・・


 と今更になって思う。

 そしてもう一つ気づいたことは、自室を見ても何も思い出せなかったこと・・・


 「葵!お昼ちょっと食べてからお散歩行こっか?」


 階下からお母さんの声が聞こえる。言われてみると、お腹が空いていた。

 

 「はーい、今降りる!」


 そう言って階段を慎重に降りた。

 

 キッチンにはお母さんが立っていた。お父さんは仕事で今はいない。

 手を洗い、キッチンに立つ。


 「何か手伝えることある?」


 と尋ねると、お母さんは笑ってこう言った。


 「今は大丈夫。怪我もまだ治り切ってはいなんだから今日は何もしなくていいわよ。」

 「今日は、ってことは、前は結構私手伝ってたの?」

 「手伝ってたっていうか、私もあの人も共働きだから家事は結構葵に任せてたはね。」

 「ふーん、そうなんだ。」


 それはなんとなく感覚でわかっていた。キッチンに立って時、自然に手が動きそうになっていた。頭が覚えていなくても体が覚えてるってことだろうか。


 「あっじゃあその戸棚から葵と私のお皿取ってくれる?赤いのが葵の、紫が私の。」

 「ん、わかった。」


 戸棚の戸を開け覗き込むと、一番手前に四つのお皿があった。赤、緑、黄、紫。その中の赤と紫のやつを取る。


 「その下の戸棚にお箸も入ってるから。あなたのはうさぎの模様、私のが無地の赤ね。」

 「私のウサギ柄なの!?」

 「そうよ、あなたウサギ小さい頃から好きだったからね。」


 それは驚きだった。部屋を見た感じから私はもっと大人しい雰囲気の子だったのだと思った。

 言われた通り橋の入っている戸棚を開けると、そこにもお箸が四セット入っていた。


 気になって聞いてみる。


 「ねぇ、お母さん、なんで全部4つあるの?」

 「・・・何が?」

 「いや、お箸とかお皿も全部四つあるから。私兄弟、いないよね?」

 「あっ、それは薫くんのーーーーっ、いえなんでもないわ。」

 「えっ!?薫くんって、日向さんのこと?なんで他人の日向さんの食器がうちにあるの?」

 「た、たまに家に来てご飯一緒に食べて行くのよ。」


 当たり前の疑問だ。日向さんは他人、ただの親友だと言っていた。仲よかったにしても食器があるのはおかしい。

 すると、ふと頭の中に声が聞こえた。

 

 『なんか、うち日向のもの増えたね。』

 『えー、いやだった!?』

 『ううん、なんか嬉しい。』

 『そっかぁ、良かった・・・いやって言われたら俺泣くところだった。』

 『いやっていうわけないじゃん。』


 「葵?あなた大丈夫?急にボーッとして。やっぱり休んでたほうがいいんじゃない?」

 

 お母さんの声で我に帰る。

 今の声は、私と・・・私と誰?日向って、あの日向さん?似てるような気がしたけど、声のトーンが全然違ったし・・・


 「ううん、大丈夫。ちょっと考え事。」 

 「そう?ならいいけど、少しでも気分悪くなった言いなさいよ?」

 「うん、ありがとう。」


 頭の中で声がした、なんて言ったらお母さんは大パニックになるかもしれないから黙っておく。

 

 そのあとは結局、声の正体がわからないままお昼を食べ、お散歩に行く準備をした。




*******************




 「まずはあなたの通学路、行ってみようか?」

 「うん、そうしたい。」


 そう相談して、私の学校への道のりを歩くことにした。

 どこにでもありそうな普通の住宅街を抜けると、大通りに出た。そこの角にはコンビニとスーパーがあった。


 「あそこのスーパーは葵がよく学校帰りに寄って食材を買うスーパーよ。毎日のように広告やらセールやらをチェックしてたわね。」

 「へー、私主婦みたいじゃん。」

 「確かに葵は主婦ぽかったわね。友達はいっぱいいるのに、いつも学校帰りはすぐに帰って来て家事をいろいろ手伝ってくれたりしていたわ。」

 「ふーん。」


 友達はいっぱいいたんだ・・・

 そんなことを考えながら、スーパーの脇を通り過ぎる。チラッと見ると、窓ガラスに貼ってある大きなポスターには大きい字で『詰め込みセール:袋に詰め込めるだけで詰め込んでけ!どれだけ入ってても一袋368円、お得だよ!』と書かれていた。


 詰め込めるだけって。そういうの日向は得意そう・・・


 ・・・

 え?・・・今は私なんて思った?日向なら得意そうって、なんで知ってるの?なんでそう思ったの?昔の記憶?どういうこと?


 わからない・・・


 「ちょっと、葵大丈夫?」


 お母さんの声が聞こえて我に帰る。


 「あ、ううん、なんでもない。」

 「そ、そう?ならいいのだけれど。」


 そんな会話を交わし、また歩き始める。

 少しづつ、学校へと近づいていく。すると、頭の中で聞こえる声が増えていった。

 

 それはなんの変哲もない歩道で。


 『如月さん、寒い時は手を繋ぐのが一番。』

 『ほんと、あったかい。』

 『照れてる如月さんはもっとあったかい。』

 仲良さそうに歩いてる二人。 


 それは小道を一本曲がった小さな公園で。


 『ねー、ここで初めて会った時のこと覚えてる?』

 『覚えてない。』

 『は!?』

 『って言うのは嘘。』

 『おい、紛らわしいわ。』

 『ハハ、もちろん覚えてるよ。ここで如月さんに会えたから僕は変われたんだから。』

 『日向・・・』

 『でも、まさか満面の笑みでブランコ乗ってるのがあの如月さんだったとは思わなかったけど。しかもその後落ちtーーーー』

 『ばか!!』

 公園で一緒にブランコ漕いでる二人。


 それは校門前で。


 『あ!そこのあんた!』

 『はい!って如月さーーーー』

 『先日助けてもらったお礼、させて。』

 『い、いい、いや別に気にしなくてもいいんですよ?』

 『させて!パパもママも会いたいって言ってるから!』

 『あ、えっと、はい。』

 『・・・後あんた、名前は!?』

 『え、えー・・・』

 これは、この二人が初めて会ったばかりの頃かな?


 私の知らない私の記憶。なのに知ってるような気もする。変な感覚。


 「葵、どう?何か思い出せそう?」


 校門に辿り着いた私にそう問いかけるお母さん。でも、今それに答える余裕がない。私の心が、行けって言ってる。どこかわからないけど行けって言ってる。そんな気がする。


 「ちょっと葵、どこ行くの!?」

 

 気づけば勝手に足は動いている。今来た道とは違う道。でも、ここに行かないといけない、そう思える。

 その道をグングン進む。すると、さっきと比べ物にならないほど、色々な記憶の断片が押し寄せてくる。


 『如月さん、行こ?』


 『如月さん!今日の夕食は?』


 『ーーあ、葵・・・ってやっぱり恥ずかしいよぉ』


 『これから一生、毎年、二人でこれを見に来よう。』


 『け、結婚、し、したいです・・・あなたと。』


 全ての思い出に、記憶に、必ずいる。必ず私の隣に立って、私を喜ばせたり、困らせたり、安心させたり、ドキドキさせたり、時には怒らせたり、悲しくさせたり。でもずっとそこにいてくれた人がいた。

 たまにとんでもなく恥ずかしいこと言ってきて。ずっと一緒にいたい人。


 「はぁ、はぁ、はぁ・・・着いた。」


 自然と足が止まった場所、そこは、小さな花屋。

 小さいけれど、いろいろな花が置いてある、可愛らしい店。するとちょうど店主らしきお姉さんが店奥出てきた。

 

 「あら、葵ちゃん!久しぶりね!」

 「あ、えっとーーーー」

 「最近来なかったから心配してたのよ?最初の方は薫くんがきてたんだけど、それも来なくなちゃって。」

 「・・・」


 すると店の奥から電話の音が聞こえた。


 「ごめんね、ちょっと出てくる。」


 そう言ってお姉さんが店の奥へと消えていった。

 改めて花屋を見上げる。


 なんでここにきたのか。来たいと思ったのか。わからない。

 でも、ここは大事な場所だったような気がする。そうじゃなきゃ、私の足が勝手にここに来たりはしない。


 ふと、横を見ると、店の端の大きな黄色い花が咲き誇っていた。立派なひまわり。

 そしてまた蘇る記憶。


 『如月さん、なんでひまわりそんなにいっぱい買うの?』

 『へ?』

 『いや、最近買ってるのよく見るから。去年とかは別にそうでもなかったのに。』

 『あー、それはね、最近好きになったから、ひまわりが。』

 『えー、また急。なんで?』

 『教えなーい!』

 『なんでよー?』

 『だって絶対笑うもん。』

 『笑わない。』

 『ほんと?』

 『ほんと。』

 『・・・わかった。ひまわりのねーーーー』


 あ・・・

 そうだよ・・・

 そうだったよ・・・


 「ハァハァ、ちょっと、葵、どこに行くのよ!って、葵!どうしたの!?あなた、顔ぐちょぐちょじゃない!」


 追いついてきたお母さんが切羽詰まった声で言う。


 そう、涙も鼻水も止めどなく流れ、今の私はとんでもない顔になっていると思う。

 でも、今はそんなことどうでもいい。どうでも・・・いいんだよ・・・


 「ごめん、ちょっと行かなきゃ!」

 「行くってどこーーーー」

 「行かなきゃなの、!!」

 「へ?あなた、今ーーーー」


 ママの話を聞き終える前に、走り出す。


 まだ完治してない傷がズキズキと痛む。でもそれでも走る。走り続ける。

 一瞬でも早く会いたい!

 さっきみたいに足が勝手に動いてるんじゃない。

 私の意思で、動いてるんだ。ただただひたすら、あの人を目指して!


 学校からそう遠くない五階建てのマンション。

 その四階の端の部屋が彼の住む家だ。

 マンションに近づくと一人の男がちょうどエントランスから出てきた。

 

 顔を見なくてももうわかる。

 最愛の、私の彼氏、私の大切な人ーーーー


 「ひ、日向ぁぁぁあああああああ!!!!」


 めいいっぱいの声でその名を呼ぶ。

 驚いて振り返った日向の胸の中へ、走っていた勢い飛び込む。日向はそれを受け止めてくれた。

 そして、彼の暖かさを感じながら泣き叫ぶ。


 「え、え、えぇ!?き、如月さん!?どうしてここにーーーー」

 「日向!ひなたぁー日向!!!!」


 日向が何か言ってるような気もするけど、今は聞いてられない。

 日向の名前を連呼してさらにギュッと抱きしめる。それに合わせて日向も腕に力を込めた。


 ひとしきり泣き、ある程度落ち着くと、日向が口を開いた。


 「思い、出したんだね?」


 彼の顔を見上げると、彼も大粒の涙を流していた。泣くと子供みたいになる日向の泣き顔が間近にあった。


 コクンっと頷き、また彼の胸の顔を埋める。


 「・・・ひまわり。」

 「え?」

 「向日葵の漢字、最初の二文字をひっくり返すと私の未来の名前になる・・・我ながら乙女すぎる理由だよ・・・」

 「あー、それ俺も思った。」

 「・・・思ってたんだ。」

 「うん、でも可愛いとも思った。」

 「知るか、ばか。」


 自然と笑みが溢れる。

 本当に乙女な理由だ。こんなのであんなに好きになるなんてな〜、ひまわり。

 ひまわりのおかげで記憶が戻った。戻らないかもしれないって思ってた記憶がもどった。奇跡と言ってもいい。


 後で、いっぱい日向に謝らないと。

 いろいろなことを謝らないと。


 すると、記憶が戻ったことによってある疑問が浮かんだ。


 「なんで、日向は親友って言ったの?」


 そう、日向は私に親しい友人だって言った。なぜ、恋人って言わなかったのだろう。


 「あー、それは如月さんが急に恋人だっとか言われたら余計混乱するだろうからって、民子さんと相談してね。」

 「なんか嬉しいけど嬉しくない。」

 「えっ、なんか理不尽。」

 「あははは」

 「・・・」


 すると、急に日向が黙った。


 「どうしたの?」

 「・・・ほんとに如月さん、戻ったんだね。」

 「うん・・・戻った。」

 「よかった・・・」

 

 ・・・


 「ごめんね、日向。」

 「うん。」

 「日向の服、鼻水と涙でぐしょぐしょ。」

 「うん・・・ってそっち!?え、ってか嫌だ!」

 「うぅ、ひどい・・・でも、やっぱごめん。」

 「今度は、なんのごめん?」

 「・・・忘れてたこと。」

 「うーん、許す!」


 その言葉を聞いて私は改めて彼の顔を見る。

 すると、


 「おかえり、如月さん。」


 そう言った彼は満開のひまわりのような、眩しい笑顔をしていた。

 それに私も、精一杯の笑みで応える。


 「ただいま、日向!」

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ひまわりの思い出 朋阪ゆりゑ @tomosakayurie

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