ソメイヨシノの咲く墓地にて

重永東維

ソメイヨシノの咲く墓地にて

 父が亡くなり、後を追うように母が亡くなり、そして姉の久恵まで亡くなった。ここ、数年ほどに起きた不幸な出来事である。

 呪われているのではないか──、と近所では囁かれたものだが、残されてしまった大学生の涼介にとって、なんら不思議なことではなかった。

 もともと病弱な家系だったことから、母から度々言い聞かせてられていたのもある。その頃は、姉も入退院を繰り返しており、父の訃報が入った時には「ついに、この日がやってきたか」と密かに覚悟を決めたものだった。

 幸い、両親がそれなりの蓄えと準備してくれたのもあり、葬儀の手配から役所に至るまで、滞りもなく執りおこなうこともできた。心残りといえば、最初から最後まで、なにひとつ恩返しができなかったという点だろう……。

 なによりも、お世辞にも涼介は「できた」息子ではなかったからだ。

 仏壇の「おりん」を鳴らし、そっと手を合わせる。

 部屋に充満する白檀びゃくだんの香り。せめてもの供養のつもりだった。それまで、供え物や線香を焚くなどといった習慣がなかっただけに、妙な気分にもさせられる。

 自慢ではないが、頭の方はからっきし。短気で喧嘩っ早く、家族にも色々と迷惑もかけた。優秀な姉と比較されて無駄に荒れてた時期もある。その癖、身体だけはやたら頑丈で病気らしき病気をまるでしたことがない。本当に、この家の子供なのかとも疑っていたところだ。

 ──でも、涼介の父と母はよくこんなことを口にしていた。『この子はね。私たちに似て、なのです』と。

 二人は似ても似つかない華奢な体格で、惜しげも無く見栄を張って見せたのだ。ふと思い返しても見ても、自然と頬が緩んでしまう……。

 なぜ父と母が、そんな言葉を口にしたのか暫く気づかなかったが、その後の自分を更生させた矜持にとなったと言える。だからこそ、どんなに辛く苦しい状況でも、辛抱強く耐えてこれたのかもしれない──。


 涼介はおもむろに立ち上がり、窓から見える桜に目をやった。

 三人の眠る「染井墓地」まで歩いて、五分ほどの距離だろうか。戦後、この土地にやってきた曽祖父が建てた墓である。墓地の公募のあったその前年に、亡くなった家族のいる者のみが条件だったらしく、運よく手に入れることができたそうだ。

 戦争で全てを失い、せめて住む家と墓ぐらいはと東京に移り住み、親子二代に渡って必死に築き上げてきたのだろう。この小さな家と墓は、家族が懸命に生きてきた唯一の証とも言えた。


 そして、今日は姉の命日でもある──。


 亡くなって丁度一年。涼介は先日から用意していた花束を手に取り、物憂げな表情で玄関先に向かった。……意外と死ぬには良い季節だったかもしれない。

 何よりも、姉は桜をこよなく愛していた。一瞬にして咲いては散ってゆく生命の儚い輝きに魅せられていたのだろう。特に、墓地に咲くソメイヨシノは大のお気に入りでもあった。

 庭先に備え付けられている蛇口からペットボトルに水を溜め、それを桶の中に花束と一緒に入れる。ついでに、涼介は墓の敷地に生えてる雑草を抜く為のスコップや軍手を袋に詰めるのだった。

 父と母が立て続けに亡くなったとき、姉は感慨深くホッとしたような顔をしていたのを覚えている。なんでも、二人より長生きできたことが、心底良かったとも話していた。これで、何も思い残すこともないとも……。

 正直、姉の体調ばかり気に掛ける両親は、涼介にとって嫉妬の対象でしかなかったが、姉は姉でそんな愛情や優しさに悩まされていたらしい。何かにつけて、腫れ物に障るような扱いは億劫だったとも吐露していた。

 両親から譲り受けてしまった病を患い、二十歳までは生きれらないだろうと医者に宣告されつつも、半ば意固地になり我武者羅で闘ってきたのだ。しかしながら、姉がこれまで生きてこれたのも奇跡のような話だった。

 親より先に亡くなるなんて親不孝だと言わんばかりに、幾度なく病院から生還を果たしてきた猛者でもある。なによりも、涼介が部活で始めた拳闘にいたく共感したらしく、減量や練習に励む姿を自分に重ね合わせていたと言う。

 その姿はまるで、防衛に防衛を重ねる世界チャンピオンのように凄まじかった。満身創痍になりながらも何度でも立ち上がり、どんな困難であろうと俄然として立ち向かう。流石の涼介も「この人だけには勝てないだろう」と思わせるほどの奮闘ぶりだった。

 ……だから、すこし悲しくなるのだ。姉があっさりと亡くなってしまった時は、狐につままれたように呆然としてしまった。しかも病院ではなく自宅の屋上でだ。満開の桜でなごんでしまい、つい気が抜けてしまったのかもしれない。

 少しは満足できたのだろうか、その安らかな死に顔はこの世の幸せを独り占めしているようでもあった。


      *

 

 染井墓地の入口にあたる緩やかな坂に差し掛かると、綺麗なソメイヨシノが出迎えてくれる。ひらひらと舞い散る桜の花びら。霊園が最も映える季節かもしれない。涼介は一歩一歩、踏みしめるように坂道を登った。

 墓参りは慣れたものだ。年に三回、お盆を含めると最低四回は訪れる。墓地の近所に住居を構えた父の思惑通りだったと言えよう。そして、三人の墓は坂を登りきったすぐ右隣りにあった。

 

 ──ところが、墓前では一人の男が手を合わせているではないか。


 涼介はその男の姿を目にするや否や、激しい憤怒の感情に駆られた。

 歳が歳なら、その場で殴りかかっていたかもしれない。男は獅子のたてがみを彷彿させるような金髪と、屈強な身体からは溢れんばかりの若々しい生命力を感じさせる。還暦近くになっているにも関わらず、二十歳以上は若く見える。化け物か、この男は。

「おい、なにしに来たんだよっ! はやく帰れっ!」

 すると男は、臆することもなく「──おめえの姉貴から墓参りに来いって頼まれたんだよっ!」と、面倒臭そうに舌打ちをするのであった。

「はぁ!? なんだよ、それ……」

「知らねえよ。ただ、やたら気にしてたぞ」

「くそっ!」

 と、涼介は動揺をひた隠しにして墓に入ったものの、敷石の上でたまらず項垂れたのだった。まさか、姉がこの男と繋がっているとは、夢にも思っていなかったからだ。全く、余計な真似をしてくれる。だが、それはつまり……、姉も男と母の関係性に気づいていたと言うことでもあった。


 ──そう、この男こそが、涼介の『な父親』なのだ。


 近所でも有名なロクデナシであり、そこら中で手を出して子供を作りまくっていると言う噂だ。両親を亡くしてから、そんな奴が実の父親だと知ったのはごく最近の話でもある。ショックよりも先に、長年の疑問が氷解していく共に「やはり、そうだったのか」という妙な納得感まであった。

 しかし、ガキの頃から反りが合わず、町内会の祭りで顔を合わせる度に、激しく罵り合ったものだ。こいつに殴られたのも一回や二回ではない。よくよく思い返せば、男が酒に酔うと必ず絡んできたのは、があったからなのだろう。

「……俺はてめえが大嫌いだ」

「そりゃ、わかってるよ。でもなあ、涼介よ。今更、親父ヅラするつもりはねえが……。もう、俺とおめえしか残ってねえんだ」

「だから、なんだっていうんだよっ」


 ……ただ、母が男との不倫関係に至った経緯は何となく想像がつく。


 おそらく、姉を産んでからぐの話だった。娘が夫と同じ病を患っていることを知り、壊れてしまったのだろう。暗澹あんたんたる行く末しか想像できなくなってしまったのかもしれない。少しでも丈夫な子供をとわらをも掴む思いで、強い遺伝子を求めたに違いなかった。


 男は眉を下げ、涼介の後ろでバツが悪そうに頭を掻いている。

 それとも、少々照れ臭いのか、恥ずかしそうに口籠もってもいた。そんな仕草からも、血の繋がりを感じてしまう。決して認めたくはなかったが、背格好からして瓜二つ。まるで、映し鏡を見ているようだった。

「はっきり言えよ。さっきから気持ちわりいな」

「いや、えっとな……」と、やっぱり躊躇した様子で涼介から顔を背け、男は遠くの空を見つめる。募る想いもあるのだろう。普段の威勢の良さは何処へ行ったのか、終始言葉を詰まらせていた。

 だが、このままではまるで埒が明かない。しばらく放っておこう……。

 涼介は墓に水をかけ、線香を焚き、花束を添えて軽く手を合わせていると、男は居心地が悪そうに寄ってきて、おもむろに口を開く。仕方ねえかと、言った具合いに。

「……希望がなくなると、人間ってやつは狂気しか残らなねえそうだ」

「ああっ!? なんだって?」

「〝三人〟からの伝言だよ。おめえは家族にとって、唯一の生きる『希望』だったんだとさ。まあ、俺には何のことかさっぱりだがな」

 その言葉を不意に耳にし、涼介は少しだけ救われた気がした。

 何故なら、迷惑だとばかりに思えた自分の存在を肯定してくれたのだから……。いくら家族とはいえ、面を向かっては言いづらいことも多々あるだろう。どんな形にせよ、姉は背中を押して次に繋いでくれたのかもしれない。

「じゃあ、そういうこった。たまには、うちに顔を出せや。飯ぐらいは食わせてやる。もいることだしよ」

「……ちょ、ちょっと待て。てめえ、まだ独身だったよな!?」

 感動も束の間、男は「細けえことは気にするな」と、屈託のない笑みを浮かべて颯爽と桜吹雪の中を歩いてゆく。その大きな肩を揺らしながら。

 ただ、驚愕の事実を伝えられてしまった涼介はいささか動転している。

 混乱した頭と、おぼつかない足取りで男の後を急いで追う。なんだか、振り出しに戻されてしまった気分だ。いや、再び舞い戻ってしまったのだろうか。

 破壊と創造、消失と再生。頬を撫でる春風は涼げで、見上げた空の雲間から家族の笑い声が聴こえた気がした。陽気な小春日和をよそに、更なる波乱を感じさせざるを得ない。……が、命は流転してゆくものなのだろう。

 そして、涼介は呆れたように小声で呟く。


 ──めぐる因果は、糸車ってか。


                                  

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