アウター・オブ・ザ・イン 内なる世界の旅

佐藤万象

序之章


 グリーンランドの小さな港町を出港してから六日目のことだった。その日は朝からどんよりと曇っていて、ただでさえ厳しい寒さがより一層身に沁みるそんな朝だった。

 北極点を目指して旅立って来た、地質学教授の小早川と助手の宮本を始めとした観測グループは、真っ白な息を吐きなからも甲板に出て観測に余念がなかった。双眼鏡を手に遥かかなたの海を見ていた小早川のところへ宮本が近づいてきた。

「先生、霧が出てきたようなんですが、ちょっと変なんです。薄いピンク色がかった霧なんです……」 

「何、ピンク色の霧だって、どこだね。それは …」

 小早川は宮本のほうを振り向いた。

「ほら、あちらです。先生、見てください」

 小早川は宮本の指さす後方に目を移すと、薄っすらと淡いピンク色の霧が立ち込め始めていた。

「ほう、本当にピンク色をしてるんだね…。これは珍しい……」

少し驚いたように小早川は左舷のほうに目をやった。最初は薄っすらと立ち込めていた霧も、にわかに広がりを増し瞬く間に観測船を覆い込んでしまった。

「うわぁ、何だ。この霧は、これじゃ何も見えないじゃないか…」

いきなり視界を奪われて動揺したように、宮本は悲鳴に近い声で叫んだ。

「みんな、ここは危険だから全員船室にもどりなさい。視界が効かないから足元には充分気をつけるように…」

 小早川は全員が船内に入ったことを確かめるよう一同を見回した。

「みんな、怪我をした者はいないかね」

「はい、全員大丈夫です。それにしても、何なんですか。あの霧は…、気持ちが悪い…」

「うむ、わたしも初めて見たよ。あんな霧は……、ここは北極圏のど真ん中だがね。あんな霧が出るなどという話は聞いたこともないしねぇ。誠にもって不思議なことだねぇ…」

 霧とか靄というものは、普通白色透明の煙のようなものなのだが、今この船を包み込むように発生した霧は薄いピンク色をしているのを見て、小早川は腕組みをして右手で顎髭を撫でながら考え込んでしまった。その時、緊急事態を知らせる警報が鳴り響き、それに引き続き機関長の声が船内のスピーカーから流れてきた。

『乗員の皆さん、機関長の大和田です。緊急事態をお知らせします。本船のエンジンは、ただ今原因不明により停止いたしました。エンジンは停止しましたが、照明暖房等は蓄電池を積んでおりますので、心配には及びませんのでご安心ください。エンジン停止の原因につきましては、係員がただ今調査中ですので判り次第お知らせいたします。繰り返します。ただ今……』

 観測グループの乗員たちのいる船室は急に色めきだっていた。

「え、おい、冗談じゃないぞ。エンジン停止ってことは、この船は今漂流してるってことじゃないか。ここは北極海のど真ん中だぜ。どうするんだ。どうなるんですか。小早川先生……」

「うーむ、ここまで順調にやって来れたのに、整備や点検も充分過ぎるほどやったはずなのに、ここまで来て急にエンジンが停止するとは、実に不可解な事態なのだがいまは点検が済むのを待つしかないと思うのだ。諸君も今しばらく辛抱してくれたまえ。機関室のほうからも、そのうち何か連絡が入るだろうから…、わたしはしばらく横にならせてもらうよ。なんだか少し疲れたみたいだ……」

 小早川は船室の椅子を倒すと、そこにゆっくりと身を横たえた。

「そう言えば、ぼくも少し眠いような気もするな…。しばらく横になるかな……」

 そう言いながら、宮本も小早川の隣りに横たわった。

「オレも横になろう…」

「おれも…」

「じゃ、ぼくもついでに…」

「ひとりで起きててもつまらないから、俺も寝ようかな……」

 こうして、小早川を始めとした船室にいた観測グループは、知らず知らずのうちに全員が深い眠りに落ちて行った。しかし、この眠りは船室だけに止まらず、機関室やその外の部署も例外なく深い眠りの淵に沈み込んで行ったのだが、そんなことには、まだ誰も気づく者はいなかった。それからどれくらい時間眠っていたのか、誰ひとりとして定かではなかったが、まず最初に眠りから醒めたのは宮本だった。

「あれ、いつの間に眠っちまったんだろう……。何だ、眠っていたのは俺ばかりじゃなかったのか…」

 船室を見渡した宮本は、先ほど甲板でピンクの霧に覆われた時にいた、観測グループ全員が眠り込んでいたことに気づいた。隣りを席を見ると小早川教授も、まるで死んだ人のような深い眠りについていた。これはただ事ではないと感じた宮本は、まず小早川教授を起こしにかかった。

「先生、起きてください。大変です」

「ん、うーん……。宮本くんか…、どうしたんだね……」

「大変なんです。先生、見てください。さっき甲板にいたメンバーが全員眠ってるんです…。ぼくも今しがた目覚めたばかりで驚いたんです…」

「うむ、そう言えばわたしも甲板から船室にもどった時、急に疲れというか眠気を感じて、後のことは何も覚えてないんだよ。これはどういうことなんだろうね……。機関室や他のところはどうしているか心配だ。宮本くん、みんなを起こしてついてきたままえ。まずは機関室からだ」

「おい、みんな起きろ。いつまで寝てるんだ。早く起きろ。ほら、ほら…」

 宮本に叩きは起こされたグループ全員は、寝ぼけ眼を瞬かせながらも小早川教授の後を追った。機関室に入ると機関長を始め、その外のクルーも昏々とした表情で全員眠り続けていた。

「おい、機関長、しっかりしたまえ。きみはたちまで眠っていようとは考えもしなかったよ。ところで、いまどの辺を航行しているんだね…」

「あ、はい。この海図から見ますと間もなく、北極点に差しかかる頃だと思われますが…」

「よし、観測グルーブの諸君。これから甲板に出て、北極点の海を観測をしようと思う。全員甲板に出る準備をして、出き次第直ちに集合するようにしてくれたまえ」

 観測グループが準備をしている間に、小早川と宮本は一足先に甲板に上がってきた。霧はすっかり晴れていて、空には眩いばかりの太陽が輝いていた。

「先生、何だか妙に暖かいと思いませんか。さっきまであんなに寒くて手が悴んでいたのに、いくら太陽が出ていてもここは北極点に近いところなんでしょう。それなのに手袋を外してもまつたく冷たさを感じないですよ。変だと思いませんか……」

「うむ、わたしも不思議なこともあるもんだと思っていたんだが、それよりも宮本くん。あれを見たまえ。遠くのほうに陸地が見える、きみも見てみたまえ」

 小早川は自分が手にしていた双眼鏡を宮本に渡した。

「陸地ですって…、そんな馬鹿な…。ここは北極ですよ。陸地なんてあるはずが……」

 そこまで言うと宮本は絶句してしまった。小早川の差した方角には確かに島影が認識できたからだった。

「せ、先生…、これは一体どういうことなんですか…。ロシアに近い島々だって、いくら漂流してたからと言ったって、こんなに早く辿り着けるはずがないじゃないですか。しかも、ここは北極海のど真ん中なんですよ。それにこの暖かさは何なんですか。先生…」

「宮本くん。そんなに慌てたり取り乱したりすることはないよ。われわれはもしかすると、とんでもないところに辿りついたのかも知れんよ…」

「え、とんでもないところ……、それは一体どこなんです……」

「慌てなくても、そのうち解かると思うよ。宮本くん」

 そんな話しをしていると機関長の大和田を先頭に、観測グループのメンバーが甲板に上がってきた。

「小早川教授、船のエンジンが動くようになりました」

 大和田が息を弾ませながら、ふたりの立っているところまで駆けてきた。

「ほう、それは良かったじゃないか。で、どこが悪かったのかね…」

「はあ、それが整備員の報告によると、別段エンジンにはこれと言った不良の箇所は見当たらなかったとのことでありましたが、誠に可笑しなこともあればあるもんですな。それにしてもちょっと暑すぎませんか…、教授。ここは北極点近くなのに温暖化が進んでいるにしても、いくら何でもこれは暑すぎますよ。世の中どこに行っても可笑しなことが多すぎますなぁ、まったく。さて、わたしはそろそろ戻るとしますか」

 機関長の大和田は、愚痴とも独り言ともつかない言葉は残して、船室へと続く階段を下りて行った。島が近づくにつれて宮本は変なことに気がついた。

「先生、あの島少し変だと思いませか…。島っていうのは海に浮かんでいるように見えるんですが、あの島は島全体がずーっと空の果てまで連なっているように見えるんです…。ああ…、それにこの海には水平線が見えないですが、どうなってるんですか…。これは……」

「うわぁ、ホントだ…。水平線がないぞ…」

宮本に言われて、グループも騒ぎ出した。小早川も周囲を見渡したが、どこを見ても三百六十度の海がすべて空へと連なっていて、その果てはスーッと空に溶けこんでいるように見えた。

「先生、われわれは蜃気楼でも見ているんでしょうか……」

「いや、宮本くんこれは蜃気楼ではない。わたしたちは現実を目の当たりにしているんだよ。わかるかね」

「しかし、先生。現実と言われましても、この現象をどう解釈すればいいんですか……」

「では質問するが、なぜは水平線が見えるのかね」

「地球は丸いからです。丸いんですが、あまりにも大きいので人間の眼には水平に見えるからです」

「それでは、その逆を考えた場合どう見えると思うかね…」

「逆と言われますと…、先生は何をおっしゃりたいのか僕には判りませんが……」

「みなさーん、上陸の準備ができたそうです。上陸したい方はこちらに集まってくださーい」

 係り員の呼び声が後方から聞こえてきた。

「先生、僕らも降りて見ますか」

「もちろん、そのつもりだよ。宮本くん」

 未踏の地に降り立つ恐れと、興味津々の好奇心が入り混じった複雑な思いを胸に、上陸組に加わった乗組員総勢二十一名は、初めて見る大地に降り立ったのだった。

砂浜には何もなく、砂丘のようにかなり広い範囲で続いていた。はるか前方にかなり深い森のような樹林が見えた。

「みんな、あそこに行って少し休もうか。こう暑くてはたまらんからね」

「じゃ、ぼくが行って様子を見てきますから、みなさんは後からついて来てください」

 小早川が言うと、ひとりの構成メンバーの若者が名乗り出た。若者は素早い足取りで、林立する樹林のほうに駆け出して行った。小早川を始め残されたメンバーも、彼の後を追うようにゆっくりと歩きだした。樹林に近づいて行くと、先ほどの若者が驚愕の眼差しで戻ってきた。

「大変です。先生、あの森は…、特撮映画に出てくるセットとか図鑑でしか見たことのない、前世紀の植物のようなものばかりなんです。とにかく、早く来てみてください」

「何、それは本当かね…。若林くん」

 一同が森の入り口近くまで来ると、若林という若者が言った通りシダ類や樹齢数千年は経とうかと思われる巨木や、わらびを百倍くらい大きくしたような植物群が繁茂していた。

「これは驚いた……。ここに生えている植物のほとんどが、地球上ではすでに絶滅した物ばかりじゃないか……」

 樹林の中はシーンと静まり返り、鳥の鳴く声さえ聞こえては来なかった。

「先生、これだけ静かだと何だか薄気味が悪いですね。鳥とか動物がいてもおかしくないと思うんですが、それにしてもここは一体どこなんですかね…」

 不安そうな面持ちで宮本が聞いた。

「宮本くん。きみは先ほどわたしが言ったことを憶えているかね」

「先生がおっしゃられた言葉といいますと…、なぜ水平線が見えるかということでしたよね。確か…」

「そう、その通り。そして、きみは地球が丸いからだと答えた。しかし、逆の場合のことはまったく考えてはいなかった。われわれはだね、宮本くん。もしかすると、その地球の内側にいるのかも知れんのだ…」

「え、何ですって、地球の内側……」

 宮本は思いもしなかった小早川の言葉に大きな声で叫んでいた。一緒に同行してきた観測グループや船の乗員たちも、一斉に宮本と小早川のほうを振り向いた。

「だって、先生……。地球の内部は地殻の下にはマントルが詰まっていて、その中心には地核があるっていうのが常識ですよ。それなのに、どうしてここが地球の内側の世界って言えるんですか。何か根拠であるんですか。答えてください。先生」

「よし、わかった答えよう。その前に船に戻ったほうがよさそうだ。こんな未踏のジャングルでする話でもなさそうだし、一度みんな船に戻ろう」

 小早川のいう通り、誰も反対する者もなく一行はぞろぞろと船に向かって引き返して行った。



一之章 沈まない太陽



       1



 船に戻ってくると小早川は一同を甲板に集めた。噂を聞きつけた船の乗員たちも全員集まってきた。小早川は宮本とともに乗員たちの整列する真ん前に進んで行った。ふたりは乗員たちのほうに向き直ると、まず宮本が口火を切った。

「先ほど先生が、ここは地球の内側であると言われたことについて、これから説明をしていただくことにしました。僕も未だに信じられないのですが、先生から詳しく説明していただきますので、皆さんも一緒に聞いてください。それでは先生お願いします」

 宮本が退くと小早川は聴衆の前に一歩踏み出すと、コホンと小さく咳払いをひとつしてから話し出した。

「皆さん。ただいま宮本くんが言ったように、ここは地球の内側の世界ではないかと思われる節があるのです。何故なら先ほどこの船の甲板にいた時、ピンクの霧に覆われて我々は急いで船室に戻りましたが、そのあと甲板にいた者はおろか船内にいた全員が、深い眠りに落ちていったと考えられるのです。この船はその前にエンジントラブルを起こし、停止したままの状態でしたから、我々が眠っている間に特殊な海流のようなものが働いて、この船を地球内部の世界に導いたのではないかと思われるのです。皆さんもご覧になったと思いますが、ここには水平線も地平線も見ることが出来ませんでした。これは何を意味しているのか、皆さんもご存じのように地球と言わず、火星・木星・土星などの惑星はすべて球形をしております。これもまた、わたしが先ほど宮本くんに何故水平線が見えるのかと質問したところ、彼は地球が丸いからだと答えました。まさしく、その通り地球は球形をしています。そして太陽の周りを三百六十五日かけて一周しています。しかし、皆さん。あの空に輝く太陽をご覧ください。わたしたちが日常的に見ている太陽よりも一回り、いや二回りほど大きく見えているはずです」

小早川に言われて乗員たちは空を見上げてざわつき出した。

「あの太陽は決して沈むことはないのです。それは、あの太陽の周りを地球が回っていないからです。ですから、ここではわたしたちの住んでいた世界と違って、まったく夜は存在しないことになるのです」

「先生、ひとつ質問があります」

 ひとりの学生が片手を上げながら進み出た。

「何かね。若林くん」

「はい、僕は高校時代にレイモンド・バーナードという人の書いた、『地球空洞説』という本を読んだことがあるのですが、まさか本当に地球の内部が空洞になっているなんて夢にも考えていませんでした。先生、これは大発見ですよ。コロンブスがアメリカ大陸を発見した時よりも、はるかに偉大な世紀の大発見ですよ。先生」

 若林と呼ばれた若者は興奮のあまり、唾を飛ばしながら地球内部の空洞世界の発見を誉め称えた。

「先生、これからどうしますか。ここに来たという記録として、前世紀の植物群の写真でも撮ってきましょうか」

 宮本が小早川に訊いた。

「まあ、宮本くん。そう急くことはないさ。時間はたっぷりあるのだからね。今日はゆっくりしたまえ。明日からは忙しくなるからね」

 しばらく船内をぶらついて暇を持て余した宮本は、せっかく地球の内部というまたとない世界にきたのだから、魚でも釣ってやろうと思い立ち、さっそくボートを下ろして釣り始めた。地上の人間など一度も来たことのない海身だから、きっと珍しい魚が釣れるのに違いないと思いながら糸を垂らした。釣りを始めてから、ものの五分も経つか経たないうちに中りが来た。

「うわ、これはかなりでかいぞ。それにしてもずいぶん重いな。こりゃあ、相当大物だぞ。くそー」

 宮本は悪戦苦闘の末にどうにか釣り上げることに成功した。やっとの思いでボートに引き上げたが、その魚は宮本が一度も見たことのない奇妙な魚だった。体長は七十センチ前後、重さは十キロはあろうかと思われる大物だった。

「こんな魚、食えるのかな。料理長にでも聞いてみるか…」

 船に上がると宮本は釣った魚を持って料理長を訪ねた。

「すみません。青木さん、暇だったんで釣りをやってたら、こんなものが釣れたんですけど食えますかね。これ…」

「何だ。宮本くん、きみでも釣りなんかやるのかね。どれどれ、おお、これは珍しい。シーラカンスじゃないか。これは」

「シーラカンス…、何ですか。それ…」

「何だ。きみはシーラカンスも知らんのかね。きみは…」

「すみません…。勉強不足で…」

「知らないものは仕方ないさ。シーラカンスというのはだね。古生代デボン紀に出現したんだが、おそらく世界中の海に分布していたんだろうが、六千五百万年前の中生代白亜紀末の大量絶滅を境に、世界中の海に繁栄を誇っていたんだが、長い間そのほとんどの種が絶滅したと考えられていた。一九九七年にインドネシアのスラウェシ島近海で、別種のラテイメリア・メナドエンシスの現生が確認され、生息地の名をとってインドネシア・シーラカンスと命名されたんだ。

シーラカンスは白亜紀を最後に化石が途絶えていて、一九三八年まで現生種が確認されていないことから、シーラカンスのことを「生きている化石」と称されていたんだ。だから、いまでも時折り世界中のあちこちで漁師の網にかかることがあるということだ」

青木料理長のシーラカンス談義が終わった。

「へーえ、青木さんってずいぶん詳しいんですね。感心しましたよ」

「なーに、海に生きる料理人だ。これくらいのことは知っていて当然よ。このシーラカンスは刺身にして夕食に出してやるから、楽しみに待っていてくれ」

「でも、これ本当に食べられるんですか…」

「そう心配するな。シーラカンスはもともと深海魚だから、身が締まっていて旨いと思うぞ。きっと」

 そんな話をしばらくしてから、宮本は観測グループに与えられている船室に戻った。

「だいぶ暇を持て余しているとか聞いたが、きょうは何をしていたのかね。宮本くん」

船室に入ると机に向かっていた小早川が声をかけてきた。

「はあ、あまりにもやることがないので、釣りでもやってみようと思って、ボートを下ろしてやっていたんですよ。そうしたらですね。先生、シーラカンスとかいう珍しい魚が釣れたんで、いま料理長の青木さんと話していたんですが、その魚は地球上では、つい近年まで絶滅したと思われていたみたいですね」

「何、シーラカンスの現物を釣ったというのかね、きみは」

「ええ、そうみたいですよ」

「地球上では絶滅したと思われているだけで、実際にはまだまだわれわれの知らない真実が隠されているかも知れんよ。もしかしたら、ここにはネアンデルタール人や、クロマニヨン人の末裔たちだって、生息しているかも知れんのだからね」

「何ですって、ネアンデルタールやクロマニヨンが……」

「いや、ただの推測だよ。わたしのね。これもまたひとつの推測なんだが、いままでも時折り世界のあちこちで捕獲されているというという、シーラカンスは恐らく我々が迷い込んできた水路を通って、地表の海に流れついたものではないかと思うんだよ。何しろ、ここは太古の状態のまま時間から取り残された世界だからね」

「なるほど、それはあり得るかも知れませんね。確かに…」

 地球の内側であるという、この場所に漂着してから時間もそれほど経過していないのに、そこまで真摯に物事を推測している小早川に、宮本は畏敬の念を持って頷いた。

「しかしですよ。先生、ここが地球内部の世界としても北極海には、僕たちが漂流して入り込んできた穴のようなものがあるはずですよ。もし、そんなものがあるのなら、上空を飛ぶ飛行機や人工衛星が見つけるはずです。それなのに、そんな話はいままで一度も聞いたことがありません。先生はその辺のところは、どのように考えていらっしゃるんですか」

 小早川は少し考え込むような表情で言った。

「それはわたしにも解からないが、恐らく何らかの力が働いていて、外界からは見えないような仕組みになっているのかも知れないね。しかし、地球内部のこの小太陽の光が極地点から、外部に漏れ出していることは間違いないだろう。その何よりの証拠が、北欧諸国でみられるオーロラ現象だよ。あれはわたしが考えるに、地球内部から漏れ出した小太陽の光が反映してできた、蜃気楼のようなものではないかと思うのだよ。さあ、明日は本腰を入れて調査するから忙しくなる。宮本くんもゆっくりと休んでおきたまえ」

 小早川は椅子を倒すと横になった。宮本も同じように身を横たえた。横になりながら宮本は賢明に思考を巡らしていた。

『確かに、ここは先生のいう通り地球の内側の世界なのだろう。さっき見た樹齢数百年は経っていそうな巨木も、僕が釣り上げたシーラカンスもしかりだ。石炭紀かなんかは知らないが、地表の世界では数十億年も経過しているというのに、先生がいうようにまるで時間が存在しないような、昔のままの姿を保っていられるのは何故なんだろう。ああ、僕には解からない…。だが、確かに時間は存在しているんだ。ただ、ここではそれが目に見える形で感じ取ることができないだけなんだ。それにしても、どうしてここでは生き物の姿が見当たらないんだろう。少なくても石炭紀くらいの年代なら、トンボとか昆虫類くらいはいてもおかしくないはずなのに、それすらも存在しない世界なのか。ここは…』

 いくら考えても答えらしいものに行き着けない苛立ちと、自分たちの常識を遥かに逸した世界に、いささか戸惑いを感じずにはいられない宮本だった。

『それにしても、あれだけの大森林が存在している以上、何かしらの生き物がいても絶対におかしくない…。さっき若林が先生に「地球空洞説」とか話してたな。よし、若林に地球空洞説のことを聞いてみるか…』

 思い立つとじっとしていられない宮本は、若林のいるほうに目を向けると席を立って近づいて行った。

「おい、若林。少し聞きたいことがあるんだが、ちょっと甲板まで付き合ってくれないか」

「何ですか。宮本さん、急に…」

「いいから、ちょっとだけ付き合ってくれ」

 先輩である宮本にいわれて、若林は読みかけの本を椅子に置くと立ち上がった。宮本は無言でドアのほうに向かい若林もその後に続いた。

 甲板に出ると風もなく、中天には小早川教授が地球の核だといった、小太陽が柔らかな日差しを投げかけていた。

「何ですか。宮本さんが僕に聞きたいことって…」

「うん。そのことなんだが、さっき小早川先生に話していた、「地球空洞説」のことを聞きたいんだ。その地球空洞説っていうのは、一体どういうものなんだい…」

「ああ、あれですか。あれは1969年にアメリカのレイモンド・バーナードいう人が書かれた、『空洞地球-史上最大の地理学的発見』という本に出てくるんですよ。その本によると、アメリカの有名な極地探検家リチャード・バード少将が、1947年に南極の探検飛行の最中に、とんでもないものを見たというんです。氷原が広がっているはずの場所に、なんと緑あふれる谷間を見たというんですから驚きますよね。バード少将はすぐに引き返してきたそうです。そのことを人に話しても誰にも信じてもらえかったというわけで、後でもう一度その場所まで飛んでみたんですが、二度とあの緑にあふれた谷間は見つけることができなかったということです。ですから、あの時バード少将は地球内部の世界に入り込んでいたのに間違いない。と、いうのが結論なんですけどね。でも、本当に地球の内部が空洞世界になっていたなんて、本当に素晴らしいことですよ。そうは思いませんか、宮本さん」

「思うも思わないも、現に俺たちはこうして地平線も水平線も見えないところにいるじゃないか。信じるなというほうが無理だろうが…」

「そうですよね。さっき小早川先生に言われた時、僕だってまさかと思いましたもの。それにですよ。小早川先生だって表向きは素知らぬ顔をしてますが、その実小早川先生ご自身も地球空洞説支持者だという噂もありますから、世の中わかりませんよ。宮本さん」

「本当か。若林、それは…」

「いや、僕もある人からチラっと聞いた話なんではっきりとは知りませんが、先生が北極点を観測に行くって聞いた時は、地質学の先生がなんで北極点の観測なんだろうって、不思議に感じていたんですけど、これでやっと真意が見えてきました」

「なーるほど、そういうことか。いやね、俺も若林とまったく同じようなことを感じていたんだが、そういうことだったのか。ありがとう、手間を取らせてすまなかったな。若林」

「いえ、いいんです。そんなことは、でも、時間が太古のまま止まっているんだとしたら、本当にネアンデルタール人やクロマニヨン人に会えるかもしれませんね。宮本さん」

「いや、そんなことはないだろう。時間だって止まっているわけではないんだ。ただ、昼も夜もないだけだから、もしも仮に古代人類が生存していたとしても、それなりの進化は遂げているだろうよ。俺たちみたいにな」

「そうですかね…。じゃあ、あの石炭紀に生えたような植物はどうなるんですか。植物だけが進化が止まっているなんて、僕にはどうしても考えられないんですよ。どう思いますか、宮本さんは…」

「ん…、そこまでは俺も考えていなかったな…。まあ、明日になって詳しい調査をすれば、もう少し的確なデータを得られるだろうけどな。とは言っても、ここでは永久に夜が来ないけどな。少なくてもいまよりははっきりするだろうよ。それまで楽しみにしているんだな。何だか、いまでも夢を見ているような気分なんだよな。俺には……。さぁてと、そろそろ戻ってみるか」

「ええ、そうしましょう。みんなも待っていると思いますよ。でも、それは宮本さんばかりじゃないと思いますよ。かく言う僕だって、地球の内部が本当に空洞になっているとは、夢にも思っていませんでしたからね」

ようやくふたりは地球空洞論の話を終えると、中天には決して沈むことのない地中の小太陽の柔らかな日差しを浴びている甲板を後に、観測グルーブのメンバーが待っている船室へと戻って行った。



       2



 次の日の朝になった。いや、ここでは太陽が沈まないのだから、正確には地表世界での朝の時間がやってきた。料理長の青木がノックもせずに船室に入ってきた。

「おい、みんないつまで寝てるんだ。朝食の準備が出来てるんだぞ。早く起きて食べてくれ。さあね、起きて、起きて…」

「やあ、青木くん。おはよう…、もうそんな時間かね…」

 まず、最初に起き上がったのは小早川だった。

「あ、おはようございます。青木さん」

「おはようございます…」

「おはようございます。青木さん」

 観測グループのメンバーも次々と起き出してきた。

「さすがに朝は早いですね。青木さん」

「何を言っているんだね。宮本くん。もうとっくに七時は過ぎているんだよ。わたしも料理人のはしくれだからね。朝が早いのなんて、屁とも思っちゃいないよ。もっとも、ここじゃ朝だか夜だか見当もつかんがね。とにかく、時間は厳守して食堂に集合してくださいよ」

 そう言い残して、料理長の青木は船室を出て行った。

「さあ、今日は忙しくなる。みんなも朝食を済ませたら、それなりの準備をして出かける用意をしてくれたまえ」

「はい」

「わかりました」

 観測グループのメンバーたちも、期待と不安の入り混じった複雑な心境で食堂へと向かった。食事を終えた宮本が煙草に火をつけようとしていると、小早川が立ち上ってみんなを見渡しながら言った。

「諸君の中で誰か銃を取り扱える者はいないかね」

「銃ですか…。何に使うんですか。そんなものを…」

 宮本はタバコに火をつけるのも忘れて尋ねた。

「ここは人類未踏の地だ。しかもジャングル地帯だ。どこにどんな危険な生き物が潜んでいるかも知れんのだ。用心に越したことはないだろう。そうは思わんかね」

「あの…、先生ボクがちょっと……」

 普段あまり目立たない存在の神南という学生が名乗り出た。

「うむ、君は確か神南くんとか言ったね。何だね」

「はい、実はボクの父が趣味で狩猟をやっておりまして、ボクも子供の頃から見ておりますので、何とか取り扱えると思うのですが……」

「おお、そうかね。それは心強い、それでは銃の扱いは神南くんに任せるとして、そろそろ出かけたいと思うんだが、諸君も準備にかかってくれたまえ」

 観測グループのメンバーは、それぞれ機材の準備を終えると船の甲板に集合した。

「諸君、ご苦労さん。これから直ちに出発したいと思うが、それからひと言だけ付け加えてくが、くれぐれも自分の身辺には充分気をつけてくれたまえ。なにしろ人類が初めて足を踏み入れるところだからね。どんな危険が待ち受けているやも知れんのだから、諸君も充分注意して責任ある行動をとってほしい。では、これより出発しよう」

 小早川の訓示が終わり、観測グループは小早川を先頭にそれぞれボートに乗り込んだ。波も凪いだように静かで、一行を乗せたボートはほどなく陸地に着いた。森林は果てしなく続いていて陸地のはるか上方部分は、昨日初めて見た海と同様に空の一部ように霞んで溶け込んでいた。宮本はボートが流されないように、持ってきた杭を砂地に打ち込みロープを結わえつけた。

「これでよしと…。さあ、小早川先生準備はできましたから、いつでも出発OKです」

 何かのメモを取っていた小早川だったが、宮本の声を聞くと手帳を胸ポケットに仕舞うとみんなのほうに向きなおった。

「よし、それでは出発しよう。ああ、それから神南くん、銃の準備はできているかね」

「はい、この通りです。任せておいてください」

 神南は一歩前に出ると、ピカピカに磨き上げられた銃を誇らしげに小早川に見せた。

「よし、いよいよ出発するが、諸君は充分に気をつけてくれたまえよ」

 こうして小早川を先頭に、両脇に宮本と神南がガードする形で観測グループ一行は、前世紀の植物群が繁茂する密林へと分け入って行った。

「しかし、先生。こうも真面に見せつけられると、ここは石炭紀そのものじゃないですか…。こんなことってあるんですかね……」

「うむ、こんなところを世の植物学者が見たら、間違いなく卒倒してしまうだろうからね。何しろここに生えている植物は、外側の地球上では遥かな太古に絶滅したものばかりだからね。全部が全部とまでは言わんが、ほぼ九九パーセントの植物は間違いなく、わたしたちの住んでいる地上では絶滅したとみていいだろうからね…」

そんな話をしながら、しばらく進んで行くと宮本はあることに気づいて、小早川にそれとなく聞いてみた。

「先生、少しおかしいと思いませんか…。僕たちはすでに二時間近く歩いているのに、昆虫一匹飛んでないなんて変だと思いませんか。少なくてもトンボくらいは飛んでいてもいいはずなのに、それすらも見当たらないなんて絶対に変ですよ」

「まあ、宮本くん。少し落ち着きなさい。ここはわたしたちの知っている地球の外側の世界とは違うんだ。同じ地球とはいっても外側と内側では、環境もそれぞれ違っていても少しも矛盾はないと思うんだがね。わたしは…、進化そのものにしてもここではわれわれとまったく違った進化経路を辿ったのだろう。その証拠はこの稀に見る植物群だよ。私たちはこれらの植物を地上では、遥かなる時間を隔てた太古に絶滅したものと思い込んできた。ところが現実には、こうして太古の姿をそのまま保って気が遠くなるような時間をかけて繁殖を続けてきた。ここは地球内部の植物を太古のままの状態で保存しているタイムカプセルのようなものなのだろう…。ここでは外界からの影響をまったく受けてはいないのだから、太古そのままの状態で現在に至ったのではないかとわたしは考えているのだよ。特にここは地上と違って、太陽光や宇宙線の有害物質の影響を直接うけない。だから、恐らく地表を照らしているあの小太陽の温暖な光が、ここに繁茂している植物たちの無駄な進化を抑えているのだろうね」

「でも、先生。温暖で有害物質も含まれていないのなら、なぜ植物以外の昆虫や動物の姿が見えないという点については、どのようなお考えを持っていらっしゃるのですか…」

「それはまだ、いまの段階では何とも言えないが…、それについても何らかの理由があってのことなんじゃないかと、私は考えている…」

「そうですか…。先生は以前から地球の内部が空洞になっていることを、確信に近いものを持っていられた。だから、地質学の権威である先生が北極点の観測に行くと言われた時、みんなは口にこそ出しませんでしたたが、地質学会の権威でもある先生がわざわざ北極点の観測と称して、北極海に出向いていくことに少なからず疑問を持っていたんです。しかし、いまとなって見るとやはり先生は地球の内部が空洞世界になっていることに、確信以上のものを持っておられたのだなと、つくづく感心させられました」

「いや、何もそこまでわたしを持ち上げることはないよ。きみの言うような確信とまではいかなかったんだがね……。ところで、きみはアメリカの極地探検家でリチャード・バード少将という人物を知っとるかね」

「ええ、それなら昨夜若林から聞いて知っています」

「そうか、それならバード少将が南極の極地探検飛行の途中に見たという、緑に溢れた谷間を垣間見た話も知っているね」

「それも若林から聞きました」

「おお、そうか。それは説明しやすいな…。よし、それでは話そう、わたしが地球空洞説に興味を持ち始めたのは、何といってもバード少将が南極の極地飛行の途中で氷原の中に突然現れた、緑にあふれる谷間を見たという話を聞いてからだった。それからのわたしは人目を忍ぶようにして、地球空洞説に関する文献を手当たりの次第に漁り捲った。その中には都市伝説めいた怪しげな話や、愚にもつかないでっち上げのホラ話まであって、雲をつかむような思いで多種多様な文献を読み漁ったものだよ。いまになって思うと若かったんだねぇ。わたしも、あの頃は…」

 小早川はひと息入れるように間をおいてから、昔を思い出すような面持ちでゆっくりと話し出した。

「ところで、宮本くんも知っているオーロラなんだが、わたしは何故かあれに妙に引っ掛かりを持っていたんだよ。何故、南極や北極海に近い周辺諸国にだけオーロラが現れるのか疑問に感じていた。オーロラは北極や南極などの高緯度にあるところで見られる現象だが、オーロラの原因となっているのは、太陽からき出してくる太陽風ということなっているが、わたしにはそれだけではない気がしたんだ。太陽風だけなら、あんなに揺らめいて光り輝けるものだろうかと考えてみたんだ。その時、ふと地球空洞説を思い出した。もし、地球内部がマントルやマグマのようなものばかりでなく、中が空洞になっていて中心に地球の核があるのではないか。その光が両極から漏れていて大気の摩擦によって光っているのではないか。そう考えると何もかも辻褄が合ってきた。わたしは有頂天になり次々と仮説を立ててみたのだよ。そうすることで、いままで見えてこなかった部分が俄然はっきりと見えてきた。その時わたしは初めて、先ほど宮本くんが口にした〝確信〟に近いものを得られたような気がした。やはり地球の内部は空洞になっているのに違いないとね…」

 宮本は無言のまま小早川の話を聞きいている。

「しかし、いくら確信に近いものを得られたからといっても、仮設は仮説にしか過ぎないから人にも話せずにひとり悶々とした日々を過ごしてきた。そこで今回、わたしの友人に船を持っている者がいたんで、その友人に頼み込んで全責任はわたしが持つからということで、船ごと機関長以下を借り受けて船長にはすまなかったが休んでもらったのだよ。船長がいては何かとややこしかことになりかねないからね。わたしは自分の思い通りにこの船を動かしたかったから船長にはわけを話して、しばらくの間休んでいてもらうことにしたんだが、彼も実に話のわかる男で快くわたしに船を任せてくれた。お陰でわたしの地球空洞理論が実証されたのだから、この船を貸してくれた友人にも船長にはもいくら感謝しても足りないくらいなのだ…」

そこまで話すと小早川はふうーっという安堵感というか、張りつめていたものを吐き出すように深く息をついた。

「でも、先生。僕はいま、もの凄く感動しています。先生がそこまで執念を燃やして追及してこられた、地球空洞理論を見事に実証されて人類史始まって以来の大発見を成し遂げられたのです。だから、僕はいま身も心もないほどに全身をもって感動しています。やはり小早川先生は日本が世界に誇れる大地質学者です。そして僕はいま、その小早川先生の助手でいられたことをとても光栄に思っています」

 誰からともなく拍手が湧いた。ひとりまたひとりと次から次へと拍手が湧いて、瞬く間に食堂に居合わせた全員から温かい拍手が贈られた。

「いや、諸君どうもありがとう。今回わたしが長年に渡って温存してきた地球空洞理論を立証できたことも、ひとえに諸君の協力があったればこそ成し得たことで、地球内部にもうひとつの世界が存在していた。と、いう、世紀の大発見はわたしと諸君ひとりひとりが全員で発見したのだと、自覚を持っていてもらいたいと思っておるのだ。

ところで、諸君くんに二・三質問してみたいことがあるのだが、質問はこの内部地球世界のことをどのように考えて、どのように捉えているのか聞いてみたいと思っておるのだが、誰でもいいどんなことでも構わないから、自分がいま思っていること、この世界についてのイメージもなど併せて答えてもらえばいいのだ。誰かいないかね…」

「はい、先生。僕からでいいでしょうか…」

 小早川の話が終わるのを待っていたように神南が手をあげた。

「おお、神南くんか、どんなことだね…」

「あの…、先生の期待に応えられるかどうかまったく自信がないのですが、初めてあの太古に生えていたような植物を見た時、ここが本当に地球なんだろうかという恐怖心や違和感を覚えたことは確かです。まるで自分たちが次元の違う別世界に迷い込んだようなう不思議な気がしました」

「はい、僕はここに着いたばかりの時、先生に言われて最初にこのシダ植物を見に行ったのですが…」

 若林が一歩前に出て、ゆっくりとした口調で話しだした。

「いや、初めは驚きましたよ。何しろ、いままで一度も見たこともない植物ばかりでしたからね。僕は常日頃からこれまで一度も見たことのないものでも、自分の眼で見たものはどんなものであっても、疑ってかかってはいけないと決めているんです。自分で見たものを疑うということは、自分の眼を、いや、自分自信を否定することにつながりますから、何事でも真摯な気持ちで捉えなければ何ひとつ進展しないと、自分で決めているんです。ですから、あの植物群を見た時も確かに驚きはしましたが、じっくり観察してみたんです。中には樹齢数百年はあろうかと思われる、シダ類の巨木もありましたし日ごろから見てはいるが、自分の知っているものの数十倍はあるものなどさまざまでした。これらは自分たちに何を告げたいのかと、自分で自分に問いかけてみましたが答えはまだ出ておりません。以上です」

ひと通りみんなの意見や感じたこと自分の描いたイメージなどを訊いたが、これはというような話はひとりとしてメンバーの口からは聞くことができなかった。そして、最後に宮本が締めくくりとしてこんな話をろした。

「僕の感じたことも、みんなの思ったこととそう変わりはないんだが、あのシダ類のような植物もさることながら、ここにはシダ類の生き物がまったく見られないことが不思議でならなかった。こんなに自然に恵まれて雨もほとんど降らない。なのに小動物はおろか昆虫一匹すら見られない。そこで僕は考えてみたんだ。

 これだけ温暖な気候にもかかわらず、生き物の姿が見えないのには何らかの理由があるに違いない。先生に伺っても判らないと言われるし、僕自身の思考もいまのところここで止まっているんだが、絶対に何か生き物たちが生存できないような原因があると、僕は睨んでいるが皆目見当もつかないままだ…」

「それはまだ、この地上には生き物が発生してないからじゃないですか。宮本さん」

 ひとりのメンバーが言った。

「バカ言え、そんなことがあるか。現に僕はここの海でシーラカンスを釣ったじゃないか。そんなことはあるはずがないじゃないか」

「でも、宮本さん。地球の生物はまず海で進化を遂げ、それが徐々に海から陸に上がってきて、現在の爬虫類や哺乳類に枝分かれをしたというのが定説なんですよ。ですから、ここではまだその段階に至ってないと思うんですよ。小早川先生はどのようにお考えになられますか…」

 皮方は真面目な顔で尋ねてきた。



       3



 すると、小早川がおもむろに口を挿んできた。

「うむ、確かに川北くんの意見にも一理はあると思うんだが、地球の表面世界では内側である、この時代からすでに数十億年が経過している。その間に単細胞生物から始まりやがて魚類へと進化するわけだが、その中から両生類に進化を遂げ陸に進出するものたちが現れた。こうして、永い時間をかけて陸での生活に馴染んでくると、水辺に棲むものはその環境に適した姿に、森林地帯に棲むものもそれぞれの環境に適した形態に変貌して行ったと思うのだ。

だから、植物類は見た目は前世紀の姿のままでも、それ以外の生き物はそれなりの進化を遂げていると考えられる。人類にしたって、これほど広い世界だからわれわれとは多少進化の過程が違うにしても、どこかに必ず生存しているに相違あるまい。それにここは海岸線に近い地点だし、もう少し内陸部に生活環境を持っているとも考えられる」

「先生、もうひとつ聞いてもいいでしょうか…」

 川北と呼ばれた学生が、何事かを知りたいという口調で小早川に伺いを立てた。」

「何かね、川北くん」

「すみません、先生。もしもですよ。もしも先生がおっしゃられるように、この大陸のどこかに人類もしくは、それ近い存在がいるとしたらどのような姿をしているとお考えでしょうか…」

「うむ、わたしは地質学が専門で、生物学に関してはまったくの門外漢だから、推測でしか言えないのだが、いくら地球の内側といえども地表に住むわれわれとは、まったく違う進化の過程を辿ったことは疑う余地がないと思われる。それでも地表の世界とあまり変わらない気候のようだ。いや、むしろこちらのほうが温暖な気候に恵まれていて過ごしやすいようだ。そう考えると、形状はわれわれとは多少は異なっていたとしても、それほどの大きな差はないのではないかとも思えるし、いまここで無暗に推論を立ててみたところで所詮は無駄なことだろう…」

 深閑としたシダ植物の密林の中を歩き続けて、すでに三時間という時間の経過があった。

「先生、この辺で少し休憩を取りませんか…。先生もだいぶお疲れになられたでしょうし、みんなのことも休ませてやらないといけないですし、この先どれだけこの密林が続いているかもわかりません。ここらで少し休まないと、みんなの体も持たないと思うんですが…」

「うむ、そうだな。よし、それではみんなこの辺で少し休憩にしよう。各自適当な場所に腰を下ろすなりして休んでくれたまえ。ただし、ここはわたしたち人類にとって未踏の土地であることを念頭に置いて、身の回りには充分気をつけるように…」

 観測グループのメンバーが思い思いの場所に腰を下ろすと、小早川と宮本も倒れたシダ類巨木に並んで腰を掛けた。

「しかし、ほんとうに静かですね。先生、まるで物音ひとつしない…。普通なら、こんなジャングルだと鳥の鳴き声とか、獣の咆哮ぐらい聞こえてきてもいいはずなのに、それさえも聞こえてこないなんて絶対おかしいですよ。この密林が全体的に死んでいるように僕には見えるんですがどうなっているんでしょう…」

 宮本は吸いさしのタバコの灰を落としながら、不安そうな眼差しで小早川のほうを見た。

「いや、宮本くん。わたしはそうは思わんね。原始的だが、これだけの大自然に恵まれているんだ。この森全体が死んでいるなどということは絶対あり得ないことだし、いずれ生命体の存在を証明してくれる何かが見つかると、少なくともわたしはそう信じている…」

 それから一行は雑談を交わしながら、三十分ほどが経過した頃に小早川が立ち上った。

「さあ、そろそろ出発しよう。いくら夜が来ないからといって、こんなところでいつまでも時間を無駄にしているわけにもいかんからね」

「よし、みんな出発だ。先生の後に続いてきてくれ」

 宮本が観測グループのメンバーに号令をかけた。

「ねえ、ねえ。宮本さん」

 計器類の入ったケースを肩に、小早川の後について歩き出した宮本に神南が声をかけてきた。

「ねえ、宮本さん。小早川先生は、ああおっしていましたけど、宮本さんはどう思われますか。本当に知的生命体がいると思いますか。だって、考えてみてくださいよ。僕らはここに来てから虫一匹、飛んでいる鳥一羽さえいまだに見かけていないんですよ。それなのに小早川先生が、あそこまで自信たっぷり言い切れるというのは、よほどの確信を持たれているか、そうでなかったら他に何かの裏付けでもあるんじゃないかと思うんですけど、もしかしたら、宮本さんは何か聞いているんじゃないですか…」

「いや、何も聞いてないぞ。俺だって、きのう先生からここが地球の内側だって聞かされた時は、天と地がひっくり返ったような気がしたくらい驚いたんだからな。まあ、まさに天地が逆さになったようなものだけどな。なぜ、そう思うんだ。神南…」

「そうですか…。それで、宮本さんはどのように考えているんですか。本当に何らかの生物が生存していると思われますか…」

「そんなこと俺に聞かれてもわからんよ…。お前が言ったように、われわれはここに来てから植物以外は、何ひとつとして生き物の片鱗すら発見していないんだからな。しかし、これだけの温暖な気候に恵まれていて、蟻一匹いないなんてことは絶対にあり得ない。生き物たちが出て来られないような理由があるんじゃないかと思うんだ。それが何なのかは俺にもわからんがね…」

「やっぱり宮本さんもそう思いますか。実は僕もそう考えていたんです。何か想像を絶するような天変地異が起こり、それがいつ起こるかわからないので生き物たちはどこかで息を潜めている…。例えば、大地震とか火山の噴火とかそういうものかじゃないでしょうか」

「うむ…、地震はともかくとしても、火山の噴火にしたところで、それらしい山すら見当たらないじゃないか。だから、俺としてはもっと別な理由があるのではないかと思うんだ…」

「別な理由…って、どんなことですか。宮本さん」

「だから、俺にも判らないって言っているだろう。おそらく、小早川先生だってわからないと思うぞ」

 そんな話をしながら小早川と観測グループは、それからまた一時間ほど歩き続けたが、ある地点までくると小早川は立ち止り、何かに耳を傾けている様子だった。

「宮本くん。それから、みんなもちょっと来てくれたまえ…」

一同が寄って行くと、小早川は何かに耳を傾けるようにしたまま言った。

「せせらぎのような音がするのだが、わたしのそら耳ではない思うんだが、みんなにも見越えるかね。この音が…」

 小早川に言われてみんなも耳を傾けると確かにチョロチョロという、かすかな水の流れる音が聞こえてきた。

「川ですね…。先生、川があるということは、何か生き物かいるかも知れません。おい、神南、二三人で言って様子を見てきてくれないか」

「わかりました。川北と西山、一緒に来てくれ」

 三人は急いで駆け出して行った。すると、ものの五分も経つか経たないうちに、川北が息を切らせてもどってきた。

「どうかしたのかね。川北くん、そんなに息を切らして何かあったのかね」

「大変です。先生、川は確かにあったんですが、川幅もそれほど広くなく歩いて渡れる程度の川なんですけど、川向かいの景色がこの密林のようなシダ類とか、ワラビのお化けみたいのばかりじゃなくて、地上の植物とほとんど変わらないものが生い茂ってたんで、神南がみんなを呼んで来いというので、僕が急いで飛んできたわけです。先生もみんなも早く一緒に来てください」

「ほう、それはまた大発見かも知れん。とにかく行ってみようじゃないか。川北くん、案内してくれたまえ」

「はい、わかりました。こちらです。先生」

 川北について三分ほど歩くと、一気に密林が開けて下草が生い茂ったところに、チョロチョロと音を立てて流れる、小川ほどの小さな川が見えてきた。川の向こう側には下草を挟んで、灌木類が立ち並ぶ林が視界にはいってきた。

「ほら、見てください。先生、あれですよ。地上に生えている木と、ほとんど変わらないと思いませんか」

「うーむ…、どうしたということだ。これは……」

思わず小早川も絶句してしまった。これまで歩んできたシダ類の密林とは打って変わって、地上世界のどこにでも生えていそうな樹木や雑草類が、至るところに生い茂っているのが眼前に広がっいた。

「先生、これはいったいどういうことなんですか…。僕たちがいままで見てきたシダ類やワラビの化け物みたいな巨木は何だったんでしょう。これはまるで狐に摘ままれたみたいな気分じゃないですか……」

 宮本も自分の眼を疑うような面持ちで絶句してしまった。観測グループのメンバーたちも周りを見回してざわめいている。

「とにかく、いつまでもここにいたって始まらない。もう少し前進してみようじゃないか、諸君」

 小早川は先頭に立って歩きだした。一行がしばらく進んで行くと、突然小早川が足を止めて前方を指さした。

「見たまえ。遥か前方に鳥のようなものが群れ飛んでいるのが見えるじゃないか。とにかく、あそこまで行ってみようじゃないか。何かがあるはずだ…」

 小早川は、自分の背丈ほどあるススキに似た植物を、両手でかき分けながら前進して行った。宮本と観測グループも急いで後に続いた。やがて、うっそうとしたススキの原が途切れた時、彼らの眼に飛び込んできたのは、ところどころに水鳥たちが浮かび餌を啄んでいる壮大な湖だった。

「これは素晴らしい……」

そう言うなり、小早川は絶句してしまった。宮本も観測グループも誰ひとりとして言葉を発する者もなく、ただ茫然とその光景に見入っていた。しばらく水鳥が餌になる小魚を啄んでいる姿を見ていた、観測グループのひとりの学生が誰に言うともなくつぶやいた。

「でも、鳥がいるということは、ほかにも鳥以外の動物がいるんじゃないのかな……」

「おお、そうだ。松原のいう通りだ。先生、これで鳥以外にも他の哺乳類なんかも、生息している可能性が出てきたのではないでしょうか」

宮本の言葉にほかの学生たちも一斉にうなづいた。

「うむ、やはり鳥類がおったか…。誰かビデオカメラを持っておったな。後でゆっくり観察したい、あれをズームで撮影しておいてくれたまえ」

「はい、わかりました」

 ひとりの学生がカメラを取り出して撮影をし始めた。

「この辺で少し休憩を取りながら食事にでもしようじゃないか、諸君。わたしもいささか疲れたようだ…」

「それではしばらく待ってください。先生、僕が魚でも釣っておかずにしましょう、その間にみんなは薪も集めて飯を炊いてくれ。それから何か餌になるようなものはないか…」

「これでも使ってみてください。宮本さん」

 炊事係の学生がソーセージを放ってよこした。

「ソーセージか。これならいけるかも知れんな。よし、やってみよう」

 宮本は靴を脱ぎ捨てるとズボンの裾を捲し上げて、さっそうと水の中に足を踏み入れて行った。ソーセージを小さくちぎって釣り針につけると水の中に投げいれた。

「いったい何が釣れるんだろうな…」

「さあな、何が釣れるのやら…」

 薪になりそうな枯れ枝を集めて、火を焚きながら学生たちが宮本のほうを眺めていた。すると、何かしらの手応えがあったのか、宮本の動きが急に激しくなってきた。

「おい、宮本さん何かかかったらしいぞ。言ってみよう」

焚火をしていたふたりが駆け出していった。

「何かかかったんですか。宮本さん」

「おう、お前たちか。ふたりでその糸を手繰り寄せてくれ。俺がこっちで巻き取るから、いいか。いくぞ」

 こうして、三人がかりで苦心さんたん釣りあげたのは、ボラに似た全長六十センチほどの魚だった。

「これは白身の魚ですから、刺身にして食べるとさっぱりしていて美味しいと思いますよ。宮本さん」

「何だ。お前やけに詳しいんだな。坂本」

「ええ、なにを隠そう、うちの実家は代々魚屋を営んでおりまして、親父が魚を捌くのは子供のころから見ていますので、僕も見よう見まねで刺身くらい下ろせると思います。やってみますから待っていてください」

 いま釣り上げたばかりのボラに似た魚を抱えると、坂本は鼻歌交じりでバシャバシャ音を立てながら岸のほうに走って行った。それからもソーセージをという餌がよかったのか、魚たちが飢えていたのかはわからなかったが、宮本は瞬くうちに大量の魚を釣り上げていた。

「もう、やめようか。これ以上釣っても残ったら処理に困るだけだからな、そろそろ戻ろうか、大野」

「ええ、そうしましょう。これだけでも食べ切れないくらいですからね。もうご飯も炊きあがる頃ですから、行きましょうか」

 それから釣り上げた魚を塩焼きにしたり味噌焼きにしたり、大きいものは活き造りにしたりで一同の食卓を大いに賑わせた。

「どうですか、先生、この味噌焼きにしたやつはなかなかのものでしょう」

「うむ、わたしも塩焼きは食べたとこがあるが、この味噌焼きもまた美味しいものだな。それにこの活き造りもなかなかのものだ。誰が造ったのかね…。これは」

「坂本です。なんでも彼の実家が魚屋をやっているとかで、彼は見様見まねで造ったとか言っておりましたが、どうしてなかなかの腕前だと思いますよ。これは」

「うーむ、これだけの腕前なら行く行くは父親の後を継ぐんだろうが、この腕を生かしてしっかりと頑張ってくれたまえよ。坂本くん」

「いや、そんなに褒められるとお恥ずかしい限りです。僕なんかはまだまだ料理長の青木さんの足元にも及びませんから…」

 小早川に褒められて、照れ笑いをしながら坂本は頭を掻いた。

観測グループのメンバーたちも思い思いのことを語らいながら、自分たちが地球内部の世界にいることを忘れたかのように、団らんのひと時を過ごしていた。

「しかし、先生。少し不思議だとは思いませんか。あれだけ何時間も掛かるほどシダ類の密林が続いていたのに、昆虫一匹見つけることが出来なかったにも拘らず、いざ密林を抜けたとたんに鳥は飛んでいるは、見覚えのある樹木は生えているし、釣りをやればこんなに大量の魚を釣り上げることができた。こんなことって本当にあるでしょうか…。この分じゃ、誰かが言っていたネアンデルタール人や、クロマニヨン人が生存していたとしても、別段突拍子もない話ではないかも知れませんよ」



      4



 すると、小早川はまるで自分の考えていたことを、吐き出すかのようにこう言った。

「うむ、わたしもそれを考えていたのだが、わたしは生物学は専門外なのではっきりしたことは言えないが、もしこの世界にも人類あるいはそれに近い生き物が、地上世界と同じような進化を遂げているとしても、当然の成り行きだと考えてみたのだよ。しかるに地上世界と、ここ内部地球世界とでは進化の過程そのものが、根本から違っていると考えるのが当然だ。たまたま植物類はシダ類やその他のものは、われわれの知っているものとあまり相違は見られないが、こと生き物に関しては先ほど見かけた鳥類と、宮本くんの釣り上げたシーラカンスとこれらの魚類だけだ。

 従って、その外の動物や人類に近いものがいたとしても、それが果たしてどのような形態をしているのか、わたしたちには想像もつかないとは思わないかね。諸君」

「…そうでしょうか。いくら進化の環境が違うとはいっても、表と裏の違いだけで同じ地球なのですから人類だって、地上世界ではネアンデルタール人とクロマニヨン人が相次いで出現しています。

 ですから、いくら地上世界からは隔絶された世界とはいえども、ここにはここなりの独自の進化があって然るべきだと思うんです。確かにシーラカンスは太古のままの姿を留めていますが、ここの世界にはここなりの進化を遂げた、まったく違う人類がいると思います。いや、いないほうが絶対に不自然だと思いませんか。先生」

「わたしもそう考えてはみたよ。が、確証がない以上はそれすらも仮説としか言いようがない。仮に人間に似た者がいたと仮定して、文化の水準がどれほどのものなのかもわからない。もし、友好的な種族ならそれでもいいが、反対に好戦的で野蛮な種族だったらどうするかね。われわれには猟銃が一丁しかないのだ。しかも弾丸は限られている。それに初めて遭遇した地球内の生き物を、傷つけたり殺したりすることはできるだけ避けなければならないのだ。だから、この世界に棲む人類もしくはそれに近い生き物に出逢ったとしても、むやみに刺激を与えたり傷つけたりすることだけは、できる限り避けなければならないと思うのだ。諸君もそのことだけはぜひ念頭に置いて行動してもらいたい」

「はい、わかりました。先生」

 小早川の言葉にグループの全員が一斉に応えた。

「しかし、先生。ここでもし人類か、それに近い者に出逢ったとしても、言葉が通じないと思うんですが、その場合どうしたらよろしいでしょうか…」

 グループのメンバーのひとりが訊いた。

「うむ、それはやはり初めは身振り手振りでジェスチャーを交えて、自分の思っていることを伝えるしかないだろうね。

 われわれの祖先が猿から枝分かれをして進化を遂げた時、徐々に言葉を発見して初めて違う種族の人間に出逢った時も、たぶん身振り手振りで意思を伝え合ったと思うし、言葉が通じない以上これしか方法がないと思うのだよ。精いっぱい真心をもって当たれば必ず相手にもそれが伝わると思うのだがね。わたしは…。さて、みんなも食事も済んだようだし、そろそろ後片づけをして出かけようじゃないか。それから、火の始末はくれぐれも気を付けてくれたまえよ。これだけの温暖で豊かな自然を野火でも広がり、火事にでもなったら多大な損失だからね。念には念を押してくれたまえよ」

 小早川に言われて、焚火の後に水をかけ完全に消火を済ませてから、一行は再び出発していった。

 川を超えてしばらく進んだが、見渡す限り草原が続き隆起した丘さえ見当たらず、その先ははるか上空へと溶け込んでいる。

「先生、やっぱりここは少し変ですよ…」

 と、宮本が言った。

「うむ、やはりきみもそう思うかね…」

「山とか山脈が全然見当たらないなんて、そんなことがあり得るはずがありません。地上の世界では現に山やさまざまな山脈があり、深く切り立った渓谷だってあるというのに、ここではそれすらも見当たらないなんて、そんな馬鹿げた話があるなんて僕には信じられませんよ」

「しかしだね、宮本くん。われわれがここに来てから遭遇したものといえば,シダ類の生い茂った深いジャングルと、先ほど通り過ぎてきた森くらいのものなのだよ。言わば、まだこの世界のほんの入り口を差し掛かったのにほかならないんだ。きみの気持ちはわからんでもないが、もう少し心に余裕をもって気長に待ちなさい。そうすれば、いままで見えていなかったものが、いろんなものが見えてくはずだ。もっと心に余裕を持ちたまえ。余裕をね」

 食事を済ませて後片付けも終えて、一行はまた未踏の地へと踏み出していった。大草原は延々と続き、その果ては空のかなたへと消えていたが、しばらく進むにつれてところどころに樹木が林のように群生しているのが見えてきた。

「おや、何だか風景も少しずつ変わってきたようだね。林があちらこちらに見えてきたようだ。まず、一番近いところで、あの辺の林に行ってみようじゃないか。諸君」

 小早川はひとつの林を指して学生たちに言った。

「そうですね。それじゃ、誰かひとり先に行って様子を見てこい」

 宮本が学生に声をかけたが、

「いや、宮本くん、その必要はないよ。ここにはあまり危険な動物も見当たらないようだし、ここはひとつみんなで一緒に行ってみようじゃないか」

 と、小早川が宮本を止めた。

「はい、わかりました。それじゃ、みんな行くぞ」

 宮本が号令をかけると学生たちも一斉に歩き出し、林のあるほうに向けて進んで行った。林の中に踏み込んでみると、遠目で見るよりも意外と深いことが分かった。

「先生、ここは林というよりも森のようで案外深いようですが、どうします? このまま進みますか…」

「うむ…、わたしとしてはこのまま進みたいが、諸君はどうかね。疲れている者があれば、少し休憩するが…」

 学生たちのほうを振り向いて小早川が訊いた。

「なーに、こいつらは若さだけが取得なんですから、大丈夫ですよ。なあ、みんな」

 学生たちのほうを見て宮本がいった。

「それはひどいですよ。宮本さん、それじゃ、まるで僕たちには後は何も残らないみたいじゃないですか」

「ごめん、ごめん。別にそういうつもりで言ったんじゃないから、気にしないでくれ」

「おい、おい。きみたち、いい加減にしなさい。いくら陽が沈まない世界だからといって、こんなところで道草を食ってばかりはいられない。もう少し先に進もう」

「はい、すみません。先生」

 宮本も学生たちも異口同音に詫びて、小早川の後に続いて歩きだした。そして、またしばらく少し歩いていくと、かすかに水のはねるような音が聞こえてきた。

「おや、近くに川か泉でもあるんですかね。先生」

「よし、わたしが見てこよう。きみたちはここで待っていたまえ」

「大丈夫ですか。先生、おひとりで…」

 宮本が心配そうに尋ねた。

「わたしなら平気だよ。宮本くん、こう見えてもわたしは若い頃から、あちこちの山歩きで鍛えてあるから、足腰にはまだまだ自信があるからね。きみたち若者には負けてはおられんよ。それでは行ってくるから、きみたちはここで待っていなさい」

 水音が聞こえてきたということは、森も終わりに近づいているのだろう。木々の数もまばらになってきた中を、灌木の茂みを両手で払いのけなから小早川は進んでいった。木の枝を払い除けるのに両腕に擦り傷をつけながらも、ようやく茂みの端まで辿り着いたらしかった。枝の切れ間よりキラキラ光る湖面らしいのが見えてきた。

小早川は、急いで茂みの切れかけているところまで来ると、音を立てないようにゆっくりと視界を遮っている、低木の茂みをかき分けて顔を前面に押し出した。

『これは驚いた…。こんなところに湖が……』

それほど規模は大きくないが、かなりの広範囲に広がる湖が小早川の眼に飛び込んできた。湖面には波ひとつなく小太陽の光を受けてキラキラと、まるで鏡面のように穏やかな輝きを放っていた。小早川は、その神秘的な光景にしばし見入っていたが、茂みから抜け出ると先ほど聞いた水音の源を探そうとした。

だが、湖面のどこを見渡しても相変わらずひっそりと静寂を保っていた。すると、湖面の一点に小さな波紋ができて、見るみるうちにその波紋は広がっていき、中心部の水面が盛り上がったかと思うと、中から現れたのはひとりの人間だった。見ると、まだうら若い娘のようだった。

『に、人間だ…。やはり内部地球世界にも人類は進化していたのか…』

 小早川は驚愕の色を隠せないまま、湖水からあがってくる娘の姿を瞬きもせず見つめていた。娘のほうも小早川に気づいても物怖じする様子もなかった。一瞬、ふたりの視線が合ったが、彼女の見事なまでに発育して均整の取れた肢体を、目映いばかりの陽光に晒しながら胸を覆い隠すこともせず、つかつかと小早川のすぐ傍まで近づいてくるとそこで立ち止まった。

〝あなたはどこから来ましたか、この世界のひとではないようですが、どこから来ましたか?〟

娘の声が小早川の頭の中に響いた。

『きみはわたしの言葉がわかるのかね…』

 小早川も試しに心の中でそう念じてみた。

〝ええ、よくわかります。でも、あなたはどこから来たのですか…〟

 彼女は、また同じことを繰り返し聞いてきた。

『きみに話しても、果たして分かってもらえるかどうか知れないが、わたしはこの世界の果てを超えた外側の世界からやってきたのだよ』

〝ああ、それならわたしも聞いたことがあります。なんでも、そこは真っ黒でとても冷たい恐ろしい世界だとか聞いております。あなたは本当に、そのような恐ろしい世界からやって来られたのですか…〟

 自分の聞き知っていることを小早川にすべてぶつけて、彼女は小早川の反応を待っているようだった。

『きみたちが、そう思っているのも仕方のないことかも知れないが、地上の世界にもここにあるような太陽もあるのだよ』

 小早川はそういうと、頭上に輝く小太陽のを指差して見せた。

『しかし、きみたちには理解できないと思うが、この世界は丸い球のようになっていて回転しながら、外側の太陽の周りを一年間かけて一周しているのだ。だから、ここでは昼だけだけれど、外の世界では昼と夜が交互に半分ずつやってくるのだよ』

〝え、この世界が回っているの? 昼と夜とはいったい何は? ああ、わたしには全然分かりません……〟

 考えてもみなかったことを言われて、彼女はそうとう混乱しているようだった。そこで、小早川はひとつのことを思いついて、自分の思いやイメージを直接彼女に送ってみよう考えた。

『そうだ。きみがわたしの心を読み取ることが出来るのなら、これからわたしが思い描くイメージも読むことが可能なのだろう…。これから、わたしがイメージを送るから受けてくれたまえ』

〝はい、わたしたちは普段は、通常の会話以外では他人の心を読むことは禁じられていますが、やってみましょう〟

 彼女は小早川から送られてくる膨大なイメージを読み取り、それを理解しようと必死になっているようだった。彼女の表情にはたちまち快感とも苦悩ともつかないものが表れたかと思うと、その場にばったりと倒れこんてしまった。

『あ、おい、きみしっかりしたまえ』

 小早川は驚いて彼女に駆け寄り、上体を抱え起こすと急いで上着を脱ぐと、彼女のの裸の身体にかけてやりながら観測グループを呼んでいた。



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アウター・オブ・ザ・イン 内なる世界の旅 佐藤万象 @furusatoha

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